ローマ字の なりたち

初期の ローマ字

島津斉彬
島津斉彬

ローマ字を 発明 したのは 日本人では ありません。16世紀の 末に 日本に やってきた イエズス会の 宣教師たちです。彼らは 布教の ために 日本語を 勉強 していましたから,当時の 日本語を 彼らの 言語で ある ポルトガル語に にせて 書いた テキストなども つくっていました。ポルトガル語は ラテン文字で 書く 言語なので,彼らは 日本語を ラテン文字で 書いた ことに なります。これが 最初の ローマ字で,ポルトガル式ローマ字と よばれています。きっと フランシスコ ザビエル(シャビエル)も これを つかっていたのでしょう。しかし,この ローマ字は 日本人の あいだに ひろまらず,キリシタン弾圧が はじまると,すがたを けして しまいました。

18世紀に なると 今度は オランダ語風の ローマ字が つくられました。これも 一般の 日本人には ひろまらず,蘭学者など 一部の 人たち だけで つかわれました。幕末の 薩摩藩主 島津斉彬(しまづ なりあきら)は,この オランダ式ローマ字で 日記を 書いていました島津斉彬は「日の丸」を 日本の 船の 旗に しようと 提案 した ことでも しられています。

ヘボン式 登場

ヘボン
ヘボン

1867(慶応3)年,アメリカ人の 宣教師 ヘボンが 和英・英和辞典「和英語林集成」を つくりました。これは 英語の 話し手が つかう 辞書で,みだし語は ローマ字と 漢字と カタカナで 書かれ,ABC順に ならべられていました。ここで つかわれた 英語風の ローマ字が ヘボン式です。

ヘボン式は 日本語を 英語に にせて 書く 方式です。英語の 話し手が つかう ために つくられた ものだからです。日本語を まったく しらない 人でも,それを 英語風に 読めば,日本語の 発音を ある程度は 再現 できる ように 工夫 してあります。

ただし,ヘボンが「和英語林集成」の 初版で もちいた ローマ字は,現在の ヘボン式と すこし ちがいます。今の ヘボン式は,ローマ字を ひろめる 運動を していた「羅馬字会」という 団体が ヘボンの アイデアに すこし 手を くわえた ものです。「和英語林集成」も 第3版からは この 修正バージョンを 採用 しています。

日本式 登場

田中館愛橘
田中館愛橘

1885(明治18)年,物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が「理学協会雑誌」に「理学協会雑誌を羅馬字にて発兌するの発議及び羅馬字用法意見」を 発表 して,ヘボン式に かわる あたらしい ローマ字を 提案 しました「発兌(はつだ)」とは 書籍や 紙幣を 印刷して 世に だす こと,発刊・発行 する ことです。

この ローマ字は 天文学者 寺尾寿(てらお ひさし)の アイデアでしたが,田中館は それを 学術雑誌で つかおうと いった わけです実は 寺尾寿の オリジナルでは なく,すこし 前から これと おなじ ような ローマ字が つかわれていました。それを 体系的に まとめたのが 寺尾寿や 田中館愛橘らの グループです。。このとき はじめて 日本人が つかう ための ローマ字が かんがえだされたと いえます。のちに 日本式と よばれる ことに なる この 方式は,日本語を 日本語らしく 書ける ように 設計 された,合理的な ローマ字です。

しかし,すでに 定着 しつつ あった ヘボン式を 変更 する ことに 抵抗を 感じる 人も おおかった ようです。1886(明治19)年,田中館の 提案は「羅馬字会」の 総会で 否決 されて しまいます。そのため,田中館は「羅馬字会」を はなれる ことに なりました。

ここから ヘボン式日本式の 対立が はじまります。それぞれの 支持者は はげしい 議論を たたかわせ,それぞれの 方式を 熱心に 宣伝 しはじめました。その 結果,1913(大正2)年には 中央気象台が 日本式を 採用 し,1917(大正6)年に 陸軍陸地測量部の 地図が 日本式に なり,1922(大正11)年に 海軍水路部の 海図が 日本式に なり,1927(昭和2)年に 鉄道省の 駅名表記が ヘボン式に なりました。1928(昭和3)年には 陸軍省が,1929(昭和4)年には 海軍省が 日本式を 採用 しています。

おおづかみには,ふかい かんがえの ない 一般人と アメリカかぶれの 人が ヘボン式の 支持者,理論的な 思考を このむ 理系の 人と 日本固有の ものを おもんじる 保守派の 人が 日本式の 支持者,という 図式に なるかも しれませんいわゆる 理系の 人には 昔から ローマ字論者が おおかったと いわれています。特に 昔は 日本式訓令式の 支持者が おおかった ようです。ローマ字論者が おおかった 理由は,常に 国際的な 情報交換を している 理系の 人は 日本語の 閉鎖性を 意識 する ことが おおかったからでしょう。日本式訓令式の 支持者が おおかった 理由は,自然科学の 分野で ドイツ語や フランス語が 影響力を もっていた 時代には,理系の 人が 英語を 相対化 する 視点を もっていたからでしょう。たとえば,ドイツ語の 論文を よく 読む 学者なら,〈チ〉を chi と 書いたり ja を〈ジャ〉と 読んだり するのは おかしいと 感じます。ドイツ語が そうでは ないからです。

訓令式 できる

ローマ字の 方式が 統一 されていない ことは 日本 だけの 問題では なく,外国も 日本の 地名表記が さだまらないので こまっていました。1928(昭和3)年,とうとう 万国地理学会議が 日本に,地名表記を 統一 して ほしい,と つたえてきました。

そこで,文部省は 1930(昭和5)年に「臨時ローマ字調査会」を たちあげ,1937(昭和12)年に 内閣訓令第三号「国語ノローマ字綴方ニ関スル件」が まとまりました。これが いわゆる 訓令式ローマ字です。「訓令」とは 行政機関への 命令です訓令は 上位の 行政機関が 下位の 行政機関に 対して だす 命令です。おおくは 役所の 業務に 関する ものですが,中には 国民の 生活に かかわる 事柄も あり,官報で 公開 されます。これを「告示」と いいます。。これは はじめて 公式の ローマ字が うまれた ことを 意味 します明治時代に 文部省が 教材用の「ローマ字掛図」を つくったり「羅馬字書方調査報告」を まとめたり した ことは ありましたが,公式の ルールとして まとまっては いませんでした。

ただ,この 内閣訓令は あたらしく つくった ローマ字の 方式に 名前を つけていませんでした。公式には はじめて つくった ローマ字なので,訓令の 中でも ただ「ローマ字」と 書いてある だけです。しかし,現実には ヘボン式日本式を つかいつづける 人も いましたから,区別の ために あたらしい 方式にも 名前が 必要でした。それで 自然と「訓令式」とか「国定式」と よばれる ように なり,やがて「訓令式」が 定着 した,という わけです。

ときどき,訓令式ヘボン式日本式の 折衷と 解説 されますが,これは つづりかたの 面から いえば まちがいです。訓令式ヘボン式の かんがえかたを しりぞけて,日本式の かんがえかたを うけついだ 方式です。いわゆる「ローマ字表」も 訓令式日本式は ほとんど おなじです日本式を 支持 していた 専門家の 中には 訓令式を そのまま 日本式と よびつづけ,日本式を「純日本式」と よぶ 人も います。。そのため,ヘボン式を 支持 する 団体や 英語教育に 関係 する 団体の 中には 訓令式に 反対 する うごきも あった ようです。

そういう 意味での 混乱は ありましたが,ローマ字の 方式は すこしずつ 統一に むかっていきました。1938(昭和13)年には 鉄道の 駅名が 訓令式に かわりました。パスポートも 原則として 訓令式に する よう 通達が だされました。1942(昭和17)年には「英語」の 教科書で つかわれる ローマ字も 訓令式に なりました。

ローマ字は 禁止!

しかし,このころは 軍国主義の 時代でした。やがて ローマ字は 非国民思想として 弾圧 される ように なって しまい,ローマ字を ひろめる 運動を していた 団体も 活動 しにくく なりました。

国粋主義から「国語」が 神聖視 される ように なると,日本語の 表記システムを 改革 する,という ような かんがえは 攻撃の 対象に なります。また,ローマ字は 日本の 国際化や 民主化にも かかわっています(くわしくは「ローマ字の 目的」を お読み ください)。当時は これが 危険だと みなされた わけです戦後の 民主化を こころよく おもっていない 一部の メディアや 歴史修正主義者が 社説や ブログで ローマ字の 悪口を 書きたてる ことは 今でも よく あります。

1939(昭和14)年には「左翼ローマ字運動事件」が おこっています。これは 大勢の ローマ字運動家が 逮捕 された 事件です。逮捕者の 中には 当時 非合法と されていた 活動に かかわった 人も いましたが,おおくは 特高警察による でっちあげの 事件でした。ローマ字を ひろめる 運動と 平和を もとめる 思想には かさなりあう ところが あるので,ローマ字運動家は 目を つけられたのでしょう。

ヘボン式 再び

1945(昭和20)年,戦争が おわって GHQによる 占領の 時代が はじまりました。さっそく GHQは 市町村名などを 道や 駅に 英語で 掲示 する 命令を だしたのですが,地名などを ラテン文字化 するのに ヘボン式ローマ字を つかう よう 指定 しました。このため,ローマ字は ふたたび 混乱 しはじめます。

日本国政府ハ一切ノ都会自治町村及市ノ名称ガ此等ヲ連結スル公路ノ各入口ノ両側及停車場歩廊ニ少クトモ六「インチ」以上ノ文字ヲ使用シ英語ヲ以テ掲ゲラルルコトヲ確保スルモノトス名称ノ英語ヘノ転記ハ修正「ヘボン」式(「ローマ」字)ニ依ルベシ

「連合国軍最高司令官総司令部指令第2号 第2部」より

このころは 訓令式を 支持 する かんがえの 中に 国粋主義や 軍国主義が あるのでは ないかと うたがわれていました。なにしろ 訓令式は 国定の 方式で,陸軍も 海軍も それを 採用 していました。GHQの 中には,日本を 民主主義の 国に する ために,是非とも 訓令式を おさえつけなければ ならない,と おおまじめに かんがえる 人も いたのでしょう。訓令式の 支持者だと いうので,あらぬ うたがいを かけられて,ひどい 目に あった 人も いた そうです訓令式が できてから くすぶりつづけていた ヘボン式の 支持者が 日本式・訓令式の 支持者の 悪口を GHQに ふきこんだり したのかも しれません。

しかし,ヘボン式を 強制 したのは そういう 意味からでは なく,ただ 占領軍の 利便性からです。実際,GHQは 学校で おしえる ローマ字の 方式には まったく 介入 しませんでした。どの 方式を おしえても いい ことに なっていて,訓令式日本式を おしえる 学校も おおかった ようです。

日本語表記の ローマ字化?

1946(昭和21)年,GHQの 要請で 日本の 教育を どのように あらためるか 検討 していた アメリカ教育使節団が その 提案を まとめました。さまざまな ことを のべて いますが,その 中に つぎの 部分が あります:

国語の改革
国字の問題は教育実施上のあらゆる変革にとって基本的なものである。国語の形式のいかなる変更も、国民の中から湧き出てこなければならないものであるが、かような変更に対する刺戟の方は、いかなる方面から与えられても差しつかえない。単に教育計画のためのみならず、将来の日本の青年子弟の発展のためにも、国語改革の重大なる価値を認める人々に対して、激励を与えて差しつかえないのである。何かある形式のローマ字が一般に使用されるよう勧告される次第である。[…]文字による簡潔にして能率的な伝達方法の必要は十分認められているところで、この重大なる処置を講ずる機会は現在が最適で将来かかる機会はなかなかめぐってこないであろう。言語は交通路であって、障壁であってはならない。この交通路は国際間の相互の理解を増進するため、また知識および思想を伝達するためにその国境を越えた海外にも開かれなくてはならない。

すこし わかりにくいですが,これは 日本語を ローマ字表記に する ことを いっています漢字廃止の 目的は 日本の 民主化(学習の 容易化),近代化(機械化と 利便性・経済性の 向上),そして 国際化でした。また,漢字は 軍国主義との むすびつきも うたがわれていました。「八紘一宇」「七生報国」「忠君愛国」「滅私奉公」などの ことばで 軍国主義の 教育が おこなわれていた 事実が あるからです。このほか,日本語が ローマ字書きに なれば 検閲に 便利だから,という 理由も ありました。

そして,GHQは 提案 された 項目を,ひとつの 例外を のぞいて,すべて 実際に 命令 しました。「6-3-3制」「男女共学」「教育委員会」「PTA」「社会科」などは すべて このとき できた ものです。

けれども,たった ひとつ だけ 命令に うつされなかった 項目が あります。それが 日本語表記の ローマ字化です。GHQは この 提案に 興味を しめしませんでした。マッカーサー 自身が 否定的な 所感を のべています。ときどき,アメリカは 日本語の ローマ字化を たくらんでいた,などと いう 人が いるのですが,そんな 事実は まったく ありません。

ローマ字教育 はじまる

「ローマ字」の 教科書
「ローマ字」の 教科書

日本政府は ローマ字教育が 重要で ある ことは わかっていました。外国人に 指摘 されなくても,日本語の 表記システムに 問題が ある ことは あきらかです。将来的には 漢字を やめて 日本語を なんらかの 表音文字(ローマ字とは かぎりません)で 書く ように かえていく 基本方針は,すでに 明治時代から きまっていました1902(明治35)年の「国語調査委員会」で,日本語は 言文一致体で 書く こと,文字は 何らかの 表音文字に する こと,などが きめられました。これが 日本の 国語政策の 基本方針でした。この かんがえは のちの「臨時国語調査会」(1921年~),「国語審議会」(1934年~)にも うけつがれ,戦後の 1960年代まで かわる ことは ありませんでした。。また,日本語表記の 改革に 反対 する 保守派が 発言力を よわめていた 時期でも あり,改革派の いきおいが ましていました。

そんな 中,1947(昭和22)年に 文部省が「ローマ字教育の指針」「ローマ字文の書き方」を さだめ,戦前から 一部で おこなわれていた ローマ字教育が 小学校と 中学校で 本格的に はじまりました1950年の 調査に よると,ローマ字教育を おこなっている 学校の 割合は,小学校で 84.3%,中学校で 48.1% でした。

現在,ローマ字教育は 小学校の「国語」で ほんの すこし あつかわれる だけですが,このころは 十分な 時間を とった 授業が おこなわれていました。必修では ない ものの,立派な「ローマ字」の 教科書も ありました必修では なかったので,「国語」の 教科書と 別に なっていました。。図は 昭和20年代に つかわれていた 小学4年生の 教科書です。

読み書き能力テスト

アメリカ教育使節団の 発案で,1948(昭和23)年に 大規模な 読み書き能力 テストが おこなわれました民主主義の 国では 一般人が 書きことばで 情報を 受信・発信 する 能力を もっていなければ なりません。もし テストの 結果が 極端に わるかったら,大胆な 国語改革が 必要かも しれません。それを たしかめる テストです。。実際に 参加 した 人は 約17000人です。全90問,90点満点の テストで 平均点は 78.3点でした。

教育使節団は「識字率は 非常に 高い」と 評価 して,抜本的な 国語改革は 不要で あろうと 判断 しました。しかし,日本の 改革派は「満足な 読み書き能力を もっている 者は 6.2%」と 結論づけ,改革の 必要性を あらためて 確信 しました。

改革派に してみれば,日本人の 日本語能力が おとっている ことは はじめから わかりきっています。だから 日本語の 表記システムを 改革 しようと うったえていた わけです。テストの 問題は 必要と される 読み書き能力の 最低水準で つくって ありましたから,本当なら 満点が とれて あたりまえです。ところが,満点の 人は 4.4%しか いませんでした。ケアレス ミスと おもわれる まちがいを 正解に しても,6.2%にしか なりませんでしたこの テストの 問題は つぎの ような ものでした。試験官が いった ことばを ひらがな・カタカナで 書く:「春に咲くさくら」「食べるウドン」;数字を 書く:「明治28年9月16日」「五丁目番地」;試験官が いった ことばを えらぶ:「こんにあく、こんなゃく、こんにゃく、こんにく、こんにょく」「ミシン、ミシシ、ミシい、ミシレ、ミシツ」「日木、日米、目本、日本、二本」;漢字の 書きとり:「を見る。」「先生お体を大切に。」「みなさん元気ですか。」「私にはがあります。」;意味が 通じる 語を えらぶ:「朝、太陽は(冬、、雨、上)から出る。」;ことばの 意味を えらぶ:「禁煙(スリに御用心、ぼうしをとれ、静かにせよ、ここからはいるな、タバコを吸うな)」;運動会の 告知や 求人広告などを 読んで,その 内容に 関する 質問に こたえる 文章問題。漢字の 書きとりには すこし 手ごわい 問題も ありますが,それでも「保証人」「履歴書」の レベルです。

ローマ字による 教育の 実験

1948(昭和23)年から 小学校の「国語」以外の 授業を ローマ字 だけで おこなう 実験が はじまりました。黒板も ノートも ローマ字で,という 大胆な 実験です。そうして 普通の クラスと 授業の 理解度に ちがいが でるか しらべる 計画でした。

残念ながら,この 実験は 十分な 予算や 日程が わりあてられず,いいかげんに 実施 されました。担当者にも 不誠実な 態度だった 人が おおく,はじめから この 実験を つぶしに かかっていた 節さえ ありますこの プロジェクトは 教育使節団の 勧告を うけて,民間情報教育局が 命令 して おこなわれたのですが,実験の 意義が よく 理解 されていなかった ようです。また,別の 理由として,日本の ローマ字運動家に 対する 偏見も ありました。熱心な ローマ字運動家は 共産主義者だと おもわれたり,日本式訓令式の 支持者は 国粋主義者では ないかと うたがわれたり していました。

この 実験では,ローマ字で 授業を おこなった 児童の ほうが よい 成績を しめしました。実験の 条件が ととのっていれば,もう すこし はっきり した 結果が でたと かんがえられています。実験に くわわった 教師も 児童も 保護者も ローマ字で おこなう 学習に たいへん 満足 していた ことが わかっていますただし,これは 単に ローマ字で 学習 した クラスの ほうが 成績が よかったからとも かんがえられます。教師と 保護者は 結果が よければ 手段は なんでも いい わけで,児童も 親が よろこべば うれしいでしょう。

しかし,この 実験は 3年で うちきられ,それから のち,かえりみられる ことも ありませんでした。

やっぱり 訓令式

GHQに よる 統治は 1952(昭和27)年に おわりました。吉田茂内閣は ローマ字の 混乱を おさめる ため「ローマ字調査分科審議会」を たちあげ,1954(昭和29)年に「ローマ字のつづり方」を まとめました。これは 1937(昭和12)年に つくった 訓令式の 改訂です。

ローマ字のつづり方」は ふたつの 表と「まえがき」「そえがき」だけの シンプルな ものです。第1表は 訓令式の いわゆる「ローマ字表」で,第2表は ヘボン式日本式 の 差分です。そして,通常は 第1表を つかうと 説明 しています。

この 第2表は 1937年版に なかった ものです。ヘボン式日本式の 対立を 解消 して 訓令式を つくった はずなのに,ヘボン式日本式が 復活 した 形です。第2表は「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合」に つかって いい ことに なっていますが,これは 占領軍の 都合で ヘボン式の 掲示物が 町に あふれていたので,それに 配慮 した ものです。しかし,こんな 書きかたでは,結局は どの 方式でも いい,と 解釈 されて しまいそうです。これで ローマ字の 混乱が おさまる はずは ありません。ダブル スタンダード,トリプル スタンダードと いわれても しかたが ないでしょう。

なぜ,こんな ことに なって しまったのでしょうか? この ルールを きめる 会議の 中でも,第2表なんか つくったら ローマ字は 統一 できない,という 懸念が しめされていました。にも かかわらず 第2表が できたのは,その つかい道を きびしく 制限 する つもりだったからで,原案では「教育の場」「公文書」「地名」は 第1表で 書く ことに なっていました。ところが,「ローマ字のつづり方」が できあがってみると,その 制限は なく なっていました。

やっぱり ヘボン式

ローマ字のつづり方」が できても,やはり ローマ字は 統一 できませんでした。それどころか,すすめられていない ヘボン式が いきおいを ましていき,パスポートの 名前の 書きかた道路標識(案内標識)の 地名鉄道の 駅名標など,日ごろ 目に する ローマ字が ヘボン式から 派生 した 書きかたに なって しまいました。

これは 役人の 無知が 原因では ありません。あきらかに 日本と アメリカの 関係が 影響 しています。役人は ルール違反を 承知の 上で やっているのでしょう。また,一般の 国民は ローマ字の 知識から とおざけられて,正しい 知識を もっておらず,そのかわりに アメリカ崇拝と 英語信仰が ありました。

やがて,ローマ字の 本当の 目的は わすれられて しまい,ローマ字は「外国語の 文に 日本語の ことばを いれる ときの 特殊な 書きかた」とか「英語と 日本語の 中間的な もの」などと 勘ちがい される ように なりました。「英語」の 教師は 日本の 地名や 人名を ヘボン式から 派生 した「英語式」で 書く ように なり,日本人の 名前を ローマ字表記 する ときに 姓と 名の 順番を ひっくりかえす 奇妙な 書きかたまで 常識に なって しまいました。

ローマ字教育の おとろえ

ローマ字教育は,小学校が 1961(昭和36)年から,中学校が その つぎの 年から,必修に なりました。

しかし,ここに いたって 日本語表記の 改革に 反対 する 保守派の いかりは 頂点に 達します。国語審議会の 内部で おこっていた 対立も はげしくなりました。そして,とうとう 保守派の 委員が 集団で 脱退 して しまい,それが 国会で とりあげられる 事件に 発展 します。問題を 政治の 場に もちこむ 作戦だったのかは わかりませんが,結果として これが まがりかどに なりました。1950年前後に 国際情勢が おおきく 変化 した ことを きっかけに,政治の 世界では 保守派が いきおいを とりもどしていたからです。

この 騒動で「ローマ字調査分科審議会」は 廃止 され,ここから ローマ字教育は みるみる おとろえていきます。1958(昭和33)年の 学習指導要領では 年間 40時間 以上と されていた ローマ字学習の 時間も へらされていきました今は 学習指導要領に 時間数の 指定すら なく,3年生で 3時間から 5時間 ほど 学習 する だけに なっています。

国語審議会も,独立性を もった 学識者による 建議機関だったのですが,文部大臣の 諮問機関に なり,性格が かわって しまいました。ローマ字運動家が 弾圧 された 軍国主義の 時代でも 国語政策に 政治が 介入 する ことは なかったのですが,このころから 国語政策は 政治の 力で ゆがめられていく ように なります。国語審議会が のっとられて しまった ような ものですたとえば,1966年の 国語審議会総会では,ある 政党の「要望」が 説明 されました。

1980年代に はいると,国語審議会は 人気の ある 歌人などを つかって 世論誘導を する ように なり,戦後(1946年~1959年)に おこなわれた 日本語表記の 改革を つぎつぎと 骨ぬきに していきました2001年の 省庁再編で,国語審議会の 仕事は 文化審議会国語分科会に うつされました。あつかう 対象が「国語」から「文化としての 国語」に なったとも いえます。しかし,その 文化観は なぜか うしろむきです。おまけに,日本語の 表記を どう するかという 技術論から おおきく ふみだして,文化を 意識 した 精神論に かたむいてきました。だんだん 説教くさく なってきたのです。2007年に「敬語」の 分類を みなおしたのは 象徴的と いえるでしょう。近年は「国語で郷土愛を育くむ」という わけの わからない 世界に まよいこんでおり,もはや 倫理・道徳を とく タイプの 宗教団体と みわけが つかない ありさまです。

訓令式が 国際標準に

1989(平成元)年,国際標準化機構(ISO)は 訓令式を ローマ字の 国際標準として 採用 しました(ISO 3602)。訓令式は,日本国内の 標準という だけで なく,世界の 標準として みとめられた わけです規格は 定期的に みなおされる ことに なっています。現在 その 作業が すすんでいて,おおきな 変更が あるかも しれません。ヘボン式に かわるとか 廃止 されるとかの 可能性も あります。。強制力は ありませんが,外国が ローマ字を つかう ときには ISO 3602に したがう ことが 期待 されています。

しかし,日本政府は この 規格に 賛同 する 意思を あきらかに していません。国内で つかわれている おおくの 独自規格を これに あわせて 統一 する うごきも ありません。

中国語や 韓国語にも ローマ字に あたる ものが あり,国際的な 場では,中国も 韓国も それに したがって 固有名詞を 書いています。たとえば,「北京」は Beijing ,「釜山」は Busan と 書かれます。これらの 書きかたは 中国語や 韓国語の 性質に あわせて 設計 されていますから,外国人に とって 読みやすい つづりでは ありません。それでも これらの 書きかたを つかうのは,それが 国際化の 理念だからです。そして,プライドを もった 国なら それが あたりまえだからです。残念ながら,日本は この あたりまえの ことが できていません。

「ローマ字入力」ひろまる

1990年代に はいると 一般の 家庭に パソコンが ゆきわたり,かな漢字変換システムの「ローマ字入力」を つかう 人が ふえました。しかし,この「ローマ字入力」と ローマ字が 混同 される ことも おおく,変な ローマ字が ふえる もとに なっています。

ローマ字入力」の ルールは 各メーカーの 独自設計です。現在は 公式の 規格も ありません以前は JIS X 4063:2000「仮名漢字変換システムのための英字キー入力から仮名への変換方式」という 規格が ありましたが,廃止 されました。

99式の 提案

1999(平成11)年,「日本ローマ字会」が 99式 という ローマ字の 方式を 提案 しました。これは 現代の 日本語を かんがえて 設計 された あたらしい こころみです。

これまでの 方式では 書きかたが きまっていなかった 特殊音(〈ティ〉〈ファ〉〈チェ〉など)にも 対応 しています。長音符号つき文字â, î, û など)を つかわない ので,機械で 日本語を 入力 する 場合に キーボードが あつかいやすく,電子メールなどでも つかいやすい 利点が あります。99式は,現代仮名遣いと「ローマ字入力」に にているので,誰でも すぐに つかえる,やさしい ローマ字です。

ただし,かな文字を ラテン文字に 変換 する 規則として 定義 されていて,音声を 中心に かんがえる ローマ字の 原則から はずれています。したがって,厳密には 正書法としての ローマ字では ありません「日本ローマ字会」は 代書法で あると 説明 しています。。したがって,この 方式が かならずしも ローマ字の すすむ べき 方向を しめしている わけでは ありません。

これからの ローマ字

ローマ字の 書きかたは「ローマ字のつづり方」で さだめられています。しかし,これは 半世紀 以上も 前に つくられた ルールで,いくら なんでも ふるすぎます。それに,「ローマ字のつづり方」が さだめているのは ローマ字の 書きかたの ごく 一部だけで,このほかにも ルール化 しなければ ならない ことが たくさん あります。実際,学校で ならう ローマ字の 知識 だけでは 小学生が 日記を 書く ことすら できません。

ローマ字は あたらしい 理論を もとめています。しかし,議論が できる 人は おおく ありません。それどころか,自分の 名前を ローマ字で 正しく 書けない 人も おおいのが 現実です。学校で ローマ字学習に かける 時間は みじかく,教師も 保護者も 何の ために ローマ字を 勉強 するのかさえ よく わかっていない ようです。インターネットには あやまった 情報が そのまま 放置 されていて,それが ひろまっていくのを とめる すべも ありません。

このような 現状を うちやぶる ため,正しい 情報を ひろめる とりくみを つづけていく ことが 必要です。