国語国字問題

あらまし

江戸時代の 知識人は 外国の 事情を まなんで 視野が ひろがり,日本を 客観的に また 批判的に みる ことが できる ように なりました。その中から,どうやら 日本語には 問題が あるらしいと 気づく 人が でてきます。

当時は むつかしい 漢字だらけの 文章が 正式と されていましたが,それでは 事務の 作業が はかどりませんし,教育も やりにくくて しかたが ありません。日本の 文化を 大切に する 立場の 人たちも,日本語は 本当に これで いいのかを あらためて みなおす ように なりました。こうして,さまざまな 動機から 日本語の 問題に ついて まじめに かんがえ,あらためる べき 点は あらためていこうと する うごきが うまれてきました。

この 問題を「国語国字問題」と よびます。「国語」とは 国の ことば,「国字」とは それを 書く 文字の ことです「峠」「凪」「畑」などの いわゆる 和製漢字を 正式には「国字」と いいますが,ここで いう「国字」は その 意味では ありません。


日本語を あらためていく かんがえには おおきく わけて 4個の 立場が あります。

日本語廃止論は 国語に 問題が あると かんがえ,そのほかは 国字に 問題が あると かんがえました。後者は 国字を あらためる かんがえですから,まとめて「国字改良論」と よびます。これらは 漢字の 廃止を うったえた 点で 共通 しており,この かんがえを「漢字廃止論」と よびます。

それぞれの 立場を 簡単に 説明 します。

日本語廃止論

明治時代の はじめには まだ「日本語」という ものが さだまっていませんでした。つまり,そのころの 日本人は 統一 された「日本語」では はなしていませんでした。身分制度の なごりで 職業ごとに ことばが おおきく ちがっていましたし,人の 移動を 制限 する 時代が ながく つづいた せいで,ことなる 地方の 人は おたがいに ことばが 通じない ほどに なっていました。そのため,統一 された「日本語」を つくる 必要が ありましたこの 統一言語には,コミュニケーションの 手だてを 提供 する「公用語」の 側面と,統一国家を 象徴 する「国語」の 側面が あります。明治時代には「国語」が 重要でした。学校の 教科の 名前が「国語」に なっているのも「国語」に 意味が あったからです。いまは 民主主義の 時代ですから,学校が おしえているのは 公用語としての 日本語です。なお,日本の 公用語を 正式に さだめた 法律は ありません。それくらい 日本語が あたりまえと かんがえられてきたからです。けれども,本当は あたりまえの はずが ありません。日本に すんでいたら 日本語を つかうのが あたりまえだという かんがえは さまざまな 社会問題を ひきおこしています。。それが なかったら 学校の 教科書も つくれません。

初代の 文部大臣 森有礼(もり ありのり)は この 問題を 解決 する ため,英語を 日本の 公用語に する かんがえを もっていました。

英語を話す民族は、今日、世界を支配するほど強い商業的実力を持っているので、わが日本国民はどうしても彼らの商業上の風習慣行について知識を持たねばなりません。こうして、われわれ日本人が英語をマスターすることは、絶対に必要になりました。それは、国際社会において、日本の独立を保持する一要件です。このような事情の下では、日本以外の国では少しも用いられない、貧弱な日本語は、英語に席を譲るよう運命づけられております。

彼が 英語に 目を つけたのは,なんと いっても イギリス,アメリカの 言語だからですが,英語なら 文法が やさしくて まなびやすいからという 理由も ありました。彼は 文法の 不規則性を なくして 簡単に した 英語を 日本に とりいれたいと かんがえていたのです。そして,アメリカの ある 言語学者に 意見を もとめたのですが,その こたえは「ノー」でした。国民の 文化的水準を たかめたかったら,それは 母語で おこなう べきだと いう わけですこの 言語学者は,中国語が 日本語に およぼした 影響を 有害な ものと みとめ,日本人が 英語を まなぶ ことや 日本語の 表記を ローマ字化 する ことには 賛成 しました。。簡略化 した 英語に ついても,そんな 二級品の 英語を つかっていたら 本物の 英語を つかう 外国人から バカに されるだろうと いって 反対 しましたこの 指摘は 重要です。いまも よく 話題に なる 英語公用語化論の あやうさを いいあてているからです。日本人が つかう 英語は,どんなに うまく はなせる ように なっても,永久に 二級品です。本物への あこがれは なく ならず,二級品を さげすむ 意識は かえって つよく なっていきます。こうして,すべての 人が ひとしく 尊重 される 世界から とおざかっていきます。これが 英語を 公用語に しては いけない 理由の ひとつです。。そんな わけで,英語を とりいれる ことは しないで,東京(山の手)の ことばを もとに して「日本語」を つくる ことに なったのでした。

彼は 科学,技術,政治,経済,教育,学問などの 分野では 英語を もちいるけれども,日常の くらしは それまでと おなじ 日本語で かまわないと かんがえていました。実際,このような やりかたを 採用 した 国は たくさん あります。日本語廃止論は「おとった 日本語を すてて すぐれた 外国語に のりかえよう」という あさはかな かんがえでは なく,日本の 独立と 発展を ねがう 心から でてきた 戦略的な アイデアでしたこのときの 日本語廃止論とは 別に,戦後に 作家の 志賀直哉も 日本語廃止論を となえた ことが ありました。しかし,これには 謎が あります。彼は 作家で あるが ゆえに 日本語の 欠点を しりつくし,それに くるしめられた ことは まちがい ないでしょう。けれども,彼は うつくしい 日本語を 書く ことで しられ,(代表作「小僧の神様」に ひっかけて)「小説の神様」とまで よばれた 日本語の 達人でした。しかも,日本語を 廃止 して フランス語を 採用 せよと のべたのですが,彼は フランス語の 上級者だった わけでも ないのです。100年くらい 前までは フランス語が 世界で もっとも つよい 言語で,そののちも 日本の 作家が フランス文学を 崇拝 する 時代が つづいていたとは いえ,この 提案は あまりに 唐突です。国語国字問題は 当時の おおきな 話題でしたから,もしかしたら 国語国字問題に より おおくの 大衆の 目を むけさせる ために,わざと 極端な 提案を したのかも しれません。

かな文字論

かな文字論は 国字改良論の ひとつで,日本語を すべて かな文字で 書く かんがえです。日本語の 言文一致と 横書きを 主張 した ことも 重要です。明治の はじめには まだ「~です」「~ます」と いった 文体も 確立 していませんでしたし,日本語を 横書きに する 発想も ありませんでしたかな文字論と ローマ字論は ほとんど おなじ かんがえで,日本語の 言文一致と 横書きを 主張 した 点も 共通です。

この かんがえには かなづかいを どう するかという むつかしい 課題が ありました。明治時代に 正式の ルールに なった かなづかいは たいへん むつかしく,一般人に つかいこなせる ものでは なかったからです。また,かな文字の 字体も 問題でした。昔は かな文字の 字体が 統一 されて おらず,現在 つかわれている 形に 統一 されたのは 1900(明治33)年です歴史的仮名遣いは 江戸時代に できあがりましたが,和歌などの 分野 だけで つかわれました。「古文」の 教科書に のっている 古典文学の おおくも 本当は 歴史的仮名遣いでは 書かれていません。この かなづかいが 正式の ルールに なったのは 明治時代からですが,たいへん むつかしく,これを きちんと 書く ことが できたのは 知識人 だけです。学者クラスの 人でさえ 不注意による ミスは さけられませんでした。正しく 書こうと 心がけていても,発音の とおりで ない つづりを まちがいなく 書く ことは むつかしいからです。そこで,かな文字論者は 最終的に かなづかいの 表音化を 主張 しました。かな文字の 字体が 統一 されて 公式には つかわれなく なった 字体は「変体仮名」と よばれています。わざと ふるめかしさを だしたい 場面で いまでも つかわれる ことが あります。



山下芳太郎の 遺言
「日本語大博物館」 (ジャストシステム)

1883(明治16)年に かな文字運動の 団体「かなのとも」「いろはくわい」「いろはぶんくわい」が 団結 して,国語学者 大槻文彦(おおつき ふみひこ)を 中心とする「かなのくわい」が できました。会長は 有栖川宮熾仁(ありすがわのみや たるひと)親王でした。

しかし,ひらがな専用と していた ために 実用性の 面で いきづまり,かなづかいを どうするかでも 意見が まとまらず,やがて 運動は 下火に なって しまいましたひらがなは 複雑な 曲線で できている ため 書くのが むつかしく,視認性も わるい 欠点が あります。しかも,もともと 縦書きから 発達 した 形を しているので,横書きに むいていません。

そのあと,カタカナ専用の かんがえが でてきました。1920(大正9)年に 住友銀行の 幹部 山下芳太郎(やました よしたろう)が「仮名文字協会」を 設立 しています。のちの「カナモジカイ」です。

「カナモジカイ」の メンバーには 山下亀三郎(山下汽船)や 森下博(森下仁丹)などの 名前も ありました。実業家の 会員が おおかったのには 理由が あります。むつかしい 漢字だらけの 書類を 手書き していると 事務処理の 能率が わるいからです。会の 中心人物には 伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)が いました。彼が 経営 する 紡績会社では 工場の 標語も 左横書きの カタカナ表記でした「タンツバワ タンツボエ」「タバコ ノムナ」「オチワタ イトクズ ヒロッテ ハコエ」など。。彼は イギリス留学で タイプライターの 便利さを よく しっていましたから,カタカナを 印字 できる「かな文字タイプライター」を とりいれて 事務処理の 能率を あげる ことに 成功 しましたただし,ビジネスに かたよった 国字改良論には よく ない 側面が あります。効率 だけを おいもとめて しまい,日本語が どう ある べきかを かんがえないのです。実際,効率 だけを もとめていた 人たちは 日本語ワープロが ゆきわたった ことで 問題は 解決 したと 勘ちがいして,国字改良論への 興味を うしなっていきました。実際には,日本語と 日本社会が かかえている 問題は まったく 解決 していませんし,文書作成の 能率でも 欧米との へだたりは おおきい ままです。

ローマ字論

ローマ字論は 国字改良論の ひとつで,日本語を すべて ラテン文字(ローマ字)で 書く かんがえです。ローマ字で 書く わけですから,当然 横書きが 前提に なります。国際化の 理念を ふくんでいる ところに 特徴が あると いえます。

この かんがえには ローマ字の 書きかたを どう するかという むつかしい 課題が ありました。2種類の 有力な 方式が あって,どちらが いいかで 意見が 対立 して しまったからです。


1885(明治18)年,植物学者で 詩人の 矢田部良吉(やたべ りょうきち),文学者で 政治家の 外山正一(とやま まさかず)ほかの メンバーで「羅馬字会」が 創立 されました。この 会は ローマ字の 方式に ヘボン式を 採用 していたのですが,会員の 物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が,のちに 日本式と よばれる ことに なる,あたらしい 方式を 提案 しました。しかし,これは うけいれられませんでした。それで 田中館は「羅馬字会」を はなれる ことに なり,このあと ヘボン式の 支持者と 日本式の 支持者は はげしく 対立 する ように なります。そして,運動 そのものは いきおいを うしなっていきました。


「ローマ字国字論」 (1930)

そこで,ローマ字論者の 団結を はかるため,1905(明治38)年に「ローマ字ひろめ会」が 発足 しました。初代の 会頭は 西園寺公望(さいおんじ きんもち),名誉会頭は 大隈重信(おおくま しげのぶ)でした。この 会は ローマ字の 方式を 会員の 自由に まかせていたのですが,あとで ヘボン式に 統一 しました。それで,またもや 日本式を 支持 する メンバーが はなれて しまい,「日本のローマ字社」(1909~)「日本ローマ字会」(1921~)として 独立 しました。

ローマ字論は 物理学者の 田丸卓郎(たまる たくろう)に よって 理論的に まとめられました。それが「ローマ字国字論」(1930)です。かなり ふるい 本ですが,いまでも 通用 する ところが おおく,ローマ字論の バイブルと みなされています。

新国字論

新国字論は 国字改良論の ひとつで,日本語を 書くのに 適した あたらしい 文字を つくって しまおうという かんがえです。

平岩愃保

1885(明治18)年に 牧師 平岩愃保(ひらいわ よしやす)に よって あらわされた「日本文字の論」が 新国字論の はじまりと されています。彼は 国粋主義者で,彼が となえた「新日本アルハベタ文字」は 神代文字(じんだいもじ)の ひとつで ある アヒル文字の 改作でした神代文字とは 漢字が つたわる 前の 日本に あったと される 日本固有の 文字です。いろいろな 種類が あります。もちろん,これらは すべて つくりもので,アヒル文字は ハングルを 改造 した ものです。

小島一騰


日本新字

小島一騰(こじま いっとう)は 1886(明治19)年の 著書「日本新字」で,24個の 文字を 提案 しています。これは ラテン文字を もとに した おぼえやすい 文字です。

ところが,調子に のりすぎて,これに 符号を つけくわえて 数百種類の 音声を 表現 できる ように 改造 し,「凡そ天地の間のいかなる奇音妙声」でも 書きあらわせる などと いいだした ため,あつかいにくい 代物に なって しまいました。

中村壮太郎

実業家 中村壮太郎(なかむら そうたろう)は「ひので字」を つくりました。1935(昭和10)年に 出版 した 哲学書の 翻訳を はじめとして,さまざまな 本を「ひので字」で 書いています。下の 画像は「政界革新の先決問題」という 本の 付録「国字改良について」です。


ひので字

ふつうの かな文字も そえてあるので 読んでみると,かなづかいが あたらしい ことに 気が つきます。1930年代に 書かれた ものですが,いまの かなづかい よりも すすんでいます。

稲留正吉


稲留正吉の 新国字

稲留(とうる)正吉は くわしい 経歴が わからない 人ですが,新国字論を 主張 する「漢字に代はる新日本の文字と其の綴字法(上巻)」を(おそらく 自費で)出版 しています。

五十音に 濁音と 半濁音を くわえた ものを 七十五声と いいますが,それに 対応 する 75文字の 新国字を そろえる ために,外国の 文字を よせあつめ,それでも たりない 部分は みずから つくって おぎないました。

独自の つづり字法も かんがえだし,単語に 符号を つけくわえて 名詞を あらわしたり 男性と 女性を 区別 したり できる ように しました。この 工夫に より,「姦夫(かんぷ)」は γ nmp,「姦婦(かんぷ)」は π nmp と 書きわける ことが できます。これで 同音異義語の 問題を 解決 しようと した わけです。文字 だけで なく,文法にも ふみこんだ ところが 独創的でした。

「凡下(ぼんげ)不肖の身でありながら,烏滸(おこ)がましくも大胆に,国字の改良,国語の整理を企てたり」と はじまる,この 本の はし書きには 悲壮感 ただよう 決意が のべられているのですが,上巻 だけで 財産を つかいはたして しまったのか,下巻が 出版 された 様子は ありません。

石原忍

「石原式色覚異常検査表」で 世界に しられる 眼科医 石原忍(いしはら しのぶ)も 新国字論者でした。日本人に 近視が おおいのは 漢字の せいだという 説が 昔から あります。戦前は さかんに 議論 された ようです日本人に 近視が おおいのは 事実です。漢字を つかっている 国に 近視が おおい 傾向も ある そうです。戦前の ふるい 本を みた ことが ない 人は,一度 古書店や 図書館で みてみる ことを おすすめ します。漢字の おおさと むつかしさに きっと おどろく はずです。しかも,文字が とても ちいさく,印刷の 品質も あまり よく ありません。昔は 夜の 照明も くらかったでしょう。眼科医が 漢字を 目の かたきに したのには それなりの 理由が ありました。。彼は そこから 漢字廃止論に ひきよせられたのでしょう。かな文字論や ローマ字論では 納得 できず,ついに 新国字の 開発に とりかかります。


石原式新カナ文字

そして,1939(昭和14)年に 最初の 案を まとめあげ,さらに 改良を つづけて,1957(昭和32)年に「石原式新カナ文字」を 発表 しました。

それから

新国字は ほかにも いろいろな アイデアが ありました。出版 された もの だけでも 数十は あると いわれています。けれども,こうした 新国字が 開発者で ない 人に よって 何かに もちいられた 記録は ありません。新国字は,どんなに 完成度の たかい ものを つくったと しても,日本語しか 書けません。世界中の 言語に 通用する 万能の 文字を つくるのなら 意義 ある 仕事ですが,そんな ことは できる はずも ありません。

結局,「日本だけの文字として新文字をこしらえて威張った所で,つまらない話である。」という ことに なり,新国字運動は しぼんでいきました。


新国字の アイデアが 発表 される ことは いまでも ときどき あります。しかし,それは 日本の 発展と 日本人の 幸福を ねがう 情熱的な(あるいは 狂信的な)国字改良論からでは なく,かな文字の みばえに たいする 問題意識から なされる 提案が おおい ようです。

漢字かな交じり文の 表記を あらためる

とりあえずは 漢字と 共存 する 現実路線を とる ものの,漢字かな交じり文の 表記を あらためていこう,という かんがえも あります。国字改良論と かさなる ところも あるので,簡単に 説明 しておきます。

その かんがえの ひとつは 分かち書きの 導入です。これに ついては「漢字かな交じり文の 分かち書き」で 説明 しています。ここでは そのほかの かんがえを 4種類 紹介 します。

漢字制限

漢字を できるだけ つかわない ように する かんがえです。常用漢字は 約2000字 ありますが,これは おおすぎます。「カナモジカイ」は 500字に 制限 しても 問題 ないと 主張 していた くらいです。そこで,いろいろな 手を つかって 漢字を へらしていきます。具体的には,つぎに のべる ような 手法を ところどころで つかい,漢字を へらしますやりすぎると ぎこちない 文章に なって しまいますから,すこしずつ やるのが コツです。

たやすく やまとことばで いいかえられる 熟語は つかわない ように します。たとえば,「歩行する」「投下する」「命名する」は,それぞれ「あるく」「なげおとす」「名づける」と いいかえる ことが できますこまかい ことを いえば,何が やまとことばかは はっきり しません。昔から 日本に あった ことばと かんがえれば いいのですが,厳密には ちがいます。たとえば,「寺(てら)」は 仏教が 日本に はいってきてから できた ことばで,その 語源は「寺」を 意味 する 古代朝鮮語の「チョル」だと かんがえられています。つまり,本当は 外来語だと いう ことも できます。

熟字訓を さけます。「足袋(たび)」「雪崩(なだれ)」「美味(おい)しい」「躊躇(ためら)う」などは すべて かな文字で 書きます。

漢字の 書きかえを おこない,むつかしい 漢字を つかわない ように します。たとえば,昔は「叡智」「火焔」「廻転」「兇悪」「屍体」「蒐集」と 書きましたが,いまは それぞれ「英知」「火炎」「回転」「凶悪」「死体」「収集」と 書いて 通じます昔の 書きかたを 知らずに そだった 世代は あたらしい 表記に まったく 違和感が ありません。漢字には 固有の 意味が あると いわれますが,実際には それほど 固有でも なく,いれかえ 可能で ある ことが わかります。

いわゆる「交ぜ書き」は しません。それなら 漢字で 書くのかと いうと,そうでは なく,その 熟語は つかいません。「ら致」を やめて「拉致」と 書くのでは なく,「つれさり」「かどわかし」「人さらい」などに いいかえます。

「挨拶」の ように,漢字で 書く 意味が まったく ない 熟語は かな文字で 書きます一般に,熟語は 同音異義語が おおく,漢字で 書かないと わかりにくい ものが たくさん あります。しかし,「挨拶」には 同音異義語が なく,漢字で 書かなくても わかります。しかも,「挨拶」は 漢字で 書いても その 漢字から 意味を おしはかる ことが できません。「挨」や「拶」の 意味を しっている 人なんて ほとんど いないでしょう。さらに,漢字の「挨」と「拶」は「挨拶」の ほかには つかい道が ありません。こんな 漢字を ふたつも おぼえる くらいなら,〈アイサツ〉と 読む やさしい 和製漢字を ひとつ つくった ほうが はるかに ましです。おまけに,中国で「挨拶」は 通じません。もともと「挨拶」は 仏教用語で,日本 だけで 特別な 意味を もつ ように なった ことばだからです。いまの 中国人が 漢字の 意味から むりやり 解釈 すれば,「拷問」に ちかい 意味に なる そうです。

動物や 植物などの 名前は カタカナで 書きます。特に 熟字訓は さけます。例:「海豚」「仙人掌」「紫陽花」。熟語に ふくまれている ものは 漢字で かまいません。例:「乗馬」「養豚」「捕鯨」。できるだけ 和名を もちいる ように します。分かち書きに すると よみやすく なります。

人名の 漢字表記を 私的な 場に かぎるのも いいでしょう。たとえば,名簿などの 人名を カタカナ書きに します。人名の 漢字は ややこしい ものが おおく,ふるい 字体に 執着 する 人も いて,あつかいにくい ものです。サイトーさんが「斉藤」か「斎藤」か,ツジさんの しんにょうが 一点か 二点かなどは,まことに 失礼ながら,他人に とって どうでも いい ことです。公的な 場に 私的な おもいいれを もちだしては いけません。その 反対に,私的な 場では もっと おもいいれ たっぷりの 漢字表記を しても いいでしょう。そう すれば,いわゆる キラキラネームの 自由度も たかまります。人名の 漢字表記を 私的な 場に かぎれば,名前が 読みにくい ことで 迷惑を かけたり 損害を こうむったり する 心配は ありません。名前に フリガナを つける 不便も,他人の 名前を 読んだり 書いたり するときに うっかり まちがって しまう 失礼も なく なります。

地名を かな文字で 書く べきだと 主張 する 地名学者は おおい ようです。昔から ある ふるい 地名の 漢字は すべて あて字で,もともと やまとことばで 名づけられていた ものに あとから 漢字を あてはめた だけです。この 漢字が おなじ 読みかたの 別の 漢字に おきかえられたり,漢字の 音読みが 正式の 読みかたに かわったり する ことが あります。そう なると,その 地名が もともと もっていた 意味が わからなく なって しまいます。地名は その 土地の 宝物ですが,大切なのは 漢字表記では なく,名前に こめられた 意味です。その 意味を あらわさない 漢字に したり,その 意味と むすびつかない 読みかたに したら,地名を 大切に している ことに なりません日本には アイヌ語を もとに した 地名が たくさん あります。もともとの ことばを 大切に するならば,これらの 地名は ラテン文字表記の ほうが いいかも しれません。

このように して,漢字の 数は へらす ことが できます。中国も「乾」「闘」を やめて「干」「斗」で 統一 する などの やりかたで,漢字の 数を へらしています。

訓読み廃止論

やまとことばを 漢字で 書くと,読む ときは 訓読みに なります。訓読み廃止論は そんな 訓読みの 一部を やめる かんがえです。

やまとことばは 耳で きけば 意味が わかりますから,すべて 表音文字(かな文字)で 書いても かまわない はずですが,そう すると 別の 問題が おこって しまうので,そこまで する 人は あまり いません「山(やま)」「川(かわ)」の ような ことばまで かな文字で 書くと,字数が ふえて 読みにくく なります。また,ことばの きれめが わからなく なり,分かち書きが 必要に なります。。特に 有害な もの だけ 漢字で 書くのを やめます。それは つぎの みっつです。


中国語が 漢字 だけで 書けるのは 語尾変化が ない 孤立語だからです。日本語には 活用 する ことばが あり,それを 漢字で 書くと,おくりがなが 必要に なります。そして,この おくりがなの 書きかたを きめるのが とても むつかしく,なかなか やさしい ルールが つくれません。

実際,江戸時代まで おくりがなに ルールは ありませんでした。明治時代から ルールづくりが くわだてられる ように なり,現在 もちいられている ルールが できたのは 戦後に なってからです。それも たくさんの 例外が あり,一般人が おぼえられる ものでは ありません。複数の 書きかたを ゆるす 部分も あって,書き手による ばらつきが できて しまいます。

たとえば,〈ウケイレ〉〈ウチアワセ〉〈トリアツカイ〉などの おくりがなを まよわずに 書ける 人が どれだけ いるでしょうか。すべて かな文字で 書く ことに すれば,ややこしい ルールを おぼえる 手間も はぶけますし,表記の ゆれも おこりません。書き手に とっても 読み手に とっても その ほうが いいでしょう。


同字異訓とは「魚(うお/さかな)」「歪み(ひずみ/ゆがみ)」の ように 複数の 訓読みを もつ ものです。これは ふりがなが ないと 読めません。

宝塚歌劇団には 花,月,雪,星,宙(そら)の 5組が あります。「そら」の 漢字を やさしい「空」では なく むつかしい「宙」に した 理由は,「空」だと「から」と よまれて しまうから,という わらい話が あります。たしかに,から組では イメージも 台なしです。これは 複数の 読みかたが できる 漢字で 書くから おこる 問題です。

同字異訓の 中には「細い/細かい」「幸せ/幸い/幸(さち)」の ように おくりがなの 工夫で 区別 している ものが あります。しかし,それが おくりがなの 規則を 複雑に する 原因にも なっています。この 工夫で 対応 できない ことも あります。「止める(とめる/とどめる/やめる)」「汚す(けがす/よごす)」「開く(あく/ひらく)」などは おくりがなで 区別 できません。「行く/行う」は 区別 できますが,「行った/行った」に なると 区別 できなく なって しまいます。

さらに,「情(なさけ/ジョウ)」「便(たより/ビン)」の ように 訓読みと 音読みの どちらでも 読める 漢字も あります。これは「情け」「便り」と おまけの かな文字を つけて 目印に するしか ないので,ルールは ますます ややこしく なります。

同字異訓を おくりがなで 区別 しようと するのは むなしい 努力です。複数の 読みかたが できる 漢字は,結局の ところ,ふりがなが ないと 読めません。漢字は やめて「さかな」「そら」「とめる」「なさけ」と 書けば いいでしょう。


同訓異字とは「かわ(川/河)」「うた(歌/唄)」の ように 複数の 漢字表記が ある ものです。特に,「きく」を「聞く/聴く」と 書きわけたり,「あう」を「会う/合う/逢う/遭う/遇う」と 書きわけたり するのが 問題に なります。こんな 書きわけを する ように なったのは 明治時代からです。江戸時代までの 日本人は こんな バカげた ことを していませんでした。

中国語で「聞」と「聴」は 別の ことばですが,日本語では どちらも おなじ「きく」ですいまの 中国語では「聞」は「(においを)嗅ぐ」意味で つかわれます。。反対に,日本語で「(物を)みる」と「(人に)あう」は 別の ことばですが,中国語では どちらも おなじ「見」です。このように,意味の きりわけかたは 言語に よって ことなります。世界の みかた,すなわち 世界観が ちがう わけです。文化の ちがいと いっても いいでしょう。「ビデオに うつる」は「映」か「写」か,「本を すすめる」は「勧」か「薦」か,「雪が とける」は「溶」か「解」か,なやんで しまう ことは よく ありますが,それは 世界観の ちがいが 原因です。これらを 区別 しないのが 日本語の 世界観で あり,日本の 文化だからです。

それなのに,書きわけよう するのは,漢字の 知識を 自慢 したい だけの,幼稚な「中国語かぶれ」です。わざと わかりにくい カタカナ語を 連発 して 得意がる 人と やっている ことは おなじです。つまらない 書きわけは やめて,もっとも やさしい 漢字で 書いておけば いいでは ありませんか。漢字を やめて かな文字に すれば もっと いいでしょう。それで うしなう ものも ありません。

ただし,「誤る/謝る」「尋ねる/訪ねる」「優しい/易しい」などは 意味の ちがいが おおきいので,やはり 区別 して 書きわけたいと かんがえる 人が おおいかも しれません。これらは 必要に 応じて 別の ことばに いいかえると いいでしょう。「まちがう/わびる」「といかける/おとずれる」「心やさしい/たやすい」の ように。



サルスベリ
季節の花300

日本語の 世界観という かんがえかたは 重要で,訓読みを やめる べき 理由は,つきつめると すべて ここに いきつきます。やまとことばを 漢字で 書くと,日本語の 世界観を 中国語の 世界観で うわ書き して しまい,日本語を 大切に していない ことに なるからです。

サルスベリは サルでも すべりそうな ほど 樹皮が つるつる しているので この 名前が つきました実際には,サルは すべりません。。また,赤い 花が さいて ながもち するので,中国では おなじ 木に「百日紅」という 名前が つきました。そのため,「百日紅」と 書いて〈サルスベリ〉と 読む 人が います。しかし,これは「中国語かぶれ」です。crape myrtle と 書いて〈サルスベリ〉と 読む 人が いたら「英語かぶれ」だと おもうでしょう。それと おなじでは ありませんか。日本語を 大切に したいと おもうなら,すなおに「サルスベリ」と 書く べきです。

「重い」と「主に」,「急ぐ」と「忙しい」の 根っこは おなじ 意味です。日本語を 大切に したいのなら,これらは おなじ 漢字で 書く べきです。「氷」と「凍る」を 別の 漢字で 書いて 何も おかしいと かんじない 人は 日本語の 心を みうしなっているかも しれません。

「湖」は「みず」と「うみ」から できている ことばです。この 世界観に あわせて 漢字を 書きなおせば「水海」に なります。おなじ ように,「雷」は「神鳴」,「志」は「心指」,「古」は「往(い)にし方(へ)」です。訓読みの 漢字を つかうに しても,このような 書きかたなら いまより ましかも しれません。


ときどき,訓読みが ある 日本語は すばらしいと いって 自慢 する 人が います。しかし,これは 勘ちがいです。訓読みは 外国にも ありました訓読みは 外国語の 表語文字を つかって 自分の 言語を 書こうと する ときに かならず おこる 現象です。ある 学者は,メソポタミアの セム族は シュメール人の 楔形文字を かりて それを アッカド語で 読んでいたし,古代ヒッタイト人は アッカド式 楔形文字に ヒッタイト語の 語尾を つけて 読んでいたと いっています。むつかしい 学問の ことは わからなくても,これが 訓読みや おくりがなに あたる ものを いっているのは わかるでしょう。。しかし,訓読みを かかえこんで しまった 国は,ながい 年月を かけて その 数を へらしてきました。訓読みは 不便なので,昔は 訓読みが あった 国も それを なくしてきたというのが 世界の 歴史です特殊な 用途の ために わざと のこされている 訓読みも あります。英語で etc. と 書いて and so on と 読むのが それです。ほかにも i.e. (that is), e.g. (for example), lb. (pound), Xmas (Christmas) などが あります。また,アラビア数字は 世界中で 訓読み されていると かんがえる ことも できます。

ふりがな廃止論

ふりがな廃止論は 1938(昭和13)年に 作家の 山本有三(やまもと ゆうぞう)が となえた ものです。

昔は,新聞でも 小説でも,ほとんど すべての 漢字に ふりがな(読みがな)が ふってありました。それが なければ 読めない 人が おおかったからです。しかし,よく かんがえてみれば,これは おかしな ことです。

いつたい、立派な文明国でありながら、その国の文字を使つて書いた文章が、そのまゝではその国民の大多数のものには読むことができないで、いつたん書いた文章の横に、も一つ別の文字を並べて書かなければならないといふことは、国語として名誉のことでせうか

自分の 言語を 自分では 読めない 文字で 書く おかしさを 指摘 しています。あきらかに 漢字廃止論に ちかい かんがえです。

ふりがなを やめるというのは,ふりがなが ないと よめない むつかしい 漢字は つかわない,という 意味です。むつかしい 漢字を つかわなく なれば,わかりやすい 文章が 書ける ように なる はずです。印刷の 効率化にも 役だちますし,視力を そこなう ことも すくなく なるでしょう。山本有三は ふりがなは むつかしい 漢字から わきだした ボーフラだと いっていました。

字体の 改良

個人の 力で できる ことでは ありませんが,漢字や かな文字の 字体を あらためる かんがえが あります。これは 国字改良論の 一部とも かんがえられます。



漢字の 改良案
白鳥鴻幹の「新国字論」(1898)

戦後,漢字の 字体は やさしく なりましたが,まだまだ 複雑です。そこで,これを あらためます。ただし,システマチックに 簡略化 するには 工夫が いります。どうするのかと いうと,文字ごとに 字体を きめるのでは なく,文字を 構成 している 要素(部首など)ごと に きめる ように します。そうすれば,常用漢字表に ふくまれていない 漢字にも 自動的に あてはめる ことが できます。具体的な 形は 中国の 簡体字を 参考に すれば いいでしょう。

その 簡体字には そのまま とりいれても よさそうな ものが たくさん あります。たとえば,「阳(陽)」「阴(陰)」「从(従)」「众(衆)」などは おぼえるのも 簡単です。自分用の メモなどで あれば,このような 文字でも どんどん つかえば いいでしょう。漢字の 本家で 実用化 されている すぐれた アイデアが あるのですから,それを とりいれない 手は ありません。

いったん ふるい 字体に もどって,そこから もう 一度 字体を くみたてなおす 方法も あります。たとえば,「美」は「羊」と「大」の くみあわせで できている 漢字ですが,いまの 字体では それが よく わからなく なっています。「赤」は「大」と「火」の くみあわせですが,そうは みえません。これを もとの 形に もどして,できるだけ 単純な 要素の くみあわせに なる ように すれば,漢字の 字体は いまより ずっと やさしく なります。


かな文字の 外形は 正方形(はばと たかさが おなじ)に ちかいですが,これは おおきな 欠点です利点も あります。この おかげで 縦書きから 横書きへの 移行が スムーズに できました。。かな文字書きに して 字数が ふえると,つづりが ながく なって よみにくく なるからです。英語なら 6文字の 単語でも 一瞬で 目に はいってきますが,ひらがな 6文字だと あきらかに ながい かんじが するでしょう。また,つづりが ながく なると,1行に おさまる ことばの 数が へるため,無意識に 視野に はいってくる 情報量が すくなく なり,文意を つかみにくく なって しまいます。

文字の 数が ふえても つづりが ながく ならない ように するには,文字の はばを せまく すれば いいでしょう(たとえば,いまの 3分の2 くらい)。これは フォントを かえる だけで できます。読みやすい フォントの 開発が のぞまれます。


カタカナの「エ」「オ」「カ」「タ」「チ」「ト」「ナ」「ニ」「ハ」「へ」「ミ」「リ」「ロ」は まったく おなじか ほとんど おなじ 形の 漢字 または ひらがなが あります。また,「ソ」と「ン」,「シ」と「ツ」,「ナ」と「メ」の ように,にすぎている ものや,「ノレ」と「ル」,「イ木」と「休」の ように あわせわざで 読みまちがいを さそう ものも あります。目で みて 判別 できない 文字は 文字として 最低限の スペックを みたしていない 欠陥商品ですちがう 文字集合を まぜて つかう 場合には かならず この 問題が おこります。たとえば,ラテン文字と アラビア数字を まぜて つかう 場合,b, l, o, s, z, B, I, O, S, Z6, 1, 0, 5, 2, 8, 1, 0, 5, 2 と にているので まぎらわしく なります。

この 欠点は 文字を ちいさく すれば 改善 できると かんがえられます。手書きでは,漢字と かな文字を おなじ おおきさで 書かないのが ふつうですから,この 変更は それほど おおきな 違和感を ともなわない はずです。にすぎている 字体は セリフ(「ひげ」)を つけるなど して 字体に ちがいを だすか,変体仮名から 別の 字体を もってくれば いいでしょう。


ひらがなにも にすぎている 文字や 読みまちがいを さそう 文字が いくつか あります。例:「め」と「ぬ」,「れ」と「ね」と「わ」,「しこ」と「に」,「しま」と「ほ」。ひらがなは もともと 合理的に 設計 された もので なく,視認性も よく ありません。この 問題を 解決 するには 一部の 文字で 字体を 大胆に かえるしか ありません。変体仮名から 別の 字体を もってくるなどの 方法が かんがえられます。


横書き仮名(新世界タイポ研究会

根本的には,すべての 字体を みなおす 必要が あります。横書きで 書きやすく する ためです。いまの ひらがなは 縦書きから 発達 した 形を しているため,横書きに 適していません1970年代の 後半から 1980年代の 前半に かけて,いわゆる「丸文字」(または「変体少女文字」)が 大流行 して 社会問題に なりました。風がわりな 字形が できた 理由の ひとつは,横書きに 適していない 形の 文字を 横書きで すばやく 書こうと した ことだと されています。(別の 理由は シャープ ペンシルの 普及です。昔は シャープ ペンシルの 芯が おれやすかったので,すこし かわった ペンの もちかたを して 書きました。これが 字形に 影響 したと かんがえられています。)。しかし,そこまで 変形 すると,それは ひらがなでは なく なって しまうかも しれません。図は 横書きが しやすい ように 改造 した ひらがなですが,これは もう 立派な 新国字です。

国字改良論の いまと これから

新国字論は すっかり 姿を けして しまいました。かな文字論と ローマ字論は いまでも いきのこっている ものの,昔の いきおいは もう ありません。これには いくつか 理由が あります。ひとつは よい 面で,国字改良論が ある 程度 実を むすんで 一段落 した ことです。のこりは すべて よく ない 面で,たとえば,それまで 国字改良論に 理解を しめしていた 人たちの おおくが,国語国字問題を さしせまった 問題と おもわなく なり,運動から はなれていった ことです。


もっとも おおきな 理由は 戦後に おこなわれた 一連の 国語改革です。戦争が おわった あとの 一時期は 日本が きわめて 民主的だった 時代です。このとき,国字改良論の 理念に もとづいて,日本語の 表記システムが おおきく あらためられました。かなづかいが やさしく なり(現代かなづかい),漢字の 数が すくなく なり(当用漢字),漢字の 形も わかりやすく なりました(新字体)ただし,あたらしい 字体は 略字を 採用 した ものが おおく,あまり 合理的に 設計 されていません。きちんと かんがえて つくった 中国の 簡体字とは おおきな ちがいが あります。。国字改良論は その 目的の 一部を なしとげたと いえます。たとえば,日本国憲法は 一般人が 読んでも わかる やさしい 漢字と かなづかいで 書かれています。これは かな文字運動や ローマ字運動などに かかわる おおくの 団体の はたらきかけで 実現 した ものです。

1980年代には おおきな 変化が おこりました。ワープロで むつかしい 漢字を 簡単に うちだせる ように なった ことです。昔なら むつかしすぎて さけていた 熟語も まよわず つかえる ように なり,漢字が 書けなくて こまる 不便は ほとんど なく なりました。ビジネスの 世界でも 文書作成が たやすく なった ことで 仕事の 能率が あがりました。出版の 世界でも その すこし 前から おおきな 変化が おこっていました。印刷の 技術が すすんで 活字の おおさに なやまされなく なった ことです。これで,漢字を へらす 動機が なく なりました。テクノロジーが 漢字の 不便さを うちまかした ようにも みえます。

みすごされがちですが,日本の 経済成長も おおきな 変化です。生活が よく なって,さまざまな 理由で 文字を おぼえる 機会に めぐまれなかった 人の おおくも 読み書きが できる ように なりました。

このような わけで,漢字の 負担は 昔に くらべて かるく なったと かんがえられています。国字改良論の 中心に あるのは 漢字廃止論ですが,その 問題意識が うすれた わけです。いまでは 漢字が 日本の 足かせに なっていると かんがえる 人は わずかで,漢字 こそ 日本が まもる べき 文化で あると かんがえる 人が おおいでしょう。漢字を 擁護 する 立場の 人たちも いきおいづいて,もはや 漢字廃止論の 根拠は うしなわれた,と ふれまわっています。


しかし,本当に そうでしょうか。日本が 民主的だったのは ごく みじかい あいだ だけでした。いわゆる「逆コース」で 保守派が いきおいを とりもどし,やがて 言語政策に 介入 する ように なりました。その 結果,戦後の 国語改革は そのあとの 半世紀で ほとんど 骨ぬきに されて しまいました。

ワープロの おかげで 漢字は 書きやすく なりましたが,読みやすくは なっていません。文書作成は 楽に なりましたが,漢字変換の 手間は かかります。文書作成の 能率は,どんなに すばやく タイピング できる 人でも,欧米人の 足元にも およびません。漢字を へらす 動機が なく なった マスメディアには,まぜ書きを さける 名目で,常用漢字の 枠から はずれた 文字づかいが ひろまってきました新聞は いまだに たて書きです。読みにくい レイアウトも かわりません。戦後の 国語改革では リーダーシップを 発揮 した ことも あったのに,みるに しのびない 体たらくです。校閲,校正の 部署には 日本語の 達人が そろっているのですから,100年 先の 日本語を みすえて,一歩 前に すすんだ お手本を しめして ほしい ところです。。底の あさい 漢字ブームに あおられて,一般人が 必要も ないのに むつかしい 漢字を つかいたがる ように なりました。このため,漢字だらけの わかりにくい 文章が ふえています。

教育の 水準が あがった ことは よい 変化で ある 反面,漢字の せいで 読み書きに こまっている 人が いまでも 大勢 いる 事実に 気づきにくく なって しまいました。実際には 新聞レベルの 漢字が 読めない 人は めずらしく ないのに,そういう 人と であう なまなましい 体験が なく なって,漢字の 実害を しる ことが できなく なっています日本人の「識字率」は ほぼ 100%という 伝説が ひろまっているのも,現実を しらない 人が おおいからでしょう。。目や 耳の 不自由な 人が 漢字の ために どれだけ こまっているかも,なかなか しる 機会は ありません。外国人の 住民が ふえてきている ために,公共の 場で 漢字だらけの 日本語は つかいにくく,役所などは たいへんな 苦労を しています。

おちついて 現実を みれば,漢字の わざわいは なく なっていない どころか,むしろ おおきく なりつつ あるのが わかります。このまま ほうっておけば,日本語は ますます つかいにくく なって,そのうち 公用語としての 役割を はたせなく なるでしょう。手おくれに なる まえに,本気で 改革に とりくまないと いけません。


「日本のローマ字社」と「日本ローマ字会」は いまも 活動を つづけています。「財団法人カナモジカイ」は 2013(平成25)年に 解散 しましたが,その 事業は「日本のローマ字社」が ひきついでいます。

ローマ字運動

ローマ字運動の 歴史

ローマ字論や 漢字廃止論に かかわる 代表的な 人を ぬきだして,その 系譜を しめします。

新井白石

江戸時代の 大学者 新井白石(あらい はくせき)は イタリア人の 宣教師から 西洋の 文化を まなび,「西洋紀聞」(1715?)を あらわしました。その 中で,漢字より 便利な 文字として ラテン文字を 紹介 しています。

其字母,僅に二十余字,一切の音を貫けり。[…]其説に,漢の文字万有余,強識の人にあらずしては,暗記すべからず。[…]徒に其心力を費すのみといふ。

新井白石は,日本語は かな文字 だけで 書く べきだ,と かんがえる ように なりました。しかし,その かんがえを 公に する ことは ありませんでした彼は「西洋紀聞」を 出版 しませんでした。これが 世に しられる ように なったのは 明治時代に なってからです。

賀茂真淵

国学者 賀茂真淵(かも の まぶち)は 漢字を 批判 しています。漢字の 数が おおい ことに ついて,地名や 草木の 名前にしか つかわない 漢字が たくさん あって,おぼえきれないのも 当然だと いっています。

また,日本人が 漢字を もてはやす ことに ついて,昔は 漢字の 意味に とらわれず,単に 道具として 漢字を つかっていたのに,中国の まねを したい 気もちが あるから,中国風に 漢字の 意味を かんがえて つかう ように なった,と 分析 しています。漢字を ありがたがる 心の 中に,ある種の 権威主義が ある ことを みぬいたのでしたこれは なかなか するどい みたてです。いまでは,中国と 漢語 だけでなく アメリカと 英語も ありがたがっています。病気を こじらせて しまった ようです。

「国語考」(1765?)で,つぎの ように 中国を あしざまに いっているのは,中国かぶれの 知識人に むけた ことばだからでしょう。

天竺には五十字もて五千余巻の仏の語を書伝ふるに[…]大かた字の樣も四方の国おなじきを,たゞからのみわづらはしき事を作て世も治らず,事も不便也。

本居宣長

本居宣長(もとおり のりなが)も「玉勝間」(1795)で つぎの ように のべて,漢文偏重を 批判 しています本居宣長は 評価の さだまらない 人です。極端な 愛国心から 日本中心主義に なり,中国憎し,漢文憎しに なった,と する かんがえも あります。が,ここでは,冷静に 理屈から 漢文偏重を 批判 した,と みておきます。

皇国の言を,古書どもに,漢文ざまにかけるは,仮字といふものなくして,せむかたなく止事を得ざる故なり,今はかなといふ物ありて,自由にかゝるゝに,それをすてゝ,不自由なる漢文をもて,かゝむとするは,いかなるひがこゝろえぞや

「ひがこころえ(僻心得)」とは まちがって 理解 する ことです。かな文字が なかった 時代に 漢字で 書いたのは しかたが ないけれど,かな文字が ある 時代に 漢文を 重視 するのは かんがえちがいを している,と いっている わけです。

前島密

はじめて 漢字廃止の かんがえを となえて 具体的な 行動を おこした 人は,日本に 近代的な 郵便制度を ととのえた ことで しられる,前島密(まえじま ひそか)です。1866(慶応2)年,彼は 徳川慶喜に「漢字御廃止之議」を 建白 していますおそらく,慶喜は この 建白書を 読んでいません。幕末の 混乱で うやむやに なったと かんがえられています。

国家の大本は国民の教育にして,其教育は士民を論ぜず国民に普(あまね)からしめ,之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用いざる可からず[…]果して然らば御国(みくに)に於ても西洋諸国の如く音符字(仮名字)を用ひて教育を布(し)かれ,漢字は用ひられず,終には日常公私の文に漢字の用を御廃止(ごはいし)相成候(あいなりそうろう)様にと奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)

日本の 教育は 漢字の 暗記ばかりで,庶民は 知識から とおざけられている。一方,知識人は 中国崇拝で 愛国心を わすれているし,科学・技術を いやしむ 傾向が ある。こんな ことだから 日本は 先進国から おくれを とって しまった。このように かんがえた わけです。実務上の 問題意識から 漢字廃止論に いたったのでした。


前島密

「音符字(おんふじ)」は 表音文字の ことで,彼の 立場は かな文字論(ひらがな専用)でした。すべて ひらがな書きの「まいにち ひらがな しんぶんし」を 発行 した ことも ありますさすがに これは いさみ足で,すぐに 廃刊と なりました。

しかし,本心は ローマ字論に ちかかった ようです。かな文字論を 主張 したのは,ラテン文字を 読める 庶民が ほとんど いなかったからです。また,当時は 攘夷の 風潮が あり,ラテン文字を いいだしにくい 事情が ありました。

前島密は,いますぐ 漢字を 廃止 せよ,と いったのでは ありません。そんな ことは できる はずが ありません。将来的に 漢字を なくす 目標を さだめる こと,計画を たてて 実行に とりかかる こと,これが 彼の 主張でした。

南部義籌

はじめて ローマ字論を となえた 人は 南部義籌(なんぶ よしかず)です。彼は,蘭学者 大庭雪斎(おおば せっさい)が「和蘭文語」(1855)に おいて,日本語は 立派な 言語なのに 漢字を まじえて 書く ように なって みだれて しまった,と なげいているのを 読んで ローマ字論に 目ざめた,と いわれています。

日本語は 日本語らしく 書く べきで あり,そのためには 漢字を つかった 書きかたを やめなければ ならない,という かんがえですおなじ ように,漢文は 中国語らしく 読む べきで あり,正則読みを しよう,と いっています。もっともな 意見です。。日本語の 姿は どう ある べきか よく かんがえよう,という 理念からの 漢字廃止論でした。

彼は 1869(明治2)年,山内容堂(やまうち ようどう)に「修国語論」を 建白 し,ラテン文字を 国字に する よう 主張 しました。「修国語」とは 国語を 修める(おさめる:こわれた ところを なおす)という 意味です。

(読み下し文)学問の道,西洋諸邦は易く,皇国支那は難く,而して皇国は甚し。夫(そ)れ西洋の学を為すや唯二十六の字を知り文典の義を解すれば則ち読むべからざるの書なし

ローマ字論には,国の 体面を 傷つける,という 批判が あります。これに たいして,日本から みれば 洋字(ラテン文字)も 漢字も 外国の もので あり,洋字を かりて 国語を おさめるのと,漢字を もちいて やまとことばを うしなうのと,ふたつを くらべたら 天と 地の ちがいが ある,と 反論 しています。

1872(明治5)年には 漢字を まったく つかわずに「よこもじほん てびきぐさ」を あらわしました。

「修国語論」を 建白 した とき,彼は 政府学問所漢文科の 学生でした。「修国語論」の 原文を みて ください。まだ わかかった とは いえ,彼は 漢字,漢文の 専門家でした。そういう 人が ローマ字論を となえた ことは,当時の 風潮で あった 西洋崇拝 だけでは 説明 しきれません。漢字を つかって 日本語を 書く ことには,専門家の 目から みても 弁護 できない 欠陥が あるのだ,と かんがえる べきでしょう。

西周

1873(明治6)年に「明六社」が 結成 され,その 翌年から「明六雑誌」が 発行 される ように なりました。これは 教科書にも でてくる ほど 有名ですが,その「明六雑誌」の 創刊号に 何が 書かれていたかを しっている 人は すくないかも しれません。そこに 書かれていたのは,西周(にし あまね)による「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」などの 国字改良論でした。

西周は この 論文で ローマ字の 利点などを 10ヶ条に まとめています。

みこみの あまかった 予測や,テクノロジーの 進歩に よって 時代おくれに なった 部分も あります。しかし,世界の 中で 日本が 発展 していく ため,民主的な 国づくりの ため,という ローマ字論の 本質は とらえていますよく しられている ように,西周は 外国語を 翻訳 する ために おおくの 和製熟語を つくった 人です。漢字の わざわいを しりつくしていた 人が そう しなければ ならなかったのは,それだけ 日本が おくれていたからです。

福沢諭吉

漢字廃止を めざしながらも,いますぐに 全廃 する わけには いかないのだから,まず「漢字制限」から はじめる べきだ,と といたのは 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)でした福沢諭吉の 思想には 現在から みると 時代の 限界を かんじさせる ものも あります。しかし,ここでは その 点には ふれず,啓蒙思想家の 国字改良論 だけを みておきます。

彼は「第一文字之教」(1873)に おいて つぎの ように のべ,漢字制限に おける 字数の 目安を 2000~3000字と しています。

一 日本ニ仮名ノ文字アリナガラ漢字ヲ交ヘ用ルハ甚タ不都合ナレドモ往古ヨリノ仕来(しきた)リニテ全国日用ノ書ニ皆漢字ヲ用ルノ風ト為リタレバ今俄(にわか)ニコレヲ廃セントスルモ亦不都合ナリ今日ノ処ニテハ不都合ト不都合ト持合(もちあい)ニテ不都合ナガラ用ヲ便スルノ有様ナルユヘ漢字ヲ全ク廃スルノ説ハ願フ可クシテ俄ニ行ハレ難キコトナリ此説ヲ行ハントスルニハ時節ヲ待ツヨリ外ニ手段ナカル可シ

一 時節ヲ待ツトテ唯手ヲ空(むなし)フシテ待ツ可キニモ非ザレバ今ヨリ次第ニ漢字ヲ廃スルノ用意専一ナル可シ其用意トハ文章ヲ書クニムツカシキ漢字ヲバ成ル丈ケ用ヒザルヤウ心掛ルコトナリ。ムツカシキ字ヲサヘ用ヒザレバ漢字ノ数ハ二千カ三千ニテ沢山ナル可シ[…]故(こと)サラニ難文ヲ好ミ其稽古ノタメニトテ漢籍ノ素読ナドヲ以テ子供ヲ窘(くるしむ)ルハ無益ノ戯(たわむれ)ト云テ可ナリ

常用漢字は 約2000字 ありますから,2000~3000字は 無理の ない 提案に かんじられます。しかし,それは いまの 漢字制限に なれているからです。当時は「人が 山に ノボる」と「猿が 木に ノボる」を 漢字で 書きわけていた 時代ですいまは どちらも「登る」に なりました。しかし,まだ「日が ノボる」「京に ノボる」は 書きわけていますから,あらためる 余地が あります。。それを かんがえれば,大胆な 提案で あった ことが わかります。

矢田部良吉

植物学者で 詩人の 矢田部良吉(やたべ りょうきち)は「羅馬字会」を 立ちあげた メンバーの ひとりです。彼は 学術雑誌「東洋学芸雑誌」に 発表 した「羅馬字ヲ以テ日本語ヲ綴ルノ説」(1883)の 中で,ローマ字の 方式に ついて つぎの ように のべています。

此規則ハ簡易ヲ主トシテ繁雑ヲ省キ,仮名ノ用法ニ拘泥セズ,勉(つと)メテ音声ヲ以テ標準ト為ス可シ

歴史的仮名遣いの 時代に 表音主義を 主張 している 部分で,きわめて 重要です。これは 言文一致の 文字つづりと かんがえる ことが できます言文一致の 文体を とりいれ,日本近代小説の さきがけ と いわれる,二葉亭四迷の「浮雲」は この 4年後,1887(明治20)年に 発表 されました。

田中館愛橘

物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)は ヘボン式ローマ字を しりぞけて,日本語を 書くのに ふさわしい 日本式ローマ字を となえた 人です。のちに「日本のローマ字社」を 立ちあげました。

彼は 学者の 立場で おおくの 国際会議に 出席 していますが,その 中でも「国際度量衡委員会」の 委員として メートル法の 普及に 力を つくした ことは 意味が おおきいでしょう。メートル法は 世界共通の「ものさし」を つくる かんがえで,世界共通の 文字を つかう ローマ字に つながる ところが あります。

国際会議で 世界を とびまわる 中で,タイプライターの 便利さを みせつけられた ことも,彼の ローマ字論に 影響 しています。彼の ローマ字論は 科学者の 合理主義から みちびかれた ものでした。

そもそも羅馬字を用る時は独り言語を顕はすの便なるのみならず数学の式を書き、表を作る等、我々理学を修むる者に取りては一層便利あるべし。

ですから,漢字の 不合理に たいする 攻撃には 容赦が ありません。むつかしい 漢語だらけの 日本語を つぎの ように こきおろしています。

目を閉て人の読み居る処を聞かば寺の坊主が誰かの戒名でも読み居る様なるべし。

ローマ字の 研究に おいても,音声の 波形を しらべるなど,科学者らしい アプローチを していました。


この つづきは 作成中です。しばらく おまち ください。

【読みもの】 田中館愛橘


田中館愛橘の ローマ字短歌
(やまとコレクション)

「言霊の 弥(いや)栄えゆく 道見えて タイプライター たたく楽しさ」と 書いてあります。

ローマ字運動の 父と よばれる 田中館愛橘は いまの 岩手県二戸市出身で,東京大学理学部に まなびました。彼の 専門は いまで いう 地球物理学ですが,その 業績は おおくの 分野に わたっています。日本の 物理学の そだての 親と いっても いいでしょう。

1891(明治24)年に おこった 濃尾大地震では 根尾谷の 大断層を 調査 しています。そのとき 被害の 惨状に 心を いため,地震を 科学的に 研究 しようと 提案 しました。こうして 地震を 専門に 研究 する「震災予防調査会」が できました。

彼は 科学者として おおくの 国際的な 組織で 活躍 しました。国際連盟の 事務次官で あった 新渡戸稲造の よびかけで 組織 された「知的協力委員会」では,アインシュタインや マリ キュリー(キュリー夫人)など,世界から あつまった 一流の 科学者たちと 平和に ついて 論じあいました。

貴族院議員でも あった 彼は 演説 する ときに かならず ローマ字の 話を いれるのが 名物に なっていました。政治家ですから 講演を たのまれる ことも おおかった ようですが,「ローマ字の 話は ださない こと」と 条件を つけられた ときには,ヘソを まげて その 依頼を ことわって しまった そうです。

いつでも ズーズー弁 まるだしで,それを なおそうとも しなかったと つたえられています。葬儀は 東京大学の 安田講堂で おこなわれました。彼の 命日に ちなんで,5月20日は「ローマ字の日」に なっています命日は 21日ですが,キリの いい 20日に なった そうです。彼は メートル法の 普及に 力を そそいだ 人でしたが,偶然にも 5月20日は メートル条約の 締結を 記念 する「世界計量記念日」でも あります。