「ローマ字のつづり方」
"RÔMAZI NO TUZURIKATA"

はじめに
Hazime ni

いきさつ
Ikisatu

ローマ字には 明治時代から いろいろな 方式が ありました。それらの 中で ヘボン式日本式が 対立 して しまい,かきかたが 統一 されず 混乱 して いましたが,1937(昭和12)年9月21日に だされた 内閣訓令第3号で 公の 分野で つかわれる ローマ字に かんしては ルールが 統一 されました。この 訓令で さだめられた かきかたが 自然に 訓令式と よばれる ように なった わけです。

しかし,訓令式日本式の かんがえかたを うけついだ 方式だったので,これに 反発 した ヘボン式の 支持者は ヘボン式を つかいつづけました。戦後に なると GHQが 一部の 分野で ヘボン式を 強制 した ことも あり,ヘボン式訓令式が 対立 する 形に なって いましたGHQは 道路や 駅に その 名前を 英語で 掲示 する ことを 命令 したのですが,このとき ヘボン式を もちいる よう 指定 しました。これは 占領軍の 都合で そう しただけで,日本に ヘボン式を おしつけようと した わけでは ありません。じっさい,GHQは 学校で おしえる ローマ字の 方式には 口だしを しませんでした。

このような 状況に あった 1954年(昭和29)年12月9日,あたらしい 訓令が だされました。

位置づけ
Itizuke

訓令とは 行政機関に たいする 命令ですが,国民の 生活に かかわる ものも あります。これを 国民に しらせる ことを 告示と いいます。「ローマ字のつづり方」は 告示で,これを 内閣総理大臣が 各官庁に 命令 した 訓令が「ローマ字のつづり方の実施について」です。ローマ字の かきかたは すべての 行政機関に たいする 命令で きまって いますしたがって,民間の 会社や 一般人が これに したがう 義務は なく,会社の 名前 などで 昔から つかって いる ふるい ローマ字の つづりは そのままで かまいません。島津製作所の SHIMADZU や 明治屋の MEIDI-YA が この 例です。外国語風の つづりに して イメージづくりを して いる 商品名や,外国人の 名前に ちなんで つけられた 人名 など,日本語の ローマ字表記と いえない ものも「ローマ字のつづり方」に あわせる 必要は ありません。しかし,そうで ない ことばや 人名を ローマ字で かく ときに,「ローマ字のつづり方」から はずれた つづりに しなければ ならない 特別な 事情 なんて ふつうは ないでしょう。

中身
Nakami

内閣訓令第1号
Naikaku kunrei dai 1-gô

各官庁

ローマ字のつづり方の実施について

国語を書き表わす場合に用いるローマ字のつづり方については、昭和十二年九月二十一日内閣訓令第三号をもつてその統一を図り、漸次これが実行を期したのであるが、その後、再びいくつかの方式が並び行われるようになり、官庁等の事務処理、一般社会生活、また教育・学術のうえにおいて、多くの不便があつた。これを統一し、単一化することは、事務能率を高め、教育の効果をあげ、学術の進歩を図るうえに資するところが少なくないと信ずる。

よつて政府は、今回国語審議会の建議の趣旨を採択して、よりどころとすべきローマ字のつづり方を、本日、内閣告示第一号をもつて告示した。今後、各官庁において、ローマ字で国語を書き表わす場合には、このつづり方によるとともに、広く各方面に、この使用を勧めて、その制定の趣旨が徹底するように努めることを希望する。

なお、昭和十二年九月二十一日内閣訓令第三号は、廃止する。

昭和二十九年十二月九日

内閣総理大臣 吉田 茂

内閣告示第1号
Naikaku kokuzi dai 1-gô

国語を書き表わす場合に用いるローマ字のつづり方を次のように定める。

昭和二十九年十二月九日

内閣総理大臣 吉田 茂

ローマ字のつづり方

まえがき

  1. 一般に国語を書き表わす場合は、第1表に掲げたつづり方によるものとする。
  2. 国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第2表に掲げたつづり方によつてもさしつかえない。
  3. 前二項のいずれの場合においても、おおむねそえがきを適用する。

第1表 〔( )は重出を示す。〕
第1表
第2表
第2表

そえがき

前表に定めたもののほか、おおむね次の各項による。

  1. はねる音「ン」はすべてnと書く。
  2. はねる音を表わすnと次にくる母音字またはyとを切り離す必要がある場合には、nの次に'を入れる。
  3. つまる音は、最初の子音字を重ねて表わす。
  4. 長音は母音字の上に^をつけて表わす。なお、大文字の場合は母音字を並べてもよい。
  5. 特殊音の書き表わし方は自由とする。
  6. 文の書きはじめ、および固有名詞は語頭を大文字で書く。なお、固有名詞以外の名詞の語頭を大文字で書いてもよい。

解説
Kaisetu

第1表と 第2表
Dai 1-pyô to dai 2-hyô

1937(昭和12)年の 訓令は 訓令式だけを さだめて いましたが,1954(昭和29)年の 訓令は「統一」「単一化」と うたいながら 3種類の 方式を さだめて います:第1表の 訓令式,第2表 前半の ヘボン式,第2表 後半の 日本式です第2表の はじめの 5行が ヘボン式で その あとが 日本式です。こまかい ことを いえば,第2表も あたらしい 訓令の 一部ですから,第2表も「訓令式」と よぶ かんがえが なりたちます。ローマ字の 専門家は「ローマ字のつづり方」に かかれて いる ふたつの 表を まとめて「訓令式」または「訓令式新表」と いい,第1表と 第2表を「訓令式(新表)第1表」「訓令式(新表)第2表」と よんで 区別 する ことが あります。

表の かきかたも いいかげんです。第1表は 五十音図の 形に あわせて あるので なんとか 意味が わかります。しかし,第2表は ローマ字に くわしい 人が みないと 意味が わかりません。各方式の 名前も かかれて いません。あとでも ふれますが,ヘボン式は「ローマ字表」以外の こまかい ルールが 説明 されて いません。日本式wi, we も みあたりません。そのほかの 説明も あいまいで,方式を ごちゃまぜに する「ちゃんぽん式」を 禁止 する きまりすら かかれて いません。ルールの 定義とは おもえない かきぶりです。

まえがきと そえがき
Maegaki to soegaki

「ローマ字のつづり方」は まえがき,第1表・第2表,そえがきと いう 構成です。まえがきで おおまかな 説明を して,「ローマ字表」を ふたつの 表で しめし,「ローマ字表」以外の こまかい きまりを そえがきで 説明 して います。

まえがきの 第1項と 第2項で,通常は 第1表を つかい,特殊な 事情が ある ばあいに かぎって 第2表を つかって いいと のべて います。つまり,通常は 訓令式を つかい,特別な ばあいに ヘボン式日本式を つかう 例外を みとめると いうのが この 規格の 骨ぐみです。

まえがきの 第2項に ある「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情」と いうのは 特殊な 時代背景を いって います。占領期に GHQが だした 命令の せいで,当時は ヘボン式で かかれた 掲示物 などが たくさん ありました。これらを かきかえるには 時間が かかります。人や 会社の 名前 なども ヘボン式日本式で きめた つづりを 変更 するのは むつかしいでしょう。そこで,これらが 違反に ならない ように して います。

そえがきの 第1項と 第2項は 撥音(ん),第3項は 促音(っ),第4項は 長音(ー)の かきかたを 説明 して います。第4項の 後半は Ôsaka(大阪)を Oosaka に しても いいと いう 意味です。

そえがきの 第5項に ある 特殊音と いうのは 外来語 などで つかわれる【ティ】【ファ】【チェ】などの 音声です。ここでは かきかたを さだめず,自由に かいて いい ことに して います。

そえがきの 第6項 前半は 文と 固有名詞の 先頭は 大文字に する ことを 説明 して います。第6項 後半では 普通名詞の 先頭を 大文字に しても いいと いって います。昔は 普通名詞の 先頭を 大文字で かいて いましたが,戦後は それを 小文字に する かきかたが おおく なって いました。ここでは ふるい 流儀も みとめる ことに して います。

ヘボン式の 仕様の 解釈
Hebonsiki no siyô no kaisyaku

一般的な ヘボン式b, m, p の 前に ある 撥音を m と かき,ch の 前に ある 促音を t と かき,撥音の うしろの くぎり記号を つなぎ(-)に して,長音符号を マクロン(¯)に します。ところが,第2表の ヘボン式は これらの 説明が なく,定義が はっきり しません。

まえがきの 第3項で,第2表を もちいる ばあいも そえがきを 適用 すると いって います。つまり,訓令式でも ヘボン式でも「ローマ字表」以外の こまかい きまりは おなじだと いう わけです。そうだと すれば 第2表の ヘボン式は,b, m, p の 前に ある 撥音を n と かき,ch の 前に ある 促音を c と かき,撥音の うしろの くぎり記号を きる印(')に して,長音符号を 山形(^)に する ことに なります。

一般的な ヘボン式第2表の ヘボン式
電波dempadenpa
一致itchiicchi
空港kūkōkûkô
原因gen-ingen'in

この サイトは そう 解釈 して います。この たちばでは,パスポートや 道路標識で つかわれて いる ヘボン式は 第2表の ヘボン式と かきかたが ちがいます。つまり,パスポートや 道路標識の ローマ字は「ローマ字のつづり方」に 違反 して います。


しかし,これとは ちがう 解釈も できます。ヘボン式には いろいろな 流儀が ありますが,それらは こまかい 部分に ちがいが ある ものの,全体的には すべて 訓令式と にて います。こう かんがえると,第2表の ヘボン式には どんな 流儀の ヘボン式も あてはまります。訓令式おおむね おなじだと いいはれば なんでも いい わけです。

官僚は こう 解釈 して います。この たちばでは,パスポートや 道路標識の ローマ字は,訓令式と ちがう かきかたで,それぞれが おたがいに ことなる かきかたで ありながら,すべて「ローマ字のつづり方」に のっとって います官僚の 作文には こういう ことが よく あります。このような テクニックを 俗に「霞が関文学」と いいます。第2表を もちいる ときは 特別の 事情が ないと いけないのですが,それを でっちあげるのも かんたんです。たとえば,パスポートで ヘボン式を おしつけて いた 外務省は「昔から ヘボン式だったから。」と いって いました。たしかに,名前の ローマ字表記を かえるのが むつかしいのは 事実で,とくに パスポートの 名前を かえる ことは 悪用 される おそれも ありますから,外務省が 慎重に なるのも 当然です。けれども,「ローマ字のつづり方」は ヘボン式で つくった パスポートを 訓令式で つくりなおす ことまでは もとめて いません。これから つくる パスポートを 訓令式に する よう もとめて いるだけです。外務省が いって いたのは くるしい いいわけでした。これで ふるい やりかたを おしとおせるなら,あたらしい ルールを つくる 意味が ありません。

「折衷」の 意味
"Settyû" no imi

「ローマ字のつづり方」は 折衷だと いわれる ことが あります。もともと,訓令式を つくった 1937(昭和12)年に ローマ字は 統一 された はずでした。しかし,じっさいには その あとも ヘボン式が つかわれて いました。戦後に なると,GHQが だした 命令の せいで,いたる ところ ヘボン式だらけに なって しまいました。そこで,ルールを 現実に あわせて ヘボン式を みとめる ことに したのだと 一般には かんがえられて いるからです。

ヘボン式日本式の 折衷が 訓令式だと いわれる ことも ありますが,これは まちがいです。訓令式ヘボン式の かんがえかたを しりぞけて,基本的に 日本式の かんがえかたを うけつぎました。かんたんに いえば,日本式を あたらしく したのが 訓令式ですヘボン式の かんがえかたも すこし はいって います。両方の かんがえかたが はいって いると いう 意味で,ヘボン式日本式の 折衷と いえない ことも ありません。この サイトは ほかの 理由も あるのでは ないかと かんがえて います。ローマ字を 統一 するには 日本式の 支持者と ヘボン式の 支持者の 感情的な 対立を おさめる ことが たいせつです。そこで,ヘボン式の 支持者の メンツを つぶさない ように,解説 する 人が ことばを えらんで いるのでは ないかと おもわれるからです。

問題点
Mondaiten

きわめて 不自然
Kiwamete husizen

「ローマ字のつづり方」は きわめて 不自然な ルールです。まず,もともと ヘボン式日本式の 対立を 解消 する ために 訓令式を つくった はずなのに,ヘボン式日本式が いきかえって います。ヘボン式の 仕様を くわしく 説明 して いないのも 変です。

何より おかしいのは,「ローマ字のつづり方」が 訓令式を すすめて いるのに,パスポート・道路標識 など,公の 分野で つかわれる ローマ字が すべて ヘボン式を 採用 して いる ことです。

訓令を あらためた 理由
Kunrei o aratameta riyû

「ローマ字のつづり方」は 訓令式を 徹底 する 目的で つくられたのでは ありません。その 反対です。形式的には 訓令式を 本則と さだめて いますが,よく よめば たいした 理由が なくても ヘボン式を つかって いい ルールに なって います。


「ローマ字のつづり方」の 中身を つくったのは 当時の 国語審議会ですが,国語審議会が まとめた 原案(建議)は「国語教育」「公文書」「地名」では 訓令式を もちいる ように もとめて おり,「私文書」「人名」などに かぎって ヘボン式日本式に する 例外を みとめて いました。あくまでも 本則は 第1表の 訓令式で あり,それが ないがしろに されない よう 釘を さして いました。

 国語のローマ字つづり方として広く行われている方式には,それぞれに根拠,特色および歴史があり,いずれのつづり方もにわかにその使用を無視することはできない。

 しかしながら,国語教育のうえや公式の文書,地名などに用いられる場合には,おのずから一定のよりどころがなければならない。この「ローマ字つづり方」の第1表は,すなわちそのよりどころの役をなすものである。

国語審議会「ローマ字つづり方の単一化について(建議)」

ところが,「ローマ字のつづり方」が できあがった とき,その 部分は きえて いました。「国語審議会の建議の趣旨を採択して」と いいながら,じっさいには もっとも 大事な 部分を きりすてて いたのです。また,「にわかに改めがたい事情にある場合に限り」と いって いますが,移行期間も さだめて いません。この 事実から,官僚には 訓令式を 徹底 する つもり など はじめから なかった ことが わかります。

それでは,いったい なんの ために 訓令を 改定 したのでしょうか。それは ヘボン式を よみがえらせる ためだったのかも しれません。占領の 時代が おわって,一部の 分野で ヘボン式を おしつけて いた GHQの 命令が 無効に なったら,公の 分野で つかう ローマ字は 訓令式に もどさなければ なりません。そこで,政府は それを ヘボン式に かえて しまおうと かんがえたのでしょうか。

こういう わけで,ヘボン式を 合法化 する ために 訓令を 改定 したのでは ないか,言語学の 理論から みちびきだされた 訓令式は 理屈で 否定 できないから,第2表を つけたして ぬけ道を つくったのでは ないか,このように うたがわれて います。


「ローマ字のつづり方」が できた あと,公の 分野で つかわれる ローマ字は ほぼ すべて ヘボン式に なりました。

これからの 課題
Kore kara no kadai

ルールの つくろいと おぎない
Rûru no tukuroi to oginai

「ローマ字のつづり方」は 半世紀 以上も 前に つくられた ものですから,ふるく なって ほころびて いる ところが あります。つくろいが 必要かも しれません。

たとえば,そえがきの 第4項 後半を もうけた 理由は もう ありません。第6項に ある,普通名詞の 語頭を 大文字に する かきかたは もう おこなわれて いません。

また,「ローマ字のつづり方」は ローマ字の かきかたを すべて さだめて いる わけでは ないので,おぎないが 必要な ところも あります。

たとえば,そえがきの 第5項に ある,【ティ】【ファ】【チェ】と いった 特殊音の かきかたが きまって いません。そのため,おおくの 外来語は かきかたが さだまらない ままに なって います。特殊音の ほかにも,分かち書き・句読点・ハイフネーション などの ルールも 公式の ものが ありません。

公式の ルールが ないと 学校で おしえられません。いまの 学校が おしえる 知識だけでは,小学生が ローマ字の 日記を かく ことも できません。一般的な 外来語に つかわれる 特殊音と おおまかな 分かち書きを さだめる 公式の ルールが 必要です。分かち書きは 教科書に 1ページで 説明 できる くらいの もので いいでしょう。

個人で できる こと
Kozin de dekiru koto

「ローマ字のつづり方」は,「常用漢字表」「現代仮名遣い」などと おなじ ように,日本語の かきかたを さだめて いる たいせつな ルールです。「常用漢字表」は マスメディア なども 尊重 して いますし,「現代仮名遣い」から はずれた かきかたを すれば 小学生に わらわれて しまいます。これらは,法律の ような 強制力こそ ない ものの,世の中の きまりと して みとめられて います。ところが,「ローマ字のつづり方」は その 存在が わすれられて おり,パスポートや 道路標識で つかわれて いる ローマ字は「ローマ字のつづり方」を 完全に 無視 して います。はっきり いって,これは 異常です。

言語は 文化だと いわれます。そして,ローマ字は 日本語の 一部です。ローマ字の ルールを ねじまげる ことは 日本の 文化を おとしめる ことだと いっても いいすぎでは ないでしょう。それなのに ほとんどの 人は 現状を おかしいと おもって いません。この 意味で,日本 ほど 自分の 言語を たいせつに して いない 国は ないと いえます。日本語を 世界に 発信 する ときは ローマ字を つかうのですから,いまの ままでは 世界に 恥を さらして いる ような ものです。じっさい,おおくの 外国人は 日本で よく つかわれる ローマ字と 英語の つづりが にて いる 事実に 気づいて いて,それを ふしぎに おもって います。日本と 日本語の ために,このような 状況は かえて いかなければ なりません。

しかし,ルールを ねじまげて いる 張本人が 官僚なので,上からの 改革は ありえませんし,それを のぞむ べきでも ありません。マスメディアは 行政の でたらめを チェック して いない どころか,共犯者に ちかいと いった ほうが いい くらいです。学校は こどもに ローマ字を きちんと おしえて おらず,教師の 能力不足が 混乱を まねいて います。とくに 一部の 英語教師の 不勉強には 目に あまる ものが あります。外国人に 日本語を おしえる 日本語教育でも まちがった ローマ字が つかわれて いますが,それに 疑問を もつ 日本語教師も ほとんど いない ようです。学者は 特定の たちばからの 発言が しにくい せいか,この手の 問題に かかわる ことを きらう ようで,有識者と しての つとめを はたして いません。

いまは こういう ありさまですから,一般人が 個人の たちばで できる ことを やって いくしか ないでしょう。それが これからの 課題です。めざす 方向は「ローマ字の 目的」が しめして います。それを みうしなわなければ 道を まちがえる 心配は ありません。