ポルトガル式
PORUTOGARU-SIKI

あらまし
Aramasi

16世紀の 末に イエズス会の 宣教師が 日本に やって きました。そして,当時の 日本語を かれらの 言語風に かきうつしました。日本に はじめて 活版印刷機を もちこみ,教団の 教育の ために テキストを 印刷 したりも しました。これを「キリシタン版」と いいます。

かれらは ポルトガル語を 公用語に して いましたから,日本語を ポルトガル語風に かきました。ポルトガル語は ラテン文字で かく 言語ですから,日本語を ラテン文字で かいた ことに なります。これが ローマ字の はじまりで,ポルトガル式 ローマ字と よばれて います。

ただし,ポルトガル式 ローマ字を つかったのは 宣教師たちだけです。かれらは 漢字と かな文字の 日本語を すらすら よみかき できた わけでは ありません。あらかじめ ローマ字で かいた 文章を こしらえて おき,それを よみあげて 辻説法 などを したのでしょう。ポルトガル式 ローマ字は 日本人の あいだに ひろまりませんでした。キリスト教が 弾圧 される ように なったからです。

ポルトガル式の「ローマ字表」
Porutogaru-siki no "Rômazi-hyô"

ポルトガル式は 五十音と ローマ字の つづりが 一対一に 対応 して いませんが,おおよそ つぎの ように なって います。

エ(イェ)オ(ウォ)
ai, j, yu, vyeuo, vo
caqi, quicu, quqe, queco
gaguiguguego
セ(シェ)
saxisuxeso
ゼ(ジェ)
zajizujezo
tachitçuteto
dagizzu, dzudedo
naninuneno
ハ(ファ)ヒ(フィ)ヘ(フェ)ホ(フォ)
fafifufefo
babibubebo
papipupepo
mamimumemo
エ(イェ)
yai, j, yyuyeyo
rarirurero
エ(イェ)ヲ(ウォ)
vai, j, yu, vyevo

※ カタカナは 音声を しめして います。ただし,( )は じっさいの 発音です。たとえば,【エ(イェ)】「エ」と いう かな文字を 当時の 日本人が【イェ】と 発音 して いた ことを あらわして います。

おぎない
Oginai

拗音は【キャ】【ギャ】【シャ】【ジャ】【チャ】【ヂャ】【ニャ】【ヒャ】【ミャ】【リャ】を それぞれ quia, guia, xa, ja, cha, gia, nha, fia, mia, ria の ように かきました。【ジ】【ヂ】【ズ】【ヅ】ji, gi, zu, zzu と かきわけて います。発音の 区別が あったからです。

長音符号には 山形(^)と 谷形(v)の 2種類が あります。口を せばめて 発音 する【オー】と 口を ひろげて 発音 する【オー】の 区別が あったからです口を ひろげる 長音を 開長音,そうで ない ほうを 合長音と いいます。開長音は 17世紀ごろから つかわれなく なり,いまでは これらの 区別は ありませんが,一部の 地方では 区別が のこって います。ふりがなが「オウ」「コウ」「ソウ」などに なる ことばの 中には,昔は「アウ」「カウ」「サウ」などと かいて いた ものが あります。これは 2種類の 長音が あった 時代の なごりです。例:「奉公(ホウコウ)」「孝行(カウカウ)」

fôcô(奉公) cŏcŏ(孝行)
bucqeô(仏教) bucqiŏ(仏経)
Fijen no cvni(肥前の国) qenpijxi(検非違使)


日葡(にっぽ)辞書

日本の ことばが ポルトガル式 ローマ字で かかれ,その 意味が ポルトガル語で 解説 されて います。キリシタン弾圧で ほとんどがが うしなわれて しまいました。


いまに つたえられた もっとも ふるい キリシタン版は "SANCTOS NO GOSAGVIO NO VCHI NVQIGAQI" (サントスの御作業の内抜書)で,聖人(ポルトガル語で サントス)の 伝記を あつめた ものです。

キリシタン版は 宗教書 ばかりでは ありません。 "FEIQE MONOGATARI" (平家物語)や "ESOPO NO FABVLAS" (エソポのハブラス:イソップ寓話集)なども あります。これらは 宣教師が 日本語を 勉強 する ための テキスト でした。国立国語研究所の ウェブサイト「大英図書館蔵天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』画像」で 画像データが 公開 されて います。そのころの 日本人は ローマ字を よめませんでしたが,漢字と かな文字で かいた「伊曽保物語」が つくられて,それは よく よまれた ようです。


手紙の あて先に「御中」と かく ことが あります。いまは これを【オンチュー】と よんで いますが,昔は【オンナカ】と よんで いました。なぜ そんな ことが わかるのかと いうと,手紙の 作法を まとめた ローマ字がきの 文書が のこって いて,それに von naca と かいて あるからです。宣教師が 日本の 文化を しらべて いたのでしょう。漢字で かいて あったら,よみかたまでは わかりません。

このように,ポルトガル式で かかれた 文書は 昔の 日本語の 発音を しる 手がかりに なります。この 意味で,キリシタン資料は 日本語を 研究 する 学者に とっても たいへん 重要な 研究材料と なって います。

[よみもの]天草版平家物語
[Yomimono] Amakusaban Heike Monogatari

天草版平家物語の 表紙には つぎの ように かいて あります:NIFONNO COTOBA TO Hiſtoria uo narai xiran to FOSSVRV FITO NO TAMENI XEVA NI YAVA RAGVETARV FEIQE NO MONOGATARI.


天草版平家物語

これは「日本の 言葉と Historia(イストリア:歴史)を 習い知らんと 欲する 人の 為に 世話に 和(やわ)らげたる 平家の 物語」と よみます。「世話に 和らげたる」は「やさしい ことばづかいに した」と いう 意味です。この 平家物語は 口語訳だからです。これも 宣教師が 日本語と 日本史を まなぶ ための テキスト だった ようです。

ここで 注目 したいのは NIFON です。「日本」【ニフォン】と 発音 したらしい ことが わかります。漢字や かな文字で かいて あったら わかりませんかな文字で かいて あったら わかるだろうと おもうかも しれませんが,わかりません。この 時代には まだ 濁点・半濁点が なく,促音の「っ」も かきませんでした。そのため,じっさいの 発音が【ニッポン】でも【ニフォン】でも ひらがな表記が「にほん」に なって しまうからです。昔の 文書に かかれた つづりが じっさいに どんな 発音だったのかは,録音が のこって いないので,はっきりとは わかりません。これは 外国語でも 日本語でも おなじです。しかし,ヨーロッパの 言語は はやくから 研究が すすんで いて,昔の 発音が おおよそ わかって います。それを もとに して,日本語の 昔の 発音が わかる ことも あります。

さまざまな 研究から,この 時代には【ジッポン】【ニッポン】の 発音も あった ことが わかって います。「ほ」の 発音が かわって【ニフォン】【ニホン】に なるのは もう すこし あとの 時代です。