ローマ字とは

ローマ字の 定義


ラテン文字(ローマ字)

ローマ字とは なんでしょうか? ローマ字は 日本語の 書きかたの ひとつで,日本語を ラテン文字で 書く 方法です。また,その 方法で 書かれた 日本語です。ラテン文字とは いわゆる アルファベット(ABC...)の ことですアルファベットは かんたんに いえば 表音文字の ことですが,その 表音文字には いろいろな 種類が あります。日本で アルファベットと よんでいるのは その 中の ラテン アルファベットの ことで,ラテン文字とも いいます。つまり,せまい 意味の アルファベットは ラテン文字で,ひろい 意味の アルファベットは 表音文字です。もっと ひろい 意味では 音節文字も ふくみます。たとえば,ジャパニーズ アルファベットは かな文字,コリアン アルファベットは ハングルを 意味 します。言語学者が いう アルファベットには 厳密な 定義が あり,いろいろな 文字を 分類 して,ある グループの 文字を まとめて アルファベットと よんでいます。



かな文字(カタカナ)

日本語の 文を 書く とき,ふつうは 漢字と かな文字を つかいます。けれども,そう しなければ ならないと きまっている わけでは ありません。ちいさい こどもむけの 絵本は かな文字 だけで 書いてあるでしょう。それと おなじ ように,日本語を ラテン文字 だけで 書く ことも できます。それが ローマ字です「かな文字」は すこし 変な ことばです。「名(な)」は「字」の ふるい よびかたで,昔は 漢字を「真名(まな)」,ひらがな を「仮名(かな)」と いいました。つまり,「仮名」は「字」の 意味を ふくんでいるので,「かな文字」だと「字」の 意味が だぶって しまう わけです。漢字で「仮名」と 書けば いいだろうと いわれそうですが,「仮名」は「かりな」「かんな」とも 読める だけで なく,ちがう 意味の「カメイ」「ケミョウ」とも 読めて しまう,ダメな 漢字表記です。できるだけ つかわない ほうが いいでしょう。だからと いって,ひらがなで「かな」と 書くと,助詞の ように みえて しまって 読みにくいかも しれません。そこで,この サイトは「かな文字」と 書く ことに しました。ただし,「現代仮名遣い」など 正式名称が「仮名」に なっている 場合は「かな文字」には していません。


点字

漢字と かな文字を まぜて 書く「漢字かな交じり文」と おなじ ように,かな文字 だけで 書く「かな文字文」や ラテン文字 だけで 書く「ローマ字文」も 立派な 日本語です。すこし 特殊な ものでは,点字による「点字文」も あります。日本語の 書きかたには いろいろな 方法が ある わけです。

日本語は 漢字かな交じり文で 書く ものだと おもっている 人が おおいかも しれませんが,そんな きまりは ありません。じつは,日本語に「正しい 書きかた」という ものは ありません。極端な 例ですが,選挙の ときに ローマ字で 投票 したって かまいません1920(大正9)年に 大審院(いまの 最高裁判所)が ローマ字による 投票を 有効と する 判決を だしています。

我輩は猫である。 【漢字かな交じり文】
ワガハイ ワ ネコ デ アル。 【かな文字文】
Wagahai wa neko de aru. 【ローマ字文】


Zyappu (1998)

Zyappu(ジャップ)は 1990年代に あった ファッション雑誌です。文章が すべて ローマ字で 書かれていました。

ラテン文字,ローマ字,ローマ字文

ラテン文字 そのものを「ローマ字」と よぶ ことも あります。「漢字,ひらがな,カタカナ,ローマ字」と ならべて いう ときの「ローマ字」が これです。このように,「ローマ字」という ことばは いろいろな 意味で つかわれています。もともと「ローマ字」は 文字の 名前でしたが,その「ローマ字」で 日本語を 書く 方法や,その 方法で 書かれた 日本語を 単に「ローマ字」と いう ことが おおく なり,ややこしく なって しまった わけです。はじめは「ローマ字書き」「ローマ字書きの 日本語」などと いっていた ものが ちぢまって「ローマ字」に なって しまったのかも しれません。

この サイトは,まちがいを さけるため,文字の「ローマ字」だけ 区別 して「ラテン文字」と よぶ ことに しました。そして,ラテン文字で 日本語を 書く 方法や,その 方法で 書かれた 日本語を「ローマ字」と よびます。ラテン文字 だけで 書かれた 日本語の 文は「ローマ字文」と よびます。

ふつうは すべて「ローマ字」で 通じますが,誤解を まねく ことも ありますから,気を つけて ください。「ローマ字」の つもりで いったのに ラテン文字の 意味に とられたり,その 反対だったり する ことは よく ありますこのほかにも,「英語式」の ローマ字を「ヘボン式」または「英語表記」と よぶ 人や,ローマ字入力の ローマ字を「ローマ字」と よぶ 人も いて,この あたりの ことばは 混乱を きわめています。なお,日本の ローマ字は(日本人が それを 正しく 書けない ことも ふくめて)外国に しられていますから,「ローマ字」という 日本語は そのまま 英語に なっています。英語と 日本語の 対応は つぎの ように なります:Latin alphabetラテン文字),Roman alphabet(ローマ文字,ローマ字),romanization(ローマ字書き,ローマ字表記,ローマ字化),romanized Japanese(ローマ字書きの 日本語,ローマ字表記の 日本語,ローマ字化 された 日本語),romaji(ローマ字)。


「一房の葡萄」 (昔の 教科書)

これは 昔の 小学校の 教科書です。ローマ字は 人名や 地名を 書く ためでは なく 日本語の 文章を 書く ために あります。だから「国語」で ならいます。いまの 学校では ローマ字の 文章を 読んだり 書いたり する ところまでは おしえません。そのため,なんの ために ローマ字を 勉強 するのかが わかりにくく なっています。

よく ある おもいちがい

ローマ字を 正しく 理解 している 人は あまり いません。さまざまな おもいちがいが ひろまっています。

ローマ字は ふりがなを ABCに 変換 した もの?

ローマ字は ふりがなを ABCに おきかえた ものだと かんがえている 人が います。ローマ字は かな文字を ラテン文字ABC...)に 変換 する 規則だと 説明 される ことも あります。しかし,これは まちがいです。かな文字と ローマ字に 直接の 関係は ありません。ふりがなを ローマ字に 変換 する ことも,ローマ字を ふりがなに 変換 する ことも,完全に 自動では できません。

ローマ字は 日本語の 音声を ラテン文字で 書いた ものです。世界の ほぼ すべての 言語は 音声を そのまま 表音文字で 書きます。どんな 文字を つかうかは いろいろで,どんな 音声を どんな つづりで 書くかの 規則も さまざまですが,音声を 表音文字で 書く 点では すべて おなじです。ローマ字は これと おなじ やりかたで 日本語を 書く ものです。つかう 表音文字は ラテン文字で,どんな 音声を どんな つづりで 書くかの 規則を まとめた ものが いわゆる「ローマ字表」です。

つまり,「ローマ字表」に 書いてある かな文字は 文字では なく 音声です。たとえば,「か」の 下に ka と 書いてあったら,それは 文字の「か」を ka と 書くという 意味では なく,音声の〈カ〉を ka と 書くという 意味です。

ローマ字は ふつうの 日本語では ない?

ローマ字は ふつうの 日本語では なく,外国語の 文章の 中に 日本の 人名や 地名を いれる ときの 特別な 書きかたとか,英語と 日本語の 中間的な ものと かんがえている 人が います。しかし,そうでは ありません。ローマ字は 日本語の 文章を 書く もので,純粋な 日本語です。外国語は 関係 ありません初期の ローマ字は 外国人が 日本語を 読む ために つくった ふりがなの ような もので,これは 外国語と 関係が あります。ヘボン式は 初期の ローマ字の 一種で,英語と 関係が あります。

たしかに,英文の 中に 日本語の ことばを いれる ときは ローマ字に します。けれど,この ローマ字も 日本語です。英文の 中に フランス語や ドイツ語の ことばを いれる ときに どう するか,かんがえてみて ください。フランス語や ドイツ語の ことばは フランス語や ドイツ語の つづりで 書くでしょう。それと おなじで,日本語の ことばは 日本語の つづりで 書きます。日本語の 場合は 文字を ラテン文字に しなければ ならないので,フランス語や ドイツ語の 場合と すこし ちがって みえる だけです国際的な 場では 日本語も 世界に 通用 する 文字で 書かなければ ならないので ローマ字表記に なります。それなら,やっぱり 外国語の 中に 日本語を いれる ための 書きかたじゃ ないかと いわれそうですが,そうでは ないのです。ローマ字には 日本語の 国際化という 目的が あります。これは 外国語の 文章に 日本語の ことばを いれるという 意味では なく,日本語の 文章を すべて ローマ字で 書いて,日本語を 日本語の まま 世界に 発信 するという 意味です。いまは この 目的が わすれられていて,学校も きちんと した ローマ字教育を していません。そのため,ほとんどの 日本人は 日本語の 文章を ローマ字で 書く ことが できません。中国人は 中国語の 文章を ローマ字で 書く ことが できます。この 意味で,日本は 国民の 読み書き能力が たいへん ひくい 国で あると いえます。ときどき,英文の 中に ローマ字を 書いたら 英語に なると おもっている 人が います。日本語を ABC表記に した だけで 英語(の ような もの)に なると おもっている 人も いる ようです。「英語表記」という ことばも この あたりから でてきたのかも しれません。

ローマ字は 発音記号の ような もの?

ローマ字を 発音記号の ような ものだと おもっている 人が います。けれども,それは まちがいです。たしかに,ラテン文字は 表音文字で,ことばの 音声を あらわしていますが,発音記号の ような ものでは ありません。発音記号の 読みかたは 世界共通ですが,ラテン文字の 読みかたは 言語に よって ちがいます。

したがって,ABCで 書かれた つづりが どんな 発音を あらわしているかは その 言語を しっている 人で なければ わかりません。たとえば,フランス語の つづりの 正しい 読みかたが わかるのは フランス語を しっている 人 だけです。これと おなじで,ローマ字の 正しい 読みかたが わかるのは 日本語を しっている 人 だけです。

しばしば ヘボン式訓令式より 発音を 正確に あらわしていると 説明 されます。しかし,これは とんでもない おおまちがいです。どの 方式の ローマ字も,その つづりを みた だけで 正確な 発音が わかる ようには できていません。外国人は ヘボン式を 正しい 発音で 読めると おもっている 人も おおいでしょう。しかし,外国人は ヘボン式を 正しい 発音では 読めません。ローマ字は 日本語です。外国人から みれば 外国語です。外国語は 勉強 しなければ 読みかたが わかりません。勉強 して 読みかたを おぼえても,練習 しなければ 正しい 発音は できません。日本語の 読みかたを しらず 発音も できない 外国人が ローマ字を みても,それを 正しく 読める はずが ないでしょう。

こういう わけですから,日本語の 発音を 外国人に おしえて あげたい ときに ローマ字を 書いて みせても 意味が ありません。そんな ときは 発音記号を つかいます。これが もっとも たやすく かつ たしかな 方法で,しかも 世界中に 通用 します。相手の 言語に あわせた つづりを ひねりだそうと するのは 時間の むだです。

ローマ字は 外国人の ために ある?

ローマ字は 外国人の ために あると おもっている 人が おおいのですが,それは まちがいです。日本語を ローマ字で 書く 目的は いくつか あります。ABCを つかっている くらいですから,もちろん 国際化の かんがえも あります。けれども,まず 第一に 日本語で くらしている 人の ためです。日本語を 世界に 通用 する 文字で 合理的に 日本語らしく 書く ことが ローマ字の 目的です。道路標識の 地名や 駅名標の 駅名が ローマ字でも 書かれているのは 日本語を 世界に 通用 する 文字で 書く ためです。

ローマ字は 外国人の ために あると 勘ちがい している 人が おおいのは,英語風の ローマ字が よく つかわれているからです。けれども,自分の ことばを わざわざ 外国語風に ねじまげて 書いている 先進国は 日本 だけです。おおくの 外国人は 日本で よく つかわれている ローマ字と 英語が にている ことに 気づいていて,たいへん 不思議に おもっています先進国で なければ 自分の ことばを 外国語風に 書いている 国は たくさん あります。植民地に されていた 時代に おしつけられた 制度の せいで そう なっています。外国人が 日本を みる とき,日本が そういう 国と おなじ ように みえているかも しれません。中国と 韓国も すこし 前まで 英語風の ローマ字を つかっていましたが,国の 発展に ともなって,中国語らしい ローマ字,韓国語らしい ローマ字に きりかえました。おたがいに よく にた 言語は つづりが にていても 不思議では ありませんが,日本語と 英語は まったく ちがうのに 日本で よく つかわれている ローマ字と 英語は つづりが にています。これは いったい どういう わけだと いって,外国人が インターネットで 議論 している ことは よく あります。

英語は 英語らしい つづりかた,フランス語は フランス語らしい つづりかたです。中国の ローマ字は 中国語らしい つづりかた,韓国の ローマ字は 韓国語らしい つづりかたです。どんな 言語の つづりかたも その 言語で くらしている 人が つかいやすい ように できているのが あたりまえでしょう。日本の ローマ字は 日本語で くらしている 人の ために あるのですから,本当は 日本語らしい つづりかたで なければ いけません。

ローマ字は「英語」の 初歩?

ローマ字を「英語」の 初歩と かんがえている 人が います。しかし,ローマ字の 勉強は 日本語の 勉強です。外国語は 関係 ありません。その 証拠に,ローマ字は「国語」で おしえているでは ありませんか。ローマ字は 英語と おなじ ラテン文字を つかいますから,英語より 先に ローマ字を ならう 場合,ローマ字教育が 英語教育の 初歩を ほんの すこし だけ ひきうける ことに なります。しかし,その 場合でも こどもは「英語」の ために ローマ字を 勉強 する わけでは ありませんこどもを さまざまな 外国語に ふれさせるのは たいへん よい ことです。発音に かんする 能力は こどもの 時期の ほうが 身に つきやすい ことも わかっています。しかし,英語しか おしえないのでは かたよった ものの みかたを すりこんでいる ことに なりますし,「英語」の ために ほかの 教科の 時間などを けずるので あれば,える ものと うしなう ものの バランスを かんがえなければ なりません。おおくの 学者や 専門家は,日本語も おぼつかない 小学生に ふだんの 生活で つかわない 外国語を おしえる ことには おおきな 教育上の さしさわりが あると かんがえています。

ところが,小学生や 中学生の 保護者には ローマ字と「英語」を きりはなして かんがえられない 人が おおい ようです。こどもが「ローマ字読み」を するのは ローマ字を おしえるからだと いって ローマ字教育を せめる 人も よく います。けれども,これは ひどい いいがかりです。「ローマ字読み」の 責任は ローマ字教育では なく 英語教育に あります。

ローマ字が 英語教育の じゃまに なると おもっている 保護者が いるのは,英語教育に かかわる ビジネスの 周辺で そういう かんがえが 意図的に ひろめられている ことも 原因の ひとつです。英語 だけ 得意な 人や 不勉強な 教師が 善意で インターネットに ひろめている あやまった 情報も たくさん あります。これらの ほとんどは 根拠の ない 感情論ですが,それだけに「英語」で 苦労 した 経験を もつ 一般人に 共感 されやすく,その 影響は おおきいと おもわれます。しかし,よく かんがえて ください。フランス語は 英語と おなじ 文字で 書いて ちがう 発音で 読みますが,フランス人は その せいで 英語が まなびにくいと なげいているでしょうか。中国の ローマ字は 英語と おなじ 文字で 書いて ちがう 発音で 読みますが,中国人は その せいで 英語が 上達 しないと さわいでいるでしょうか。つまらない うそに だまされない よう,気を つけて ください。「ローマ字読みに ついて」も お読み ください。

ローマ字は ローマ字入力の 予備知識?

ローマ字を 勉強 するのは ローマ字入力の ためだと かんがえている 人が います。しかし,そうでは ありません。ローマ字は 日本語を 書く ために ある もので,日本語で くらしている すべての 人が もっていなければ ならない,日本語の 基礎知識です。日本語で くらしている 人は 日本の 文字(かな文字,漢字)で 日本語を 書ける ように なる 必要が あります。それ だけで なく,世界の 文字(ラテン文字)で 日本語を 書ける ように なる 必要も あります。それが できなかったら 自分の 名前を 外国人に しめす ことが できません。だから 小学校で ローマ字を おしえています。それに たいして,ローマ字入力は すべての 人に 必要な スキルでは なく,本当は 小学校で おしえる 必要も ありません。

この 勘ちがいを している 人は かならず もう ひとつ 勘ちがいを しています。それは ローマ字と ローマ字入力の 混同です。ちょっと かんがえてみれば わかる ことですが,パソコンも ワープロ(専用機)も なかった 明治時代にも ローマ字は つかわれていました。それに たいして ローマ字入力は ワープロが つくりだされた あとに できた ものです。つまり,先に ローマ字が あって,それを あたらしい 技術に 応用 したのが ローマ字入力です。ローマ字と ローマ字入力は 別の もので,ローマ字の つづりかたと ローマ字入力の キーの おしかたは ちがいます。

パスポートの 名前の 書きかたが 正式?

パスポートの 名前の 書きかたが 正式の ローマ字だと おもっている 人も おおい ようですが,これも まちがいです。

パスポートの 名前の 書きかたは 英語の 書きかたを もとに して 外務省が つくった ルールで,正しい ローマ字では ありません。しかも,たいへん 不便な 書きかたです。Ono は「小野」か「大野」か わかりません。Yuki は「雪」か「勇気」か わかりません。日本人の 名前を 書いているのに,日本人が みても 読めません。日本人は 自分の 名前を 自分でも 読めない つづりで 書いていると 外国人が しったら おどろくでしょう。日本人の 知性が うたがわれるかも しれません。

正しい ローマ字は こんな いいかげんな 書きかたとは ちがい,「小野」と「大野」も,「雪」と「勇気」も,きちんと 区別 できます。ローマ字は 日本語の 音声を 記録 する ものですから,日本語を しっている 人が みれば,記録 された 音声を 再生 できますパスポートでは,〈オノ〉〈オーノ〉〈オノー〉〈オーノー〉〈オンオ〉〈オーンオ〉〈オンオー〉〈オーンオー〉が すべて Ono に なって しまい,どれが 本当の 読みかたなのか わかりません。正しい ローマ字なら,これらは Ono, Ôno, Onô, Ônô, On'o, Ôn'o, On'ô, Ôn'ô に なって,すべて 区別 できます。

インターネットで しらべたら わかる?

ローマ字は 学校で きちんと おしえられていません。公の ローマ字は 正しい ローマ字を 採用 していません。日ごろ よく 目に する 企業の ロゴタイプも 芸能人の ニックネームも,ほとんどが 正しい ローマ字では ありません。テレビの 教育番組でも 正しい ローマ字が つかわれる ことは まれです。英語教育に かかわる 企業や 組織が 意図的に あやまった 情報を ひろめている ことさえ あります。これらが 勘ちがいを まねいており,ローマ字に かんする 正しい 知識を もっている 人は きわめて すくないのが 現状です。学者クラスの 知識人でも ローマ字を 正しく 書ける 人は ほとんど いないと おもわれます。

そのため,まちがった 情報を 善意で インターネットに 書きこむ 人が あとを たちません。インターネットで ローマ字に ついて しらべても,みつかる 情報は まちがいだらけです。一般人が おもいこみで 書いた ブログも,プロの ライターが きちんと 取材 して 書いた 記事も,ほぼ すべてが まちがいを ふくんでいますこれは 新聞や テレビなどでも おなじ レベルです。道路標識や 駅名標を 管理 している 部署を 取材 して,それらの ローマ字に ついて くわしく おしえて もらう ところまでは いいのですが,それを 批判的な 目で みなおす 能力が なく,そのまま つたえて しまう 失敗が おおい ようです。マスメディアには 行政の デタラメを チェックする 役割が ある ことを わすないで ほしい ものです。

ローマ字の 解説は,残念ながら,ごく わずかの すぐれた ウェブサイトを のぞいて,まったく あてに ならない ありさまです。そして,これが「よく ある おもいちがい」を ますます ひろめる もとに なっています。

ローマ字の 特徴

ローマ字には みっつの おおきな 特徴が あります。ひとつめは,ラテン文字で 書く ことです。あたりまえじゃ ないかと いわれそうですが,これは とても 重要です。なぜなら,ラテン文字は 世界共通の 文字だからです。日本でしか 通用 しない 文字では なく,世界に ひらかれた 文字で 書く ところに 意義が ある わけです。ローマ字には「日本語を 世界に ひろめよう」という ポリシーが あります。

ふたつめは,読むのも 書くのも たやすい ことです。これは 漢字を つかわないからです。たくさんの 漢字を おぼえる むだが ありませんし,むつかしい 漢字の ことばを つかいこなす 必要も ありません。じつは,かな文字書き より ローマ字書きの ほうが ずっと かんたんです。機械で あつかいやすい ことも 現代社会では きわめて おおきな 利点です。ローマ字には「日本語の 表記を やさしく しよう」という ねらいが ありますかな文字書きより ローマ字書きの ほうが かんたんで ある 理由は,つかう 文字の 数が すくなく,文字の 形が わかりやすく,つづりかたが やさしいからです。

みっつめは,音声情報 だけを あらわしている こと です。ラテン文字は 表音文字ですから,音声情報しか 書きあらわせません。たとえば,「日本」を ローマ字で 書こうと おもっても,その 読みかたが〈ニホン〉なのか〈ニッポン〉なのか,あるいは〈ヤマト〉か〈ヒノモト〉か,わからないと 書けません。ローマ字の 世界では,ことばの 本質は 文字で なく 音声で あると かんがえます。くわしくは「ことばと 文字の 関係」で 説明 しています。

これらの 特徴は 学校で ローマ字を まなぶ 理由にも つながっています。くわしくは「ローマ字の 目的」で 説明 しています。

ローマ字の 歴史

ローマ字の はじめ


フランシスコ ザビエル

ローマ字を 発明 したのは 日本人では ありません。16世紀の 末に,ポルトガル語を 公用語に していた イエズス会の 宣教師たちが 日本に やってきました。そして,彼らの 文字(ラテン文字)を つかって 当時の 日本語を 書きうつしました。現代の 日本人も 外国語を カタカナで 書きうつしたり しますが,それと おなじ ことを した わけです。

このとき,宣教師は 日本語を ラテン文字で 書いた わけですから,これは ローマ字で あると いえます。これが ローマ字の はじまりです。ローマ字は キリスト教の 宣教師が つくった ものでした。きっと フランシスコ ザビエル(シャビエル)も この ローマ字を つかっていたのでしょう。

ヘボン式,日本式,訓令式

1867年,アメリカ人の 宣教師 ヘボンが 和英辞典を つくった ときも やはり 彼らの 文字(ラテン文字)で 日本語を 書きました。こうして つくられた ローマ字が ヘボン式の はじまり です。これは 日本人の あいだでも つかわれる ように なり,こまかい 修正を へて,現在 もっとも ポピュラーな ローマ字に なっています。

1885年,天文学者 寺尾寿(てらお ひさし),物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)に よって,日本語を 書きあらわすのに ふさわしい ローマ字が となえられました。日本式の はじまり です。この ローマ字も,こまかい 修正を へて,訓令式と よばれる 公式の ローマ字に なっています。


ヘボン式日本式は 根本的な ところで かんがえかたが ちがうので,それぞれの 支持者が 対立 して しまい,ローマ字の 書きかたが はっきり さだまらない 状況が つづいていました。それで,ローマ字を きちんと 統一 しようという ことに なりました。両者の 対立は はげしかったので,1930(昭和5)年に はじまった 議論は 何年も つづきましたが,1937(昭和12)年に ようやく 意見が まとまりました。こうして できたのが 訓令式です。

ところが,この 訓令式日本式の かんがえかたを うけついだ 方式だったので,ヘボン式の 支持者は これに 反発 して ヘボン式を つかいつづけました。そのため,今度は ヘボン式訓令式が 対立 する ように なって しまいました。

戦後,日本政府は アメリカに へつらう ように なり,日本国民も アメリカに あこがれる ように なりました。もともと,ビジネスの 分野で つかわれる ローマ字は ヘボン式が おおかったのですが,日本政府の 態度が かわった せいで,公の 分野でも ヘボン式が つかわれる ように なり,やがて 訓令式を 意識 して つかう 人は ほとんど いなく なりました。

こうして 日本は 自分の ことばを 外国語風に ねじまげて 書く ように なって しまいました。この ことは 教育を 混乱 させ,生活を 不便に している だけで なく,日本と 日本語の 国際的な 地位を 傷つけています。

99式

1999年には 99式(きゅうきゅうしき)ローマ字が 提案 されました。これは 公式の 規格に なっておらず,学校でも おしえませんが,挑戦的な こころみと いえます。

99式は パソコンなどの 機械で 日本語を 入力 する ときに つかう ローマ字入力に にているので,おおくの 人に とって おぼえやすい 利点が あります。また,外来語や オノマトペなどを 書きあらわすのに 必要な〈ティ〉〈ファ〉〈チェ〉といった 特殊音の 書きかたを さだめている 点に あたらしさが あります。

より くわしく

ローマ字の 歴史に ついての くわしい 解説は「なりたち」に あります。

ローマ字の 種類

いまの ローマ字

現在 つかわれている ローマ字には 代表的な 方式が 3種類 あり,すべて 学校で ならいます。まず,「国語」で ならう 書きかたです。訓令式ヘボン式が あります。それから,「英語」で ならう 書きかたです。これも ヘボン式と よばれていますが,正確には「国語」の ヘボン式から 記号を とりのぞいた 書きかたです。この サイトは「英語」の ヘボン式「英語式」と よんで 区別 しています。

Tôkyô(東京) zyûdô(柔道)【訓令式
Tōkyō(東京) jūdō(柔道)【ヘボン式
Tokyo(東京) judo(柔道)【「英語式」


ローマ字の 書きかたは「ローマ字のつづり方」という ルールで きまっています。それに よると,日本語を ローマ字で 書く ときは 訓令式を もちいる ことに なっていて,特別な 事情が ある 場合に かぎって ヘボン式を もちいる ことが ゆるされています。


企業の ロゴタイプ

ところが,この ルールは 政治的な 理由や ビジネス上の 理由から 完全に 無視 されていて,訓令式は ほとんど つかわれていません。実際に つかわれているのは ヘボン式「英語式」から 派生 した 書きかたです。パスポートの ローマ字道路標識(案内標識)の ローマ字駅名標の ローマ字,企業の ロゴタイプの ローマ字などが その 例です。

もっとも よく もちいられているのは「英語式」です。しかし,これは 英語の 書きかたですから,日本語を 正しく 記述 する ことが できません。そのため,日ごろ よく 目に する ローマ字は 日本語が 書いてある はずなのに 日本人が みても まともに 読めないという おかしな ことに なっています。この 事実を 外国人が しったら おどろくのでは ないでしょうか。

ふるい ローマ字,あたらしい ローマ字

ローマ字には ながい 歴史が あり,いまでは つかわれなく なった ふるい ローマ字も あります。たとえば,ローマ字の 元祖で ある ポルトガル式が それです。この ほかにも,オランダ式,ドイツ式,フランス式が ありました。訓令式の 前身とも いえる 日本式も いまは ほとんど つかわれません。

あたらしい ローマ字も かんがえられています。新日本式や 99式が その 代表です。

まちがった ローマ字

変な ローマ字を みかける ことは めずらしく ありません。これは まちがって 書かれた ローマ字です。ふつう,まちがいは すぐに 指摘 されて あらためられる ものですが,ローマ字では それが まったく ありません。公の ローマ字が まちがっている くらいですから,一般人が ついつい やって しまう まちがいは ほとんど そのまま 放置 されています。そのため,日常的に まちがった ローマ字を 目に する ことが よく あります。あまりにも おおいので,それらを ローマ字の あたらしい 方式だと 勘ちがい している 人が いる ほどです。

まちがいが おこる 原因は たくさん あります。まず,公の ローマ字が 正しい ローマ字では ない ことです。特に パスポートの ローマ字と「英語」の 教科書で つかわれている ローマ字が 正しい ローマ字で ない ことは 影響が おおきいと かんがえられます。日ごろ よく みる 企業の ロゴタイプや タレントの 名前も ほとんどが 英語の 書きかたです。これらが 世の中に 勘ちがいを ひろめています。ローマ字入力で つかわれる 特殊な ローマ字や,スポーツ選手の ユニフォームで みかける 独特の ローマ字も 原因の ひとつです。ヘボン式訓令式が 混在 している ために「ちゃんぽん式」が つくられやすい ことも あります。なにより,学校で ローマ字を きちんと おしえていない ことが おおきいでしょう。


「アポロンとヒヤキントス」(昔の 教科書)

これは ローマ字の 教科書です。昔は きちんとした ローマ字教育が おこなわれていたのですが,政治的な 理由から,いまは それが できなく なっています。

各方式の 比較

日本式訓令式99式は,よく にています。すべて 日本人が 日本語を 書く ための ローマ字として つくられた 方式だからです。これらは 日本語らしい つづりに なっていますから,日本語を 書くのに 適しています。それに たいして,ヘボン式は 英語の はなし手が 日本語を 読む ための ローマ字で,英語風の つづりに なっています。これは 日本語に つけた ふりがなか 発音記号の ような もので,日本語を 書くのには 適していません。日本式訓令式99式の グループと ヘボン式を ならべてみると,つづりの ちがいが はっきり します。

日ごろ よく 目に する 道路標識(案内標識)の ローマ字駅名標の ローマ字は すべて ヘボン式を もとに して つくられた ものですが,それぞれが すこしずつ ちがいます。しかも,どの 書きかたも 設計に いいかげんな ところが あります。中でも パスポートの ローマ字には 不具合が おおく,しばしば 批判の 的に なってきましたが,2000年代に はいってから 改善の うごきが あります。それに たいして,道路標識(案内標識)の ローマ字駅名標の ローマ字は 以前 よりも おかしく なってきています。

どの 方式を つかえば いいの?

ローマ字には いろいろな 方式が あって,どれを つかったら いいのか わからないという 疑問は よく あります。これは,状況に あわせて つかいわける,というのが こたえです。ただし,基本的には 訓令式を つかいます。これが 原則です。実際,自分の 名前を 書く とき くらいしか ローマ字を つかう ことは ないという 人も おおいでしょう。それなら,訓令式 だけ おぼえて おけば 十分です。

ただ,こまった ことに,パスポートや クレジット カードでは つかえる 文字に 制限が あり,お名前に よっては 訓令式で 書けない 場合が あります。この サイトは これに 手を うつ やりかたも 提案 しています。くわしくは「パスポートむけ訓令式」を お読み ください。

より くわしく

ローマ字の 種類,比較,つかいわけに ついての くわしい 解説は「いろいろ」に あります。

ローマ字の 書きかた

ローマ字の かんがえかた

ローマ字は 音声を 書く


「飛行機」

「飛行機」を ローマ字で hikouki と 書いて しまう 人が います。これは ローマ字の かんがえかたが わかっていないから おこる まちがいです。ローマ字は ふりがなを ラテン文字ABC...)に おきかえた ものでは ありません。読みかた(音声)を ラテン文字で 書いた ものです。(以下,必要に 応じて 文字を「 」で,音声を〈 〉で しめします。)

ローマ字の 世界では,まず はじめに ことばの 音声が あって,その 音声を 書きあらわす ために 文字が あると かんがえます。はじめに〈ヒコーキ〉という 音声が あって,それを 漢字で 書けば「飛行機」に なり,ひらがなで 書けば「ひこうき」に なり,ラテン文字で 書けば hikôki に なるという わけです。

ローマ字を 書く ときは,頭の 中で ことばの 読みかた(音声)を かんがえて,それを ローマ字の ルールで ラテン文字に 変換 します。「おはよう」「こんばんは」だったら,〈オハヨー〉〈コンバンワ〉という 読みかた(音声)を かんがえて,それを ラテン文字に 変換 します。

〈オハヨー〉→ ohayô(おはよう)
〈コンバンワ〉→ konbanwa(こんばんは)

ふりがなで かんがえるのは まちがい

ローマ字で よく あるのは ふりがなで かんがえて しまう まちがいです。ローマ字入力の ために ローマ字を おぼえた 人は この 勘ちがいを している ことが よく あります。ローマ字の 書きかたと ローマ字入力の キーの おしかたは ちがうので,これらを 混同 しない ように して ください。

「おはよう」→ × ohayou(おはよう)
「こんばんは」→ × konbanha(こんばんは)

ふりがなを ラテン文字に おきかえて しまう まちがいが おおいのは,ことばと 文字の 関係を 正しく 理解 していない 人が おおい ことも 原因です。「ことばと 文字の 関係」も お読み ください。

変換の しかた

ことばの 読みかた(音声)を ラテン文字に 変換 するには,いわゆる「ローマ字表」を つかいます。下に しめした 表は 訓令式の ものです。これで ことばを 音声の 単位に くぎってから おきかえていきます。たとえば,「絵」は 〈エ〉で e,「顔」は〈カ〉〈オ〉で kao,「桜」は〈サ〉〈ク〉〈ラ〉で sakura に なります。

〈キャ〉〈キュ〉〈キョ〉などの 拗音(ようおん)は,2文字が 1音を あらわします。この まとまりで 変換 する ことに 気を つけて ください。たとえば,「お茶」は 音声の 単位で〈オ〉〈チャ〉と くぎって otya に します。文字の 単位で「オ」「チ」「ャ」と くぎって otiya に しては いけません。

直音拗音
aiueo
キャキュキョ
kakikukekokyakyukyo
シャシュショ
sasisusesosyasyusyo
チャチュチョ
tatitutetotyatyutyo
ニャニュニョ
naninunenonyanyunyo
ヒャヒュヒョ
hahihuhehohyahyuhyo
ミャミュミョ
mamimumemomyamyumyo
yayuyo
リャリュリョ
rarirureroryaryuryo
wao
ギャギュギョ
gagigugegogyagyugyo
ジャジュジョ
zazizuzezozyazyuzyo
ヂャヂュヂョ
dazizudedozyazyuzyo
ビャビュビョ
babibubebobyabyubyo
ピャピュピョ
papipupepopyapyupyo

※ カタカナは 音声を しめしています。

印刷用の「ローマ字表」(A4サイズ,2ページ)も あります。


〈ン〉〈ッ〉や「ー」が つく 音は それぞれ 撥音,促音,長音と よばれていて,これらの 書きかたは「ローマ字表」と 別に 定義 されています。

撥音(はつおん)は〈ン〉の 音です。これは n と 書きます。たとえば,「温泉」は onsen に なります。

促音(そくおん)は〈ッ〉の 音です。これは つぎの 音の 子音字を 書きます。たとえば,「切符」は つぎの 音が〈プ〉ですから,pu の 子音字 p を 書きます。

長音(ちょうおん)は「ー」の つく 音です。これは のばす 音の 母音字に 山形(^)を のせます。たとえば,「空気」は のばす 音が〈ク〉ですから,ku の 母音字 u山形(^)を のせます。

onsen(温泉)
kippu(切符)
kûki(空気)

ローマ字に なれない うちは 長音が むつかしい ようです。長音が 苦手な 人は,まず「ー」を つかって 読みかたを 書く 練習から はじめると いいでしょう。たとえば,「お母さん」「お父さん」を「オカーサン」「オトーサン」と 書く 練習です。そして,ローマ字を 書く ときに この「オカーサン」「オトーサン」を おもいうかべる ように すれば まちがいません。ふりがなの「おかあさん」「おとうさん」を おもいうかべて しまうと,よく ある まちがいが おこりますここでは 手みじかに 説明 していますが,長音には かなり ややこしい ところも あります。くわしくは「長音」を お読み ください。

お母さん → オカーサン → okâsan
お父さん → オトーサン → otôsan

機械で ローマ字を 書く とき

フォントと 文字コード

Unicodeに 対応 した フォントを つかって ください。Unicode に 対応 していない ものは 長音符号つき文字を 表示 する ことが できません。

よく つかわれる フォントは,セリフ体では Times New Roman,サンセリフ体では Arial, Helvetica などです。

文字コードは「Unicode」「UTF-8」などに して ください。ふるい ソフトウェアには これらを あつかえない ものが ありますが,あたらしい ものなら 問題が おこる ことは ほとんど ありません。

長音符号つき文字

手書きなら どんな 文字でも 書けますが,パソコンなどの 機械で 書く ときは 長音符号つき文字â, î, û など)が 入力 しにくいという 問題が あります。

長音符号つき文字を 入力 する 方法は 下に しめす ように いろいろ あります。ここでは おもに Windowsパソコンむけの 方法を 説明 しますが,環境に よらない 方法(※)も あります。

より くわしく

ローマ字の 書きかたに ついての くわしい 解説は「書きかた」に あります。

長音符号つき文字の 入力に ついての くわしい 解説は「長音符号つき文字」に あります。

ローマ字の 書きかたを ひとりで まなべる 印刷教材「ローマ字 手ほどき」も あります(PDFファイル)。こどもむけの 教材ですが,ローマ字を 復習 したい おとなが 読んでも いいでしょう。練習問題を とばして 解説 だけ 読めば,5分も かかりません。

ローマ字運動

ローマ字運動

かな文字論と ローマ字論

日本語の 文章を すべて かな文字や ローマ字で 書く かんがえが あります。これを かな文字論ローマ字論と よびます。その 実現を めざす 運動が かな文字運動,ローマ字運動です。

なぜ そんな ことを するのかというと,それは 日本語の 書きかたに 問題が あるからです。日本語の 表記システムは 漢字を つかっている せいで,たいへん 複雑です。おぼえるのも つかうのも むつかしく,この ことが さまざまな 社会問題を ひきおこしています。日本と 日本語の ために,これを あらためていく 必要が あります。どのように あらためるか,その 方向性は わかっています。まず,漢字を やめます。そして,漢字を やめた あとに どうやって 日本語を 書くのかというと,かな文字で 書く 方法と ローマ字で 書く 方法が あります。

もちろん,これは すぐに できる ことでは ありません。すこしずつ 段階的に すすめていく ほかは なく,ながい 時間が かかります。100年 単位で かんがえなければ ならない 大仕事です。昔の かな文字論者や ローマ字論者も その 道のりが ながい ことを しっていました。それでも,日本と 日本語の 将来を おもって 声を あげたのでした。

書きことばを あらためる

世界の 言語の 中で みると,日本語は やさしい 言語ですもちろん,読み書きを のぞけばの 話です。仕事の 都合で 日本に きた 外国人は,日常の 会話レベルは たやすく マスター しますが,読み書きは むつかしいと いいます。外国に すんでいる 日系人も 日本語で 会話が できても 読み書きは できない ことが おおい ようです。モンゴル出身の 力士が すぐに 日本語を おぼえるのも,モンゴル語と 日本語が にている こと だけが 理由では なく,日本語が それほど むつかしく ないからでしょう。よく 敬語,助数詞,人称代名詞などで 日本語の むつかしさや 特殊性を うったえる 人が います。しかし,これらは すこし 意味が ちがいます。日本人でも よく 敬語を まちがえますし,助数詞を よく しらない 人も いますが,そういう 人たちを さして「日本語が はなせない」とは いいません。日本文化の 知識が たりない だけです。外国人も これと おなじで,日本語が むつかしいのでは なく,日本文化が むつかしい だけです。そして,外国の 文化が むつかしいのは あたりまえで,それは どこの 国も おなじです。日本 だけが 特別 なんて ことは ありません。。また,その 話者数の ランキングで トップ10に はいる,おおきな 言語です1位:中国語,2位:英語,3位:ヒンディー語,4位:スペイン語,5位:アラビア語,6位:ベンガル語,7位:ポルトガル語,8位:ロシア語,9位:日本語,10位:ドイツ語。。すこし ふるい 調査に よれば,これから 日本語が 世界の コミュニケーションで 必要な 言語に なると かんがえていた 国も たくさん あり,日本語に たいする 期待の たかさは 日本人が おどろく ほどでした。いまでも 日本語を まなんでいる 外国人は 数百万人 いると いわれています。

このように,日本語は 世界に しられた 言語です。日本の 経済力や 文化力から かんがえると,日本語は 世界的に 有力な 言語の ひとつに なっていても いい はずです。けれど,実際には そう なっていません。それは 日本語の 読み書きが むつかしいからです。日本語が できれば 仕事に 有利だと おもっている 外国人でも,日本語の 書きことばを まなぶ コストを かんがえたら,割に あわないと 判断 する ことが おおいでしょう。日本語は 書きことばが むつかしい せいで 有力な 言語に なれませんここでは「書きことば」を おもに 表記システムの 意味で つかっています。

外国の ある 日本研究家は つぎの ように のべています。

このような侮辱的な表現をつかうことには気がひけるのだが,日本の書きことばは一部のものにとっては魅力ある研究分野となるものの,実用的な道具としてはこれに劣るものはおそらくないであろう。

はなしことばは 自然に かわっていく ものですが,書きことばは 人為的に かえていく もの です。すすんだ 国は その 国の 書きことばを やさしく する ために さまざまな 改革を おこなっています。自分の 国や 言語を 発展 させたいと おもうなら,そう するのが あたりまえです。ところが,日本は そういう 努力を してきませんでした。この 不作為が もたらした 損失は はかりしれませんはなしことばが 自然に かわっていくと いっても,はなしことばが 意思を もっている はずも なく,それを つかう 集団の 意思が 反映 されて すこしずつ かわっていくという 意味です。なお,日本の 政府は すでに 日本語に みきりを つけている ようで,さまざまな ところで すこしずつ 日本語を やめて 英語に きりかえています。ほとんどの 一般人も 大筋で それを うけいれている ように みえます。この ながれに 反発 して,ふるい かなづかいや ふるい 漢字を ありがたがる 人も いますが,このような うしろむきの かんがえは かえって 日本語の 命を ちぢめるでしょう。高校の「国語」に あたらしく もうけられる「言語文化」も おそらく その もくろみとは 反対の 効果 しか うみださないと おもわれます。

日本語を 表音文字で 書く

ことばの 本質は 音声

〈イヌ〉という 音声を きけば イヌだと わかります。つまり,ことばの 意味は 音声が になっています。文字に 意味が あるのでは ありません。人が 文字を つかう ように なったのは,人の ながい 歴史を かんがえれば,つい 最近の ことです。文字が なかった 時代にも ことばが ありました。音声 だけの ことばです。この 事実からも わかる ように,ことばの 本質は 音声で あり,文字は その 音声を うつした コピーに すぎません文字は おおよそ 5000年前から ありますが,一般人が 学校で 読み書きを まなぶ ように なったのは たかだか 100年ほど 前からです。

けれども,日本では この 話が ピンと こない 人も おおいでしょう。それは,はじめて みた 熟語でも 漢字から おおよその 意味が わかるという 体験を 日常的に しているからです。漢字に たよりきっている せいで,おおくの 人は 文字が 意味を になっているのだと 勘ちがい しています。

外国人は「文字は ことばを うつす もの」と かんがえています。これが 世界の 常識です。ところが,日本人は「ことばは 文字を くみあわせて つくる もの」と さかさまに かんがえている ことが あります。世界の 中で 日本人 だけが おもいちがいを しています。

日本語も 表音文字で 書ける

文字には ことばを あらわす 表語文字と 音を あらわす 表音文字が あります。漢字は 表語文字で,かな文字や ラテン文字は 表音文字です。そして,表音文字は 表語文字から うまれてきた ことが わかっています。表語文字には 欠点が あり,それを なんとか しようと する 工夫の 中から 表音文字が できたのです。日本の かな文字も 漢字から うまれた 文字です漢字は 字義(意味),字音(音声),字形(文字)の みっつが むすびついた ものです。ことばは 意味と 音声が むすびついた ものですから,この 場合は ひとつの ことばが ひとつの 文字(漢字)に 対応 しています。 このように,ことばに 対応 する 文字が 表語文字です。表意文字という いいかたも ありますが,携帯電話の 絵文字,ピクトグラム,アラビア数字などを 表意文字と かんがえても いいでしょう。これらは 意味と 文字の ふたつが むすびついた ものです。

世界の 言語は 中国語と 日本語を のぞいて すべて 表音文字で 書きます。中国語と 日本語 だけに 特殊な 性質が あるとは かんがえられませんから,中国語も 日本語も 表音文字で 書ける はずです。実際,中国語には ローマ字(ピンイン)が あるので,漢字が なく なっても 中国人は こまりません。日本語が 漢字を つかっているのも ただの 偶然です。たまたま となりの 先進国が 漢字を つかっていたから それを とりいれた だけです文字を もたない おくれた 国が すすんだ 国から 文字を とりいれようと する とき,言語が ちがう ために その 文字が つかいにくかったり,その 文字を つかう ことで 大国の 文化に のみこまれて しまうのを きらったり する ことが あります。そのような 場合,自分たちの 言語に 適した 文字を つくりだす ことが よく おこなわれます。古代中国の 周辺では,こうして 独自の 文字が いくつも かんがえだされました:突厥文字,契丹文字,西夏文字,女真文字などです。これも プライドを もった 国の やりかたです。

もともと 日本語と 漢字の あいだに 本質的な むすびつきは ありません。古事記や 万葉集の 時代,日本人は 漢字を 表音文字として つかう アイデアを おもいつき,日本語を 書きあらわす ことに 成功 しました。源氏物語や 枕草子の 時代,日本の 文学は かな文字に よって おおきく 発展 しました。このように,日本語を 表音文字で 書く ことは 昔から おこなわれてきた ことです漢字を 表音文字として つかったのは 日本 だけでは ありません。中国も 昔から 外来語を 書く ために おなじ ことを やっていました。たとえば,「奈落」は「地獄」を 意味 する サンスクリット語の narakaが 中国語に なった ことばです。中国語 そのものの 中にも,漢字の 意味を 無視 して 発音 だけ つかう 例が あります。文法的な はたらきを する 単語で「象形」「会意」などで あらわせない ものは 昔から おなじ 発音の 漢字を あてはめて 書いていました。

日本語で 会話を する ときは 音声 だけで 意味を つたえあっています。口から 漢字を だす 人も 耳に 漢字を いれる 人も いませんが,ふつうは それで 会話が なりたちます。音声 だけで 意味が つたわるのだと したら,日本語は 表音文字 だけで 書ける はずです。

同音異義語の 問題

日本語を かな文字書きや ローマ字書きに すると 読みにくく なりますが,その 理由の 大部分は なれていない ことです。なれて しまえば 読みにくいとは かんじません。しかし,なれの 問題と いえない 部分も あります。表音文字で 書くと,同音異義語の みわけが つかない ことです。たとえば,学校教育を テーマに した 文章の 中に「シリツ」とか siritu とか 書かれていたら,「私立」か「市立」か わかりません。これが 原因で かな文字文や ローマ字文は よみにくく なる ことが あります。

これは かな文字文や ローマ字文の 欠点では なく,日本語の 欠点です。どんな 言語にも 同音異義語は ありますが,日本語の それは あまりにも おおすぎます。「私立」と「市立」の ように,文脈の たすけを かりても 解決 できない 同音異義語は,外国の 言語学者が おもしろがる ほど めずらしい ものです。

ふつうの 言語は ことばの 音声を 耳で きけば 意味が わかります。これが ことばの 基本機能です。ところが,日本語は ときどき 耳で きいた だけでは 何を いっているのか わからない ことが あります。これでは 基本機能が こわれている ような ものです。よく,漢字を みれば 意味が わかって 便利だと いわれますが,これは とんでもない まちがいです。漢字を みなければ 意味が わからない ことが おかしいのです。日本人は 漢字を 無批判に つかいすぎた せいで 日本語を スポイル して しまったと いえるでしょうこの 議論は 芸術,広告,あそびなどに もちいる 言語には あてはまりません。むしろ,ゆたかな 熟字訓,奇抜な ふりがな,たくみな 漢字ダジャレなどは 知的な いとなみで,大切な 文化で あると かんがえられています。かな文字論ローマ字論が 対象に するのは そういう 言語では ありません。情報を つたえる 道具としての 言語,文明社会を ささえる インフラとしての 言語です。この 土台の 上に 文化としての 言語活動が あると かんがえます。

日本語の健全な発育と、その国語の純粋性を害毒するものは、実に生硬な漢語と漢字、特に明治以来濫造される翻訳漢語と漢字である。言葉に一番大切な条件は、耳で聴いて意味がわかるといふことである。耳で聴いて意味がわからず、文字に書いて見せた上で、初めて視覚から語意が通ずるといふやうな言葉を、日常語の会話に使用するやうな国民があるとしたら、世界で最も不便で最悪の国語を所有する民族と言はねばならぬ。

萩原朔太郎「ローマ字論者への質疑」

かな文字論ローマ字論は ただ 漢字を やめようと いっているのでは ありません。ほかにも よびかけている ことが あります。それは 日本語を 耳で きいた だけで 意味が わかる ように かえていく ことです。これは「ことばなおし」とか「ことばえらび」と よばれ,かな文字運動や ローマ字運動の 重要な 柱に なっています漢字を やめる かんがえに はげしく 反対 する 人は すくなく ありませんが,かな文字論ローマ字論を わかった 上で 反対 している 人は ごく わずかです。分かち書きを しらない 人が「よみにくいから ダメだ」と いっていたり,ことばなおしを しらない 人が「同音異義語が ふえるから ダメだ」と いっていたり する 場合が ほとんどです。

日本語が この先 いきのこるには

日本語の これまで

もし 日本が 漢字の ことばを 積極的に とりいれなかったら,明治時代からの めざましい 発展を なしとげる ことは できなかったでしょう。そう かんがえると,日本語が 漢字の 中毒に なって しまったのも 半分は しかたが ない ことです。しかし,のこりの 半分は 言語政策の 失敗と いわなければ なりません日本語の 書きことばが むつかしい ままで ある ほうが 仕事の 上で 有利な 作家や 評論家など(いわゆる 文系の 人)の 発言力が つよい ことも 原因です。日本では,いわゆる 理系の 人が パブリックな 発言を しない かたむきが あります。(外国には そういう かたよりが なく,文系と 理系の 区別 そのものが ありません。)論理的な 主張を こばみ,感情に ながされやすい 人が おおいと,情緒に うったえる ことばが 力を もちます。たくみな ことばで 感情を あやつる プロが 現行の 表記システムを まもる 方向に 世論を みちびいて しまいます。

この 失敗が さまざまな 社会問題を ひきおこす もとに なりました。ほとんどの 人に とって 漢字かな交じり文は,いったん おぼえて しまえば,それなりに 便利な 道具です。けれども,そう かんじていない 人も います。人が おかれている 状況は さまざまで,かんがえも いろいろです。すこしでも 観察力と 想像力が あれば,日本語の 書きことばが むつかしい せいで こまっている 人を いたる ところに みつけだし,おもいうかべる ことが できる はずです外国人の 住民,目や 耳の 不自由な 人などが わかりやすい 例です。本当は こういう ことを こどもに おしえ,世の中の 問題に 気づかせ,その 解決策を かんがえさせるのが 教育でしょう。けれども,学校で そういう 授業が おこなわれる ことは まれです。実際には,漢字こそ 日本の すぐれた 文化で あるという ような,特定の 価値観を うえつける 授業が よく おこなわれています。言語の 問題は 単に 文化の 問題では ありません。社会の 問題でも あります。いまの 教育には そういう 視点が ありません。

しかも,うつりかわりの はげしい 時代に なって,この 問題が 無視 できなく なってきました。きびしい 目で みれば,日本語は 世の中の 変化に 対応 できなく なって,公用語としての 役割を はたせなく なりつつ あります。公の 場で 日本語が つかいにくく なってきたのです。その 原因は 漢字を 野ばなしに している ことです。日本を 外から みていると それが よく わかるのでしょう。先進国で ある はずの 日本が なぜ 漢字を やめないのか 不思議に おもっている 外国人は おおく,インターネットの コミュニティーでも しばしば 話題に なっていますおそらく ちかい 将来,中国は 漢字の 段階的な 廃止に うごきだすでしょう。中国語は 日本語に くらべると その 障害に なる ものが すくなく,いったん うごきだしたら そのあとは はやいでしょう。そう なった とき,日本 だけが 国際社会の 中で とりのこされていく ことに なります。

日本語の これから

これから 先も 日本語を つかっていきたいと おもうので あれば,日本語の 表記システムを このままに しておいて いい はずが ありません。書きことばを もっと やさしい 形に かえていく 必要が あります。たやすい 仕事では ありませんが,これを やらないで いたら 日本語に 未来は ないでしょう。

言語 そのものに 優劣は ありませんが,言語を 記述 する 方法には すぐれている ものと そうで ない ものが あります。表記システムは 道具で あり,道具は つかいやすい もの ほど すぐれています。日本語の 表記システムは 世界で 一番 つかいにくい 道具です。このまま 何も 手を うたないと,日本語は ますます つかいにくく なり,おとろえていくでしょう。そうして 英語を 日本の 公用語に くわえなければ ならなく なり,そのとき 日本語は みすてられて しまう おそれが あります。もちろん,完全に きえて なく なる ことは ないでしょうが,学問・芸術・趣味などの ほかでは だんだん つかわれなく なっていき,いつかは 床の間の かざりに なって しまうかも しれません英語 だけで くらせる 環境に なったら,英語を まなんだ ほうが 有利なので,教育に お金を かけられる 家庭は こどもに 英語を おしえる ように なります。すると,日本の 社会は おもに 英語で 生活 する「上流」と 日本語 しか できない「下流」に わかれて しまいます。「上流」には 日本語に たいする おもいいれが なく,「下流」には 日本語を みがきあげていく 能力が ありません。こうして 日本語は かがやきを うしなっていく 可能性が あります。

より くわしく

ローマ字運動に ついての くわしい 解説は「ローマ字運動」に あります。

【読みもの】 寺田寅彦と その 周辺

随筆家として 有名な 寺田寅彦(てらだ とらひこ)は 物理学者でした。彼の 研究テーマには「尺八の音響学的研究」「金平糖の角の研究」など 一風 かわった ものが あります。これらは 日常の 題材を あつかっていながら,科学的に 高度な ものです。彼が 庶民の 感性と 科学者の 知性の 両方に ひいでた 人で あった ことを よく あらわしています。

彼は 夏目漱石の おしえ子でした。正確には,ペンネームで あった 吉村冬彦(よしむら ふゆひこ)の 師匠が 漱石でした。では,物理学者 寺田寅彦の 師匠は だれかと いうと,それは 物理学者 田丸卓郎(たまる たくろう)です。寺田寅彦は 学生時代に 英語教師の 夏目漱石,物理学教師の 田丸卓郎と であい,文学と 科学の 両方を こころざしたと いわれています。


"Umi no Buturigaku" (1913)

田丸卓郎は ローマ字論者で,ローマ字論の バイブルと よばれている「ローマ字国字論」「ローマ字文の研究」を あらわした 人です。

寺田寅彦も 熱心な ローマ字論者でした。彼の 著書には すべて ローマ字で 書かれた 教科書なども あります。図は 約100年前に 書かれた「海の物理学(Umi no Buturigaku)」です。

寺田寅彦の 門下生には 雪の 結晶の 研究で 有名な 物理学者 中谷宇吉郎(なかや うきちろう)が います。彼も また 随筆家で,「雪は 天から 送られた 手紙で ある」は よく しられた ことばです。