ローマ字とは

ローマ字の 定義


ラテン文字(ローマ字)

ローマ字とは なんでしょうか。ローマ字は 日本語の 書きかたの ひとつで,日本語を ラテン文字で 書く 方法です。また,その 方法で 書かれた 日本語です。ラテン文字とは いわゆる アルファベット(ABC)の ことですアルファベットは かんたんに いえば 表音文字ですが,もう すこし 正確に いえば 音素文字です。これには いろいろな 種類の 文字が あり,日本で アルファベットと よんでいるのは その 中の ラテン アルファベットの ことです。ラテン文字とも いいます。つまり,せまい 意味の アルファベットは ラテン文字で,ひろい 意味の アルファベットは 音素文字です。もっと ひろい 意味では 音節文字まで ふくめます。たとえば,かな文字を ジャパニーズ アルファベット,ハングルを コリアン アルファベットと いったり します。



かな文字(カタカナ)

日本語の 文を 書く とき,ふつうは 漢字と かな文字を つかいます。けれども,そう しなければ ならないという きまりは ありません。ちいさい こどもむけの 絵本は かな文字 だけで 書いてあるでしょう。それと おなじ ように,日本語を ラテン文字 だけで 書く ことも できます。それが ローマ字です「かな文字」は すこし 変な ことばです。「名(な)」は「字」の ふるい よびかたで,昔は 漢字を「真名(まな)」,ひらがな を「仮名(かな)」と いいました。つまり,「仮名」は「字」の 意味を ふくんでいるので,「かな文字」だと「字」の 意味が だぶって しまう わけです。漢字で「仮名」と 書けば いいだろうと いわれそうですが,「仮名」は「かりな」「かんな」とも 読めますし,ちがう 意味の「カメイ」「ケミョウ」とも 読めるため,まちがいを まねきやすい ダメな 漢字表記です。できるだけ つかわない ほうが いいでしょう。だからと いって,ひらがなで「かな」と 書くと,助詞の ように みえて しまって 読みにくいかも しれません。そこで,この サイトは「かな文字」と 書く ことに しました。ただし,「現代仮名遣い」など 正式名称が「仮名」に なっている ばあいは「かな文字」には していません。なお,「名」は「字」なので,「仮名」は「仮字」とも いいます。「仮字」は,いくつか 同音異義語が ある ものの,まちがいを まねく 心配は ありません。専門家むけの 文章なら これを つかう 手も あります。


点字

漢字と かな文字を まぜて 書く「漢字かな交じり文」と おなじ ように,かな文字 だけで 書く「かな文字文」や ラテン文字 だけで 書く「ローマ字文」も 立派な 日本語です。すこし 特殊な もので,点字による「点字文」も あります。日本語の 書きかたには いろいろな 方法が ある わけです。

日本語は 漢字かな交じり文で 書くのが 正式だと おもっている 人も いるでしょうが,日本語に「ただしい 書きかた」という ものは ありません。極端な 例ですが,選挙の ときに ローマ字で 投票 したって かまいません1920(大正9)年に 大審院(いまの 最高裁判所)が ローマ字による 投票を 有効と する 判決を だし,「毫も選挙の自由公平其他選挙法の精神に乖離する所なし。」と いっています。1924(大正13)年には 内務省が ローマ字投票の 有効を 告示 しています。

我輩は猫である。 【漢字かな交じり文】
ワガハイ ワ ネコ デ アル。 【かな文字文】
Wagahai wa neko de aru. 【ローマ字文】


Zyappu (1998)

Zyappu(ジャップ)は 1990年代に あった ファッション雑誌です。文章が すべて ローマ字で 書かれていました。

文字の「ローマ字」・書きかたの「ローマ字」

文字の ABCを「ローマ字」と よぶ ことも あります。「漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字」と ならべて いう ときの「ローマ字」が これです。もともとの「ローマ字」は この 意味でした。ところが,その「ローマ字」で 日本語を 書く 方法や,その 方法で 書かれた 日本語を 単に「ローマ字」と いう ことが おおく なり,ややこしく なって しまった わけです。はじめは「ローマ字書き」「ローマ字書きの 日本語」などと いっていた ものが ちぢまって「ローマ字」に なって しまったのかも しれません。

このように,「ローマ字」には 文字の 意味の「ローマ字」と 書きかたの 意味の「ローマ字」が あります。ABCを「アルファベット」「英字」などと よぶ ことも ありますが,これは 文字の「ローマ字」です。小学校の「国語」で ならう ローマ字,「ローマ字入力」の ローマ字,英語の romaji は 書きかたの「ローマ字」です。

ふつうは どちらの 意味か 文脈で わかります。けれども,文字の「ローマ字」の つもりで いったのに 書きかたの「ローマ字」の 意味に とられて しまったり,その 反対だったり する ことも ありますから,気を つけて くださいほかにも,「ローマ字」を「英語表記」と よぶ 人や,ローマ字入力の ローマ字を「ヘボン式」と よぶ 人も いて,この あたりの ことばは 混乱 しています。ローマ字と ローマ字入力と 英語の ちがいを よく 理解 していない 人は おおい ようです。じっさい,ローマ字を 日本語と 英語の 中間的な ものと おもっている 人は おおく,日本語を ABCで 書いた だけで 英語に なると おもっている 人も います。「訓令式」という ことばが 一般に 知られていない ことも ことばが 混乱 している 原因の ひとつだと おもわれます。なお,英語と 日本語の 対応は きっちり きまっている わけでは ありませんが,おおまかには つぎの ように かんがえると いいでしょう:Latin alphabetラテン文字),Roman alphabetローマ文字・ローマ字),romanizationローマ字書き・ローマ字表記・ローマ字化),romanized Japaneseローマ字書きの 日本語・ローマ字表記の 日本語・ローマ字化 された 日本語),romajiローマ字)。この サイトは Latin alphabet, Roman alphabet を「ラテン文字」,romanization, romanized Japanese, romaji を「ローマ字」と よんでいます。

この サイトは まちがいを さけるために 文字の「ローマ字」を ラテン文字と よび,ラテン文字で 日本語を 書く 方法や,その 方法で 書かれた 日本語を「ローマ字」と よぶ ことに しています。ラテン文字 だけで 書かれた 日本語の 文は「ローマ字文」と よびます。「ラテン文字」も お読み ください。


「一房の葡萄」 (昔の 教科書)

これは 小学校の 教科書です。ローマ字は 人名や 地名を 書く ためでは なく,日本語の 文章を 書く ために あります。だから「国語」で おしえています。いまの 学校は ローマ字文の 読み書きを おしえません。そのため,なんの ために ローマ字を 勉強 するのかが わかりにくく なっています。

よく ある おもいちがい

ローマ字を ただしく 理解 している 人は あまり いません。さまざまな おもいちがいが ひろまっています。

ローマ字は ふりがなを ABCに おきかえた もの?

ふりがなを ABCに おきかえた ものが ローマ字だと おもっている 人が います。かな文字を ラテン文字(ABC)に 転写 する 規則が ローマ字だと 解説 されている ことも あります。「おはよう」「こんばんは」を ohayou, konbanha と 書く 人も よく います。これらは すべて まちがいです。ローマ字と ふりがなに 直接の つながりは ありませんローマ字と ふりがなは おなじ 音声を ちがう 表音文字で 書いた ものです。すなわち,日本語の 音声を ラテン文字で 書いた ものが ローマ字で,かな文字で 書いた ものが ふりがなです。たとえば,〈オハヨー〉〈コンバンワ〉という 音声を ohayô, konbanwa と 書くのが ローマ字で,「おはよう」「こんばんは」と 書くのが ふりがなです。

ローマ字は 日本語の 音声を ラテン文字で 書いた ものです。世界の ほぼ すべての 言語は ことばの 音声を 表音文字で 書きます。どんな 文字を つかうかは いろいろで,どんな 音声を どんな つづりで 書くかの 規則も さまざまですが,ことばの 音声を 表音文字で 書いている 点は おなじです。ローマ字は これと おなじ やりかたで 日本語を 書く ものです。つかう 表音文字は ラテン文字で,どんな 音声を どんな つづりで 書くかの 規則を まとめた ものが「ローマ字表」です。

つまり,「ローマ字表」に 書いてある かな文字は 文字では なく,音声です。たとえば,「か」の 下に ka と 書いてあったら,それは 文字の「か」を ka と 書くという 意味では なく,音声の〈カ〉を ka と 書くという 意味です。

ローマ字は 発音記号の ような もの?

ローマ字を 発音記号の ような ものだと おもっている 人が います。しかし,それは まちがいです。たしかに,ローマ字の つづりは ことばの 音声で きまりますし,発音記号も ことばの 音声を しめす 記号です。しかし,ローマ字と 発音記号は ちがいます。発音記号の 読みかたは 世界共通ですが,ABCの 読みかたは 言語に よって ちがうからです。

ABCで 書かれた つづりが どんな 発音を あらわしているかは その 言語を しっている 人で なければ わかりません。たとえば,フランス語の つづりの ただしい 読みかたが わかるのは フランス語を しっている 人 だけです。それと おなじで,ローマ字の ただしい 読みかたが わかるのは 日本語を しっている 人 だけです。

しばしば ヘボン式訓令式より 発音を 正確に あらわしていると 説明 されますが,これは とんでもない まちがいです。どんな 言語の つづりも それを みた だけで ただしい 発音が わかる ようには できていません。英語の つづりも フランス語の つづりも 英語や フランス語を しらない 人が みれば ただしい 発音は わかりません。訓令式の つづりも ヘボン式の つづりも 日本語を しらない 人が みれば ただしい 発音は わかりません。

ローマ字は 日本語です。外国人から みれば 外国語です。外国語は 勉強 しなければ 読みかたが わかりません。勉強 して 読みかたを おぼえても,練習 しなければ ただしい 発音は できません。ローマ字の 読みかたを しらず 日本語の 発音も できない 外国人が ローマ字を みたって ただしい 発音で 読める はずが ないでしょう。

こういう わけですから,日本語の 発音を 外国人に おしえて あげたい ときに ローマ字を 書いて みせても 意味が ありません。そんな ときは 発音記号を つかって ください。それが もっとも たやすく かつ たしかな 方法で,しかも 世界中に 通用 します。相手の 言語に あわせた つづりを ひねりだそうと するのは 時間の むだです。

ローマ字は 日本語では ない?

ローマ字は 英語と 日本語の 中間的な ものとか,外国語の 文に 日本の 人名・地名を いれる ための 特殊な 書きかたとか,そんな ふうに かんがえている 人が います。しかし,それは ちがいます。ローマ字は 日本語です。ABCで 書いた 日本語が ローマ字です。ABCは 世界共通の 文字と みなされているので,国際的な 場で 日本語を 書く ときや 日本語を 世界に 発信 する ときは ローマ字を つかいます。

英文の 中に 日本語の ことばを いれる ときに ローマ字を 書くのは このためです。英文の 中に フランス語や ドイツ語の ことばを いれる ときに どう するか,かんがえてみて ください。フランス語や ドイツ語の ことばは フランス語や ドイツ語の つづりを そのまま 書くでしょう。それと おなじで,日本語の ことばは 日本語の つづりを そのまま 書きます。ただし,漢字や かな文字を 書く わけには いかないので ローマ字を 書いている だけです。

ABCは 外国語を 書く 文字だと おもいこんでいる せいで,ローマ字と 外国語を むすびつけて かんがえる 人は すくなく ありません。しかし,ABCは 特定の 言語を 書く 文字では なく,世界共通の 文字です。ギリシャ語も ロシア語も ABCで 書けます。中国語も 韓国語も ABCで 書けます。ふつうは ABCで 書かない 言語にも ABCで 書く 方法が きめてあるからです。それが ローマ字です。つまり,中国には 中国の ローマ字が あり,韓国には 韓国の ローマ字が あります。このように,ローマ字は 世界中に ある ものですが,この サイトで 解説 している ローマ字は 日本の ローマ字です。だから,ローマ字は 日本語だと いっています初期の ローマ字は 外国人が 日本語を 読む ために つくった 外国人むけの ふりがな みたいな ものでした。したがって,これらの つづりかたは 外国語に にています。この 意味で,初期の ローマ字は 外国語と 関係が あります。ヘボン式は 初期の ローマ字の 一種で,英語に にている ところが あります。ただし,初期の ローマ字も ABCで 書いた 日本語で ある ことに かわりは ありません。

ローマ字は 外国人の ために ある?

ローマ字は 外国人の ために あると おもっている 人が おおいのですが,本当は ちがいます。ローマ字には 目的が いくつか あります。ABCを つかっている くらいですから,もちろん 国際化の かんがえも あり,日本語を 世界に 通用 する 文字で 書く 目的が あります。外国人が みて わかる 文字で 書くという 目的が ある わけで,この 意味では 外国人の ためと いえます。道路標識や 駅名標に ローマ字が 書かれているのは このためです。けれども,それ だけが 目的では ありません。ローマ字には もっと 重要な 目的が あります。それは 日本語を 合理的に 日本語らしく 書く ことです。つまり,ローマ字は まず 第一に 日本語で くらしている 人の ために あります。くわしくは「ローマ字の 目的」を お読み ください。

ローマ字は 外国人の ためという かんちがいが ひろまっているのは,学校が ローマ字を きちんと おしえていない ことが もっとも おおきな 原因ですが,ほかにも 原因が あります。それは 日ごろ よく 目に する ローマ字が すべて 英語に にている ことです。なんでも 英語風に すれば 外国人の ために なると おもいこんでいる 人が おおく,それで ローマ字は 外国人の ために あると かんがえる 人も おおいのでしょう。

どんな 言語の つづりかたも その 言語で くらしている 人が つかいやすい ように つくってあります。英語は 英語らしい つづりかた,フランス語は フランス語らしい つづりかたです。中国の ローマ字は 中国語らしい つづりかた,韓国の ローマ字は 韓国語らしい つづりかたです。それが あたりまえでしょう。本当は 日本の ローマ字も 日本語らしい つづりかたで なければ いけません。これが 小学校の「国語」で 日本語らしい つづりかたの 訓令式を おしえている 理由です。

ところが,じっさいに よく つかわれている ローマ字は 英語風の ヘボン式です。そのため,教育が 混乱 して 生活が 不便に なっています。自分の 言語を 外国語風に ねじまげて 書いている 先進国は 日本 だけです。おおくの 外国人は 日本で よく つかわれている ローマ字が 英語と にている ことに 気づいていて,たいへん 不思議に おもっています自分の ことばを 外国語風に 書いている 国は たくさん あります。植民地に されていた 時代に おしつけられた 制度の せいで そう なっています。外国人には 日本が それらの 国と おなじ ように みえているかも しれません。中国と 韓国も すこし 前まで 英語風の ローマ字を つかっていましたが,国の 発展に ともなって,自分の 言語らしい ローマ字に きりかえました。日本語と 英語は まったく ちがう 言語で,日本は 植民地でも ないのに,日本の ローマ字と 英語は にています。これは いったい どういう わけだと いって,外国人が インターネットで 議論 している ことは よく あります。

ローマ字は「英語」の 初歩?

学校で ローマ字を おしえるのは「英語」の ためだと おもっている 人が いるのですが,それは ちがいます。ローマ字の 勉強は 日本語の 勉強です。その 証拠に,ローマ字は「国語」で おしえているでしょう。ローマ字は 日本語の 基礎知識だから 小学校の「国語」で おしえています。ローマ字と 英語は つかう 文字が おなじ ABCなので,こどもが 英語より 先に ローマ字を ならう ばあい,ローマ字教育が 英語教育の 初歩を ほんの すこし だけ ひきうける ことに なります。しかし,その ばあいも こどもは「英語」の ために ローマ字を 勉強 するのでは ありませんこどもを いろいろな 外国語に ふれさせるのは たいへん よい ことです。発音に かんする 能力は こどもの 時期の ほうが 身に つきやすいとも いわれています。しかし,おしえるのが 英語 だけだと かたよった ものの みかたを すりこんでいる ことに なりますし,「英語」の ために ほかの 教科の 授業時間 などを けずるので あれば,える ものと うしなう ものの バランスを かんがえなければ なりません。おおくの 学者や 専門家は,日本語も おぼつかない 小学生に ふだんの 生活で つかわない 外国語を おしえる ことには 教育上の さしさわりが あると かんがえています。

ところが,小学生や 中学生の 保護者には ローマ字と「英語」を きりはなして かんがえられない 人が おおい ようです。こどもが「ローマ字読み」を するのは ローマ字を おしえるからだと いって ローマ字教育を せめる 人も よく います。けれども,これは いいがかりです。「ローマ字読み」の 責任は すべて 英語教育に あります。

ローマ字教育が 英語教育の じゃまに なると おもっている 人は おおいのですが,それは ローマ字を「英語」の 初歩だと かんちがい している ことが もっとも おおきな 原因です。ローマ字教育を 批判 する 意見が でてくる 原因は ほかにも あります。それは こどもむけの 英語教育に かかわる ビジネスの 周辺で 意図的に ひろめられている うそです。学校教育を うたがっている 保護者は おおいので,それを 否定 する 宣伝に ききめが あるのでしょう。教育熱心な 保護者 ほど あやしげな 業者の「カモ」に されやすいので,気を つけて ください。また,英語 だけ 得意な 人や 不勉強な 英語教師・英語講師が SNS などに 書きこむ 俗説の たぐいも たくさん あります。これらが 英語で 苦労 した 経験を もつ 一般人に 共感 されて,ローマ字を 悪者に する 意見が 再生産 されています。

しかし,よく かんがえて ください。フランス語は 英語と おなじ 文字で 書いて ちがう 発音で 読みますが,フランス人は その せいで 英語が まなびにくいと なげいているでしょうか。中国の ローマ字は 英語と おなじ 文字で 書いて ちがう 発音で 読みますが,中国人は その せいで 英語が 上達 しないと さわいでいるでしょうか。つまらない うそに だまされない ように して ください。「ローマ字読みに ついて」も お読み ください。

ローマ字は ローマ字入力の 予備知識?

学校で ローマ字を おしえるのは ローマ字入力の ためだと かんがえている 人も います。しかし,そうでは ありません。

ローマ字は パソコンや ワープロが なかった 明治時代にも つかわれていて,学校で ローマ字を おしえようという かんがえも このころから ありました。じっさいに ローマ字教育が 本格的に はじまったのは 戦後ですが,一部の 学校は それより 前から ローマ字を おしえていました。それに たいして,ローマ字入力は ワープロ専用機が つくりだされた あとに できた もので,一般に ひろまったのは 1980年代の おわりごろからです。つまり,先に ローマ字が あって,それを あたらしい 技術に 応用 したのが ローマ字入力です。ローマ字と ローマ字入力は まったく ちがう 別の もので,ローマ字の つづりかたと ローマ字入力の キーの おしかたも ちがいます。

ローマ字入力は ローマ字を 応用 した ものですから,すでに ローマ字を よく しっている 人が ローマ字入力を おぼえるのは かんたんです。けれども,ローマ字を きちんと 理解 していない 人が ローマ字入力を おぼえた ばあい,ローマ字を ただしく 理解 するのが むつかしく なります。スポーツで はじめに 変な くせが ついて しまうと あとで 苦労 するのと おなじです。こどもでも おとなでも,ローマ字入力の 練習を はじめる 前に ローマ字を きちんと 理解 しておく ことが 大切です。

パスポートの 名前の 書きかたが 正式?

パスポートの 名前の 書きかたが 正式の ローマ字だと おもっている 人も いますが,これも まちがいです。ローマ字の 書きかたは パスポートの ルールでは なく 日本語の ルールで きまっています。

パスポートの 名前の 書きかたは ただしい ローマ字では なく,外務省が つくった パスポート用の 特別ルールです。しかも,たいへん 不便な 書きかたです。ONO は「小野」か「大野」か わかりません。YUKI は「雪」か「勇気」か わかりません。日本人の 名前なのに 日本人が みても 読めません。日本人は 自分の 名前を 自分でも 読めない つづりで 書いている わけです。この 事実を 外国人が しったら おどろくでしょう。日本人の 知性が うたがわれるかも しれません。

ただしい ローマ字は こんな いいかげんな 書きかたとは ちがい,「小野」と「大野」も,「雪」と「勇気」も,きちんと 書きわける ことが できます。ローマ字は 日本語の 音声を 記録 する ものですから,日本語を しっている 人が みれば,記録 された 音声を 再生 できますただしい ローマ字は,「小野」「大野」を それぞれ Ono, Ôno,「雪」「勇気」を それぞれ Yuki, Yûki と 書きます。パスポートの ルールは〈オノ〉〈オーノ〉〈オノー〉〈オーノー〉〈オンオ〉〈オーンオ〉〈オンオー〉〈オーンオー〉を おなじ つづりの ONO に して しまいますが,ただしい ローマ字なら これらは Ono, Ôno, Onô, Ônô, On'o, Ôn'o, On'ô, Ôn'ô です。

インターネットで しらべたら わかる?

いまの 学校は ローマ字を きちんと おしえていません。公の ローマ字は 正式の ルールを 採用 していません。日ごろ よく 目に する 企業の 名前も 芸能人の ニックネームも,ほとんどが ただしい ローマ字で 書かれていません。テレビの 教育番組でも ただしい ローマ字が つかわれる ことは まれです。英語教育に かかわる 団体 などが あやまった 情報を ひろめている ことさえ あります。これらが かんちがいの もとに なっています。ローマ字の ただしい 知識を もっている 人は ほとんど いないのが 現状で,学者クラスの 知識人でも ローマ字を ただしく 書ける 人は すくないと おもわれます。

そのため,まちがった 情報を 善意で インターネットに 書きこむ 人が あとを たちません。インターネットで ローマ字に ついて しらべても,個人が 書いている 情報は まちがいだらけです。マスメディアが 発信 する 情報は それに くらべると ましですが,プロの ライターが きちんと 取材 して 書いた ネット記事も 新聞の コラムも テレビの 番組も,ほぼ すべてが まちがいを ふくんでいますマスメディアは,行政の デタラメを チェック する 役割が 期待 されているにも かかわらず,ローマ字に かんする かぎり この 役割を まったく はたしていません。道路標識や 駅名標の ローマ字に ついて くわしく おしえて もらう ところまでは いいのですが,それを 批判的な 目で みなおす 能力が なく,そのまま つたえて しまう 失敗が おおい ようです。その 結果,デタラメを 世の中に ひろめる 手だすけを しています。

ローマ字の 解説は ごく わずかの すぐれた ウェブサイトを のぞいて まったく あてに ならない ありさまです。そして,これが「よく ある おもいちがい」を ひろめる もとに なっています。

ローマ字の 特徴

ローマ字には おおきな 特徴が みっつ あります。ひとつめは ラテン文字で 書く ことです。あたりまえだと いわれそうですが,これは とても 重要です。なぜなら,ラテン文字は 世界共通の 文字と みなされているからです。日本で しか 通用 しない 文字で なく,世界に ひらかれた 文字で 書く ところに 意義が ある わけです。ローマ字には「日本語を 世界に ひろめよう。」という ポリシーが あります。

ふたつめは 読むのも 書くのも たやすい ことです。これは 漢字を つかわないからです。たくさんの 漢字を おぼえる むだが ありません。じつは,かな文字書き より ローマ字書きの ほうが ずっと かんたんです。機械で あつかいやすい ことも おおきな 利点です。ローマ字には「日本語の 表記法を やさしく しよう。」という ねらいが ありますかな文字書きより ローマ字書きの ほうが かんたんで ある 理由は,文字の 形が わかりやすく,文字の 数が すくなく,つづりかたが 規則的だからです。

みっつめは 音声情報 だけを あらわしている こと です。ラテン文字は 表音文字ですから,音声情報 しか 書きあらわせません。たとえば,「日本」を ローマ字で 書こうと おもっても,その 読みかたが〈ニホン〉なのか〈ニッポン〉なのか,あるいは〈ヤマト〉か〈ヒノモト〉か,わからないと 書けません。ローマ字の 世界では,ことばの 本質を 文字では なく 音声だと かんがえます。くわしくは「ことばと 文字の 関係」で 説明 しています。

これらの 特徴は 学校で ローマ字を まなぶ 理由にも つながっています。くわしくは「ローマ字の 目的」で 説明 しています。

ローマ字の 歴史

ポルトガル式


フランシスコ ザビエル

ローマ字を 発明 したのは 外国人でした。16世紀の 末に,ポルトガル語を 公用語に していた イエズス会の 宣教師たちが 日本に やってきました。そして,かれらの 文字(ラテン文字)を つかって 当時の 日本語を 書きうつしました。現代の 日本人も 外国語を カタカナで 書きうつしたり しますが,かれらも それと おなじ ことを した わけです。

このとき,日本語が ラテン文字で 書かれたのですから,これは ローマ字で あると いえます。これが ローマ字の はじまりです。ローマ字は キリスト教の 宣教師が つくった ものでした。きっと フランシスコ ザビエル(シャビエル)も この ローマ字を つかっていたのでしょう。

ヘボン式・日本式・訓令式

1867年,アメリカ人の 宣教師 ヘボンが 和英辞典を つくった ときも やはり かれらの 文字(ラテン文字)で 日本語を 書きました。こうして つくられた 英語風の ローマ字が ヘボン式の はじまりです。

1885年,天文学者 寺尾寿(てらお ひさし)・物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)に よって,日本語を 書きあらわすのに ふさわしい ローマ字が となえられました。この ローマ字は のちに 日本式と よばれる ように なりました。

ヘボン式日本式は 根本的な ところで かんがえかたが ちがうので,それぞれの 支持者が 対立 して,ローマ字の 書きかたが はっきり さだまらない 状況が ながく つづいていました。そこで,ローマ字を 統一 しようという ことに なり,1937(昭和12)年に 公式の ローマ字が できました。この ローマ字は 訓令で さだめられたので 訓令式と よばれています。

訓令は 行政機関に たいする 命令ですから,公の 分野で つかう ローマ字は すこしずつ 統一 されていきました。一時は 鉄道の 駅名や「英語」の 教科書で つかわれる ローマ字も 訓令式に なりました。


けれども,ローマ字を 統一 する ことは できませんでした。おおまかに いえば,訓令式日本式の かんがえかたを 採用 した 方式だったので,これに 反発 した ヘボン式の 支持者が ヘボン式を つかいつづけたからです。こうして,ヘボン式訓令式が 対立 する ように なり,はじめと おなじ 状況に もどって しまいました。

戦後は ローマ字が 政治の 力で ゆがめられていきます。占領期に GHQが 一部の 分野で ヘボン式を 強制 した せいで,道路標識や 駅名標の ローマ字が ヘボン式に なりました。日本が 主権を とりもどした あとも これらが 訓令式に もどされる ことは ありませんでした。アメリカに へつらう ように なった 日本政府が 訓令を 改定 して 公の 分野で ヘボン式を つかう ように なったからです。民間の ビジネスや 英語教育の 分野は もともと ヘボン式を このんで つかっていたので,一般人が 日常生活で 目に する ローマ字は ヘボン式 ばかりに なりました。

訓令式は 国語教育の 分野で いきのこりましたが,ローマ字を こころよく おもわない 保守派が いきおいを とりもどすと,政治的な 力で ローマ字教育 そのものが おさえつけられて,ローマ字の 授業時間が すくなく なっていきました。

ローマ字の 知識を えられなく なった 一般人の あいだには,ヘボン式が 正式の ローマ字だとか,ヘボン式訓令式より すぐれた 国際的な 書きかただとか,そんな かんちがいが ひろまっていき,意識 して 訓令式を つかう 人は ほとんど いなく なりました。


こういう わけで,日本は 自分の ことばを 英語風に ねじまげた つづりで 書いています。この ことは 教育を 混乱 させて 生活を 不便に している だけで なく,日本語の 国際的な 地位を 傷つけて 日本に はかりしれない わざわいを もたらしています。

99式

1999年に 99式(きゅうきゅうしき)ローマ字が 提案 されました。これは 公式の 規格に なっておらず,学校でも おしえていません。しかし,たいへん 挑戦的な こころみで,インターネットの 時代に 対応 できる あたらしい ローマ字です。

99式は ほとんど 訓令式と おなじですが,長音を 書く ときに 特殊な 文字を つかわない ところが ちがいます。そのため,キーボードで 入力 しやすく,ウェブサイトや メールで「文字ばけ」が おこりません。ローマ字入力の ローマ字に にていて,おおくの 人に とって おぼえやすいのも 利点です。外来語や オノマトペ などを 書きあらわすのに 必要な〈ティ〉〈ファ〉〈チェ〉といった 特殊音の 書きかたを さだめている ところにも あたらしさが あります。

より くわしく

ローマ字の 歴史に ついての くわしい 解説は「なりたち」に あります。

ローマ字の 種類

いまの ローマ字

現在 つかわれている ローマ字には 代表的な 方式が 3種類 あり,すべて 学校で ならいます。まず,「国語」で ならう 訓令式ヘボン式です。それから,「英語」で ならう ヘボン式です。これは「国語」で ならう ヘボン式から 記号を とりのぞいた 書きかたです。この サイトは「英語」の ヘボン式「英語式」と よんで「国語」の ヘボン式と 区別 しています。学校で ならう ローマ字は「学校の ローマ字」で くわしく 説明 しています。

Tôkyô(東京) zyûdô(柔道) 【訓令式
Tōkyō(東京) jūdō(柔道) 【ヘボン式
Tokyo(東京) judo(柔道) 【「英語式」



企業の ロゴタイプ

ローマ字の 書きかたは「ローマ字のつづり方」という 公式の ルールで さだめられていて,日本語を ローマ字で 書く ときは 訓令式を もちいる ことに きまっています。ところが,この ルールは まもられておらず,訓令式は ほとんど つかわれていません。じっさいに つかわれているのは ヘボン式から 派生 した 書きかたです。パスポートの ローマ字道路標識(案内標識)の ローマ字駅名標の ローマ字,企業の ロゴタイプの ローマ字 などが その 例です。

もっとも よく もちいられている ローマ字は ヘボン式から 派生 した「英語式」です。しかし,これは 英語の 書きかたです。ただしい ローマ字で なく,日本語を ただしく 記述 する ことも できません。そのため,日ごろ よく 目に する ローマ字は 日本語が 書いてある はずなのに 日本人が みても まともに 読めないという おかしな ことに なっています。

ふるい ローマ字・あたらしい ローマ字

ローマ字には ながい 歴史が あり,いまは つかわれていない ふるい ローマ字も あります。たとえば,ローマ字の 元祖で ある ポルトガル式が それです。この ほかにも,オランダ式・ドイツ式・フランス式が ありました。訓令式の 前身と いえる 日本式も いまは ほとんど つかわれません。

あたらしい ローマ字も かんがえられています。新日本式や 99式が その 代表です。

まちがった ローマ字

変な ローマ字を みかける ことは めずらしく ありません。これは まちがって 書かれた ローマ字です。ふつう,まちがいは すぐに 指摘 されて あらためられる ものですが,まちがった ローマ字は おおくの 人の 目に ふれる ものでも そのままに されています。そのため,日常的に まちがった ローマ字を 目に する ことが よく あります。あまりにも おおいので,それらを ローマ字の あたらしい 方式だと かんちがい している 人が いる ほどです。

まちがいが おこる 原因は たくさん あります。まず,公の 分野で ただしい ローマ字が 採用 されていない ことです。特に パスポートの ローマ字と「英語」の 教科書で つかわれている ローマ字は 影響が おおきいと かんがえられます。日ごろ よく みる 企業の ロゴタイプや 芸能人の ニックネームも ほとんどが ただしい ローマ字で 書かれていません。ローマ字入力で つかわれる 特殊な ローマ字や,スポーツ選手の ユニフォームで みかける 独特の ローマ字も 原因の ひとつです。訓令式ヘボン式が 混在 している ために「ちゃんぽん式」が つくられやすい ことも あります。なにより,学校で ローマ字を きちんと おしえていない ことが おおきいでしょう。


「赤富士」(昔の 教科書)

これは ローマ字の 教科書です。昔は きちんとした ローマ字教育が おこなわれていたのですが,いまは おこなわれていません。そのため,ほとんどの 日本人は ローマ字を ただしく 書く ことが できず,国際社会で 恥を かいています。

各方式の 比較

日本式訓令式99式は よく にています。すべて 日本人が 日本語を 書く ための ローマだからです。これらは 日本語らしい つづりですから,日本語を 書くのに 適しています。それに たいして,ヘボン式は 英語の はなし手が 日本語を 読む ための ローマ字で,その つづりかたは 英語風です。これは 日本語に つけた ふりがなの ような もので,日本語を 書くのには 適していません。日本式訓令式99式の グループと ヘボン式を ならべてみると,つづりの ちがいが はっきり します。

日ごろ よく 目に する 道路標識(案内標識)の ローマ字駅名標の ローマ字は すべて ヘボン式を もとに していますが,書きかたが 統一 されておらず,それぞれが すこしずつ ちがいます。しかも,どの 書きかたも 設計に まずい ところが あります。中でも パスポートの ローマ字は 名前を 書く ものですから 不具合に 気づく 人が おおく,しばしば 批判の 的に なってきましたが,2000年代に はいってから 改善の うごきが あります。それとは 反対に,道路標識(案内標識)の ローマ字駅名標の ローマ字は 以前 よりも おかしく なってきています。

どの 方式を つかえば いいの?

ローマ字には いろいろな 方式が あり,これらを 状況に あわせて つかいわけないと いけません。ただし,基本的には 訓令式を つかいます。これが 原則です。じっさい,ローマ字を つかうのは 自分の 名前を 書く とき くらいだ,という 人も おおいでしょう。それなら,訓令式の 読み書き だけ おぼえて おけば 十分です。ヘボン式は 英語風の つづりかたなので 英語を 勉強 すれば 自然に 読める ように なります。

ただ,こまった ことに,パスポートや クレジット カードは つかえる 文字に 制限が あって,記号が ついた 特殊な 文字は つかえません。そのため,訓令式で 書けない お名前も あります。そこで,この サイトは これに 手を うつ やりかたを 提案 しています。くわしくは「パスポートむけ訓令式」を お読み ください。

より くわしく

ローマ字の 種類・比較・つかいわけに ついての くわしい 解説は「いろいろ」に あります。

ローマ字の 書きかた

ローマ字の かんがえかた

ローマ字は 音声を 書く


「飛行機」

ローマ字は ふりがなを ラテン文字(ABC)に おきかえた ものでは なく,音声を ラテン文字で 書いた ものです。以下,必要に 応じて 文字を「 」で,音声を〈 〉で しめします。

ローマ字の 世界では,はじめに ことばの 音声が あって,その 音声を 書きあらわす ために 文字が あると かんがえます。「飛行機」という ことばで かんがえると,はじめに〈ヒコーキ〉という 音声が あって,それを 漢字で 書けば「飛行機」に なり,ひらがなで 書けば「ひこうき」に なり,ラテン文字で 書けば hikôki に なるという わけです。

ローマ字を 書く ときは かならず ことばの 音声を ローマ字の ルールで ラテン文字に おきかえます。「おはよう」「こんばんは」だったら,〈オハヨー〉〈コンバンワ〉という 音声を ラテン文字に おきかえます。

〈オハヨー〉→ ohayô(おはよう)
〈コンバンワ〉→ konbanwa(こんばんは)

ふりがなで かんがえるのは まちがい

ローマ字で よく あるのは ふりがなで かんがえて しまう まちがいです。ローマ字入力の ために ローマ字を おぼえた 人は この まちがいを しがちです。ローマ字と ローマ字入力は まったく ちがう 別の ものです。混同 しない よう,気を つけて ください。

「おはよう」→ × ohayou(おはよう)
「こんばんは」→ × konbanha(こんばんは)



ローマ字と ふりがな

ローマ字と ふりがなは おなじ 音声を ちがう 表音文字で 書いた ものです。

よく,ふりがなでは 〇〇と 書くのに ローマ字では ××と 書くのは なぜですか,という 質問を する 人が います。これは ふりがなを ABCに おきかえた ものが ローマ字だと かんちがい しているからです。この かんちがいを していると,ohayou, konbanha と 書く まちがいが おこります。「ことばと 文字の 関係」も お読み ください。

ローマ字と ふりがなは おなじ 音声を ちがう 表音文字で 書いた ものです。日本語の 音声を ラテン文字で 書いた ものが ローマ字で,かな文字で 書いた ものが ふりがなです。したがって,ローマ字と ふりがなに 直接の つながりは ありません。ふりがなを ローマ字に 変換 する ことも 完全に 自動では できません。「なぜ ふりがなでは ダメなのか?」も お読み ください。

変換の しかた

音声を ラテン文字に おきかえる ルールは 言語に よって ちがいます。英語には 英語の ルールが あり,イタリア語には イタリア語の ルールが あります。ローマ字にも 日本語の ルールが あります。これを まとめた ものが「ローマ字表」です。下に しめしたのは 訓令式の「ローマ字表」です。

ローマ字を 書く ときは,ことばを 音声の 単位で くぎり,それを「ローマ字表」の ルールで ABCの つづりに おきかえます。たとえば,「絵」は 〈エ〉で e,「山」は〈ヤ〉〈マ〉で yama,「桜」は〈サ〉〈ク〉〈ラ〉で sakura です。

〈キャ〉〈キュ〉〈キョ〉などの 拗音(ようおん)は 2文字が 1音を あらわしているので,この まとまりで おきかえます。たとえば,「お茶」は 音声の 単位で〈オ〉〈チャ〉と くぎって otya に します。文字の 単位で「オ」「チ」「ャ」と くぎって otiya に しては いけません。

直音拗音
aiueo
キャキュキョ
kakikukekokyakyukyo
シャシュショ
sasisusesosyasyusyo
チャチュチョ
tatitutetotyatyutyo
ニャニュニョ
naninunenonyanyunyo
ヒャヒュヒョ
hahihuhehohyahyuhyo
ミャミュミョ
mamimumemomyamyumyo
yayuyo
リャリュリョ
rarirureroryaryuryo
wao
ギャギュギョ
gagigugegogyagyugyo
ジャジュジョ
zazizuzezozyazyuzyo
ヂャヂュヂョ
dazizudedozyazyuzyo
ビャビュビョ
babibubebobyabyubyo
ピャピュピョ
papipupepopyapyupyo

※ カタカナは 音声を しめしています。

印刷用の「ローマ字表」(A4サイズ,2ページ)も あります。


〈ン〉〈ッ〉や「ー」が つく 音は それぞれ 撥音・促音・長音と よばれていて,これらの 書きかたは「ローマ字表」と 別に 定義 されています。

撥音(はつおん)は〈ン〉の 音です。これは n と 書きます。ただし,撥音の つぎに 母音字 または y が ある ときは きる印(')で くぎります。

促音(そくおん)は〈ッ〉の 音です。これは つぎの 音の 子音字を 書きます。たとえば,「日記」は つぎの 音が〈キ〉ですから,ki の 子音字 k を 書きます。

長音(ちょうおん)は「ー」の つく 音です。これは のばす 音の 母音字に 山形(^)を のせます。たとえば,「空気」は のばす 音が〈ク〉ですから,ku の 母音字 u山形(^)を のせます。

onsen(温泉) hon'ya(本屋)
nikki(日記) zassi(雑誌)
kûki(空気) dôro(道路)

ローマ字に なれない うちは 長音が むつかしい ようです。長音が 苦手な 人は,まず「ー」を つかって 読みかたを 書く 練習から はじめると いいでしょう。たとえば,「お母さん」「お父さん」を「オカーサン」「オトーサン」と 書く 練習です。そして,ローマ字を 書く ときに この「オカーサン」「オトーサン」を おもいうかべる ように すれば まちがいません。ふりがなの「おかあさん」「おとうさん」を おもいうかべて しまうと,よく ある まちがいが おこりますここでは 手みじかに 説明 していますが,長音には ややこしい ところも あります。くわしくは「長音」を お読み ください。

お母さん → オカーサン → okâsan
お父さん → オトーサン → otôsan

機械で ローマ字を 書く とき

フォントと 文字コード

パソコン などの 機械で ローマ字を 書く ときは Unicodeに 対応 した フォントを つかって ください。そう しないと 長音符号つき文字を 表示 できない ばあいが あります。よく つかわれる フォントは,セリフ体の Times New Roman,サンセリフ体の Arial, Helvetica などです。

文字コードは「Unicode」「UTF-8」などに して ください。ふるい ソフトウェアには これらを あつかえない ものが あります。あたらしい ソフトウェアなら 問題が おこる ことは まず ないので 心配は いりませんが,長音符号つき文字が ただしく 表示 されない 不具合に こまった ときは,この ことを おもいだして ください。

長音符号つき文字の 入力

手書きなら どんな 文字でも 書けますが,パソコン などの 機械で ローマ字を 書く ときは 長音符号つき文字û, ô など)を 入力 しにくい 問題が あります。

日本は ローマ字を キーボードや タッチ スクリーンで 入力 する 標準的な 方法を さだめておらず,学校でも おしえていません。やりかたを 解説 した 本も ありません。小学校で ローマ字の テストを する ときは,こたえを 解答用紙に 手書き しないと いけません。日本は IT化が おくれている 国ですが,こんな ところにも それが あらわれています。


パソコン などの 機械で 長音符号つき文字を 入力 する 方法は 下に しめす ように いろいろ あります。この サイトは おもに Windowsパソコンむけの 方法を 説明 していますが,OSに よらない 方法(※)も あります。

くわしくは「長音符号つき文字」で 解説 しています。

より くわしく

ローマ字の 書きかたに ついての くわしい 解説は「書きかた」に あります。こどもむけの 印刷教材「ローマ字 手ほどき」も あります。

ローマ字運動

ローマ字運動

かな文字論・ローマ字論

日本語の 文章を すべて かな文字や ラテン文字で 書く かんがえが あります。これを かな文字論ローマ字論と よびます。その 実現を めざす 運動が かな文字運動・ローマ字運動です。

なぜ そんな ことを するのかというと,それは 日本語の 書きかたに 問題が あるからです。日本語の 表記システムは 漢字を つかっている せいで たいへん 複雑です。おぼえるのも つかうのも むつかしく,この ことが さまざまな 社会問題を ひきおこしています。日本と 日本語の ために,これを あらためていかなければ なりません。どのように あらためるか,その 方向性は わかっています。まず,漢字を やめます。そして,漢字を やめた あとに どうやって 日本語を 書くのかというと,かな文字で 書く 方法と ローマ字で 書く 方法が あります。

もちろん,これは すぐに できる ことでは ありません。すこしずつ 段階的に すすめていく ほかは なく,ながい 時間が かかります。100年 単位で かんがえなければ ならない おおしごとです。昔の かな文字論者や ローマ字論者も その 道のりが ながい ことを しっていました。それでも,日本と 日本語の 将来を おもって 声を あげたのでした。

書きことばを あらためる

世界の 言語の 中で みると,日本語は やさしい 言語ですもちろん,読み書きを のぞけばの はなしです。日本語は 発音も 文法も 比較的 やさしい 言語で,会話 だけなら むつかしくは ありません。しごとの 都合で 日本に きた 外国人は,日常の 会話レベルは たやすく マスター しますが,読み書きは むつかしいと いいます。外国に すんでいる 日系人も 日本語で 会話が できても 読み書きは できない ことが おおい ようです。モンゴル出身の 力士が すぐに 日本語を おぼえるのも,モンゴル語と 日本語が にている ことも ありますが,日本語が それほど むつかしく ないからでしょう。よく 敬語・助数詞 などで 日本語の むつかしさや 特殊性を うったえる 人が います。しかし,これらは すこし 意味が ちがいます。日本人でも よく 敬語を まちがえますし,助数詞を よく しらない 人も いますが,そういう 人を さして「あいつは 日本語が はなせない。」とは いいません。日本文化の 知識が たりない だけです。外国人も それと おなじで,日本語が むつかしいのでは なく,日本文化が むつかしい だけです。そして,外国の 文化が むつかしいのは あたりまえで,それは どこの 国も おなじです。日本 だけが 特別 なんて ことは ありません。。また,その 話者数の ランキングで トップ10に はいる おおきな 言語です1位:中国語,2位:英語,3位:ヒンディー語,4位:スペイン語,5位:アラビア語,6位:ベンガル語,7位:ポルトガル語,8位:ロシア語,9位:日本語,10位:ドイツ語。。すこし ふるい 調査に よれば,これから 日本語が 世界の コミュニケーションで 必要な 言語に なると かんがえていた 国も たくさん あり,日本語に たいする 期待の たかさは 日本人が おどろく ほどでした。いまでも 日本語を まなんでいる 外国人は 数百万人 いると いわれています。

このように,日本語は 世界に しられた 言語です。日本の 経済力や 文化力から かんがえると,日本語は 世界的に 有力な 言語の ひとつに なっていても いい はずです。けれども,じっさいは そう なっていません。それは 日本語の 読み書きが むつかしいからです。日本語が できれば ビジネスに 有利だと おもっている 外国人も,日本語の 書きことばを まなぶ コストを かんがえたら 割に あわないと 判断 するでしょう。日本語は 書きことばが むつかしい せいで 世界的に 有力な 言語に なれませんでしたここでは「書きことば」を おもに 表記システムの 意味で つかっています。

外国の ある 日本研究家は つぎの ように のべています。

このような侮辱的な表現をつかうことには気がひけるのだが,日本の書きことばは一部のものにとっては魅力ある研究分野となるものの,実用的な道具としてはこれに劣るものはおそらくないであろう。

はなしことばは 自然に かわっていく ものですが,書きことばは 人為的に かえていく もの です。すすんだ 国は その 国の 書きことばを やさしく する ために さまざまな 改革を おこなっています。自分の 国や 言語を 発展 させたいと おもうなら,そう するのが あたりまえです。ところが,日本は そういう 努力を この 半世紀の あいだ まったく してきませんでした。この 不作為が もたらした 損失は はかりしれませんはなしことばが 自然に かわっていくというのは,それを つかう 集団の かんがえが 反映 されて すこしずつ かわっていくという 意味です。日本語は 書きことばの 合理化が おくれた せいで 時代に 対応 できなく なり,公用語の 役目を はたせなく なってきています。このままでは そのうち 英語を 公用語に くわえなければ やっていけなく なるでしょう。日本の 政府は すでに 日本語に みきりを つけている ようで,さまざまな ところで すこしずつ 日本語を やめて 英語に きりかえています。たとえば,ローマ字で 書かれていた 公の 表示を 英語に 書きかえたり,小学生に 英語を おしえたり,学校の 授業を 英語で おこなったり しています。一般人の おおくも それを 歓迎 しています。一方,この ながれに 反発 して,カタカナ語を きらって ふるい かなづかいや ふるい 字体の 漢字を ありがたがる 人も ふえています。学校の「国語」では「言語文化」を おしえる ことに なりました。しかし,これらは むなしい わるあがきです。まけおしみの 排外思想や うしろむきの 懐古趣味で 日本語の おとろえを くいとめる ことは できません。言語を 文化として みている だけでは 日本語が 死語に なるのを だまって ながめているのと おなじです。

日本語を 表音文字で 書く

ことばの 本質は 音声

〈イヌ〉という 音声を きけば イヌだと わかります。つまり,ことばの 意味は 音声が になっています。文字が 意味を あらわしているのでは ありません。人類の 歴史を かんがえれてみれば,文字が つかわれる ように なったのは つい 最近の ことです。文字が なかった 時代にも ことばが ありました。音声 だけの ことばです。この 事実から わかる ように,ことばの 本質は 音声で あり,文字は その 音声を うつした コピーに すぎません文字は おおよそ 5000年前から ありますが,一般人が 学校で 読み書きを まなぶ ように なったのは たかだか 100年ほど 前からです。

けれども,日本では この はなしが ピンと こない 人も おおいでしょう。それは,はじめて みた 熟語でも 漢字から おおよその 意味が わかるという 体験を 日常的に しているからです。漢字に たよりきっている せいで,文字が 意味を になっているのだと かんちがい している 人が います。

外国人は「文字は ことばを うつす ものだ。」と かんがえています。これが 世界の 常識です。ところが,日本人は「ことばは 文字を くみあわせて つくる ものだ。」と さかさまに かんがえている ことが あります。こんな おもいちがいを しているのは 日本人 だけです。

日本語も 表音文字で 書ける


「土佐日記」(定家本)

これは 紀貫之の 自筆で なく,藤原定家が 書きうつした ものです。このとき すこし 書きかえが おこなわれ,冒頭が「をとこもすといふ日記といふ物を ゝむなもして心みむとてするなり」に なっています。

漢字の 数も すこし ふえましたが,それでも いまの 書きかたに くらべると すくないでしょう。むつかしい 熟語さえ つかわなければ 漢字は いらない ことが わかります。

文字には ことばを あらわす 表語文字と 音を あらわす 表音文字が あります。漢字は 表語文字で,かな文字や ラテン文字は 表音文字です。そして,表音文字は 表語文字から うまれてきた ことが わかっています。日本の かな文字も 漢字から うまれた 文字です。表語文字には 欠点が あり,それを なんとか しようと する 工夫の 中から 表音文字が できたのです漢字は 字義(意味)・字音(音声)・字形(文字)の みっつが むすびついた ものです。ことばは 意味と 音声が むすびついた ものですから,漢字は ひとつの ことばに 対応 した 文字です。 このような 文字を 表語文字と いいます。表意文字という いいかたも ありますが,携帯電話の 絵文字・ピクトグラム・アラビア数字 などを 表意文字と かんがえても いいでしょう。これらは 意味と 文字の ふたつが むすびついた ものです。

世界の 言語は 中国語と 日本語を のぞいて すべて 表音文字で 書きます。中国語と 日本語 だけに 特殊な 性質が あるとは かんがえられませんから,中国語も 日本語も 表音文字で 書ける はずです。じっさい,中国語には ローマ字(ピンイン)が あるので,漢字が なく なっても 中国人は こまりません。日本語が 漢字を つかっているのも ただの 偶然です。たまたま となりの 先進国が 漢字を つかっていたから それを とりいれた だけです文字を もたない おくれた 国が すすんだ 国から 文字を とりいれようと する とき,言語が ちがう ために その 文字が つかいにくかったり,その 文字を つかう ことで 大国の 文化に のみこまれて しまうのを きらったり する ことが あります。そのような ばあい,自分たちの 言語に 適した 文字を つくりだす ことが よく おこなわれます。こうして 古代中国の 周辺で 独自の 文字が いくつも かんがえだされました:突厥文字・契丹文字・西夏文字・女真文字 などです。これも プライドを もった 国の やりかたです。

古事記や 万葉集の 時代,日本人は 漢字を 表音文字として つかう アイデアを おもいつき,日本語を 書きあらわす ことに 成功 しました。源氏物語や 枕草子の 時代,日本の 文学は かな文字に よって おおきく 発展 しました。このように,日本語を 表音文字で 書く ことは 昔から おこなわれていました漢字は 鎌倉時代 くらいから ふえだしますが,その 割合は いま ほど おおく ありません。日本語が いまの ような 漢字だらけに なったのは 明治時代からです。なお,中国も 外来語を 書く ために 漢字を 表音文字の ように つかっていました。たとえば,「奈落」は「地獄」を 意味 する サンスクリット語の narakaが 中国語に なった ことばです。もともとの 中国語の 中にも 漢字の 意味を 無視 して 発音 だけ つかっている ものが あります。たとえば,文法的な はたらきを する 単語で「象形」「会意」などで あらわせない ものは おなじ 発音の 漢字を あてはめて 書いていました。

日本語で 会話を する ときは 音声 だけで 意味を つたえあっています。口から 漢字を だす 人も 耳に 漢字を いれる 人も いませんが,ふつうは それで 会話が なりたちます。音声 だけで 意味が つたわるのだと したら,日本語は 表音文字 だけで 書ける はずです。

同音異義語の 問題

日本語を かな文字書きや ローマ字書きに すると 読みにくく なりますが,その 理由の 大部分は なれていない ことです。なれて しまえば 読みにくいとは かんじません。しかし,なれの 問題と いえない 部分も あります。表音文字で 書くと,同音異義語の みわけが つかない ことです。たとえば,学校教育を テーマに した 文章の 中に「シリツ」とか siritu とか 書かれていたら,「私立」か「市立」か わかりません。これが 原因で かな文字文や ローマ字文は よみにくく なる ことが あります。

これは かな文字文や ローマ字文の 欠点では なく,日本語の 欠点です。どんな 言語にも 同音異義語は ありますが,日本語の それは あまりにも おおすぎます。「私立」と「市立」の ように,文脈の たすけを かりても 解決 できない 同音異義語は 外国の 言語学者が おもしろがる ほど めずらしい ものです。

ふつうの 言語は ことばの 音声を 耳で きけば 意味が わかります。これが ことばの 基本機能です。ところが,日本語は ときどき 耳で きいた だけでは 何を いっているのか わからない ことが あります。これでは 基本機能が こわれている ような ものです。よく,漢字を みれば 意味が わかって 便利だと いわれますが,これは とんでもない まちがいで,さかだち した かんがえです。漢字を みなければ 意味が わからない 現状が おかしいのです。

日本語に 同音異義語が おおいのは,いうまでも なく,漢字を つかいすぎているからです。日本人は 漢字を 無批判に つかいすぎた せいで 日本語を スポイル して しまったと いえるでしょうこの 議論は 芸術・広告・あそび などに もちいる 言語には あてはまりません。むしろ,ゆたかな 熟字訓・奇抜な ふりがな・たくみな 漢字ダジャレ などは 知的な いとなみで,大切な 文化で あると かんがえられています。かな文字論ローマ字論が 対象に するのは そういう 言語では ありません。情報を つたえる 道具としての 言語,文明社会を ささえる インフラとしての 言語です。この 土台の 上に 文化としての 言語活動が あると かんがえます。もし 土台の 部分で つかう 漢字を 意識的に へらしていけば,その 上の 部分でも 漢字は だんだん つかわれなく なっていくでしょう。こうして すこしずつ 漢字を やめていけば,世の中に おおきな ダメージを あたえないで,日本語を 表音文字 だけで 書ける 一人前の 言語に かえる ことが できます。

日本語の健全な発育と、その国語の純粋性を害毒するものは、実に生硬な漢語と漢字、特に明治以来濫造される翻訳漢語と漢字である。言葉に一番大切な条件は、耳で聴いて意味がわかるといふことである。耳で聴いて意味がわからず、文字に書いて見せた上で、初めて視覚から語意が通ずるといふやうな言葉を、日常語の会話に使用するやうな国民があるとしたら、世界で最も不便で最悪の国語を所有する民族と言はねばならぬ。

萩原朔太郎「ローマ字論者への質疑」

同音異義語が あるから 漢字を なくせないという 人は おおいのですが,これも かんがえかたが さかさまです。漢字を へらせば 同音異義語も へっていきます。あたらしい ことばを つくるとか 別の いいまわしで 表現 するとか,そういう 工夫を みんなが する ように なるからです。

かな文字論ローマ字論は 漢字を やめようと いっている だけで なく,ほかにも よびかけている ことが あります。それは 日本語を 耳で きいた だけで 意味が わかる ように かえていく ことです。これは「ことばなおし」とか「ことばえらび」と よばれ,かな文字運動や ローマ字運動の 重要な 柱に なっています漢字を やめる かんがえに たいする はげしい 反対意見は すくなく ありません。しかし,その ほとんどは かな文字論ローマ字論を よく しらない 人の 感情論です。分かち書きを しらない 人が「よみにくいから ダメだ。」と いっていたり,ことばなおしを しらない 人が「同音異義語が あるから ダメだ。」と いっていたり,そんな レベルの もの ばかりです。古典文学が 読めなく なる 心配も ありません。もし 表記法が かわったら,ふるい 作品も あたらしい 表記法に 書きなおされるからです。なお,たとえ 日本が 漢字を やめたと しても,公的な 場で 漢字が つかわれなく なる だけで,私的な 場で 漢字を つかうのは 自由です。小説家が 漢字かな交じり文の 作品を 書く ことも できます。こどもに 漢字の 名前を つける ことも できます。学校が 漢字を おしえなく なる わけでも なく,「古文」などで おしえる ことに なるでしょう。

日本語が この先 いきのこるには

日本語の これまで

もし 日本が 漢字の ことばを 積極的に とりいれなかったら,明治時代からの めざましい 発展を なしとげる ことは できなかったでしょう。そう かんがえると,日本語が 漢字の 中毒に なって しまったのも 半分は しかたが ない ことです。しかし,のこりの 半分は 言語政策の 失敗でした。この 失敗が さまざまな 社会問題を ひきおこしています。

ほとんどの 人に とって 漢字かな交じり文は,いったん おぼえて しまえば,それなりに 便利な 道具です。けれども,人が おかれている 状況は さまざまで,そう かんじていない 人も います。すこしでも 観察力と 想像力が あれば,日本語の 書きことばが むつかしい せいで こまっている 人を いたる ところに みつけだし,おもいうかべる ことが できる はずです。日本語の 表記システムが ひきおこしている 問題は 日本語 そのものの 問題でも あります。すでに 日本語は 世の中の 変化に 対応 できなく なって,公用語としての 役割を はたせなく なりつつ あります日本語の 書きことばが むつかしい せいで こまっている 人というのは,外国人の 住民,目や 耳の 不自由な 人 などが わかりやすい 例です。本当は こういう ことを こどもに おしえ,世の中の 問題に 気づかせ,その 解決策を かんがえさせるのが 教育でしょう。けれども,学校で そういう 授業が おこなわれる ことは まれです。じっさいには,漢字こそ 日本の すぐれた 文化で あるという ような,特定の 価値観を うえつける 授業が よく おこなわれています。言語の 問題は 文化の 問題という だけで なく,社会の 問題でも あります。いまの 教育には この 問題意識が かけています。

どうして こう なって しまったのかと いえば,それは 漢字を 野ばなしに してきたからです。江戸時代の 知識人は 漢字が 日本に わざわいを もたらしている ことに 気づきました。漢字を やめる かんがえは そこから うまれ,日本と 日本語の 将来を まじめに かんがえる 心ある 人々の あいだで うけつがれてきました漢字の わざわいは たくさん あります。一番 わかりやすいのは おぼえるのが むつかしい ことです。たくさんの 漢字と むつかしい 熟語を おぼえる ことが できるのは 教育に 時間と お金を かけられる 一部の 人 だけです。この 意味で,漢字は 世の中に 格差を つくる「差別文字」だと いえます。漢字は 日本語を 書くのにも 適していません。よく,漢字は 日本の 文化だと いわれますが,これは ものの みかたが 一面的です。日本語は 漢字の せいで おおくの やまとことばを うしなったのですから,日本の 文化を こわしてきたのも 漢字です。機械化 しにくい ことも 漢字の わるい 面です。日本は 漢字の せいで 文書の 作成・管理が なかなか 機械化 できませんでした。ややこしい 人名・地名を 手書き していると,書きまちがい・うつしまちがい・読みまちがいが おこります。機械化 されていても,人名・地名の 漢字は 読みにくいので,どうしても 入力ミス などが おこります。もし 人名・地名を かな文字表記や ローマ字表記で 管理 していたら,「消えた年金」問題は おこらなかったかも しれません。現在,漢字を つかっている 国は 中国と 日本 だけですが,中国が 漢字から こうむっている わざわいは 日本 ほど おおきく ありません。たとえば,名前に ふりがなを つける 必要が ありません。その 中国も いずれは 漢字を 段階的に へらしていくと かんがえられます。中国語は 日本語に くらべると 漢字を へらす ときの 障害が すくなく,いったん うごきだしたら その あとは はやいでしょう。もし そう なったら,世界の 中で 日本 だけが とりのこされて しまいます。

日本を 外から みている 外国人には この 問題が よく わかるのでしょう。なぜ 先進国で ある はずの 日本が 漢字を やめないのか 不思議に おもっている 外国人は おおく,インターネットの コミュニティーでも しばしば 話題に なっています。もちろん,言語学に あかるい 知識人は 日本で 漢字が つかわれつづけている 理由が 日本社会の 問題で ある ことを みぬいています。

日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。

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漢字は 日本の 社会問題です。ところが,この 問題が マスメディアで とりあげられる ことは ありません。文化人 などが 漢字を もてはやす せいで 漢字は 権威づけ されていますし,出版社 などが あおっている「漢字ブーム」からも わかる ように,いまや 漢字は ビジネスです。このような 状況の もとで,漢字の わるい 面を かたる ことが タブーに なっているからです日本語の 書きことばが むつかしい ままで ある ほうが しごとの 上で 有利な 作家・評論家 などの 発言力が つよすぎて,これが 状況を 泥沼化 させています。論理的な 主張に 耳を かさず 感情に ながされやすい 人が おおい 日本では 情緒に うったえる ことばが 力を もちます。たくみな ことばで 感情を あやつる プロが 現行の 表記システムを まもる 方向に 世論を みちびいて しまいます。

日本語の これから

これから 先も 日本語を つかっていきたいと おもうので あれば,日本語の 表記システムを このままに しておいて いい はずが ありません。書きことばを もっと やさしい 形に かえていかなければ なりません。たやすい しごとでは ありませんが,これを やらないで いたら 日本語に 未来は ないでしょう。

言語 そのものに 優劣は ありませんが,言語を 記述 する 方法には すぐれている ものと そうで ない ものが あります。表記システムは 道具で あり,道具は つかいやすい もの ほど すぐれています。日本語の 表記システムは 世界で 一番 つかいにくい 道具です。このまま 何も 手を うたないと,日本語は ますます つかいにくく なり,おとろえていくでしょう。そうして 英語を 日本の 公用語に くわえなければ ならなく なり,そのとき 日本語は みすてられて しまう おそれが あります。もちろん,完全に きえて なく なる ことは ないでしょうが,学問・芸術・趣味 などの ほかでは だんだん つかわれなく なっていき,いつかは 床の間の かざりに なって しまうかも しれません英語 だけで くらせる 環境に なったら,英語を まなんだ ほうが 有利なので,教育に お金を かけられる 家庭は こどもに 英語を おしえる ように なります。すると,日本の 社会は おもに 英語で 生活 する「上流」と 日本語 しか できない「下流」に わかれて しまいます。「上流」には 日本語に たいする おもいいれが なく,「下流」には 日本語を みがきあげていく 能力が ありません。こうして 日本語は かがやきを うしなっていく おそれが あります。

より くわしく

ローマ字運動の くわしい 解説は「ローマ字運動」に あります。

【読みもの】 寺田寅彦と その 周辺

随筆家として 有名な 寺田寅彦(てらだ とらひこ)は 物理学者でした。かれの 研究テーマには「尺八の音響学的研究」「金平糖の角の研究」など 一風 かわった ものが あります。これらは 日常の 題材を あつかっていながら,科学的に 高度な ものです。かれが 庶民の 感性と 科学者の 知性の 両方に ひいでた 人で あった ことを よく あらわしています。

かれは 夏目漱石の おしえ子でした。正確には,ペンネームで あった 吉村冬彦(よしむら ふゆひこ)の 師匠が 漱石でした。では,物理学者 寺田寅彦の 師匠は だれかと いうと,それは 物理学者 田丸卓郎(たまる たくろう)です。寺田寅彦は 学生時代に 英語教師の 夏目漱石,物理学教師の 田丸卓郎と であい,文学と 科学の 両方を こころざしたと いわれています。


"Umi no Buturigaku" (1913)

田丸卓郎は ローマ字論者で,ローマ字論の バイブルと よばれている「ローマ字国字論」「ローマ字文の研究」を あらわした 人です。

寺田寅彦も 熱心な ローマ字論者でした。かれの 著書には すべて ローマ字で 書かれた 教科書 なども あります。図は 約100年前に 書かれた「海の物理学」です。

寺田寅彦の 門下生には 雪の 結晶の 研究で 有名な 物理学者 中谷宇吉郎(なかや うきちろう)が います。かれも また 随筆家で,「雪は天から送られた手紙である。」は よく しられた ことばです。