国語国字問題

あらまし

江戸時代の 知識人は 外国の 事情を まなんで 視野が ひろがり,日本を 客観的に また 批判的に みられる ように なりました。その中から,どうやら 日本語には 問題が あるらしいと 気づく 人が でて きます。

当時は むつかしい 漢字だらけの 文章が 正式でしたが,それでは 事務処理の 作業が はかどりませんし,教育も やりにくく なります。日本の 文化を 大切に する たちばの 人たちも 日本語は 本当に これで いいのかと かんがえる ように なりました。こうして,さまざまな 動機から 日本語の 問題に ついて まじめに かんがえ,あらためる べき 点は あらためて いこうと する うごきが うまれて きました。

この 問題を「国語国字問題」と よびます。「国語」とは 国の 言語,「国字」とは それを かく 文字の ことです「国語」は 明治時代から 現在の 意味で つかわれる ように なった ことばですが,つねに 政治的な 意図を もって つかわれて きました。もっと あけすけに いって しまえば,「国語」は「国旗」「国歌」と おなじ 種類の ことばです。学校の 教科の 名前が「日本語」で なく「国語」に なって いるのは 日本政府が いまでも「国語」の 意味に 執着 して いるからです。なお,「峠」「凪」「畑」などの いわゆる「和製漢字」を「国字」と いう ことも ありますが,「国語国字問題」の「国字」は それでは ありません。


日本語を あらためる かんがえには おおきく わけて 4種類の たちばが あります。

「日本語廃止論」は 国語に 問題が あると かんがえ,そのほかは 国字に 問題が あると かんがえました。後者は 国字を あらためる かんがえですから,まとめて「国字改良論」と よびます。これらは 漢字の 廃止を うったえた 点で 共通 して おり,この かんがえを「漢字廃止論」と よびます。

「日本語廃止論」

明治時代の はじめには まだ「日本語」という ものが さだまって いませんでした。つまり,そのころの 日本人は 統一 された「日本語」では はなして いませんでした。身分制度の なごりで 職業ごとに ことばが おおきく ちがって いましたし,人の 移動を 制限 する 時代が ながく つづいた せいで,ことなる 地方の 人は おたがいに ことばが つうじない ほどに なって いました。そのため,統一 された「日本語」を つくる 必要が ありました。それが なかったら 法律も かけませんし,学校の 教科書も つくれませんこの 統一言語には コミュニケーションの 手だてを 提供 する「公用語」の 側面と,統一 された 国を 象徴 する「国語」の 側面が あります。なお,日本の 公用語を さだめた 法律は ありません。それくらい 日本語が あたりまえと かんがえられて きたからです。けれども,本当は あたりまえの はずが ありません。日本に すんで いたら 日本語を つかうのが あたりまえだという かんがえは さまざまな 社会問題を ひきおこして います。

初代の 文部大臣 森有礼(もり ありのり)は この 問題を 解決 する ため,英語を 日本の 公用語に する かんがえを もって いました。

英語を話す民族は、今日、世界を支配するほど強い商業的実力を持っているので、わが日本国民はどうしても彼らの商業上の風習慣行について知識を持たねばなりません。こうして、われわれ日本人が英語をマスターすることは、絶対に必要になりました。それは、国際社会において、日本の独立を保持する一要件です。このような事情の下では、日本以外の国では少しも用いられない、貧弱な日本語は、英語に席を譲るよう運命づけられております。

森有礼が 英語に 目を つけたのは,なんと いっても 有力な 国の 言語だからですが,英語なら 文法が やさしくて まなびやすいからという 理由も ありました。かれは 文法の 不規則性を なくして かんたんに した 英語を 日本に とりいれたいと かんがえて いたのです。

そして,外国の 言語学者に 意見を もとめたのですが,その こたえは「ノー」でした。国民の 文化的水準を たかめたかったら,それは 母語で おこなう べきだと いう わけです。かんたんに した 英語に ついても,そんな 二級品の 英語を つかって いたら 本物の 英語を つかう 外国人から バカに されるだろうと いって 反対 しました。そんな わけで,英語を とりいれる ことは しないで,「日本語」は 東京の ことばを もとに して つくる ことに なりましたこの 言語学者は 中国語が 日本語に およぼした 影響を 有害な ものと みとめ,日本人が 英語を まなぶ ことや 日本語の 表記を ローマ字化 する ことには 賛成 しました。母語の 大切さを といた ことは 重要です。よく 話題に なる 英語公用語化論の あやうさを いいあてて いるからです。英語を 母語と して いる 人が つかう 英語と,英語を まなんで 身に つけなければ ならない 人が つかう 英語は ちがいます。日本人の 英語は,どんなに うまく はなせる ように なっても,永久に 二級品です。本物への あこがれと 二級品を さげすむ 気もちは なくならない どころか かえって つよく なって いきます。こうして,すべての 人が ひとしく 尊重 される 世界から とおざかって いきます。これが 英語を 公用語に しては いけない 理由の ひとつです。英語は 立派な 言語ですが,それを 日本の 公用語に すると,英語が よく できる 人と あまり できない 人の あいだに 格差と 差別を うみだして しまう わけです。そこに かんがえが およばなかった ところに 森有礼の あやまちが ありました。ところが,森の かんがえを 批判 する 意見は 当時から 的はずれで 感情的な もの ばかりでした。そして,大日本帝国憲法発布の 式典が おこなわれた 日,かれは 国粋主義者に 暗殺 されました。もちろん,まっとうな 反対意見を あらわした 人も いました。それは 馬場辰猪(ばば たつい)です。森の あやまちを ただしく 批判 できた かれが のちに 自由民権運動で 活躍 するのも 偶然では ないでしょう。

森有礼は 日本語を なくして しまおうと かんがえて いた わけでは ありません。じっさい,そんな ことは いって いません。なにしろ,いまの 日本人が「日本語」と いう ときに おもいうかべる ものを 当時の かれは おもいうかべる ことが できなかったのですから。かれは 政治・経済・教育・学問 などの 分野では 英語を もちいるけれども,日常の くらしで つかう ことばは そのままで いいと かんがえて いました。こういう やりかたを 採用 した 国は たくさん あります。「日本語廃止論」という よびかたも 本当は おかしい わけです。

森の かんがえは「おとった 日本語を すてて すぐれた 英語に のりかえよう。」という あさはかな おもいつきでは なく,日本の 独立と 発展を ねがう 心から でて きた ひとつの 戦略でした。こういう 事実を しらない 人が おおいのか,森を せめたてる 意見は いまでも よく あります。それこそ あさはかという ものですこのときの「日本語廃止論」とは 別に,戦後に 作家の 志賀直哉(しが なおや)も 日本語を やめようと いいだした ことが ありました。しかし,これには 謎が あります。かれは 作家で あるが ゆえに 日本語の 欠点を しりつくし,それに くるしめられた ことは まちがいないでしょう。けれども,かれは うつくしい 日本語を かく ことで しられ,(作品の「小僧の神様」に ひっかけて)「小説の神様」とまで よばれた 日本語の 達人でした。しかも,日本語を やめて フランス語に しようと いったのですが,フランス語の 上級者だった わけでも ないのです。100年 くらい 前までは フランス語が 世界で もっとも つよい 言語で,そのあとも 日本の 作家が フランス文学を 崇拝 する 時代が つづいて いたとは いっても,この 提案は あまりに 唐突です。もしかしたら かれは,当時の おおきな 話題で あった 国語国字問題に より おおくの 一般人の 目を むけさせる ために,わざと 極端な 提案を したのかも しれません。

かな文字論

かな文字論は 日本語を すべて かな文字で かく かんがえです。日本語の 言文一致と 横がきを 主張 した ことも 重要です。明治の はじめは まだ「~です」「~ます」と いった 文体も 確立 して いなかった 時代で,日本語を 横がきに する 発想も ありませんでした。

この かんがえには かなづかいを どう するかという むつかしい 課題が ありました。明治時代に 正式の ルールに なった 歴史的仮名遣いは たいへん むつかしく,一般人に つかいこなせる ものでは ありませんでした。そこで,かな文字論者は 最終的に かなづかいの 表音化を 主張 しました歴史的仮名遣いは 江戸時代に できあがりましたが,もともと 和歌 などの 分野 だけで つかわれた ルールでした。教科書に のって いる 古典の おおくも 本当は 歴史的仮名遣いでは かかれて いません。この かなづかいが 正式の ルールに なったのは 明治時代です。しかし,あまりにも むつかしくて,これを ただしく よみかき できたのは 知識人 だけです。学者クラスの 人でさえ 不注意による ミスは さけられませんでした。どんなに ただしく かこうと 心がけて いても,発音の とおりで ない つづりを まちがいなく かくのは むつかしいからです。

文字も ひらがなと カタカナの どちらが いいかという ところから かんがえなければ なりませんでした。昔は かな文字の 形が 統一 されて いませんでしたし,かな文字は 数が おおいので どうしても 形が にて いて みわけにくい 文字が できて しまう 問題も ありました。いまでも かな文字論者は 文字の よみやすさを おいもとめて 書体(フォント)の 開発 などを つづけて いますもともと,かな文字の 形は 統一 されて いませんでした。おなじ よみかたを する 文字が いくつも あって,どれを つかうかは かき手の 流儀で きめて いました。このような かな文字の つかいわけを「仮名文字遣い」と いいます。かな文字が ひとつの よみかたに たいして ひとつの 文字に 統一 され,字体が いまの 形に きめられたのは 1900(明治33)年です。それ 以降,つかわれなく なった ふるい 形の かな文字は「変体仮名」と よばれて います。いまでは つかわれない 文字なので,ふるめかしさを だしたい ところで わざと これを つかう ことが あります。こういう 例は 外国にも あります。たとえば,ブルガリの ロゴタイプです。ふるい 時代の ラテン文字は 21文字 しか なく,Uは Vから つくられた あたらしい 文字です。そこで,ブルガリは 伝統を かんじさせる 目的で ロゴタイプを BVLGARI に して います。

参考:カナモジ書体



山下芳太郎の 遺言
「日本語大博物館」 (ジャストシステム)

1883(明治16)年に かな文字運動の 団体「かなのとも」「いろはくわい」「いろはぶんくわい」が 団結 して,国語学者 大槻文彦(おおつき ふみひこ)を 中心とする「かなのくわい」が できました。会長は 有栖川宮熾仁(ありすがわのみや たるひと)親王でした。

しかし,ひらがなを 採用 して いた ために 実用性の 面で いきづまって しまいました。ひらがなは 複雑な 曲線で できて いるので かくのも よむのも むつかしく,縦がきから 発達 した 形なので 横がきに 適して いないからです。かなづかいを どうするかでも 意見が まとまらず,やがて 運動は 下火に なって いきました。

そのあとに,カタカナと 表音的な かなづかいを 採用 する 団体が できました。1920(大正9)年に 住友銀行の 幹部 山下芳太郎(やました よしたろう)が つくった「仮名文字協会」,のちの「カナモジカイ」(1924~)です。これで かな文字運動の 方向性が きまりました。

「カナモジカイ」の メンバーには 山下亀三郎(山下汽船)や 森下博(森下仁丹)などの 名前が ありました。実業家の 会員が おおかったのには 理由が あります。当時は むつかしい 漢字だらけの 書類を 手がき して いた 時代で,事務処理の 能率が わるかったからです。会の 中心人物には 伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)が いました。かれが 経営 する 紡績会社では 工場の 標語も 左横がきの カタカナ表記でした「タンツバワ タンツボエ」「タバコ ノムナ」「オチワタ イトクズ ヒロッテ ハコエ」など。

かれは 英国留学で タイプライターの 便利さを よく しって いましたから,カタカナを 印字 できる「かな文字タイプライター」を とりいれて 事務処理の 能率を あげる ことにも 成功 しましたただし,ビジネスに かたよった 国字改良論には よく ない 側面が あります。目の 前の 効率 ばかりを おいもとめて しまい,日本語が どう ある べきかを あまり かんがえない ことです。戦後の 国語改革と ワープロの 普及を へて,ほとんどの 実業家は 国字改良論への 熱意を うしなって いきました。漢字が あつかいやすく なって 事務処理の 能率が あがったんだから それで いいと かんがえる 人が おおかったからです。最近は もっと 効率を あげようと して 英語公用語化を うったえる 人まで あらわれて います。しかし,これは あさはかな かんがえです。それは 英語の 歴史を かんがえれば わかります。現在,英語は もっとも つよい 言語ですが,自然に そう なった わけでは ありません。もちろん,アメリカの 政治力が 一番 おおきな 理由ですが,アメリカの 経済界が 英語に 投資 した ことも 理由の ひとつです。英語を まなびやすく して 世界に ひろめる ことが 将来 おおきな 利益に なって かえって くるからです。こうして,英語教育の すぐれた 理論が いくつも うまれ,英語の 教材や 教授法から 英会話教室の 運営 ノウハウに いたるまで,英語教育に かかわる あらゆる ものが 発展 しました。ある 重機メーカーが 輸出 する 製品の 取扱説明書は,あまり 学歴が たかく ない 人でも よみやすい ように,やさしい 英語で かかれて いた そうです。このような 努力を つづけた 結果,外国人も 英語を まなびやすく つかいやすく なり,英語は 世界中で つかわれる ように なったという わけです。アメリカの 経済界には 戦略が ありました。さて,日本の 経済界は どうでしょう。日本語を まなびやすく して 世界に ひろめようと かんがえないのでしょうか。これからは 日本の 工場で はたらく 外国人が ふえて いくでしょう。そのとき,英語で なく 日本語を つかった ほうが いいと おもわないのでしょうか。

ローマ字論

ローマ字論は 日本語を すべて ラテン文字で かく かんがえです。つかう 文字を ラテン文字に して いる ほかは かな文字論と ほとんど おなじです。国際化の 理念を ふくむ ところに 特徴が あると いえますかな文字論と ローマ字論は ほとんど おなじ かんがえです。表音文字を つかう 点や 日本語の 言文一致と 横がきを 主張 した 点も 共通です。

この かんがえは ローマ字の つづりかたが おおきな 問題でした。ふたつの 有力な 方式が あって,どちらが いいかで 意見が 対立 して しまったからです。


1885(明治18)年,植物学者で 詩人の 矢田部良吉(やたべ りょうきち),文学者で 政治家の 外山正一(とやま まさかず)ほかの メンバーで「羅馬字会」が 創立 されました。この 会は ローマ字の 方式に ヘボン式を 採用 して いたのですが,会員の 物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が,のちに 日本式と よばれる ことに なる あたらしい 方式を 提案 しました。しかし,「羅馬字会」は これを うけいれませんでした。それで 田中館は「羅馬字会」を はなれる ことに なり,このあと ヘボン式の 支持者と 日本式の 支持者は はげしく 対立 する ように なります。そして,運動 そのものは いきおいを うしなって いきました。


田丸卓郎「ローマ字国字論」

そこで,ローマ字論者の 団結を はかるため,1905(明治38)年に「ローマ字ひろめ会」が 発足 しました。初代の 会頭は 西園寺公望(さいおんじ きんもち),名誉会頭は 大隈重信(おおくま しげのぶ)でした。この 会は ローマ字の 方式を さだめず,会員の 自由に して いましたが,方式を めぐる 対立は おさまらず,とうとう ヘボン式に 統一 して しまいました。それで,日本式を 支持 する メンバーは 会から はなれ,「日本のローマ字社」(1909~)「日本ローマ字会」(1921~)として 独立 しました。

ローマ字論は 物理学者の 田丸卓郎(たまる たくろう)に よって 理論的に まとめられました。それが「ローマ字国字論」(1930)です。たいへん ふるい 本ですが,いまでも 通用 する ところが おおく,ローマ字論の バイブルと みなされて います。

新国字論

新国字論は 日本語を かくのに ふさわしい 文字を つくって しまおうという かんがえです。これは 個人の かんがえ ばかりです。その 周辺に 協力者は いたと おもわれますが,まとまった 団体は ありません。

平岩愃保

1885(明治18)年に 牧師 平岩愃保(ひらいわ よしやす)に よって あらわされた「日本文字の論」が 新国字論の はじまりと されて います。かれは 国粋主義者で,かれが となえた「新日本アルハベタ文字」は 神代文字(じんだいもじ)の ひとつで ある アヒル文字の 改作でした神代文字とは 漢字が つたわる 前の 日本に あったと される 日本固有の 文字です。いろいろな 種類が あります。これらは すべて つくりもので,アヒル文字は ハングルを 改造 した ものです。

小島一騰


日本新字

小島一騰(こじま いっとう)は 1886(明治19)年の 著書「日本新字」で,24個の 文字を 提案 して います。これは ラテン文字を もとに した おぼえやすい 文字です。

ところが,調子に のりすぎて,これに 符号を つけくわえて 数百種類の 音声を 表現 できる ように 改造 し,「凡そ天地の間のいかなる奇音妙声」でも かきあらわせる などと いいだした ため,あつかいにくい 代物に なって しまいました。

中村壮太郎

実業家 中村壮太郎(なかむら そうたろう)は「ひので字」を つくりました。1935(昭和10)年に 出版 した 哲学書の 翻訳を はじめとして,さまざまな 本を「ひので字」で かいて います。下の 画像は「政界革新の先決問題」という 本の 付録「国字改良について」です。


ひので字

ふつうの かな文字も そえて あるので よんで みると,かなづかいが あたらしい ことに 気が つきます。1930年代に かかれた ものですが,いまの かなづかい よりも すすんで います。

稲留正吉


稲留正吉の 新国字

稲留(とうる)正吉は くわしい 経歴が わからない 人ですが,新国字論を 主張 する「漢字に代はる新日本の文字と其の綴字法(上巻)」を(おそらく 自費で)出版 して います。

五十音に 濁音・半濁音を くわえた ものを 七十五声と いいますが,それに 対応 する 75文字の 新国字を そろえる ために,外国の 文字を よせあつめ,それでも たりない 部分は みずから つくって おぎないました。

独自の つづり字法も かんがえだし,単語に 符号を つけくわえて 名詞を あらわしたり 男と 女を 区別 したり できる ように しました。この くふうに より,「姦夫(かんぷ)」は γ nmp,「姦婦(かんぷ)」は π nmp と かいて 区別 できます。これで 同音異義語の 問題を 解決 しようと した わけです。文字 だけで なく 文法にも ふみこんだ ところが 独創的でした。

「凡下(ぼんげ)不肖の身でありながら,烏滸(おこ)がましくも大胆に,国字の改良,国語の整理を企てたり」と はじまる,この 本の はしがきには 悲壮感 ただよう 決意が のべられて いるのですが,上巻の 出版で お金が つきたのか,下巻が 出版 された ようすは ありません。

石原忍

「石原式色覚異常検査表」で 世界に しられる 眼科医 石原忍(いしはら しのぶ)も 新国字論者でした。日本人に 近視が おおいのは 漢字の せいだという 説が あり,昔は さかんに 議論 された ようです。かれは そこから 漢字廃止論に ひきよせられたのでしょう。かな文字論ローマ字論では 納得 できず,ついに 新国字の 開発に とりかかります日本人に 近視が おおいのは 事実で,漢字を つかって いる 国に 近視が おおい かたむきも ある そうです。昔の 本を みた ことが ない 人は,古書店や 図書館で さがして みる ことを おすすめ します。漢字の おおさと むつかしさに おどろく はずです。しかも,文字が ちいさく,印刷の 品質も あまり よく ありません。昔は 夜の 照明も くらかったでしょう。眼科医が 漢字を 目の かたきに したのには それなりの 理由が ありました。

そして,1939(昭和14)年に 最初の 案を まとめあげ,さらに 改良を つづけて,1957(昭和32)年に「石原式新カナ文字」を 発表 しました。


石原式新カナ文字

それから

新国字は ほかにも いろいろな アイデアが ありました。出版 された もの だけでも 数十は あると いわれて います。けれども,こうした 新国字が 開発者で ない 人に よって 何かに もちいられた 記録は ありません。新国字は どんなに 完成度の たかい ものを つくっても 日本語 しか かけません。世界中の 言語が かける 万能の 文字を つくるのなら 意義 ある しごとですが,そんな ことは できる はずも ありません。

けっきょく,「日本だけの文字として新文字をこしらえて威張った所で,つまらない話である。」という ことに なり,新国字運動は しぼんで いきました。


新国字の アイデアが 発表 される ことは いまでも ときどき あります。しかし,それは 日本の 発展と 日本人の 幸福を ねがう 情熱的な(あるいは 狂信的な)国字改良論からでは なく,かな文字の みばえに たいする 問題意識から なされる 提案が おおい ようです。

漢字仮名交じり文を あらためる

とりあえず 漢字と 共存 する 現実路線を とりながら 漢字仮名交じり文の かきかたを あらためて いく かんがえも あります。この 範囲で できる ことは たくさん あります。その ひとつは 分かち書きの 導入です。これは「漢字仮名交じり文の 分かち書き」で 説明 して います。もう ひとつは かなづかいの 改良です。これは「棒引き仮名遣い」で 説明 して います。ここでは そのほかの かんがえを 4種類 紹介 します。

漢字制限

漢字を できるだけ つかわない ように する かんがえです。いまの 常用漢字は 約2000字 ありますが,これは おおすぎます。「カナモジカイ」は 500字に 制限 しても 問題 ないと 主張 して いた くらいです。そこで,つぎに のべる ような 手法で,漢字を へらして いきます。いきなり へらさないで,すこしずつ へらして いくと いいでしょう。


書キトリ~カンジ 400字案(カナモジカイ)


たやすく やまとことばで いいかえられる 熟語は つかわない ように します。特に,熟語に「する」を つけた 動詞を やめて やさしい ことばで いいかえます。たとえば,「歩行する」「投下する」「命名する」は,それぞれ「あるく」「なげおとす」「名づける」と いいかえられます「する」が つかない 名詞も できるだけ やさしい ことばで いいかえます。たとえば,「勝負」は「たたかい」「きそいあい」「腕くらべ」などに します。やまとことばは もともと 日本に ある ことばですが,こまかい ことを いえば,何が やまとことばかは はっきり しません。たとえば,「うま(馬)」の 語源は ふるい 中国語の「マ(馬)」です。「てら(寺)」の 語源は ふるい 朝鮮語の「チョル(寺)」だと かんがえられて います。これらは 外来語だと いう ことも できる わけです。

熟字訓を やめます。「足袋(たび)」「雪崩(なだれ)」「美味(おい)しい」「躊躇(ためら)う」などは すべて かな文字で かきます。

漢字の かきかえを おこない,むつかしい 漢字を つかわない ように します。昔は「叡智」「火焔」「廻転」「兇悪」「屍体」「蒐集」と かきましたが,いまは それぞれ「英知」「火炎」「回転」「凶悪」「死体」「収集」と かいて います漢字には 固有の 意味が あると いわれますが,じっさいには よく にた 意味の 漢字が たくさん あり,それらを いれかえても あまり 意味が かわりません。しかも,熟語は それを 構成 して いる 漢字の 意味から 全体の 意味を みちびきだせる ものが 半分くらい しか ありません。たとえば,「経済」「親切」「風流」などの 漢字から 全体の 意味は みちびきだせません。それなら 熟語の 漢字を 別の 漢字に いれかえたって かまわないでしょう。このような かんがえで,熟語の 漢字を おなじ 発音や よく にた 発音の 別の 漢字に おきかえて,熟語を やさしく して います。たとえば,「濫」と「乱」は ちがう 意味を もつ 漢字ですが,「濫用」と「乱用」は おなじ 意味です。「輿論」を「世論」に した 例は かなり 強引ですが,いまでは「世論」が 定着 して います。ふるい かきかたを しらずに そだった 世代には あたらしい かきかたが 自然に みえます。ときどき,熟語は 漢字を しって いるから おぼえられると いう 人が いるのですが,これは まちがいです。「石鹸」「醤油」「昆虫」を 構成 して いる 漢字の 意味を しって いる 人が どれだけ いるでしょうか。漢字を まったく しらない ちいさい こどもでも たくさんの 熟語を しって いて,その 意味を こどもなりに 理解 して つかって います。

いわゆる「交ぜ書き」は しません。それなら 漢字で かくのかと いうと,そうでは なく,その 熟語は つかいません。「ら致」を やめて「拉致」と かくのでは なく,「つれさり」「かどわかし」「人さらい」などに いいかえます。

「挨拶」「曖昧」「傀儡」「蹂躙」「齟齬」「朦朧」など,漢字で かく 意味が ない 熟語は かな文字で かきます。できれば つかわない ように します熟語は 同音異義語が おおい ため 漢字で かかないと わかりにくい ものが たくさん あります。しかし,「挨拶」には 同音異義語が ないので 漢字で かかなくても わかります。しかも,「挨拶」は 漢字で かいても その 漢字から 意味を みちびきだせない 熟語です。それ 以前に「挨」や「拶」の 意味を しって いる 人なんて ほとんど いないでしょう(「挨」は「打つ」「押す」,「拶」は「迫る」「進む」の 意味です)。それなら 漢字で かく 意味が ありません。さらに,「挨」と「拶」は「挨拶」の ほかに つかい道が ありません。こんな 漢字を ふたつも おぼえる くらいなら,〈アイサツ〉と よむ やさしい 国字(いわゆる 和製漢字)を ひとつ つくった ほうが はるかに ましです。おまけに,中国で「挨拶」は つうじません。もともと「挨拶」は 仏教(禅宗)の ことばで,日本で 特別な 意味を もつ ように 変化 した ものだからです。いまの 中国人が「挨拶」を みれば,その 漢字の 意味から,暴力的な イメージに なる そうです。

動物・植物 などの 名前は カタカナで かきます。特に 熟字訓は さけます。例:「海豚」「仙人掌」「紫陽花」。熟語に ふくまれて いる ものは 漢字で かまいません。例:「乗馬」「養豚」「捕鯨」。できるだけ 和名を もちいる ように します。分かち書きに すると よみやすく なります。例:「セイタカ アワダチソウ」「トゲアリ トゲナシ トゲトゲ」。

人名の 漢字表記を 私的な 場に かぎるのも いいでしょう。たとえば,名簿 などの 人名を カタカナで かきます。人名の 漢字は ややこしい ものが おおく,ふるい 字体に 執着 する 人も いて,あつかいにくい ものです。サイトーさんが「斉藤」か「斎藤」か,ツジさんの しんにょうが 一点か 二点か などは,まことに 失礼ながら,他人に とって どうでも いい ことです。公的な 場に 私的な おもいいれを もちだしては いけません。その 反対に,私的な 場では もっと おもいいれ たっぷりの 漢字表記を しても いいでしょう。そう すれば,いわゆる キラキラネームの 自由度も たかまります。人名の 漢字表記を 私的な 場に かぎれば,名前が よみにくい ことで 迷惑を かけたり 損害を こうむったり する 心配は ありません。名前に ふりがなを つける 不便も,他人の 名前を よんだり かいたり する ときの 失敗も なく なります。

公の 表示では 地名も カタカナ表記に すると いいでしょう。地名を かな文字で かく べきだと 主張 する 地名学者は おおい ようです。昔から ある ふるい 地名の 漢字は すべて あて字です。もともと やまとことばで 名づけられて いた ものに あとから 漢字を あてはめた だけです。この 漢字が おなじ よみかたの 別の 漢字に おきかえられたり,漢字の 音よみが 正式の よみかたに かわったり する ことが あります。そう なると,その 地名が もともと もって いた 意味が わからなく なって しまいます。地名は その 土地の 宝物ですが,大切なのは 漢字表記では なく,名前に こめられた 意味です。その 意味を あらわさない 漢字に したり,その 意味と むすびつかない よみかたに したら,地名を 大切に して いる ことに なりません日本には アイヌ語を もとに した 地名が たくさん あります。これらは カタカナ表記より ラテン文字表記の ほうが いいかも しれません。

学術用語は おもに 学者が つかう ことばなので 漢字の むつかしさが 問題に なる ことは すくないと かんがえられます。それでも,一般人の 生活に かかわる ものや 小学校レベルの ものは くふう して あらためて いく べきです。たとえば,「耳鼻咽喉科」を「耳鼻喉(みみはなのど)科」に します。「蛋白質」を「卵白質」に 変更 します。「光合成」を「光(ひかり)合成」と よみかえます。学術用語が やさしく なれば,専門家と 一般人を へだてる ものが すくなく なり,世の中が 民主的に なります。教育が やりやすく なり,科学・技術が 発展 します。学術用語は 学会が リード して かえて いくと いいでしょう。


このように して,漢字は へらせます。中国も「乾」「闘」を やめて「干」「斗」で 統一 する などの やりかたで 漢字を へらして います。

訓よみ廃止論

漢字を やめるに しても,いきなり すべての 漢字を やめる わけには いきません。すこしずつ 段階的に へらして いく しか ないでしょう。では,どこから 手を つける べきでしょうか。それは 訓よみの 漢字です。やまとことばは 耳で きいた だけで 意味が わかるのですから,最終的には 訓よみの 漢字を すべて やめて しまっても かまいません。

ただし,訓よみの 漢字の 中にも 優先順位が あります。「山」「川」の ような ことばまで かな文字で かくのは やはり 抵抗が おおきいでしょう。訓よみの 漢字の 中でも 害の おおきい ものから かな文字表記に して いきます。それは つぎの みっつです。


中国語が 漢字 だけで かけるのは 語尾変化が ない 孤立語だからです。日本語には 活用 する ことばが あり,それを 漢字で かくと,おくりがなが 必要に なります。そして,この おくりがなの かきかたを きめるのが とても むつかしく,なかなか やさしい ルールが つくれません。

江戸時代まで おくりがなに ルールは ありませんでした。明治時代から ルールづくりが くわだてられる ように なり,現在 もちいられて いる ルールが できたのは 戦後に なってからです。それも たくさんの 例外が あり,一般人が おぼえられる ものでは ありません。複数の かきかたを ゆるす 部分も あって,かき手による ばらつきが できて しまいます。

たとえば,〈ウケイレ〉〈ウチアワセ〉〈トリアツカイ〉などの おくりがなを まよわずに かける 人が どれだけ いるでしょうか。すべて かな文字で かく ことに すれば,ややこしい ルールを おぼえる 手間も はぶけますし,表記の ゆれも おこりません。かき手に とっても よみ手に とっても その ほうが いいでしょう。


同字異訓とは「魚(うお/さかな)」「歪み(ひずみ/ゆがみ)」の ように 複数の 訓よみを もつ ものです。これは ふりがなが ないと よめません。

宝塚歌劇団には 花・月・雪・星・宙(そら)の 5組が あります。「そら」の 漢字を やさしい「空」で なく むつかしい「宙」に した 理由は,「空」だと「から」と よまれて しまうから,という わらいばなしが あります。たしかに,から組では イメージも 台なしです。これは 漢字に 複数の よみかたが あるから おこる 問題です。

同字異訓の 中には「細い/細かい」「幸せ/幸い/幸(さち)」の ように おくりがなの くふうで 区別 して いる ものが あります。しかし,それが おくりがなの 規則を 複雑に する 原因にも なって います。こういう くふうで 対応 できない ものも あります。「辛い(からい/つらい)」「汚す(けがす/よごす)」「開く(あく/ひらく)」「止める(とめる/とどめる/やめる)」などは 区別 できません。「行く/行う」は 区別 できても「行った/行った」は 区別 できません。

さらに,「情(なさけ/ジョウ)」「便(たより/ビン)」の ように 訓よみと 音よみの どちらでも よめる 漢字が あります。これは「情け」「便り」と おまけの かな文字を つけて 目印に する しか ないので,ルールは ますます ややこしく なります。そして,これにも「お札(ふだ/サツ)」の ように,目印が つけられず,区別 できない ものが あります。

同字異訓を おくりがなで 区別 しようと するのは むなしい 努力です。複数の よみかたが できる 漢字は,けっきょくの ところ,ふりがなが ないと よめません。漢字は やめて「さかな」「とめる」「なさけ」と かけば いいでしょう。


同訓異字とは「かわ(川/河)」「うた(歌/唄)」の ように 複数の 漢字表記が ある ものです。「きく」を「聞く/聴く」と かきわけたり,「あう」を「会う/合う/逢う」と かきわけたり して いますが,これを やめます。

中国語で「聞」と「聴」は 別の ことばですが,日本語では どちらも おなじ「きく」です。その 反対に,日本語で 物を「みる」と 人に「あう」は 別の ことばですが,中国語では どちらも おなじ「見」です。このように,意味の きりわけかたは 言語に よって ことなります。世界の みかた,すなわち 世界観が ちがう わけです。文化の ちがいと いっても いいでしょう。ビデオに「うつる」は「映」か「写」か,本を「すすめる」は「勧」か「薦」か,雪が「とける」は「溶」か「解」か,こういった かきわけで なやむ ことは おおいでしょう。それは 世界観の ちがいが 原因です。これらを 区別 しないのが 日本語の 世界観で あり,日本の 文化だからです。

それなのに 漢字で かきわけようと するのは 漢字の 知識を 自慢 したい「中国語かぶれ」です。カタカナ語を 連発 して 得意がる 人と やって いる ことは おなじです。つまらない かきわけは やめて,もっとも やさしい 漢字で かいて おけば いいでは ありませんか。漢字を やめて かな文字に すれば もっと いいでしょう。それで うしなう ものも ありません。

ただし,「誤る/謝る」「尋ねる/訪ねる」「優しい/易しい」などは 意味の ちがいが おおきいので,やはり 区別 して かきわけたいと かんがえる 人が おおいかも しれません。これらを みた目で 区別 したければ,別の ことばに いいかえると いいでしょう。「まちがう/わびる」「といかける/おとずれる」「心やさしい/たやすい」の ように。



サルスベリ
季節の花300

日本語の 世界観という かんがえかたは 重要で,訓よみを やめる べき 理由は つきつめると ここに いきつきます。やまとことばを 漢字で かくと,日本語の 世界観を 中国語の 世界観で うわがき して しまい,日本語を 大切に して いる ことに なりません。

サルスベリは サルでも すべりそうな ほど 樹皮が つるつる して いるから ついた 名前ですが,あかい 花が ながい あいだ さきつづけるので「百日紅」という 名前も あります。そのため,「百日紅」と かいて〈サルスベリ〉と よむ 人が います。これは「中国語かぶれ」です。crape myrtle と かいて〈サルスベリ〉と よむ 人が いたら「英語かぶれ」でしょう。それと おなじです。日本語を 大切に したいと おもうなら,「サルスベリ」と かく べきですじっさいには サルスベリで サルは すべりません。

「重い」と「主に」,「急ぐ」と「忙しい」の 根っこは おなじ 意味です。日本語を 大切に したいなら,これらは おなじ 漢字で かく べきです。「氷」と「凍る」を ちがう 漢字で かいて 何も おかしいと かんじない 人は 日本語の 心を みうしなって います。

「湖」は「みず」と「うみ」から できた ことばです。この 世界観に あわせて 漢字を かきなおせば「水海」に なります。おなじ ように,「雷」は「神鳴」,「志」は「心指」,「古」は「往(い)にし方(へ)」です。訓よみの 漢字を つかうに しても,このような かきかたなら いまより 日本語を 大切に して いると いえるかも しれません。


ときどき,訓よみが ある 日本語は すばらしいと いって 自慢 する 人が います。しかし,これは かんちがいです。訓よみは 外国にも ありました。しかし,訓よみを かかえこんで しまった 国は,ながい 年月を かけて その 数を へらして きました。訓よみは 不便なので,昔は 訓よみが あった 国も それを なくして きたというのが 世界の 言語の 歴史です訓よみは よその 表語文字で 自分の ことばを かこうと する ときに かならず おこる 一般的な 現象です。ある 学者は「メソポタミアのセム族はシュメール人の楔形文字を借りてそれをアッカド語で読んでいたし,古代ヒッタイト人はアッカド式楔形文字にヒッタイト語の語尾を付けて読んでいた。」と いって います。むつかしい ことは わからなくても,これが 訓よみや おくりがなに あたる ものを 解説 して いるのは わかるでしょう。よその 言語の つづりを そのまま かいて 自分の 言語の よみかたに する ことも あります。英語で etc. と かいて and so on と よむのが それです。ほかにも i.e. (that is), e.g. (for example), lb. (pound), Xmas (Christmas) などが あります。これも 訓よみと おなじ ような ものです。わざと わかりにくい かきかたに するのは 特殊な 目的が あるからです。また,アラビア数字は 世界中で 訓よみ されて いるとも かんがえられます。こういう 特別な ばあいを のぞけば,訓よみに メリットは ありません。

ふりがな廃止論

ふりがな廃止論は 1938(昭和13)年に 作家の 山本有三(やまもと ゆうぞう)が となえた ものです。

昔は,新聞でも 小説でも,ほとんど すべての 漢字に ふりがな(よみがな)が ふって ありました。それが なければ よめない 人が おおかったからです。しかし,よく かんがえて みれば,これは おかしな はなしです。

いつたい、立派な文明国でありながら、その国の文字を使つて書いた文章が、そのまゝではその国民の大多数のものには読むことができないで、いつたん書いた文章の横に、も一つ別の文字を並べて書かなければならないといふことは、国語として名誉のことでせうか

自分の 言語を 自分でも よめない 文字で かく おかしさを あげて,むつかしい 漢字の ことばを つかいすぎる 問題を 指摘 して います。山本有三は ふりがなを むつかしい 漢字から わきだした ボーフラだと いって いました。


ふりがな廃止論の 目的は ふりがなの 廃止では ありません。むつかしい 漢字の ふりがなを なくしたら 文章が よめなく なって しまいます。そうでは なくて,ふりがなが ないと よめない ような むつかしい 漢字の ことばを つかわないという 意味です。むつかしい 漢字の ことばを つかわなければ,だれでも よめる やさしい 文章に なります。おまけに,ふりがなを やめれば,印刷が 効率化 されます。ちいさい 文字が なく なれば,視力を そこなう ことも すくなく なるでしょう。

字体の 改良

漢字や かな文字の 字体を あらためる かんがえも あります。



漢字の 改良案

白鳥鴻幹の「新国字論」(1898)から ぬきだした 創作文字です。

戦後,漢字の 字体は やさしく なりましたが,まだまだ 複雑です。そこで,これを あらためます。ただし,システマチックに 簡略化 するには くふうが いります。どうするのかと いうと,文字ごとに 字体を きめるのでは なく,文字を 構成 する 要素(部首 など)ごとに きめます。そうすれば,常用漢字表に ふくまれない 漢字にも あてはめられます。具体的な 形は 中国の 簡体字を 参考に すれば いいでしょう。

その 簡体字には そのまま とりいれても よさそうな ものが たくさん あります。たとえば,「阳(陽)」「阴(陰)」「从(従)」「众(衆)」などは こどもでも かんたんに おぼえられます。自分用の メモ などで あれば,このような 文字も どんどん つかえば いいでしょう。漢字の 本家で 実用化 されて いる すぐれた アイデアが あるのですから,それを とりいれない 手は ありません。

いったん ふるい 字体に もどって,そこから あらためて 字体を くみたてなおす 方法も あります。たとえば,「美」は「羊」と「大」の くみあわせで できた 漢字ですが,いまの 字体では それが よく わかりません。「赤」は「大」と「火」の くみあわせですが,そうは みえません。これを もとの 形に もどして,できるだけ 単純な 要素の くみあわせに なる ように すれば,漢字の 字体は いまより ずっと やさしく なります。


かな文字の 外形は 正方形(はばと たかさが おなじ)に ちかいですが,これは おおきな 欠点です。かな文字表記に して 字数が ふえると,つづりが ながく なって よみにくいからです。英語なら 6文字の 単語でも 一瞬で 目に はいって きますが,ひらがな 6文字だと あきらかに ながい かんじが するでしょう。また,つづりが ながく なると,1行に おさまる ことばの 数が へるため,無意識に 視野に はいる 情報量が すくなく なり,文意を つかみにくく なって しまいます正方形に ちかい かな文字には 利点も あります。日本語は 縦にも 横にも かけて デザインの はばが ひろい ことや,縦がきから 横がきへの 移行が スムーズに できた こと などです。

文字の 数が ふえても つづりが ながく ならない ように するには,文字の はばを せまく すれば いいでしょう(たとえば,いまの 3分の2 くらい)。これは フォントを かえる だけで できます。Windows には 名前に「UI」が ついた フォントが あって,文字の はばが すこし せまく なって います。これを もっと 大胆に やっても いいでしょう。


カタカナの「エ」「オ」「カ」「タ」「チ」「ト」「ナ」「ニ」「ハ」「へ」「ミ」「リ」「ロ」は まったく おなじか ほとんど おなじ 形の 漢字 または ひらがなが あります。また,「ソ」と「ン」,「シ」と「ツ」,「ナ」と「メ」の ように,にすぎて いる ものや,「ノレ」と「ル」,「イ木」と「休」の ように あわせわざで よみまちがいを さそう ものも あります。目で みて 判別 できない 文字は 文字として 最低限の スペックを みたさない 欠陥商品ですじつは,ラテン文字にも おなじ 問題が あり,アラビア数字と まぜて つかうと,b/6, l/1, o/0, s/5, z/2, B/8, I/1, O/0, S/5, Z/2 の みわけが つきにくく なります。この 問題は 複数の 文字集合を まぜて つかうと かならず おこります。

この 不具合は カタカナを ちいさく かけば 改善 できると かんがえられます。手がきでは,漢字と かな文字を おなじ おおきさで かかないのが ふつうですから,この 変更は それほど おおきな 違和感を ともなわない はずです。にすぎて いる 字体は セリフ(ひげかざり)を つけたり して 字体に ちがいを だすか,変体仮名から 別の 字体を もって くれば いいでしょう。


ひらがなにも にすぎて いる 文字や よみまちがいを さそう 文字が いくつか あります。例:「め」と「ぬ」,「れ」と「ね」と「わ」,「しこ」と「に」,「しま」と「ほ」。ひらがなは 合理的に 設計 された 文字で なく,視認性も よく ありません。この 問題を 解決 するには 一部の 文字で 字体を 大胆に かえる しか ありません。変体仮名から 別の 字体を もって くる などの 方法が かんがえられます。


横書き仮名(新世界タイポ研究会

根本的には,すべての 字体を みなおす 必要が あります。横がきで かきやすく する ためです。ひらがなは 縦がきから 発達 した 形を して いるため,横がきに 適して いません。

しかし,そこまで 変形 すると,それは ひらがなでは なく なって しまうかも しれません。図は 横がき しやすい ように 改造 した ひらがなですが,これは もう 立派な 新国字です1970年代の 後半から 1980年代の 前半に かけて,いわゆる「丸文字」(または「変体少女文字」)が 大流行 して 社会問題に なりました。風がわりな 字形が できた 理由の ひとつは,横がきに 適さない 形の 文字を 横がきで すばやく かこうと した ことだと されて います。(別の 理由は シャープ ペンシルの 普及です。昔は シャープ ペンシルの 芯が おれやすかったので,すこし かわった ペンの もちかたを して かきました。これが 字形に 影響 したと かんがえられて います。)

国字改良論の いまと これから

新国字論は すっかり 姿を けして しまいました。かな文字論ローマ字論は いまでも いきのこって いる ものの,昔の いきおいは もう ありません。これには いくつか 理由が あります。ひとつは よい 面で,国字改良論が ある 程度 実を むすんで 一段落 した ことです。のこりは すべて よく ない 面です。たとえば,それまで 国字改良論に 理解を しめして いた 人たちの おおくが,国語国字問題を さしせまった 問題と おもわなく なり,運動から はなれていった ことです。


国字改良論が いきおいを うしなった もっとも おおきな 理由は 戦後に おこなわれた 国語改革です。戦争が おわった あとの 一時期は 日本が きわめて 民主的だった 時代です。このとき,国字改良論の 理念に もとづいて,日本語の 表記システムが おおきく あらためられました。かなづかいが やさしく なり(現代かなづかい),漢字の 数が すくなく なり(当用漢字),漢字の 形が わかりやすく なりました(新字体)。国字改良論は その 目的の 一部を なしとげたと いえます。たとえば,日本国憲法は 一般人が よんでも わかる やさしい 文章ですが,これは かな文字運動や ローマ字運動 などに かかわる おおくの 団体の はたらきかけで 実現 した ものです新字体には その 当時 つかわれて いた 略字を 採用 した ものが たくさん あります。カタカナの「ツ」「ム」「メ」の ような 形を ふくむ 漢字の おおくが それです。例:「學」→「学」,「廣」→「広」,「氣」→「気」。全体の 形を みなおして やさしく した 中国の 簡体字に くらべると これらは すこし みおとりが する ように おもえます。日本国憲法は はじめ 漢字カタカナ交じりの 文語体で かかれて いました。そこで,作家の 山本有三が 自宅に つくって いた「三鷹国語研究所」を 中心に,カナモジカイ・日本ローマ字会・日本エスペラント学会 など 約30の 団体が あつまって「国民の国語運動連盟」を 結成 し,「法令の書き方についての建議」を 提案 しました。この 中に つぎの 7項目が あります:(1) 文体を 口語体に する;(2) むつかしい 漢語を できるだけ つかわない;(3) わかりにくい いいまわしを さける;(4) 漢字を できるだけ へらす;(5) 濁点・半濁点・句読点を もちいる;(6) ひらがなを もちいる;(7) 段落の はじめで 1文字の 字さげを おこなう。日本政府は(一説によると しぶしぶ)これを うけいれました。こうして,あたらしい 憲法は わかりやすい 文章に なり,公用文の かきかたも みなおされる ことに なりました。

1980年代には おおきな 変化が おこりました。むつかしい 漢字でも ワープロで かんたんに うちだせる ように なった ことです。ビジネスの 世界でも 文書作成が 楽に なって しごとの 能率が あがりました。出版の 世界でも その すこし 前から おおきな 変化が おこって いました。印刷の 技術が すすんで,活字の おおさに なやまされなく なった ことです。これで,漢字を へらす 動機が なく なりました。テクノロジーが 漢字の 不便さを うちまかした ようにも みえます。

みすごされがちですが,日本の 経済成長も おおきな 変化です。昔は 家庭の 経済的な 事情で 学校に かよえなかったり して 文字を おぼえる 機会に めぐまれない 人が おおかったのですが,いまは そういう 人が すくなく なりました。

このような わけで,漢字の 負担は 昔に くらべて かるく なったと かんがえられて います。国字改良論の 中心に あるのは 漢字廃止論ですが,その 問題意識が うすれた わけです。いまでは 漢字が 日本の 足かせに なって いると かんがえる 人は わずかで,漢字 こそ 日本が まもる べき 文化で あると かんがえる 人が おおいでしょう。漢字を 擁護 する たちばの 人たちも いきおいづいて,もはや 漢字廃止論の 根拠は うしなわれたと ふれまわって います。


しかし,本当に そうでしょうか。日本が 民主的だったのは ごく みじかい あいだ だけでした。いわゆる「逆コース」で いきおいを とりもどした 保守派が 言語政策に 介入 する ように なり,戦後に おこなわれた 国語改革は そのあとの 半世紀で ほとんど 骨ぬきに されて しまいました。

ワープロや パソコンの おかげで 漢字は かきやすく なりましたが,よみやすくは なって いません。事務処理の 能率は よく なった ものの,かな漢字変換の 手間が かかるので,文書を つくる スピードは 欧米の 足元にも およびません。漢字を へらす 動機が なく なった マスメディアには「交ぜ書き」を さける 名目で 常用漢字の 枠から はずれた 文字づかいが ひろまって きました。底の あさい 漢字ブームに あおられて,やたらに むつかしい 漢字を つかいたがる 人も ふえて います。こうして,漢字だらけの わかりにくい 文章が おおく なって きました中国・韓国の 新聞は 横がきですが,日本の 新聞は いまだに 縦がきです。意味不明の みだしや よみにくい レイアウトも かわりません。新聞社は 戦後の 国語改革で リーダーシップを 発揮 した ことも あったのに,いまや みるに しのびない 体たらくです。校閲・校正の 部署には 日本語の 達人が そろって いるのですから,100年後の 日本語を みすえて 一歩 すすんだ お手本を しめして ほしい ところです。

生活水準が あがった ことは よい 変化で ある 反面,漢字の せいで よみかきに こまって いる 人が いまでも 大勢 いる 事実に 気づきにくく なって しまいました。新聞レベルの 漢字が よめない 人は めずらしく ないのに,そういう 人と であう なまなましい 体験が なく なって,漢字の 実害を しる ことが できなく なって います。目や 耳の 不自由な 人が 漢字の ために どれだけ こまって いるかも なかなか しる 機会は ありません。外国人の 住民が ふえて きた ため,漢字だらけの 日本語は つかいにくく,役所・学校・病院 などが たいへんな 苦労を して います。無数の 漢字と ふりがなを あつかわなければ ならない コンピューター システムの 開発には たくさんの 税金が つかわれて います日本人の「識字率」は ほぼ 100%という「神話」が ひろまって いるのは 漢字の せいで こまって いる 人が 大勢 いる 現実を しる 人が すくないからでしょう。じっさいには 漢字 どころか ひらがなも よめない 人が います。経済的な ゆとりの ない 世帯や 外国人の 住民が おおく なって きた せいで,わかい 世代に そういう 人が ふえつつ ある ことも あきらかに なって います。

おちついて 現実を みれば,漢字の わざわいは なく なって いない どころか,むしろ おおきく なって います。このまま ほうって おけば,日本語は ますます つかいにくく なって,そのうち 公用語としての 役割を はたせなく なるでしょう。手おくれに なる まえに,本気で 改革に とりくまないと いけません。

ローマ字運動

ローマ字運動の 歴史

ローマ字論や 漢字廃止論に かかわる 人や 組織を ぬきだして,その 系譜を しめします。

新井白石

江戸時代の 大学者 新井白石(あらい はくせき)は イタリア人の 宣教師から 西洋の 文化を まなび,「西洋紀聞」(1715?)を あらわしました。その 中で,漢字より 便利な 文字として ラテン文字を 紹介 して います。

其字母,僅に二十余字,一切の音を貫けり。[…]其説に,漢の文字万有余,強識の人にあらずしては,暗記すべからず。[…]徒に其心力を費すのみといふ。

新井白石は,日本語は かな文字 だけで かく べきだと かんがえる ように なりました。しかし,その かんがえを 公に する ことは ありませんでした「西洋紀聞」は 出版 されませんでした。これが 世に しられる ように なったのは 明治時代に なってからです。

賀茂真淵

国学者 賀茂真淵(かも の まぶち)は 漢字を 批判 して います。漢字の 数が おおい ことに ついて,地名や 草木の 名前に しか つかわない 漢字が たくさん あって,おぼえきれないのも 当然だと いって います。

また,日本人が 漢字を もてはやす ことに ついて,昔は 漢字の 意味に とらわれず,単に 道具として 漢字を つかって いたのに,中国の まねを したい 気もちから 中国風に 漢字の 意味を かんがえて つかう ように なったと 分析 して います。漢字を ありがたがる 心の 中に,ある種の 権威主義が ある ことを みぬいたのでしたこれは なかなか するどい みたてです。いまでは,中国と 漢語 だけでなく アメリカと 英語も ありがたがって います。病気を こじらせて しまった ようです。

「国語考」(1765?)で つぎの ように 中国を あしざまに いって いるのは 中国かぶれの 知識人に むけた ことばだからでしょう。

天竺には五十字もて五千余巻の仏の語を書伝ふるに[…]大かた字の樣も四方の国おなじきを,たゞからのみわづらはしき事を作て世も治らず,事も不便也。

本居宣長

本居宣長(もとおり のりなが)も「玉勝間」(1795)で つぎの ように のべて 漢文偏重を 批判 して います本居宣長は 評価の さだまらない 人です。極端な 愛国心から 日本中心主義に なり,中国にくし,漢文にくしに なったと する かんがえも ありますが,ここでは 理屈から 漢文偏重を 批判 したと かんがえて います。

皇国の言を,古書どもに,漢文ざまにかけるは,仮字といふものなくして,せむかたなく止事を得ざる故なり,今はかなといふ物ありて,自由にかゝるゝに,それをすてゝ,不自由なる漢文をもて,かゝむとするは,いかなるひがこゝろえぞや

「ひがこころえ(僻心得)」とは まちがって 理解 する ことです。かな文字が なかった 時代に 漢字で かいたのは しかたが ないけれど,かな文字が ある 時代に それを やって いるなんて かんがえちがいも はなはだしい,という わけです。

前島密

はじめて 漢字廃止の かんがえを となえて 具体的な 行動を おこした 人は,日本に 近代的な 郵便制度を ととのえた ことで しられる,前島密(まえじま ひそか)です。1866(慶応2)年,かれは 徳川慶喜に「漢字御廃止之議」を 建白 して いますおそらく,慶喜は この 建白書を よんで いません。幕末の 混乱で うやむやに なったと かんがえられて います。

国家の大本は国民の教育にして,其教育は士民を論ぜず国民に普(あまね)からしめ,之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用いざる可からず[…]果して然らば御国(みくに)に於ても西洋諸国の如く音符字(仮名字)を用ひて教育を布(し)かれ,漢字は用ひられず,終には日常公私の文に漢字の用を御廃止(ごはいし)相成候(あいなりそうろう)様にと奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)

日本の 教育は 漢字の 暗記ばかりで,庶民は 知識から とおざけられて いる。一方,知識人は 中国崇拝で 愛国心を わすれて いるし,科学・技術を いやしむ 傾向が ある。こんな ことだから 日本は 先進国から おくれを とって しまった。このように かんがえた わけです。


前島密

「音符字(おんふじ)」は 表音文字の ことで,かれの たちばは かな文字論(ひらがな専用)でした。ほとんど ひらがな だけで かいた「まいにち ひらがな しんぶんし」を 発行 した ことも あります。しかし,本心は ローマ字論に ちかかった ようです。かな文字論を 主張 したのは,当時の 庶民が ラテン文字を よめなかったからです。また,攘夷の 風潮が つよかった ために,ローマ字論を いいだしにくい 事情も ありました。

前島密は,いますぐ 漢字を 廃止 せよと いった わけでは ありません。将来的に 漢字を なくす 目標を さだめる こと,計画を たてて 実行に とりかかる こと,これが かれの 主張でした漢字廃止論を よく しらない 人は,ある日を さかいに して すべての 漢字が つかえなく なるとか,学校が 漢字を おしえなく なるとか,そんな はやとちりを して いる ことが おおい ようです。

南部義籌

はじめて ローマ字論を となえた 人は 南部義籌(なんぶ よしかず)です。蘭学者 大庭雪斎(おおば せっさい)が「和蘭文語」(1855)で 日本語は 立派な 言語なのに 漢字を まじえて かく ように なって みだれて しまったと なげいて いるのを よんで,ローマ字論に 目ざめたと いわれて います。

かれの 漢字廃止論は,日本語は 日本語らしく かく べきで あり,そのためには 漢字を やめなければ ならない,という かんがえです。日本語の 姿は どう ある べきか よく かんがえようという 理念からの 漢字廃止論でした漢文は 中国語らしく よむ べきだとも いって います。もっともな 意見です。

1869(明治2)年,かれは 山内容堂(やまうち ようどう)に「修国語論」を 建白 し,ラテン文字を 国字に する よう 主張 しました。「修国語」とは 国語を 修める(おさめる:こわれた ところを なおす)という 意味です。

(読み下し文)学問の道,西洋諸邦は易く,皇国支那は難く,而して皇国は甚し。夫(そ)れ西洋の学を為すや唯二十六の字を知り文典の義を解すれば則ち読むべからざるの書なし

ローマ字論は 国の 体面を 傷つけると 批判 される ことが あります。これに たいして,日本から みれば 洋字(ラテン文字)も 漢字も 外国の もので あり,洋字を かりて 国語を おさめるのと,漢字を もちいて やまとことばを うしなうのと,ふたつを くらべたら 天と 地の ちがいが あると 反論 して います。

1872(明治5)年には 漢字を まったく つかわずに「よこもじほん てびきぐさ」を あらわしました。

政府学問所漢文科の 学生で あった 漢字・漢語・漢文の 専門家が ローマ字論を となえた ことは,当時の 西洋崇拝 だけでは 説明 しきれません。漢字を つかって 日本語を かく ことには,専門家でも 弁護 できない 欠陥が あると かんがえるのが 自然でしょう。

西周

1873(明治6)年に「明六社」が 結成 され,その 翌年から「明六雑誌」が 発行 される ように なりました。これは 教科書にも かかれる ほど 有名ですが,その「明六雑誌」の 創刊号に 何が かかれて いたかを しって いる 人は すくないかも しれません。そこに かかれて いたのは,西周(にし あまね)による「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」などの 国字改良論でした。

西周は この 論文で ローマ字の 利点 などを 10ヶ条に まとめて います。

みこみの あまかった 予測や,テクノロジーの 進歩に よって 時代おくれに なった 部分も あります。しかし,世界の 中で 日本が 発展 して いく ため,民主的な 国づくりの ためという ローマ字論の 本質は とらえて いますよく しられて いる ように,西周は 外国語を 翻訳 する ために おおくの 和製熟語を つくった 人です。漢字の わざわいを しりつくして いた 人が そう しなければ ならなかったのは,それだけ 日本が おくれて いたからです。

福沢諭吉

漢字廃止を めざしながらも,いますぐに 全廃 する わけには いかないのだから,まず「漢字制限」から はじめる べきだと といたのは 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)でした福沢諭吉の 思想には 現在から みると 時代の 限界を かんじさせる 部分も あります。しかし,ここでは その 点には ふれず,啓蒙思想家の 国字改良論 だけを みて おきます。

かれは「第一文字之教」(1873)の 中で つぎの ように のべ,漢字制限に おける 字数の 目安を 2000字から 3000字と して います。

一 日本ニ仮名ノ文字アリナガラ漢字ヲ交ヘ用ルハ甚タ不都合ナレドモ往古ヨリノ仕来(しきた)リニテ全国日用ノ書ニ皆漢字ヲ用ルノ風ト為リタレバ今俄(にわか)ニコレヲ廃セントスルモ亦不都合ナリ今日ノ処ニテハ不都合ト不都合ト持合(もちあい)ニテ不都合ナガラ用ヲ便スルノ有様ナルユヘ漢字ヲ全ク廃スルノ説ハ願フ可クシテ俄ニ行ハレ難キコトナリ此説ヲ行ハントスルニハ時節ヲ待ツヨリ外ニ手段ナカル可シ

一 時節ヲ待ツトテ唯手ヲ空(むなし)フシテ待ツ可キニモ非ザレバ今ヨリ次第ニ漢字ヲ廃スルノ用意専一ナル可シ其用意トハ文章ヲ書クニムツカシキ漢字ヲバ成ル丈ケ用ヒザルヤウ心掛ルコトナリ。ムツカシキ字ヲサヘ用ヒザレバ漢字ノ数ハ二千カ三千ニテ沢山ナル可シ[…]故(こと)サラニ難文ヲ好ミ其稽古ノタメニトテ漢籍ノ素読ナドヲ以テ子供ヲ窘(くるしむ)ルハ無益ノ戯(たわむれ)ト云テ可ナリ

常用漢字は 約2000字 ありますから,この 数字は むりの ない 提案に かんじられます。しかし,それは いまの 漢字制限に なれて いるからです。当時は 漢字の 数に 制限が なく「人が 山に ノボる」と「サルが 木に ノボる」の 漢字を かきわけて いた 時代です。それを かんがえれば,大胆な 提案だったと いえるでしょう人は「登る」,サルは「攀る」です。これは 福沢諭吉が「第一文字之教」の 中で あげて いる 例ですが,「攀る」は「よじる」と よむのが ふつうかも しれません。いまは どちらも「登る」と かきますが,まだ「日が ノボる」「京に ノボる」を かきわけて いますから,あらためる 余地が あります。

矢田部良吉

植物学者で 詩人の 矢田部良吉(やたべ りょうきち)は「羅馬字会」を たちあげた メンバーの ひとりです。学術雑誌「東洋学芸雑誌」に 発表 した「羅馬字ヲ以テ日本語ヲ綴ルノ説」(1883)の 中で,ローマ字の 方式に ついて つぎの ように のべて います。

此規則ハ簡易ヲ主トシテ繁雑ヲ省キ,仮名ノ用法ニ拘泥セズ,勉(つと)メテ音声ヲ以テ標準ト為ス可シ

歴史的仮名遣いが 正式だった 時代に 表音的な かきかたを 主張 して いる 部分で,きわめて 重要です。これは 言文一致の 文字つづりと かんがえられます言文一致の 文体を とりいれ,日本近代小説の さきがけ と いわれる,二葉亭四迷の「浮雲」は この 4年後,1887(明治20)年に 発表 されました。

田中館愛橘

物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)は ヘボン式ローマ字を しりぞけて,日本語を かくのに ふさわしい 日本式ローマ字を となえた 人です。のちに「日本のローマ字社」を たちあげました。

かれは 学者の たちばで おおくの 国際会議に 出席 して いますが,その 中でも「国際度量衡委員会」の 委員として メートル法の 普及に 力を つくした ことは 意味が おおきいでしょう。メートル法は 世界共通の「ものさし」を つくる かんがえで,世界共通の 文字を つかう ローマ字に つながる ところが あります。

国際会議で 世界を とびまわる 中で,タイプライターの 便利さを みせつけられた ことも かれの ローマ字論に 影響 して います。かれの ローマ字論は 科学者の 合理主義から みちびきだされた ものでした。

そもそも羅馬字を用る時は独り言語を顕はすの便なるのみならず数学の式を書き、表を作る等、我々理学を修むる者に取りては一層便利あるべし。

ですから,漢字の 不合理に たいする 攻撃には 容赦が ありません。むつかしい 漢語だらけの 日本語を つぎの ように こきおろして います。

目を閉て人の読み居る処を聞かば寺の坊主が誰かの戒名でも読み居る様なるべし。

ローマ字の 研究でも,音声の 波形を しらべる など,科学者らしい アプローチを して いました。

国語調査委員会

日本語の 表記法が むつかしいと 教育の さまたげに なりますから,この ことは 解決 すべき 問題と かんがえられて いました。1900(明治33)年には「錯雑紛乱不規律不統一ナル文字言語文章」の 改良を うったえる「国字国語国文ノ改良ニ関スル建議」が 衆議院・貴族院で 採択 されました。

これを うけて 1902(明治35)年に つくられた「国語調査委員会」は つぎの 4項目を ふくむ 決議を 発表 しました。


これで 日本語を どのように して いくかという 方向性が きまり,日本の 国語政策は この 方針に もとづいて すすめられる ことに なりました。

以上四件の中で確定して居る事項は、音韻文字を採用すること、文章は言文一致体を採用することとのニ件で、この決定は将来動かさぬのである。即ちこの方針によれば音韻文字を採用するのであるから、無論象形文字たる漢字は使用せぬことに定めたのである。[…]文章は言文一致体を採用するから従来の如き日常の言語と懸け離れて居る文体は排斥するのである。

加藤弘之(委員長)

【よみもの】 田中館愛橘


田中館愛橘の ローマ字短歌
(やまとコレクション)

「言霊の 弥(いや)栄えゆく 道見えて タイプライター たたく楽しさ」と かいて あります。

ローマ字運動の 父と よばれる 田中館愛橘は いまの 岩手県二戸市出身で,東京大学理学部に まなびました。かれの 専門は いまで いう 地球物理学ですが,その 業績は 物理学の ひろい 領域に わたって います。日本の 物理学の そだての 親と いっても いいでしょう。かれは よっつの 分野に おおきな あしあとを のこしました。それは 地震・航空機・メートル法・ローマ字です。

地震の 研究では 1891(明治24)年に おこった 濃尾大地震で 根尾谷の 大断層を 調査 して います。そのとき 被害の 惨状に 心を いため,地震の 災害を 科学的に 研究 しようと 提案 しました。こうして 地震の 災害を 専門に 研究 する「震災予防調査会」が できました。航空機の 研究では 国際航空連盟の 会議に 出席 した ほか,東京大学の 中に 研究所を つくりました。メートル法の 推進では 国際度量衡委員会の 会議に 出席 した ほか,さまざまな ところに メートル法を すすめて まわりました。その 結果,1921(大正10)年に メートル法を 基本と する 法律が できましたかれは 航空機の 研究を して いた せいか,軍人との つながりが おおく,ときには かなり いさましい 発言を する ことも あった ようです。1944(昭和19)年の 貴族院議員本会議の 演説で 原爆開発に 言及 した ことも あります。

ローマ字では 日本式を となえた ことが もっとも おおきな はたらきです。ヘボン式を 否定 できなかった「ローマ字ひろめ会」から はなれて「日本のローマ字社」「日本ローマ字会」を たちあげました。1930(昭和5)年には「臨時ローマ字調査会」の 委員に なって います。ここで つくられた ローマ字が 現在 つかわれて いる 訓令式ですが,これは 日本式を あたらしく した 方式と いえます。貴族院議員でも あった かれは 議会で 演説 する ことも ありましたが,そのとき かならず ローマ字の はなしを いれるので,それが 名物に なる ほどでした。科学の はなしを 一般人むけに かたる 講演の 活動にも 力を いれて いたのですが,ローマ字の はなしを ださない ように 条件を つけられた ときは,ヘソを まげて その 依頼を ことわって しまった そうです。

かれの 活躍は ほかにも あります。国際連盟の 事務次官で あった 新渡戸稲造の よびかけで 組織 された「知的協力委員会」(国連の「ユネスコ」の 前身)では,アインシュタインや マリ キュリー(キュリー夫人)など,世界から あつまった 一流の 科学者たちと 平和に ついて 論じあいました。

いつでも ズーズー弁 まるだしで,生涯 それを なおそうとは しなかったと いわれて います。葬儀は 東京大学の 安田講堂で おこなわれました。かれの 命日に ちなんで 5月20日は「ローマ字の日」に なって います命日は 21日ですが,キリの いい 20日に なった そうです。5月20日は メートル条約の 締結を 記念 する「世界計量記念日」でも あります。