訓令式の 根拠
KUNREISIKI NO KONKYO

はじめに
Hazime ni

この サイトの たちば
Kono saito no tatiba

ローマ字には「ローマ字のつづり方」 という 公式の ルールが あり,特別な 事情が ない かぎり,日本語を ローマ字で かく ときは 訓令式を もちいる ことに きまって います。あまり しられて いませんが,これが ローマ字の ルールです一般には ヘボン式が 正式の ローマ字だ という かんちがいが ひろまって います。これには おおきな 理由が ふたつ あります。ひとつは 日本の 政府や 経済界が ヘボン式を ごりおし して いる せいで,日ごろ 目に する ローマ字が ヘボン式 ばかりだ という ことです。そのため,ヘボン式が 推奨 された 方式で あるかの ように おもわれて います。もう ひとつは ローマ字教育や 国際理解教育が おろそかに され,一般人が ローマ字や 外国語の 知識から とおざけられて いる ことです。そのため,ローマ字は 発音記号の ような ものだとか,英語風の つづりなら 外国人が ただしい 発音で よめるとか,そんな かんちがいから ヘボン式が すぐれた 方式だと かんがえられて います。このほかにも ローマ字に かんする おもいちがいは たくさん あります。くわしくは「よく ある おもいちがい」を およみ ください。

この サイトも 訓令式を すすめて います。特別な 事情が ない かぎり,ヘボン式を つかわない ように よびかけて います。

ローマ字の 目的
Rômazi no mokuteki

この サイトが 訓令式を すすめる 理由は,まず 第一に ルールで そう きまって いるからですが,ルールは ただの お約束です。ルールに したがえと いいつのるだけでは,思考を とめた 教条主義だと いわれて しまいます。本当の 理由は もっと 本質的な ものです。それは ローマ字の 目的から みちびきだされます。そもそも なんの ために 日本語を ローマ字で かくのか という ところまで たちもどり,その 目的に かなった 手段を えらぶと すれば,それが 訓令式に なるからです。

ローマ字は 日本語の 文章を かく ために あります。くわしくは「ローマ字の 目的」で 説明 して いますが,かんたんに まとめると ローマ字の 本当の 目的は つぎの 3個です。

ローマ字には 方式が たくさん ありますが,訓令式は もっとも この 目的に かなった 方式です。この サイトが 訓令式を すすめるのは これが 理由です。


このあと「日本語らしい かきかた」「合理的な かきかた」「国際的な かきかた」に ついて くわしく 説明 します。

日本語らしい かきかた
Nihongo-rasii kakikata

ローマ字の 設計方針
Rômazi no sekkei hôsin

もともと ローマ字は 外国人が つくった ものでした。初期の ローマ字は 外国人が 日本語を よむ ための 道具で,その つづりかたは 外国人に 都合が いい ように できて いました。ポルトガル式の ローマ字は ポルトガル語を つかって いる 人に 都合が いい ように,オランダ式の ローマ字は オランダ語を つかって いる 人に 都合が いい ように できて いた わけです。しかし,日本式の ローマ字が できた とき,ローマ字は 日本人が 日本語を かく ための 道具に なり,このとき 日本語らしく かく という かんがえが うまれました。くわしくは「日本式の 意味」を およみ ください。

日本式の つづりかたは 五十音図と 規則的に 対応 して いますが,これは 五十音図の タテ・ヨコに ABCを あてはめて つくったからでは ありません。日本語の 性質に あわせて つくったからです。いいかえれば,日本語の はなし手が ことばを 口に だす ときの 気もちに あわせて 設計 した 結果です。

これを 動詞の 活用で 説明 します。「国語」の 勉強を おもいだして,「書ない」「貸ない」「勝ない」の「ない」を「ます」に いいかえて みて ください。こたえは,「書ます」「貸ます」「勝ます」です。ここで 重要なのは,「か」を「き」に,「さ」を「し」に,「た」を「ち」に いいかえた ときに すべて おなじ 気もちで いいかえた ことです。この 事実は 日本語の 中で「か:き」「さ:し」「た:ち」が おなじ 関係に ある ことを しめして います。そこで,ローマ字も「か:き」「さ:し」「た:ち」が おなじ 関係に なる ように すれば 日本語らしい つづりかたに なり,日本語の はなし手が おぼえやすく つかいやすい ローマ字に なる はずです。

このような かんがえで,〈カ〉〈キ〉を ka, ki,〈サ〉〈シ〉を sa, si,〈タ〉〈チ〉を ta, ti と かく ルールが できました。これが 日本式の 設計方針です。そして,この 日本式を あたらしく したのが 訓令式です。

では,ヘボン式は どうでしょうか。アメリカ人の ヘボンが つくった 和英辞典は みだし語が ローマ字・カタカナ・漢字で かかれて いました。ローマ字を 勉強 すれば,漢字や かな文字を よめない 外国人でも よみかたが わかります。つまり,この ローマ字は 発音を しめす ものでした。英語の はなし手が つかう 辞典ですから,その つづりかたは 英語に にせて ありました。これが ヘボン式の 設計方針ですみだし語を ならべる ためにも ローマ字は 必要でした。みだし語は ABC順に ならべないと 外国人は 単語を さがせません。なお,ヘボン式が 英語に にて いるのは 子音だけです。母音は まったく ちがいます。

このように,訓令式は 日本語らしい つづりかた,ヘボン式は 英語風の つづりかたですが,それは はじめから そういう 設計方針で つくって あるからです。

五十音図
Gozyûon-zu

五十音図は 日本語の 音声を ならべた 表です。五十図では なく 五十図ですから,文字では なく 音声が ならんで いるのだと かんがえて ください。五十音図 という 名前が できたのは 江戸時代ですが,配列の おおよその 形が できたのは 平安時代の 末 くらいです五十音図の もっとも ふるい 資料は「孔雀経音義」(1004~1028年ごろ)ですが,その 配列は いまと ちがいます。「アイウエオ」順は 12世紀の はじめごろから,「アカサタナハマヤラワ」順は 13世紀から おおく なり,いまと おなじ 配列に かたまったのは 17世紀です。

五十音図には 規則性が あり,おのおのの 行・段に おなじ 子音・母音が ならんで います。ただし,この 規則性は すこし みだれて いる ように みえる ところが あります。たとえば,タ行です。「た・ち・つ・て・と」は おなじ 行に ならんで いますが,「ち」と「つ」の 子音が ほかの 子音と ちがいます。そのため,物理的な 音声が ならんで いると かんがえれば,五十音図は 規則性が みだれて います物理的な 音声で かんがえれば,タ行は みっつの 系列に わけないと いけません:〈・ティ・トゥ・〉〈チャ・・チュ・チェ・チョ〉〈ツァ・ツィ・・ツェ・ツォ〉。

けれども,五十音図の 規則性は みだれて いません。五十音図の 配列を きめて いるのは 物理的な 音声では ないからです。五十音図の 配列を きめて いるのは 音韻(おんいん)という 心理的な 音声です。音韻とは ある 言語の 中で ことばの 区別に かかわる 音声です。いいかえれば,ある 言語で くらして いる 人が ちがいを 意識 して いる 音声です。ことばの 区別に かかわらない 程度の わずかな 発音の ちがいは 意識 する 必要が ありません。

そして,日本語で くらして いる 人は「た・ち・つ・て・と」の 子音の ちがいを 意識 して おらず,じっさいには ちがう 発音を して いても,タ行の 子音は すべて おなじだと おもって います。「勝たない」「勝ちます」「勝つとき」の 発音は〈カナイ〉〈カマス〉〈カトキ〉で あって,〈カナイ〉〈カティマス〉〈カトゥトキ〉では ないでしょう。これは〈チ〉と〈ティ〉の ちがいや〈ツ〉と〈トゥ〉の ちがいを 意識 して いないからです。日本語で くらして いる 人に とって「た・ち・つ・て・と」は 共通の 子音を もつ グループです。日本語が もっている この 性質から「た・ち・つ・て・と」は おなじ 行に ならんで います。

もともと「た・ち・つ・て・と」の 発音は〈タ・ティ・トゥ・テ・ト〉でしたが,発音が かわって〈タ・チ・ツ・テ・ト〉に なりました。日本語は ながい 歴史の 中で「た・ち・つ・て・と」の 発音を すこし かえた わけです。しかし,これらを おなじ グループと みなす 性質は かえませんでした。これは 日本語が たいせつに して きた 性質だと かんがえられます。五十音図は 日本語の 音声を まとめて ならべただけの 表では ありません。日本語が まもりつたえて きた 性質を あらわして いる 表です。「ローマ字表」が 五十音図と 規則的に 対応 する 訓令式が 日本語らしい つづりかたで あると いえるのは こういう わけです。

この あとは,もう すこし 具体的な 例を しめします。

動詞の 活用
Dôsi no katuyô

動詞「押す」の 活用は,押ない・押ます・押・押とき・押ば・押・押うです。ここで,色を つけて 強調 した 部分を よく みて ください。これが サ行です。動詞「勝つ」は,勝ない・勝ます・勝・勝とき・勝ば・勝・勝うです。そして,おくりがなの 強調 した 部分が タ行です。

これを 訓令式で かいた ものが 下の 表ですローマ字で かんがえる ときは 語幹と 語尾を くぎる 位置が かわります。

押-さ ないos-a nai
押-し ますos-i masu
押-すos-u
押-す ときos-u toki
押-せ ばos-e ba
押-せos-e
押-そ うos-ô
勝-た ないkat-a nai
勝-ち ますkat-i masu
勝-つkat-u
勝-つ ときkat-u toki
勝-て ばkat-e ba
勝-てkat-e
勝-と うkat-ô

ここで 気づいて ほしいのは 語幹の ローマ字が すべて おなじ つづりに なって いる ことです(os-, kat-)。そして,そう なるのは 訓令式だから という ことです。ヘボン式では このように 規則的には かけません。ヘボン式は 日本語を 日本語らしく かきあらわす 目的で 設計 されて いないからです。

連濁
Rendaku

つぎは,連濁(れんだく)を みて みましょう。連濁とは ふたつの ことばから 複合語が できる とき,うしろの ことばの 先頭が にごる 現象です。(かな文字で かく ときは 濁点が つく。)

 猿
子猿
    saru
  kozaru
 汁
梨汁
    siru
nasiziru
 炭
消炭
    sumi
kesizumi
 背
猫背
    se  
nekoze  
 空
青空
    sora
  aozora
 針
編針
    hari
 amibari
 人
恋人
    hito
 koibito
 舟
小舟
    hune
  kobune
 塀
石塀
    hei 
 isibei 
 堀
内堀
    hori
 utibori

これは〈サ・シ・ス・セ・ソ〉が〈ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾ〉に,〈ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ〉が〈バ・ビ・ブ・ベ・ボ〉に かわる 法則です。ローマ字では,S→Z,H→B という 法則です。

そして,このように ローマ字が 規則的に かけるのは 訓令式だからです。ヘボン式は 規則的に かけません。

「書きゃあ」
"Kakyâ"

ちょっと かわった 例も あります。くだけた 会話 などで「書けば」を「書きゃあ」と いったり しますが,これを かんがえて みましょう。

書けば 
書きゃあ
kakeba
kak 
越せば 
越しゃあ
koseba
kos 
立てば 
立ちゃあ
tateba
tat 
死ねば 
死にゃあ
sineba
sin 
読めば 
読みゃあ
yomeba
yom 
切れば 
切りゃあ
kireba
kir 

ローマ字で かくと,-eba-yâ に なる 法則だと わかります。

そして,このように ローマ字が 規則的に かけるのは 訓令式だからです。ヘボン式は 規則的に かけません。

【よみもの】の「てふてふ」も およみ ください。


上で しめした 例から,訓令式は 日本語らしい かきかただ という 意味が よく わかるのでは ないでしょうか。訓令式が 唯一の 方法で あるとか 最良の 選択で あるとは いいきれませんが,日本語を 記述 する 方法としては,ヘボン式より すぐれて いる ことが わかるでしょうワ行は 特別に wa wi wu we wo に すると より 規則的に なります。ワ行五段活用の 動詞の 活用を かんがえて ください。例:「思う」「買う」「笑う」。なお,訓令式にも 四つ仮名(じ・ず・ぢ・づ)の かきかたに すこし まずい ところが あり,連濁 などを 単純な 法則で 説明 できない ことが あります。これに ついては「もっと 日本語らしい かきかた」を およみ ください。

合理的な かきかた
Gôriteki na kakikata

TI か CHI か
TI ka CHI ka

訓令式の つづりかたは おかしい という 人が います。〈シ〉をsi と かいたり〈チ〉を ti と かいたり するのは 変で,〈シ〉は shi で〈チ〉は chi だと いう わけです。しかし,これは まちがいです。ローマ字を 発音記号の ような ものと おもいこんでいる 人が この かんちがいを して います。

表音文字は 発音記号と まったく ちがう ものです。発音記号の かきかた・よみかたは 世界共通ですが,表音文字の かきかた・よみかたは 言語に よって かわります。ABCで かく 言語は 世界に たくさん ありますが,おなじ ABCを つかって いても,どんな 音声を どんな つづりで かくか,どんな つづりを どんな 音声で よむか,それは 言語に よって ちがいます。

〈チ〉を chi と かくのは 英語の かきかたです。〈チ〉は,ドイツ語なら tschi,イタリア語なら ci,中国語なら qi と かくかも しれません。chi を〈チ〉と よむのは 英語の よみかたです。chi は,フランス語なら〈シ〉,ドイツ語なら〈ヒ〉,イタリア語なら〈キ〉と よむでしょう。


プーチン 大統領

ロシアの 大統領 プーチン(キリル文字表記:Путинラテン文字表記:Putin)は〈プーチン〉に ちかい 発音です。ブラジルで はなされて いる ポルトガル語でも ti の 発音は〈チ〉ですから,ブラジル独立運動の 英雄 Tiradentes は〈チラデンテス〉です。サッカー選手の 城彰二(じょう しょうじ)は スペインの チームに 在籍 して いた とき 名前を Jo と かいて いたので〈ホー〉と よばれて いた そうです。もし ドイツの チームだったら〈ヨー〉と よばれた ことでしょう。

このように,音声と つづりの 対応は 言語に よって まちまちです。それぞれの 言語の 性質に あわせた ルールに して あるからです。ローマ字も 日本語の 性質に あわせた ルールに すれば いいでは ありませんか。むしろ,そう しなかったら 変でしょう。英語では ca が〈キャ〉,ci が〈スィ〉,co が〈コ〉に なったり するのですから,日本語で ta が〈タ〉,ti が〈チ〉,tu が〈ツ〉に なったと しても,ちっとも 変では ありません。


表音文字が 発音記号で ない 事実は 外国語を まなぶ とき はじめに 理解 しなければ ならない 基礎知識ですが,日本の 外国語(英語)教育では それが きちんと おしえられて いません。ローマ字を 英語の 発音を おしえる 道具と かんがえて いる 英語教師も います。この ような 現状が かんちがいを まねいて います。

ヘボン式は 日本語を かくのに 適さない
Hebonsiki wa Nihongo o kaku no ni tekisanai

ヘボン式は 日本語を かくのに 適して いません。ヘボン式の つづりかたは 五十音図と 規則的に 対応 して おらず,「ローマ字表」が すこし みだれて います。ヘボン式を つかう ときに かんじる 不自然さは ここから きて います。ヘボン式を このんで つかって いる 人が,うっかり まちがって,「つ」を tu と かいたり「じゃ」を jya と かいたり して いるのを みた ことが あるでしょう。これは ヘボン式が 日本語の はなし手の 感覚に あって おらず,つかいにくいからです。

b, m, p の 前の 撥音(ん)を m に する 規則は ヘボン式の 特徴です。しかし,日本語は b, m, p の 前の 撥音と そうで ない 撥音とを 区別 しないので,この 規則には 意味が ありません。それどころか,むしろ 有害です。ヘボン式では,「新人」と「新米」で「新」の つづりが ちがい,「回覧」と「回覧板」で「回覧」の つづりが ちがうので,検索が やりにくく なります。「あん」を 検索 しても「あんパン」が ヒット しないかも しれません。また,名前や ことばを ABC順に ならべる ときの 順序が くるって しまい,名簿・辞書・索引 などが つかいにくく なります。野田さん・野間さん・本田さん・本間さんの 順序を かんがえて みて ください。日本語を たいせつに する たちばから いえば,これは ヘボン式が もって いる 致命的な 欠点です。この 問題は「「あんパン」は ampan か?」でも 説明 して います。

shinjin(新人) shimmai(新米)
sangaku(山岳) sammyaku(山脈)
an(あん) ampan(あんパン)
kairan(回覧) kairamban(回覧板)
Noda(野田) Noma(野間)
Honda(本田) Homma(本間)

ch の 前の 促音(っ)を t に する きまりも 日本語では 意味が ありません。これを しらない 人や,つい わすれて しまう 人も おおい ようで,「あっち こっち」を acchi kocchi,「抹茶」を maccha と かく 人が よく います。

ヘボン式は 英語の はなし手が 日本語の 発音を ききとって 英語流の つづりで かきうつした,英語の はなし手 専用の ふりがな みたいな ものです。これは 日本人が 英語の 発音を ききとって 日本語流の つづりで かきうつした「ディス イズ ア ペン」式の カタカナ表記と おなじ ものです。「ディス イズ ア ペン」が 英語を かくのに 適して いない ように,ヘボン式は 日本語を かくのに 適して いません。

ヘボン式は 外国人に 不親切
Hebonsiki wa gaikokuzin ni husinsetu

訓令式は 外国人に とって よみにくいと いわれます。これは じっさいに その とおりです。しかし,よみにくいのは ヘボン式も おなじです。ヘボン式なら 外国人が ただしい 発音で よめると おもって いる 人は おおいのですが,そんな わけが ありません。ローマ字は 日本語です。外国人から みれば 外国語です。外国語の つづりは 勉強 しなければ よみかたが わかりません。勉強 して よみかたを おぼえても,練習 しなければ ただしい 発音は できません。ローマ字の よみかたを しらず 日本語の 発音も できない 外国人が ローマ字を ただしい 発音で よめる はずが ないでしょう。

こまかい ことを いえば,ヘボン式には 英語と にて いない ところが あります。わかりやすいのは 母音の かきかたで,これは ちっとも 英語風では ありません。ほかにも ヘボン式を 英語風に よむと ただしい 発音に ならない ばあいが あります。gi は〈ジ〉と よまれる 可能性が ありますし,mu は〈ミュ〉と よまれる おそれが あります。fu は 下唇を かるく かんで 発音 されるかも しれません。英語の はなし手で tsu を〈ツ〉と よめる 人は あまり いないでしょう。このように,ヘボン式は 英語の はなし手に たいしてさえ 親切と いえない ところが あります。

ほとんどの 外国人は 英語を はなしませんから,ヘボン式は ほとんどの 外国人に 不親切です。じっさい,非英語圏の 外国人は ヘボン式を ただしい 発音で よめません。その昔,外交官の 珍田捨巳が フランス人から「シンダ,シンダ」と よばれるので 閉口 された という わらいばなしが のこって いる ほどです。いまなら イチローが イタリア人から「イキロ,イキロ」と よばれるかも しれません。外国語の つづりを ただしい 発音で よめないのは あたりまえで,日本人が Hepburn を「ヘボン」と よんだり「ヘップバーン」と よんだり して いるのと おなじですChinda, Ichirochi を,フランス語の はなし手は〈シ〉と よみ,イタリア語の はなし手は〈キ〉と よみます。ローマ字の「ヘボン」と「ローマの休日」の「ヘップバーン(ヘプバーン)」は おなじ つづりで,本当は おなじ 発音です。

日本語の ただしい 発音を 外国人に つたえたいと かんがえて ヘボン式を 採用 する ことは おおい ようですが,これには まったく 意味が ありません。外国人は どの 方式の ローマ字を みても ただしい 発音では よめないからです外国の 固有名詞を かく やりかたには 2種類 あります。原つづりを 尊重 する やりかたと 原音を 尊重 する やりかたです。原つづりを 尊重 する やりかたに すると,表記の ゆれが おこらないので,検索 などには 便利です。おなじ 文字を つかって いる 国の あいだでは この 方法が よく つかわれます。たとえば,アメリカ人は「パリ」を Paris と かいて〈パリス〉と よんで います。ちがう 文字を つかって いる 国の あいだでも ローマ字を つかえば この やりかたに できます。たとえば,アメリカ人は「北京(ペイチン)」を Beijing と かいて〈ベイジン〉と よんで います。ちかごろは 原音を 尊重 する やりかたも ふえて きて います。とくに 人名では 両方を 尊重 する ことも おおく なって います。アメリカ人は Bach(バッハ)を 〈バック〉と いわなく なって きた そうです。日本も 漢字で かいて 日本の 発音で よんで いた 韓国人の 名前を 原音に ちかづけた カタカナ表記に かえました。ただし,中国の 固有名前は 例外で,「習近平」を「シー チンピン」に して いません。日本と 中国は おたがいに 原つづりを 尊重 して いる ように みえます。しかし,日本の 漢字と 中国の 漢字は ちがいますし,日本には かな文字や 国字(いわゆる 和製漢字)で かかれる 固有名詞も ありますから,日本と 中国の あいだで おたがいに 原つづりを 尊重 する 対応は できて いません。ところが,この 事実を 指摘 する 声は あまり きかれません。マスメディアが かたる「相互主義」を うのみに して いる 人が おおい ようです。

言語学の 理論
Gengogaku no riron

まだ 訓令式が なかった ころ,ヘボン式の 支持者と 日本式の 支持者は はげしく 対立 して いました。ヘボン式日本式は 根本的な ところで かんがえかたが ちがい,ながい あいだ 平行線の 議論が つづいて いました。

ところが,1930年代に なって 言語学の 音韻論(おんいんろん)が 発達 して きた ことで ようすが かわりました。音韻論とは,音声の 物理的な ちがいで なく,機能的な ちがい(ことばの 中での はたらきの ちがい)を 重視 する かんがえかたです。

これは 日本式の 支持者が ずっと 主張 して いた ことです。日本式が 学術的な 裏づけを えた わけです。それまで 日本式の 支持者には いわゆる 理系の 人が おおかったのですが,ここに きて 世界の 言語学者たちの 中でも 日本式を 支持 する 声が 圧倒的に なりました。

1937(昭和12)年,こうして 訓令式が できたのでした。訓令式ヘボン式の かんがえかたを しりぞけて,日本式の かんがえかたを うけつぎました。かんたんに いえば,日本式を あたらしく した ものが 訓令式です。

現在,言語学の 専門家で 日本語を 記述 する ローマ字として ヘボン式を 支持 する 人は いないと おもわれます。訓令式が できた とき,学問的には 結論が でて いた わけです。本当なら いまは 世の中の 制度を どうやって あらためて いくかを はなしあう ステージに はいって いなければ ならないのですが,じっさいは そう なって いませんじっさいは むしろ さかさまに すすんで います。文部科学省の 中にも ヘボン式で 統一 する かんがえが あると いわれて います。学術雑誌でも ヘボン式が はばを きかせて いて,言語学者でさえ 自分の 名前を「英語式」で かく 人が ほとんどです。一部の 社会言語学者や 哲学者を のぞいて,学者は いわなければ ならない ことを いわず,世の中に たいする はたらきかけを まったく して いません。そのため,日本語は ねじまげられ,つかいにくく なって,おとろえて いく 一方です。このままでは 日本語を 研究 する 人も へって いき,過去の すぐれた 業績も かえりみられなく なるでしょう。官僚・学者に たいする 政界・財界からの 圧力は 一般人に うかがいしれない 部分が おおいのですが,ここは たかい 志を もった 人たちが 力を あわせて なんとか 筋を とおして ほしい ところです。

国際的な かきかた
Kokusaiteki na kakikata

ABCで かけば いい?
ABC de kakeba ii?

ローマ字には 日本語を 世界に ひらかれた 文字で かく 目的が あります。だから,ラテン文字(ABC)で かいて います。

ただし,文字を ABCに する ことだけが 目的なら,ローマ字の 方式は なんでも いい ことに なります。訓令式でも ポルトガル式でも いいでしょう。ヘボン式で なければ ならない 理由は ありません。

英文の 中なら ヘボン式?
Eibun no naka nara Hebonsiki?

ヘボン式を すすめる 人は つぎの ように いうかも しれません。「なるほど,日本語の 文章を すべて ローマ字で かくなら 訓令式が いいだろう。けれども,ふつう そんな 文章は かかないじゃ ないか。ローマ字を つかうのは 英文の 中に 日本の 人名や 地名を いれる とき くらいだ。英文の 中に かく ローマ字は 英語と 親和性の たかい ヘボン式が いいだろう。」しかし,これは あやまりです。

日本語の はなし手が 英文を かく とき,その ほとんどは 英語の はなし手に むけて かいて いるのでは ありません。世界に むけて かいて います。それなら 日本の 固有名詞を 英語風の つづりに する 必要も ないでしょう。フランス人や ドイツ人が 英語で 学術論文や ビジネス文書を かく とき,フランスの 人名や ドイツの 地名を 英語風の つづりに するでしょうか。そんな ことは しません。たとえ 英文の 中でも,フランスの 人名は フランス語流の つづりで かき,ドイツの 地名は ドイツ語流の つづりで かきます。これが 世界の 常識です。

このように,世界に むけて かく 英文の 中では,日本の ことばを 日本語流に かくのが あたりまえで,訓令式で かけば いい わけです。

表記の 国際化は ローマ字化
Hyôki no kokusaika wa Rômazika

表記を 国際化 するには 英語で かけば いいと かんがえて いる 人は おおいでしょう。けれども,それは まちがいです。英語が 世界中で 通用 すると おもって いる 日本人は おおい ようですが,事実は まったく ちがいます。英語で くらして いる 人は おおよそ 世界の 人口の 7% しか いません。ほとんどの 外国人は 英語を はなしませんし,まともに よみかき する ことも できません。英語が つうじる イメージが ある インドでも,じっさいに 英語が できる 人は 人口の 3% 以下です昔,ヨーロッパの 共通語は ラテン語でした。それが やがて フランス語に かわり,100年 ほど 前までは フランス語が 世界で もっとも つよい 言語でした。マルコ ポーロの「東方見聞録」は イタリア語で なく ふるい フランス語で かかれて いましたし,日本と ロシアが むすんだ ポーツマス条約(日露講和条約)も フランス語で かかれた ものが 正文でした。いまは 世界中で 英語が つかわれて いますが,その 英語も 500年前は イングランドと スコットランドで しか つかわれて おらず,はなし手は わずか 500万人でした。言語には うきしずみが ある わけです。現在,英語を 母語と する 人は 3.5億人から 4億人です。第2言語として 英語を つかう 人も いれると 17億人 ほどに なりますが,これでも 世界の 人口の 4分の 1 くらいです。ちかい 将来,学術論文・新聞記事・契約書・取扱説明書 などは 機械で 翻訳 できる ように なり,情報を つたえる 手だてとしての 英語は ねうちを うしなって いくでしょう。日本で 英語を つかう 場面は どんどん ふえて いると いわれますが,それを 実証 する データは ありません。英語を 世界の 共通語だと おもって いるのは 日本人だけでは ないでしょうか。外国人の しりあいが たくさん いる 人でも この かんちがいを して いる ことが あります。本当は 英語が できる エリートと つきあって いるだけなのに,外国人は みんな 英語が できると 錯覚 して しまうからです。

たしかに,いまは 英語が もっとも つよい 言語です。しかし,本当の 国際化とは つよい ものが よわい ものを おしのけて わがもの顔で ふるまう ことでは ありません。つよい ものと よわい ものが ひとしく たいせつに あつかわれる ことです。英語を 世界の 共通語と みなす かんがえは 国際化の 理念から もっとも とおい ところに あると いえます。いまの ところ,本当の 意味で 世界共通の 言語と よべる 言語は ありませんこの 理念に もとづいて かんがえだされた,もっとも よく できた 言語は エスペラントです。これは 人工の 言語で,建前としては 特定の 国・地域や 民族に 肩いれ する 不平等が ありません。小学校で こどもに 英語を 勉強 させるのは やめて エスペラントを まなばせる ほうが いいかも しれません。その ほうが はるかに 教育的ですし,その あとで 英語を やると わかりやすい という メリットも あります。

北京オリンピックの とき「北京」は Beijing と かかれて いました。これは 中国語の ローマ字表記です。日本も 国際的な 場で 日本語を かく ときは ローマ字を つかう べきです。それが 国際社会で のぞまれて いる ふるまいかたです。

日本語は 日本語らしく
Nihongo wa Nihongo-rasiku

フランス語は フランス語らしい つづりかた,ドイツ語は ドイツ語らしい つづりかたです。中国の ローマ字は 中国語らしい つづりかた,韓国の ローマ字は 韓国語らしい つづりかたです。どんな 言語も それを つかって くらして いる 人が つかいやすい つづりかた,その 言語の 性質に あわせた つづりかたに なって います。それが あたりまえでしょう。ところが,日本は この あたりまえの ことが できて いません。

国際的な 場では 日本語を 日本語らしく かく べきです。そう しなかったら,外国人には 日本人が 日本語を たいせつに して いない ように みえます。このような 態度は 国際社会で 尊敬 されません。いまの ままだと 日本は 国際感覚が 未熟な 国だと おもわれて しまいます。

【よみもの】 てふてふ
[Yomimono] Tehutehu


てふてふ

おなじ ことばでも 昔の 発音と いまの 発音は ちがいます。いまは「チョウ(蝶)」を「てふ」と かいたら じっさいの 発音と まったく ちがうので 不自然ですが,昔の 人に とっては「てふ」が 自然でした。このように 日本語の 発音は ながい 歴史の 中で さまざまな 変化を して きましたが,その 中には かんたんな 法則で 説明 できる ものが あります。そんな 例を ふたつ しめします。

ひとつは,「峠」「そう(副詞)」「扇」「雑煮」の 変化です。それぞれ,「たうげ」から「とうげ」に,「さう」から「そう」に,「あふぎ」から「おうぎ」に,「ざふに」から「ぞうに」に かわりました。

かな文字表記では 変化の 法則が よく わかりませんが,ローマ字表記に すると au, ahuô に かわった ことが みえて きます。

taugetôge(峠)
sau(そう)
ahugiôgi(扇)
zahunizôni(雑煮)

もう ひとつは,「~でしょう」「料理」「今日」「チョウ」の 変化です。それぞれ,「~でせう」から「~でしょう」に,「れうり」から「りょうり」に,「けふ」から「きょう」に,「てふ」から「ちょう」に かわりました。

これも ローマ字に すると eu, ehu に かわった ことが わかります。

-deseu-desyô(~でしょう)
reuriryôri(料理)
kehukyô(今日)
tehutyô(チョウ)

このとき,ローマ字の 方式を ヘボン式に すると うまく いきません。学校の「国語」で 訓令式を おしえる 理由が よく わかるでしょう。