日本式

あらまし

日本式(にっぽんしき)は 天文学者 寺尾寿(てらお ひさし)が 考案 して,1885(明治18)年に 物理学者 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が 提唱 した 方式です。

それまで つかわれていた ローマ字は ヘボン式です。これは アメリカ人が 日本語を 書く ために つくった ものですから,日本語を 記述 するのに 適していませんでした。日本語を 日本語らしく 書くという 目的で つくった 方式では ないからです。それに 対して,日本式は 日本語を 日本語らしく 書く 目的で 設計 された 方式です。

日本式の 特徴は 五十音図と 規則的に 対応 している ことです。具体的には,五十音図の 各行と 各列に おなじ 子音字と 母音字を もちいていますヤ行と ワ行には 例外が あります。。また,拗音を おなじ 規則で 書きあらわしている ことも 重要です。

「ローマ字表」

直音拗音
aiueo
キャキュキョクヮ
kakikukekokyakyukyokwa
シャシュショ
sasisusesosyasyusyo
チャチュチョ
tatitutetotyatyutyo
ニャニュニョ
naninunenonyanyunyo
ヒャヒュヒョ
hahihuhehohyahyuhyo
ミャミュミョ
mamimumemomyamyumyo
yaiyueyo
リャリュリョ
rarirureroryaryuryo
wawiuwewo
ギャギュギョグヮ
gagigugegogyagyugyogwa
ジャジュジョ
zazizuzezozyazyuzyo
ヂャヂュヂョ
dadidudedodyadyudyo
ビャビュビョ
babibubebobyabyubyo
ピャピュピョ
papipupepopyapyupyo

※ この 表の カタカナは 音声を しめしています。

そのほかの とりきめ

  1. 撥音(ン)は n で あらわします。つぎに 母音字 または y が つづく ときは きる印(')で くぎります。
  2. 促音(ッ)は つぎの 子音字を かさねます。
  3. 長音(ー)は のばす 母音字に 山形(^)を のせます。または,母音字を かさねます。

onsen(温泉) sinbun(新聞)
hon'ya(本屋)
kitte(切手) zassi(雑誌)
itti(一致)
utyû(宇宙) kibô(希望)
takusî(タクシー)
Tôkyô(東京)
Ôsaka, Oosaka(大阪)
Yamada Tarô(山田太郎)
Mukasi mukasi, aru tokoro ni odîsan to obâsan ga imasita.

おぎない

もとは 田中館式

「日本式」という 名前は しばらく あとに なってから つきました。ヘボン式は 英語風の ローマ字ですから,ポルトガル語風の「ポルトガル式」や オランダ語風の「オランダ式」などと おなじ ように「アメリカ式」と よぶ べき 方式です。それに 対して,この あたらしい ローマ字は 日本語らしい 書きかたです。それで この 方式の 支持者が 「日本式」という 名前を つけた わけです。

それまでは「田中館式」と よばれていました。このころ,ローマ字の アイデアは いくつも あり,それぞれの 方式は 提唱 した 人の 名前で よばれる ことが おおかった ようです(「ヘボン式」も その ひとつです)田中館が はじめに 提唱 した 方式は ヤ行と ワ行も 規則的に ya, yi, yu, ye, yo; wa, wi, wu, we, wo と していました。今は ヤ行と ワ行を ya, i, yu, e, yo; wa, wi, u, we, wo と した ものを 日本式と よんでいます。

五十音図との 対応

日本式は 五十音図と 規則的に 対応 していますが,これは 五十音図の タテと ヨコに ラテン文字の 子音字と 母音字を あてはめる ように 設計 したからでは ありません。日本語の 性質に あわせて 設計 したからです。別の いいかたを すれば,日本語の 話し手が ことばを 口に だす ときの 気もちに あわせて 設計 した 結果です。

これを 動詞の 活用で 説明 します。今,「書ない」を「書ます」に,「貸ない」を「貸ます」に,「勝ない」を「勝ます」に いいかえてみます。日本語の 話し手なら 動詞の 活用を しっていて,ごく 自然に〈カ〉を〈キ〉に,〈サ〉を〈シ〉に,〈タ〉を〈チ〉に いいかえる ことが できます。そして,このとき どれも まったく おなじ 気もちで いいかえています。つまり,日本語の 中では,〈カ〉と〈キ〉,〈サ〉と〈シ〉,〈タ〉と〈チ〉は おなじ 関係に あります。そこで,ローマ字も〈カ〉と〈キ〉,〈サ〉と〈シ〉,〈タ〉と〈チ〉が おなじ 関係に なる ように すれば 日本語らしい 書きかたに なる はずです。ここから,〈カ〉〈キ〉を ka, ki と 書くのと おなじ ように,〈サ〉〈シ〉を sa, si,〈タ〉〈チ〉を ta, ti と 書く ルールが できました。

日本語の 性質に あわせて 日本語の 音声を ならべた 表が 五十音図です。日本語の 性質に あわせて つくった ローマ字の 書きかたが 五十音図と 規則的に 対応 するのは 当然と いえます。

〈ヰ〉〈ヱ〉〈ヲ〉〈クヮ〉〈グヮ〉

ローマ字のつづり方」は 日本式を 部分的に とりいれています。とりいれられていない 部分は wi, we です。これは「現代かなづかい」(1946年)の 制定に より「ゐ」「ゑ」が つかわれなく なったからです。

関西学院大学
関西学院大学の ローマ字

日本式では 助詞の「を」を wo と 書きます。「を」の 発音は,江戸時代には〈オ〉に なっていましたが,明治から 大正の 時代には,本当は〈ウォ〉だ,と かんがえられていたからです。普段は〈オ〉と 発音 しているのに,かしこまった 状況では〈ウォ〉と いう 人も いた ようです。つまり,〈オ〉と〈ヲ〉は 別の 音声だと かんがえていた わけです。それで「を」が wo に なっています。

〈クヮ〉〈グヮ〉は,今でも 一部の 地方に のこっていて「機関車」を〈キクヮンシャ〉と 発音 する 人も いますが,共通語では 完全に〈カ〉〈ガ〉に 吸収 されています。明治時代でも きえつつあった 音声です江戸時代の 末に 書かれた「浮世風呂」(式亭三馬)では,「観音さま」の「観」を〈クヮン〉では なく〈カン〉と 発音 する 江戸の 人を 上方の 女が バカに しています。発音の 変化は 上方より 江戸の ほうが すすんでいたのでしょう。。しかし,〈カ〉〈ガ〉と〈クヮ〉〈グヮ〉は ちがう 音声だ,という 意識は あった ようです。

図は 100年 以上の 歴史を もつ 名門,関西(かんせい)学院大学の ローマ字です。「関」が〈クヮン〉だった ことが よく わかります。

表音主義を 徹底 していない?

昔は ふるい かなづかいが つかわれて いて,おなじ 音声が ことなる つづりで 書かれていました。たとえば,〈ショー〉という 音声を ことばの ちがいに よって「しゃう」「しょう」「せう」「せふ」と 書きわけていました。これでは 不便だから,音声を そのまま 書きあらわす ように しよう,というのが 表音主義の かんがえかたです。ローマ字では〈ショー〉を syô に 統一 します歴史的仮名遣いは 読む だけなら それほど むつかしくは ありませんが,書くのは たいへんでした。明治20年代の ある 調査によると,自分の 名前と 住所(村の 名前)を 正しく 書けない 人が 4割も いた ほどです。日本人は 昔から 識字率が たかかったと いいはる 人が いるのですが,事実は まったく ちがいます。

ところが,日本式は その 表音主義を 徹底 していない ように みえる ところが あります。「じ」と「ぢ」など,おなじ 音声なのに 別の つづりに している 点です。どういう わけでしょうか。それは 日本式が つぎに しめす ふたつの 原則を 採用 しているからです:

ひとつめは,文字が ちがえば 音声も ちがう(はずだ),という かんがえです。つまり,「じ」「ず」「い」「え」「お」と「ぢ」「づ」「ゐ」「ゑ」「を」は 文字が ちがうので 音声も ちがう(はずだ)と かんがえ,zi, zu, i, e, o; di, du, wi, we, wo,という ふうに 別の つづりに しています。実際,昔は「じ」「ず」と「ぢ」「づ」の 発音を 区別 する 人が おおかった ようです。

ふたつめは,「には(庭)」「いへ(家)」「かほ(顔)」「思ふ」「~でせう」「わうさま(王様)」など,文字の とおりに 読まない ものは 発音に あわせて 書く,という 意味です。

つまり,ひとつめの 原則が ある ため,表音主義を 徹底 していない ように みえて しまう わけです。

古典を ローマ字で 書ける

日本式は「じ」「ず」「い」「え」「お」と「ぢ」「づ」「ゐ」「ゑ」「を」が 別の つづりに なっています。これを 利用 して,ふるい かなづかいを たもった まま,古典文学を ローマ字で 書く ことが できます。研究の ために 古典作品を ラテン文字表記に する 場合など,日本語の(音声では なく)文字を 重視 したい ことが あります。日本式は この 目的に 適しています。

  Giwon syauzya no kane no kowe, syogyau muzyau no hibiki ari. Syara sauzyu no hana no iro, zyausya hissuwi no kotowari wo arahasu. Ogoreru hito mo hisasikarazu. Tada haru no yo no yume no gotosi. Takeki mono mo tuhi ni ha horobinu. Hitohe ni kaze no mahe no tiri ni onazi.

日本の 古典を ローマ字で 書くと,外国人と 情報を 共有 しやすく なります。これは 学術的にも 意義の ある ことです。高千穂大学名誉教授の 渋谷栄一先生は 世界の 研究者の ために「源氏物語の世界」を 公開 されています。

今の 日本語の 母音は〈ア〉〈イ〉〈ウ〉〈エ〉〈オ〉の 5種類 ありますが,古事記や 万葉集の ころの 日本語には〈イ〉〈エ〉〈オ〉が 2種類ずつ あり,全部で 8種類の 母音が あったと する かんがえが あります。これらを ローマ字で 書きわけたい 場合は,もう ひとつの〈イ〉〈エ〉〈オ〉を それぞれ ï, ë, ö で あらわします。

【読みもの】明治屋

輸入食料品などを あつかう「明治屋」という 会社が あります。その ローマ字 MEIDI-YA は,今では あまり みかけない 日本式なので,ときどき 話題に なる ことが あります。明治時代の「明治」は「メイジ」では なく「メイヂ」ですから,日本式で 書くと MEIDI に なります。

明治屋
明治屋京都三条店

創業者の 磯野計(いその はかる)は イギリスに 留学 した 経験が あり,おおくの ヨーロッパ人が ji を〈ジ〉と 読まない ことを しっていた はずです。ローマ字の つづりかたにも 一家言 もっていたのでしょう。

また 一説に よると,はじめは ヘボン式MEIJI に していた けれども,外国人に 正しく 読まれない ことが おおいのを 気に して 日本式に かえたのだ,とも いわれています。明治屋の 創業は 1885(明治18)年で,まさに 日本式が 世に とわれた 年でした。

彼は,たべものを あつかう 商売が ひくく みられていた 時代にも かかわらず,「商業に貴賎はない。」と いって 食料品業界に たちむかい,高級ブランドを きずきあげました。なかなかの ツワモノで あった ようです。