分かち書きの あらまし
WAKATIGAKI NO ARAMASI

分かち書きとは
Wakatigaki towa

ことばを きりはなす かきかた
Kotoba o kirihanasu kakikata

「人魚姫」の口絵
「人魚姫」

分かち書きとは 英語の ように ことばを きりはなす かきかたです。空白の 部分で 改行 するのも おおきな 特色です。

世界の 言語は ほとんど すべて 分かち書きを しますが,日本語の 漢字仮名交じり文は 分かち書きを しないのが ふつうです。漢字と かな文字の さかいめが ことばの きれめを しめす ヒントに なるからです。注意ぶかく かかれた 漢字仮名交じり文は,分かち書きを して いなくても,それほど よみにくくは ありません。

一方,かな文字文や ローマ字文は かならず 分かち書きを します。もし 分かち書きを しなかったら,ことばの きれめが わからず,まったく よめません。

分かち書きの 種類
Wakatigaki no syurui

日本語の 分かち書きには,おおきく わけると 文節式と 単語式が あります。かな文字文は 文節式 または 単語式の 分かち書き,ローマ字文は 単語式の 分かち書きを します文節式とか 単語式とか いっても,厳密に 文節や 単語の 単位で くぎる わけでは なく,大体 それに ちかい 単位で きりはなすと いう 意味です。

李も桃も桃の内。 〔べたがき〕
スモモモ モモモ モモノ ウチ。
〔文節式の分かち書き〕
Sumomo mo momo mo momo no uti.
〔単語式の分かち書き〕

分かち書きの 目的
Wakatigaki no mokuteki

分かち書きの 目的は よみやすさです。よみやすさには 感覚的な ものと 論理的な ものが あります。

感覚的な よみやすさ
Kankakuteki na yomiyasusa

分かち書きを すると,文字の ならびが 視覚的な かたまりに なります。ながい つづりは いくつかの かたまりが くっついた ように みえます。それらの かたまりは それぞれの 個性を もった 図形に なるので,判別 しやすく なります。ローマ字なら,ラテン文字の 直線・曲線や 上下に とびだした 線 などが 個性に なります。その おかげで,aka, ika, oka, oya, oba などを ひと目で みわけられます。

これは 複雑な 形の 漢字を 一瞬で みわけられる 原理と おなじです。英語の はなし手も catdog を はしから 1文字ずつ よんで いるのでは なく,かたまりで 認識 して います。大文字だけで かかれた 英文が よみにくいのは,かたまりが みなれない 形に かわって しまう ことと,かたまりが 上下に とびだした 線の 個性を うしなって 無表情に なり,判別 しにくく なる ことが 原因です。よく 日本語の 漢字仮名交じり文は 漢字の ことばを ひと目で 識別 できるから すぐれて いると いわれますが,これは かんちがいの 日本自慢です。表音文字で かく 外国語も 分かち書き されるので 単語を ひと目で 識別 できますひとつの ことばは 基本的に ひとつづきに かきますから,ことばが ふたつ 以上 くっついて ひとつの ことばに なった 複合語は もとの ことばの さかい目が わかりにくく なります。そこで,さかい目を はっきり させる ために つなぎ(-)を いれる ことが あります。たとえば,英語の co-worker には つなぎ(-)が はいって います。もし coworker だったら cow と いう かたまりを 認識 して しまって よみにくく なります。日本語は 複雑な 意味を もつ ことばが 漢字で かかれ「て・に・を・は」などが かな文字で かかれるから よみやすいと いわれる ことも ありますが,これも かんちがいの 日本自慢です。表音文字で かく 外国語も,複雑な 意味を もつ 単語の つづりが ながく 文法的な はたらきを する 冠詞・代名詞 などの つづりが みじかいので,よみやすく なって います。参考:英語の 3文字規則。ことばを かたまり 全体の 形で 認識 して いるのは エレベーターに かかれた「開」「閉」が みわけにくい ことからも わかるでしょう。つぎの ような 実験でも たしかめられます:わざと まちがって かいた「こんちには」「魑魅魎魍」を みせると,ほとんどの 人は「こんにちは」「魑魅魍魎」と よみます。かたまり 全体の 形を みて 一瞬で 判断 するので,こまかい 部分は よく みて いないからです。たとえ まちがいが 目に はいっても 自動的に(無意識に)補正 して しまいます。


この かたまりが はっきり しないと よみまちがいが おこりやすく なります。

この先生きのこるには

これは,おちついて かんがえれば ことばの きれめが わかるので,なんとか 理解 できます。でも,とても よみにくいでしょう。感覚的に(視覚的に)かたまりが 認識 できないからです。このような 文が おおいと よみ手は つかれて しまいます。

論理的な よみやすさ
Ronriteki na yomiyasusa

つぎに しめすのは 論理的に よみにくい 例です。これは つかれるだけでは すみません。複数の 解釈が できて しまい,意味が ただしく つたわりません。

小田原田村井上原
(小田・原田・村井・上原/
小田原・田村・井上・原)
ここではきものを脱いでください。
(履物を/着物を)
二重にしてくびに掛けるような数珠
(手首に/首に)
ご逝去を悼みつつしんでお悔やみを……
(謹んで/悼みつつ死んで)
この間仕切りで分けられた部屋を見た。
(まじきり/このあいだ しきり)
晴れた夜空を見上げた。
(よる そらを/よぞらを)
危険生物がいるため池に入らないでください。
(いるため 池に/いる ため池に)
私は矢澤にこの人形をあげた。
(矢澤に この人形を/「矢澤にこ」の人形を)
sokoniwakaiinugaimasu
(飼い犬が/若い犬が)
Rômazinokeiko
(ローマ字の稽古/ローマ人お稽古)

かたまりを はっきり させるには ことばの きれめに 空白や 記号を 挿入 すれば いい わけですが,きれめにも 語・句の レベル,節・文の レベル,段落の レベルと いう ふうに いくつかの 段階が あり,その ちがいが わかる ように かきわける くふうが 必要です。そうしないと 意味が ただしく つたわらない おそれが あるからです。

下の 例は *印の 部分が 語の きれめか 文の きれめかで 意味が かわって しまいます。

明日は雨が降る*天気ではない

ローマ字文では おおよそ,語・句の レベルは 空白の 挿入(分かち書き)で,節・文の レベルは 記号(句読点)の 挿入で,段落の レベルは 改行と 字さげで,それぞれの きれめを あらわします漢字仮名交じり文でも いまの ような 句読点を つかって いなかった 時代には 段落や 文の きれめに 丸印を 挿入 したり して いました。


分かち書きは,ただ 視覚的に よみやすく する「便利な もの」で なく,意味を ただしく つたえる ために「必要な もの」で ある ことを 理解 して ください。上に しめした ような「ぎなた読み」が おこるのは 必要な ことを して いないからです。

ここで はきものを ぬいで ください。

ここでは きものを ぬいで ください。

Rômazi no keiko

Rômazin okeiko

分かち書きの 原則
Wakatigaki no gensoku

ルールの 設計方針
Rûru no sekkei hôsin

つぎの 例文を 分かち書き された ローマ字に して みましょう。

きのうも私はその料理を食べました。

まず,わかりやすい ところで きりはなします。

きのうも/私は/その料理を/食べました。

ここまでは かんたんでしょう。でも,これ以上 どこまで こまかく きったら いいのでしょうか? これは かんがえても わかりません。分かち書きの ルールを おぼえないと いけません。けれども,いきなり ルールの 解説を しても 理解 しづらいでしょうから,まず ルールの 設計方針を 説明 します。いって みれば 分かち書きの 原則です。これを しって いると,ルールが おぼえやすく なります。

分かち書きの 原則
Wakatigaki no gensoku

分かち書きの ルールは「くっつけるか きりはなすか まよったら きる」方針に なって います。ただし,なんでもかんでも きりはなすと いう 意味では なく,理屈を つけて きりはなします。原則は つぎの とおりです。

原則1は,もう 説明 しなくて いいでしょう。原則2は,「きのうも」「きのう」だけでも 文節に なれるから「きのう」「も」を きりはなすと いう 意味です。原則3は,「私は」「私だけは」の ように 別の ことばを わりこませられるから「私」「は」を きりはなすと いう 意味です。原則4は,「その料理を」「料理を」を いろいろな ことばに いれかえられるから「その」「料理を」を きりはなすと いう 意味です。

このように かんがえて いくと,例文は つぎの ように きりはなせば いい ことが わかります。

きのう/も/私/は/その/料理/を/食べました。「食べました」は もっと こまかく きりたく なる 人も いるでしょう。「ました」を きりはなして「食べ/ました」と する かんがえも ない わけでは ありません。しかし,ふつうは「食べました」です。「ます」を きりはなすと「います」などで きりすぎた かんじが するからかも しれません。

ローマ字に すると つぎの ように なります。

Kinô mo watasi wa sono ryôri o tabemasita.


原則は すべて「~ならば きりはなす」です。これは「~で なければ くっつける」と いう 意味を ふくんで います。また,これらの 原則を ひとつでも みたせば きりはなすとか,すべてを みたす ときだけ きりはなすとか,そういう きまりでは ありません。おおよその 見当です。じっさいには ほかの 状況との かねあいや よみやすさの 感覚で,きりはなしたり くっつけたり します。こうして きりはなす ところを きめて いった 結果,ほぼ 単語ごとに きりはなす ルールが できあがりました。

理屈の 部分と 感覚の 部分
Rikutu no bubun to kankaku no bubun

分かち書きの ルールを 理屈だけで かんがえようと しても できません。自然言語に 理屈を あてはめようと しても うまく いかない ところが でて くるのは あたりまえです。

分かち書きの ルールには 感覚的な ところが あり,理屈で 説明 しきれない ものも あります。しかも,感覚は 人それぞれですから,ルールの 中には 自分の 感覚に あわないと かんじる ところが かならず あります。そのような 部分で,くっつけるのか きりはなすのか,まよって しまかも しれません。

しかし,自己流で かいて しまうのを おそれる ことは ありません。分かち書きには 個人差が あります。漢字仮名交じり文で 読点(、)の うちかたが 人に よって ちがう ように,ローマ字文の 分かち書きも かき手に よって ことなります。原則を 無視 した でたらめは いけませんが,原則を 理解 した うえでの 自己流は ゆるされます。昔の 学校で つかわれて いた 「ローマ字」の 教科書でも 分かち書きは 統一 されて いませんでした。現在 おこなわれて いる 分かち書きにも ある程度の はばが あります。むしろ,いま 日本語で くらして いる 人の 感覚が 分かち書きに 反映 される ことは,日本語を たいせつに すると いう 意味からも,尊重 される べきで あると いえます。

分かち書きに なれて くると,こまかい ちがいは 問題に ならない ことが わかる はずです。とにかく やって みる ことです。そして,まよって しまって 自分で 判断 できない ときは,この サイトの かきかたを まね して おけば いいでしょう。

分かち書きの ルール(1)
WAKATIGAKI NO RÛRU (1)

文法で 説明 できる 部分
Bunpô de setumei dekiru bubun

分かち書きの ルールは ほとんど 文法で 説明 できます。文法は 理屈ですから 暗記 する 部分が すくなく,応用が ききます。この 章では そのような ルールを 説明 します。

ここでは いわゆる「学校文法」を つかって 説明 しますが,分かち書きの ルールが 特定の 文法(学説)に よりかかって 定義 されて いると いう 意味では ないので 気を つけて ください。分かち書きの ルールと 文法は おたがいに 独立 した ものです。日本語の 文法は 学校で おしえる ものの ほかにも たくさん あり,別の 文法を つかって 説明 すれば,説明の しかたが かわるだけです。


文法で 説明 できる ルールは おおよそ つぎの とおりです。これだけで 9割 くらい わかった ような ものです。


下の 節で 品詞 などに わけて 説明 して いきます。

動詞
Dôsi

動詞は 前後の ことばから きりはなしますが,うしろに 付属語が くっつく ことも あります。

kaku(書く)
kakanai(書かない)
kakimasu(書きます)
kaita(書いた)
kaite(書いて)
kakeba(書けば)
kake(書け)
kakô(書こう)
kakareru(書かれる)
kakaseru(書かせる)
kakitai(書きたい)


複合動詞は ひとつづきに かきます。ただし,ひとつの ことばだと いう 意識の よわい ものは きりはなしても かまいません。

kokorozasu(志す)
kokoromiru(試みる)
kaerimiru(省みる)
uketamawaru(承る)
môsikomu(申し込む)
uketukeru(受け付ける)
odori tukareru(踊り疲れる)
nageki kanasimu(嘆き悲しむ)
warai korogeru(笑い転げる)
umi sodateru(産み育てる)
hataraki hazimeru(働き始める)
damasi tuzukeru(騙し続ける)

うしろの 動詞が もとの 意味を うしなって いる ものは ひとつづきに かきます。

nakidasu(泣きだす)
tabekiru(食べきる)
sirabeageru(調べあげる)
mamorinuku(守りぬく)

連用中止は 複合動詞では ないので きりはなします。

umare oi sosite sinu
(生まれ老いそして死ぬ)これは umare, oi と かけば わかりやすく なります。

内部に「て」を ふくむ 複合動詞は ひとつづきに かきます。ふたつの 動詞が 連続 して いるだけなら きりはなします。

tottekaesu(取って返す)
tottekawaru(取って代わる)
kattederu(買って出る)
yattenokeru(やってのける)
ittekikasu(言って聞かす)
yottetatu(拠って立つ)
tottetuketa yô na
(取って付けたような)
sono iken o kittesuteta
(その意見を切って捨てた)
ôkina gomi o kitte suteta
(大きなゴミを切って捨てた;動詞の 連続)


補助動詞は きりはなします。「くださる/ください」「ごらん(なさい)」も この パターンです「開けて見る」(開け,そして 見る)と「開けてみる」(ためしに 開ける)を 区別 する ため,前者は akete, miru と かくと いいでしょう。

sitte iru(知っている)
kakete aru(掛けてある)
kiete iku(消えていく)
kawatte kuru(変わってくる)
yonde miru(読んでみる)
totte oku(取っておく)
kaite morau(書いてもらう)
kiite kureru(聞いてくれる)
katte yaru(買ってやる)
matte ageru(待ってあげる)
sutete simau(捨ててしまう)
kite kudasai(来てください)
tasukete kure(助けてくれ)
waratte goran(笑ってごらん)

会話で「~ている」「~ていく」などが「~てる」「~てく」などの 形に なる ことが あります。これは「い」が はぶかれた 形です。はぶかれた 部分を ぬけ字の印(')で しめす ことも ありますが,しなくても かまいません。「~てる」「~てく」などを ひとつづきに かく 流儀も ありますぬけ字の印きる印と おなじ 記号です。はたらきの ちがいで よびわけて います。「促音」の つまる印も おなじ 記号です。

「~ておく」「~てしまう」などが「~とく」「~ちまう」などの 形に なる ことも あります。このように 発音が かわって しまうと,全体を ひとつづきに かくしか ありません。ぬけ字の印(')で 省略を しめす ことも できますが,しなくても かまいません「~でしまう」「~じまう」に なる ものは ぬけ字の印(')で 省略を しめせません。これは 訓令式の 弱点ですが,訓令式の ルールを すこし あらためる ことで 解決 できます。くわしくは「もっと 日本語らしい かきかた」を およみ ください。

sitte ru, sitte 'ru(知ってる)
yonde ta, yonde 'ta(呼んでた)
matte masu, matte 'masu
(待ってます)
yotte ku, yotte 'ku(寄ってく)
yametoke, yamet'oke(やめとけ)
yogoretimau, yogoret'imau
(汚れちまう)

「私たちの詩」の引用
「私たちの詩」 (昔の 教科書)

ここでは「残ってる」を nokotte 'ru と かいて います。


名詞+「する」「する」を きりはなします。「する」「できる」「なさる/なさい」「くださる/ください」などに した 形も この パターンですここでは「お」+「動詞の 連用形」を 名詞と かんがえて います。例:「お聞きなさい」「お聞き」

sinpai suru(心配する)
renraku suru(連絡する)
toku suru(得する)
son suru(損する)
koi suru(恋する)
nakanaori suru(仲直りする)
syûto suru(シュートする)
kopî suru(コピーする)
kandô dekiru(感動できる)
okiki nasai(お聞きなさい)
gotyûi kudasai(ご注意ください)
gosyôkai itadaku(ご紹介いただく)

たまたま 名詞の つぎに 独立 した 動詞の「する」が ある ばあいも あります。

sore wa asita suru(それは 明日 する)
kore wa 1000 En sita(これは 1000円 した)
1-syûkan sitara(1週間 したら)

副詞+「する」「する」を きりはなします。

bikkuri suru(びっくりする)
nikkori suru(にっこりする)
turuturu suru(つるつるする)
pikapika suru(ぴかぴかする)


1文字の 漢字+「する/ずる/じる」が ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

kansuru(関する)
taisuru(対する)
aisuru(愛する)
kôzuru(講ずる)
syôzuru(生ずる)
ronzuru(論ずる)
sinziru(信じる)
kanziru(感じる)
enziru(演じる)

この 形の 動詞は 漢字を みないと 意味が わからない ものが おおいので,耳で きいて 意味が わかる ものの ほかは できるだけ つかわない ように します。くわしくは「ことばの いいかえ」を およみ ください。

和語+「する/ずる/じる」が ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

kumisuru(与する)
amanzuru(甘んずる)
omonziru(重んじる)

1文字の 漢字+「する」でも,ひとつの ことばに なって おらず,その 漢語が 独立 した 名詞の ばあいも あります。これは 上で のべた 名詞+「する」の パターンです。「~をする」と いいかえられるかが みわける ヒントで,「~をする」と いえる ものは 名詞+「する」です「損する」「得する」が この 例です。「~さない」「~します」「~する」と 五段活用 するか,前に 連体修飾語が つくかも ヒントに なります。五段活用 しない もの,連体修飾語が つく ものは 名詞+「する」です。


「なさる」「なさい」「な」が つく ことばは きりはなします。

tabe nasaru(食べなさる)
tabe nasai(食べなさい)
tabe na(食べな)[命令]この「な」は 終助詞とも「なさる」の 命令形「なさい」の 短縮とも かんがえられます。

「過ぎる」が つく ことばは ひとつづきに かきます。ただし,名詞に つく ばあいは きりはなします。

tabesugiru(食べすぎる)
ôkisugiru(大きすぎる)
damasaresugiru(騙されすぎる)
zimi sugiru(地味すぎる)

「得る」が つく ことばは ひとつづきに かきます。

siuru(し得る)
nasareuru(なされ得る)
arienai(あり得ない)

「かねる」が つく ことばは ひとつづきに かきます。

sikaneru(しかねる)
iikaneru(言いかねる)
iwarekanenai(言われかねない)

接頭語と かんがえられる「打ち」が つく ことばは ひとつづきに かきます。

utitokeru(うち解ける)
utiakeru(うち明ける)
utimakasu(うち負かす)
utikiru(うち切る)


「なくなる」は,概念的な 何かが「無い 状態に なる」意味の ときも 物質的な 何かが「消滅 する」意味の ときも,そして きえる ものが 人でも 物でも,naku naru の 形に 統一 します「亡くなる」は ひとつの 動詞の 感覚が ありますが,きりはなして かきます。

「無い 状態に なる」ばあいは きりはなして「消滅 する」ばあいは ひとつづきに かく 流儀も あります。

mô tabetaku naku natta
(もう食べたくなくなった)
sore dokoro de wa naku natta
(それどころではなくなった)
N San wa kyonen naku natta
(Nさんは去年亡くなった)
sukkari kane ga naku natta
(すっかり金が無くなった)


「~とする」「と」の 前と うしろで きりはなします。

niyari to suru(にやりとする)
ho' to suru(ほっとする)

「~として」「と」の 前と うしろで きりはなします。

watasi to site wa(私としては)
syu to site(主として)「主として」は 耳で きいただけでは 意味が わかりにくいので,例外的に 全体を ひとつづきに かいて わかりやすく する かんがえも あります。もっと いいのは「主として」を つかわない ことです。「おもに」で いいかえると いいでしょう。

「~という」「と」の 前と うしろで きりはなします。

... to iu(~という)

「~につき/ついて」「~にとり/とって」などは「に」の 前と うしろで きりはなします。

sore ni tuite(それについて)
dare ni totte(誰にとって)
nani ni yotte(何によって)
koko ni oite(ここにおいて)
sore ni turete(それにつれて)
kore ni sitagatte(これにしたがって)

ふるい いいまわしの「~にして」「~をして」「~ずして」などは「して」を きりはなします。

ima ni site(今にして)
kare o site(彼をして)
rôsezu site(労せずして)
sô da kara site(そうだからして)


「~めく/めかす/ぶる/つく」は ひとつづきに かきます。

harumeku(春めく)
yurameku(ゆらめく)
honomekasu(ほのめかす)
tokimekasu(ときめかす)
mottaiburu(もったいぶる)
gôketuburu(豪傑ぶる)
zawatuku(ざわつく)
betatuku(べたつく)

「~がる」「~まる/める」は ひとつづきに かきます。

itagaru(痛がる)
uresigaru(嬉しがる)
hiromaru(広まる)
takamaru(高まる)
hiromeru(広める)
takameru(高める)

形容詞
Keiyôsi

形容詞は 前後の ことばから きりはなしますが,うしろに 付属語が くっつく ことも あります。

takai(高い) takakatta(高かった)
takaku(高く)
takakereba(高ければ)
takasô da(高そうだ)
takê(高え:タケー)
taka'(高っ:タカッ)


複合形容詞は ひとつづきに かきます。

habahiroi(幅広い)
me-atarasii(目新しい)
hitokoisii(人恋しい)
insyôbukai(印象深い)
kokorobosoi(心細い)
kimotiwarui(気持ち悪い)
aoziroi(青白い)
asaguroi(浅黒い)
amazuppai(甘酸っぱい)
atukurusii(暑苦しい)
zurugasikoi(狡賢い)
hosonagai(細長い)
utaguribukai(疑り深い)
kogekusai(焦げ臭い)
musiatui(蒸し暑い)
nebarizuyoi(粘り強い)
osoreôi(恐れ多い)
kikigurusii(聞き苦しい)
ukeiregatai(受け入れ難い)
onkisegamasii(恩着せがましい)
aburakkoi(油っこい)
mirentarasii(未練たらしい)
wakarizurai(分かり辛い)
niekiranai(煮えきらない)
tukainikui(使い難い)
yomiyasui(読みやすい)

「ない」で おわる 複合形容詞には うっかり きりはなして しまいそうな ものが ありますから,気を つけて ください。ひとつの ことばと かんがえにくい ものは きりはなします。

tigainai(違いない)
zôsanai(造作ない)
nasakenai(情けない)
tayorinai(頼りない)
akkenai(あっけない)
kokoromotonai(心許ない)
hasitanai(はしたない)
darasinai(だらしない)
tumaranai(つまらない)
gikotinai(ぎこちない)
adokenai(あどけない)
sarigenai(さりげない)
sikatanai(しかたない)「仕方が ない」sikata ga nai です。
tondemonai(とんでもない)
totetu mo nai(とてつもない)
rati mo nai(らちもない)
roku de mo nai(ろくでもない)


補助形容詞(形式形容詞)は きりはなします。動詞の 連用形+「てない/でない」「ない」「いない」の 省略とも 補助形容詞とも かんがえられますが,いずれに しても きりはなす ことに なります。

kiite hosii(聞いてほしい)
yonde hosii(読んでほしい)
sutete yoi(捨ててよい)
tuzukete ii(続けていい)
kiite nai(聞いてない)
yonde nai(読んでない)

独立 した 形容詞の「ない」も きりはなしますから,みた目で 区別 できない ことが あります。

sono kêki wa mada tabete nai
(食べてない)
sono kêki wa mô tabete nai
(食べて ない)これは 語順を かえて tabete mô nai に すると わかりやすく なります。語順を かえたく ない ときは,tabete, nai に すると いいでしょう。


くりかえしの 形は ひとつづきに かきます。

niganigasii(苦々しい)
yowayowasii(弱々しい)
takedakesii(猛々しい)
sirazirasii(白々しい)

「~らしい/っぽい」「~しい」形の 形容詞は ひとつづきに かきます。

kodomorasii(こどもらしい)
usoppoi(ウソっぽい)
nozomasii(望ましい)
omowasii(思わしい)

形容動詞
Keiyô-dôsi

形容動詞は 語幹と 語尾を きりはなします。前後の ことばからも きりはなしますが,うしろに 付属語が くっつく ことも あります。

sizuka da(静かだ)
sizuka de(静かで)
sizuka na(静かな)
sizuka ni(静かに)
sizuka datta(静かだった)
sizuka darô(静かだろう)

「学校文法」は 形容動詞と いう 品詞を たてますが,形容動詞を かんがえない 文法(学説)も あります自然言語の 文法は 研究が すすむに つれて 真理に ちかづいて いく 自然科学の 理論とは ちがいます。専門家集団が「いまの ところ これが もっとも たしからしい。」と みとめた 定説が ある わけでは なく,いろいろな かんがえが ならびたって います。日本語の 文法も おなじで,有名な ものだけでも 山田文法・松下文法・橋本文法・時枝文法 など,たくさんの 種類が あります。「学校文法」は 橋本文法を もとに して 昔の 文部省が つくった ものです。品詞の かんがえかたは 文法に よって ちがい,たとえば 時枝文法は 形容動詞を みとめて いません。国語辞典の「広辞苑」も 形容動詞を かんがえません。外国人に 日本語を おしえる 日本語教育でも,形容動詞は 形容詞に ふくめて しまって,形容詞を「イ形容詞」,形容動詞を「ナ形容詞」と よんで います。こういう わけですから,将来は 学校での おしえかたが かわるかも しれません。分かち書きの ルールは 特定の 文法から みちびきだされた ものでは ありませんから,学校で おしえる 文法が かわっても 分かち書きの ルールは かわりません。ルールを 説明 する 方法が かわるだけです。


「~がちだ」「がち」を 前に つづけて かきます。

mayoigati da(迷いがちだ)
wasuregati na(忘れがちな)
sigati de(しがちで)
saregati na(されがちな)

名詞・代名詞・数詞
Meisi, daimeisi, sûsi

名詞・代名詞は 前後の ことばから きりはなします。

yama(山)
kawa(川)
tanpopo(タンポポ)
Yamada(山田)
Tôkyô(東京)
Pari(パリ)
kore, sore, are, dore
(これ,それ,あれ,どれ)
koko, soko, asoko, doko
(ここ,そこ,あそこ,どこ)
kotti, sotti, atti, dotti
(こっち,そっち,あっち,どっち)
watasi(わたし)
anata(あなた)
kimi(きみ)
kare(彼)
kanozyo(彼女)
dare(だれ)

形式名詞も おなじです。

atari(あたり)
kagiri(かぎり)
koto(こと)
koro(ころ)
sei(せい)
tame(ため)
tôri(とおり)
toki(とき)
tokoro(ところ)
hazu(はず)
hoka(ほか)
hodo(ほど)
mune(むね)
mono(もの)
yue(ゆえ)
wake(わけ)
ten(点)
sai(際)
(風)
(方)

数詞も おなじです。

iti(一)
ni(二)
san(三)
zyû(十)
hyaku(百)
sen(千)


独立性の ひくい ことばから できて いる みじかい 複合名詞は ひとつづきに かきます。

aozora(青空) akikaze(秋風)
omoide(思い出)
amehuri(雨降り)
kuyasinaki(悔し泣き)
tatibanasi(立ち話)
kazaguruma(風車)
akasingô(赤信号)
sirowain(白ワイン)

「の」を ふくんで いる ものや 名詞と 名詞の くみあわせで ない ものは まよいがちですが,ひとつの ことばだと いう 感覚が あれば,ひとつづきに かきます。

anoyo(あの世)
tokonoma(床の間)
kanozyo(彼女)
mitame(みた目)
hazisirazu(恥知らず)
rokudenasi(ろくでなし)

独立性の たかい ことばから できて いる 複合名詞や ながい 複合名詞は きりはなします。くわしくは「ひとつづきに かく ことば」「きりはなして かく ことば」の ところで 説明 します。

kôtû ziko(交通事故)
piano kyôsitu(ピアノ教室)
mikakunin hikô buttai(未確認飛行物体)
kûsô kagaku syôsetu(空想科学小説)

副詞
Hukusi

副詞は 前後の ことばから きりはなします。

mosi(もし)
kanarazu(必ず)
(もう)
mada(まだ)
mattaku(まったく)
zenzen(全然)
kessite(決して)
sugu(すぐ)
sukosi(少し)
kanari(かなり)
yaya(やや)
totemo(とても)
tabun(たぶん)
masaka(まさか)
tokidoki(ときどき)
anagati(あながち)
tekkiri(てっきり)
nakanaka(なかなか)
kô, sô, â, dô
(こう,そう,ああ,どう)


複合副詞「~なく」は ひとつづきに かきます。ながい ものは つなぎ(-)を いれて よみやすく すると いいいでしょう。

hodonaku(程なく)
kumanaku(隈なく)
nannaku(難なく)
morenaku(もれなく)
yamunaku(やむなく)
koyonaku(こよなく)
manben-naku(まんべんなく)
kokorooki-naku(心置きなく)
amasutokoro-naku
(余すところなく)


「こう」「そう」「ああ」「どう」が うしろの ことばと むすびついて ひとつの ことばに なって いる ものは,特別あつかい して,ひとつづきに かく 流儀も あります。「まるで」「てんで」なども おなじです「まるで」「てんで」は「丸で囲む」「点で表す」の ときと「まるで夢のよう」「てんでダメだ」の ときで 意味が ちがいます。この サイトは 意味の ちがいを みた目の ちがいで 区別 しない 方針なので,きりはなす かきかたを 基本と します。

sô site, sôsite
(そうして;そして,それから)
dô site, dôsite
(どうして;なぜ,それどころか)
maru de, marude(まるで;あたかも)
ten de, tende(てんで;はじめから)


「~と」「~に」「と」「に」を きりはなします。ただし,完全に ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

ussura to(うっすらと)
yoroyoro to(よろよろと)
nyânyâ to(ニャーニャーと) gyâgyâ to(ギャーギャーと)
ho' to(ほっと)
wa' to(わっと)
unto(うんと)
kitto(きっと)
zutto(ずっと)
tyotto(ちょっと)
motto(もっと)
yatto(やっと)
turuturu ni(つるつるに)
pittari ni(ぴったりに)
tune ni(常に)
sugu ni(直ぐに)
tagai ni(互いに)
zitu ni(実に)
kotoni(ことに)
sarani(さらに)

「ことに」「さらに」を くっつけるのは,かならず「に」が つくので,完全に ひとつの ことばに なって いると かんがえられるからです。「実に」は,「実は」「実のところ」「実を言うと」など,「実」の うしろに いろいろな ことばが つくので,これは きりはなします。

「~と/に/も」「なく」「なく」を きりはなします。

nan to naku(なんとなく)
doko to naku(どことなく)
sore to naku(それとなく)
nanikure to naku(なにくれとなく)
itu ni naku(いつになく)
ma mo naku(間もなく)
te mo naku(手もなく)
ikubaku mo naku(いくばくもなく)

連体詞
Rentaisi

連体詞は 前後の ことばから きりはなします。

ôkina(大きな)
tîsana(小さな)
okasina(おかしな)
waga(我が)「我が」の 語源は 名詞「我」+格助詞「が」ですが,現代語では「我」に かならず「が」が つくので,完全に ひとつの ことばに なって いると かんがえ,ひとつづきに かきます。
taisita(大した)
iwayuru(いわゆる)
kono, sono, ano, dono
(この,その,あの,どの)


「この」「その」「あの」「どの」が うしろの ことばと むすびついて ひとつの ことばに なって いる ものは,特別あつかい して,ひとつづきに かく 流儀も あります。「この頃(ごろ)」の ように うしろの 部分の 発音が かわって いる もの,「その他(た)」の ように うしろの 部分が 単独で つかわれにくい もの,「その場しのぎ」の ように 全体が さらに べつの ことばと むすびつく ものは ひとつづきに かく ほうが いいでしょう。

kono aida(この間)
kono sai(この際)
kono hodo(この程)
konogoro(この頃)
sono ue(その上)
sono uti(その内)
sono mama(そのまま)
sonota(その他)
dono miti(どの道)
dono hen(どの辺)
sonobasinogi(その場しのぎ)
sonohigurasi(その日暮らし)
anote-konote de(あの手この手で)

「我が」が うしろの ことばと むすびついて ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

wagahai(我輩)
wagami(我が身)
wagaya(我が家)
wagakoto(我が事)
wagamama(わがまま)
wagamonogao(我が物顔)

接続詞
Setuzokusi

接続詞は 前後の ことばから きりはなします。

sitagatte(したがって)
yotte(よって)
ga(が)
keredo(けれど)
sikasi(しかし)
oyobi(および)
katu(かつ)
mata(また)
sikamo(しかも)
sosite(そして)
nao(なお)
mottomo(もっとも)
somosomo(そもそも)
sate(さて)
tadasi(ただし)

ことばの なりたちを かんがえて きりはなす ものも あります。ただし,完全に ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

da kara(だから)
desu kara(ですから)
soko de(そこで)
suru to(すると)
da ga(だが)
sikasi nagara(しかしながら)
tokoro ga(ところが)
tokoro de(ところで)
sono ue(その上)
omake ni(おまけに)
mata wa(または)
sore de(それで)
yue ni(ゆえに)
sore yue(それゆえ)
sore nara(それなら)
naze naraba(なぜならば)
aruiwa(あるいは)
mosikuwa(もしくは)

「あるいは」「もしくは」を くっつけるのは,かならず「は」が つくので,完全に ひとつの ことばに なって いると かんがえられるからです。ただし,規則を かんたんに する ほうが おぼえやすいと かんがえて,「あるいは」「もしくは」を きりはなす 流儀も あります。

「騙された王様」の引用
「騙された王様」(昔の 教科書)

「そこで」「すると」の かきかたを みて ください。

感動詞
Kandôsi

感動詞は 前後の ことばから きりはなします。

â(ああ)
ê(ええ)
(ねえ)
(まあ)
un(うん)
(へえ)
hai(はい)
îe(いいえ)
oya(おや)
ei'(えいっ)
yoisyo(よいしょ)

かけ声の ような ものは 適当な ところで きりはなします。

ei ei ô(エイエイオー)
hei hei hô(ヘイヘイホー)


あいさつ などの ことばを 感動詞と みなす ことが あります。完全に ひとつの ことばに なって いる みじかい ものは ひとつづきに かきます。

ohayô(おはよう)
oyasumi(おやすみ)
konnitiwa(こんにちは)
konbanwa(こんばんは)
tadaima(ただいま)
sayônara(さようなら)
irassyaimase(いらっしゃいませ)
yôkoso(ようこそ)
arigatô(ありがとう)
sumimasen(すみません)
itadakimasu(いただきます)
gotisôsama(ごちそうさま)

「パラダイスの園」の口絵
「パラダイスの園」

ことばの くみあわせに なって いる ながい ものは きりはなします。くりかえしに なって いる ものや 終助詞が ついて いる ものも きりはなします。

itte kimasu(行ってきます)
itte rassyai(行ってらっしゃい)
gokigen yô(ごきげんよう)
gomen kudasai(ごめんください)
ohayô gozaimasu
(おはようございます)
oyasumi nasai
(おやすみなさい)
mosi mosi(もしもし)
hai hai(はいはい)
yare yare(やれやれ)
bai bai(バイバイ)
zyâ ne(じゃーね)
mata na(またな)

助動詞
Zyodôsi

助動詞は 基本的に 前後の ことばから きりはなしますが,前の ことばに くっつける ものが あり,うしろに 付属語が つく ことも あります。「~だ/です」「だ/です」を きりはなします。まとめると 下の 表の ように なります。+印 は 前の ことばに くっつける もの,/印 は きりはなす ものです終止形・名詞 などに つづける 助動詞を きりはなすと おぼえると いいでしょう。「まい」は 助動詞に 分類 されますが,語形変化が ないので 実質的には 助詞と おなじです。それで,この サイトは きりはなす ことに して いますが,「まい」を くっつける 流儀も あります。いずれに しても,あまり つかわない ことばですから,問題に ならないでしょう。

+れる/られる [尊敬, 可能, 受身, 自発]kakareru / taberareru
せる/させる [使役]kakaseru / tabesaseru
ない/ぬ(ん)/ず [打消]kakanai / kakanu
う/よう [意思, 推量]kakô / tabeyô
た(だ) [過去, 完了]kaita / yonda
そうだ/そうです [様態]kakisô da
たい/たがる [希望]kakitai / kakitagaru
ます [丁寧]kakimasu
やがる [軽蔑]kakiyagaru
/らしい [推定]kaku rasii
そうだ/そうです [伝聞]kaku sô da
べきだ/べきです [当然]kaku beki da
ようだ/ようです [比況]kaku yô da
みたいだ/みたいです [比況]kaku mitai da
だ/です [断定]uso da / uso desu
まい [打消の 推量・意思]kaku mai

「そうだ/そうです」は[様態]か[伝聞]かで かきかたが ちがいます。

arisô da(ありそうだ)[様態]
aru sô da(あるそうだ)[伝聞]
suzusisô da(涼しそうだ)[様態]
suzusii sô da(涼しいそうだ)[伝聞]

[様態]の「そうだ/そうです」「ようだ/ようです」「だ/です」が はぶかれる ことも ありますさかさまに,この「そう」「よう」「だ/です」が ついて 助動詞の「そうだ/そうです」「ようだ/ようです」が できたと かんがえるのが 本当かも しれません。

Mâ, oisisô!(まあ,おいしそう!)
Yume o mite iru yô!
(夢を見ているよう!)

「らしい」は 接尾語の ばあいも あります。接尾語なら くっつけます。「らしい」の 前に「である」を 挿入 しても 意味が かわらなかったら 助動詞です。

Kare wa kodomorasii.
(彼はこどもらしい。)[接尾語]
Kare no kodomo rasii.
(彼のこどもらしい。)[助動詞]

助詞
Zyosi

助詞は 基本的に 前後の ことばから きりはなしますが,前の ことばに くっつける ものが あります。まとめると 下の 表の ように なります。+印 は 前の ことばに くっつける もの,/印 は きりはなす ものです。うしろの ことばに くっつく ことは ありません。

+接続助詞kakeba
て(で)kaite; yonde
たり(だり)kaitari; yondari
つ(ず)kunzu hoguretu
matedo kurasedo
/格助詞kore ga
kore no
kore o
kore ni
kore e
kore to
からkore kara
よりkore yori
kore de
並立助詞are to kore to
are ya kore ya
are ka kore ka
副助詞ばかりkore bakari
だけkore dake
ほどkore hodo
くらいkore kurai
などkore nado
係助詞kore wa
kore mo
こそkore koso
しかkore sika
さえkore sae
接続助詞sô suru ga
sô suru to
sô suru ya ina ya
なりsô suru nari
sô suru si
からsô suru kara
ならsô suru nara
けれどsô suru keredo
がてらaruki gatera
kenbutu gatera
ながらaruki nagara
ware nagara
tîsai nagara
つつaruki tutu
kangaete miru ni
終助詞kore sa
kore yo
kore ne
Kore ka?
Nan da, kore ka.
な [感嘆] [禁止] [命令]kore da na
taberu na
tabe na
kore da wa
ame mo huru wa, kaze mo huku wa
ともkore da tomo
ものningen da mono
ことrippa desu koto

[禁止]の「な」は くっつける 流儀も あります。

hasiru na, hasiruna(走るな)[禁止]
naku na, nakuna(泣くな)[禁止]


助詞 などの くみあわせが ひとつの ことばの ように なって いる ものが あります。これらは 基本的に きりはなしますが,特定の くみあわせに かぎって ひとつづきに かく 流儀も あります。よく おこなわれるのは つぎの 6種類です。

niwa(には) nimo(にも)
dewa(では) demo(でも)
towa(とは) tomo(とも)

「大クラウスと小クラウス」の口絵
「大クラウスと小クラウス」

くみあわせを もっと ふやす かんがえも あります。

niwa(には) nimo(にも)
nino(にの)
dewa(では) demo(でも)
deno(での)
towa(とは) tomo(とも)
tono(との)
ewa(へは) emo(へも)
eno(への)
owa(をは) omo(をも)
ono(をの)

接頭語・接尾語
Settôgo, setubigo

接頭語は 基本的に くっつけます。

otera(お寺)
kabosoi(か細い)
kodakai(こ高い)
subayai(す早い)
zubutoi(ず太い)
tayasui(た易い)
dokonzyô(ど根性)
totikuruu(とち狂う)
hiyowa(ひ弱)
buttataku(ぶっ叩く)
horoyoi(ほろ酔い)
masyômen(ま正面)
hikôsiki(非公式)
hansayô(反作用)
mukansin(無関心)
hukanzen(不完全)
kyûsyôgatu(旧正月)
hukusyatyô(副社長)
zensekai(全世界)
mikaiketu(未解決)
saikentô(再検討)
daihitto(大ヒット)
tyôonsoku(超音速)
hongimari(本決まり)


固有名詞に つく 接頭語は つなぎ(-)で つなぎます。つづけて かくと 固有名詞の つづりが かわって しまい,わかりにくいからです。

ko-Edo(小江戸)
syô-Kyôto(小京都)
datu-Azia(脱アジア)
han-Tokugawa(反徳川)

外来語の 接頭語も おなじ ように かんがえます。

minibonsai(ミニ盆栽)
megamori(メガ盛り)
sûpâsentô(スーパー銭湯)
anti-Kyozin(アンチ巨人)

SI接頭語は つなぎ(-)を いれても かまいません。ひとつづきに かくと つづりが ながく なって よみにくいからです。

3.5 miri-mêtoru(3.5ミリメートル)
980 hekuto-pasukaru
(980ヘクトパスカル)
100 giga-baito(100ギガバイト)


接尾語も 基本的に くっつけます漢字の 接尾語は,接尾語なのか 漢字 1文字の ことばなのか よく わからない ことも ありますが,自立 しない ものが 接尾語だと かんがえられます。ここでは ふかく かんがえず,例に あげた ものを 接尾語と みなして います。

namidagumu(涙ぐむ)
sitasige(親しげ)
narekko(慣れっこ)
utukusisa(美しさ)
harurasii(春らしい)
kemutai(煙たい)
setunai(切ない)
asahaka(浅はか)
arappoi(荒っぽい)
otonabiru(大人びる)
hukami(深み)
bôya(坊や)
tômeisei(透明性)
kanryakuka(簡略化)
gutaiteki(具体的)
zikoryû(自己流)
zidôsiki(自動式)
hukuzatukei(複雑系)
syosinsya(初心者)
syôsetuka(小説家)
syakaigaku(社会学)
garasusei(ガラス製)
keisanki(計算機)
gaikokusan(外国産)


固有名詞に つく 接尾語は つなぎ(-)で つなぎます。つづけて かくと ことばの きれめが わからなく なる おそれが あるからです。しかし おおくの ばあい,つづけて かいても 問題 ありません。固有名詞が あまり 有名で ない ときや 臨時に つくった ことばの ときは つなぎ(-)を いれる ほうが いいでしょう。

Nipponteki(日本的)
Hebonsiki(ヘボン式)
Hirosima-hû(広島風)
Tamori-ryû(タモリ流)


複数を 意味 する 接尾語「たち」「ども」「がた」「ら」は きりはなしても いい ことに します。固有名詞に つく ものは かならず きりはなします。完全に ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

watasitati, watasi tati(私たち)
senseigata, sensei gata(先生がた)
yatura, yatu ra(奴ら)
Isida, Ueda ra(石田,上田ら)
Yamada San ya Kubo San tati ga...
(山田さんや久保さんたちが……)
tomodati(ともだち)
kodomo(こども)


接頭語と 接尾語の 両方が ついて いる ものも あります。

okyakusama(お客さま)
gokurôsan(ご苦労さん)
higenzituteki(非現実的)
mukimeisiki(無記名式)
han-Tokugawa-ha(反徳川派)


全体が ひとつの ことばに なって いない ものは きりはなします。

kaku kômoku(各項目)
hon kaigi(本会議)「この 会議」の 意味の「本」です。わかりにくいので すなおに「この~」に する ほうが いいでしょう。「衆議院本会議」「本会議」なら ひとつづきに かきます。
gen sityô(現市長)
maru itiniti(丸一日)

きりはなして かく 複合語の 全体に かかって いる 接頭語・接尾語は きりはなします。ただし,接尾語は うしろの ことばに くっつけて しまっても かまいません。

dai doboku kôzi(大土木工事)
moto sôri daizin(元・総理大臣)
sin kôsoku tetudô(新・高速鉄道)
tyôkôsoku tetudô
(超高速鉄道;「超高速」+「鉄道」)
tainetu garasu sei, tainetu garasusei(耐熱ガラス製)
Huransu ryôri hû, Huransu ryôrihû(フランス料理風)
ziko manzoku teki, ziko manzokuteki(自己満足的)
ziko seitôka
(自己正当化;「自己」+「正当化」)

敬称 など
Keisyô nado

敬称の「さま」「さん」「くん」など,人名の あとに つづける ことばは 接尾語と かんがえられますが,つなぎ(-)を いれず,きりはなして かきます。また,その 先頭を 大文字に します。

ニックネームの「~ちゃん」「~くん」「~兄(にい)」「~爺(じい)」などは ひとつづきに かきます。

「氏」「シ」では わかりにくいので「ウジ」と よみかえても かまいません。

「博士」には 略語 Hk. が あります。

Inoue Dono(井上殿)
Yamazaki Sama(山崎様)
Sazae San(サザエさん)
Nakazima Kun(中島君)
Satiko Tyan(幸子ちゃん)
Yamamoto Uzi(山本氏)
Sattyan(さっちゃん)
Sigezî(シゲ爺)
Tâsan(たーさん)
Mâkun(まーくん)
Asyura Dansyaku(アシュラ男爵)
Arisugawa-no-Miya Denka
(有栖川宮殿下)
Miyuki Zyô(みゆき嬢)
Yosida Ô(吉田翁)
Kinpati Sensei(金八先生)
Otyanomizu Hk.(お茶の水博士)

「さん」「ちゃん」などが くっついて ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきます。

okâsan(お母さん)
ottyan(おっちゃん)
gozensama(午前様)
kamisama(神様)
ohimesama(お姫様)
otukisama(お月様)
hanayasan(花屋さん)
zôsan(ゾウさん)動物や 植物を 擬人化 した こどもむけの 作品 などでは,「ゾウ」を 名前の ように あつかって Zô San に する ことも あります。

「手をつなぐ子ら」の引用
「手をつなぐ子ら」 (昔の 教科書)

「山田くん」「くん」を きりはなして いますが,「かんちゃん」は ひとつづきに かいて います。

「良寛さま」の引用
「良寛さま」(昔の 教科書)

「良寛さま」「さま」を きりはなして いますが,「女将さん」は ひとつづきに かいて います。


敬称の 先頭は 大文字で かく ことに なって いますが,はじめて みる 人名に 敬称が つづいて いると,それが 名前の 一部なのか 敬称なのか はっきり しない ことが あります。とくに 外国人の 名前では そうです。そこで,この サイトは 敬称の 先頭を 小文字で かいても いい ことに します「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などで しられる 脚本家 川崎高(実相寺昭雄の 別名)は,本当は「川崎高氏(たかうじ)」でしたが,「氏」を 敬称と かんちがい されて「川崎高」に なったのだ そうです。こういう まちがいを さける くふうが 必要です。

Agunesu Tyan(アグネス・チャン)
Agunesu tyan(アグネスちゃん)
Tyen Kun(チェン・クン)
Tyen kun(チェン君)


人名の あとに 職業・肩がき などを つづける ばあい,その 先頭は 大文字でも 小文字でも かまいません。

Obama Daitôryô(オバマ大統領)
Sakamoto kyôzyu(坂本教授)
Zaizen isi(財前医師)
Takasima ana(高島アナ)
Nisida kyokutyô(西田局長)
Aoki puro(青木プロ)
Sima katyô(島課長)
Isii eigyôbu butyô
(石井営業部部長)組織名に「長」を つけて 組織の トップを よぶ ことが ありますが,これは わかりにくいので,組織名と 役職名を わけて かきます。たとえば,「営業部長」に しないで「営業部 部長」に します。

親戚の おじさん・おばさん などは 小文字で いいでしょう。

Haruko obasan(春子おばさん)
Yosaku zîsan(与作じいさん)

名前の うしろに「公」「伯」などを つけて 爵位を いう ことが ありますが,漢字 1文字では わかりにくいので,省略 しない かきかたに します。「公爵」「侯爵」と 区別 する ため【キンシャク】と よみかえます。

Konoe Humimaro Kinsyaku
(近衛文麿公爵)

女性を「お~さん」と よんだり,丁稚を「お~どん」と よんだり する ことが あります。これは O と 名前を つなぎ(-)で つなぎます。このとき,O も 大文字に します。

O-Ume San(お梅さん)
O-Kiku San(お菊さん)

「泣き笑い」の引用
「泣き笑い」(東京ローマ字教育会)

「訳」「著」など
訳, 著 nado

人名の うしろに「訳」「著」などを つける かきかたが あります。これは きりはなします。

Ueda Bin yaku(上田敏 訳)
Hukunaga Takehiko tyo
(福永武彦 著)

これらは 漢字を みないと 意味が わからないので,できるだけ わかりやすい ことばに いいかえます。たとえば,「著」「あらわす」に,「作」「つくる」に すると いいでしょう。

「桃色の真珠」のとびら
早川桂太郎「桃色の真珠

詩が そえられた 小画集です。

分かち書きの ルール(2)
WAKATIGAKI NO RÛRU (2)

意味・感覚に もとづいて いる 部分
Imi, kankaku ni motozuite iru bubun

分かち書きの ルールには 文法で 説明 できない 部分も あります。ことばの 意味や かき手の 感覚に もとづいて いる ところです。この 章では そのような ルールを 説明 します。理屈で 説明 しきれない 部分なので,丸暗記 しなければ ならない ところも ありますが,基本的には かき手の 感覚で きめて かまいません。

ひとつづきに かく ことば
Hitotuzuki ni kaku kotoba

文法で かんがえれば きりはなす はずなのに ひとつづきに かく ことばが あります。これらの ほとんどは 助詞「の」を ふくむ 複合名詞です。その 性質は,全体で ひとつの ことばだと いう 感覚が あり,もとの ことばから 単純には みちびきだせない 特別な 意味を もって いる ことです。アクセントの ちがいや 国語辞典の みだし語に なるかも みわける ヒントです。

たとえば,「茶の間」は ひとつの ことばだと いう 感覚が あり,単純に「茶」「間」を あわせた 意味では ない 特別な 意味を もって います。「少年」の 意味の「男の子」も ひとつの ことばだと いう 感覚が あり,「その男の息子・娘」の 意味の「男の子」とは アクセントも ちがいます。「手の平」は 辞書の みだし語に なって いますが,「足の裏」は なりにくいでしょう。

otokonoko(男の子)
kinoko(きのこ)
takenoko(たけのこ)
itanoma(板の間)
tokonoma(床の間)
tyanoma(茶の間)
kumonosu(クモの巣)
hatinosu(ハチの巣)
konoha(木の葉)
tenohira(手の平)
tenouti(手の内)
otenomono(お手の物)
uwanosora(上の空)
magonote(孫の手)
manoatari(目のあたり)
hinoko(火の粉)
kaminoke(髪の毛)
enogu(絵の具)
yononaka(世の中)
Amanogawa(天の川)
ainote(あいの手)
ninoku(二の句)
ninoasi(二の足)
ninoude(二の腕)
kinodoku(気の毒)
arinomama(ありのまま)
yamanote(山の手)
minoue(身の上)
minoke(身の毛)
minohodo(身の程)

「赤ずきん」の引用
「赤ずきん」(ペロー童話集)

ここでは「女の子」「世の中」Onnanoko, Yononaka と かいて あります。

ひとつの ことばなのか そうで ないのか,ふかく かんがえだすと かえって わからなく なる ことが あります。とくに 名詞と 名詞の くみあわせで ない ものは まよいがちです。しかし,それは かき手の 感覚で きめて かまいません。つぎの ような ものは ひとつの ことばと かんがえて いいでしょう。

dôzo(どうぞ)
naruhodo(なるほど)
kanozyo(彼女)
mitame(見た目)
kirawaremono(嫌われ者)
hitodenasi(人でなし)
hazisirazu(恥知らず)
mukômizu(向こう見ず)

発音が かわって もとの ことばの きれめが なく なったり あいまいに なったり して いる ものや ふるい いいまわしの ことばも ひとつづきに かきます。

bokunti(僕んち <僕のうち)
konaida(こないだ <このあいだ)
saredo(されど)
sahodo(さほど)
taenaru(妙なる)
ôinaru(大いなる)
bakutaru(漠たる)
dôdôtaru(堂々たる)
iwazumogana(言わずもがな)

ただし,やりすぎに 気を つけて ください。たとえば,文学的な 表現の「腹の虫」「関の山」「虎の巻」「火の車」「玉の輿」「雀の涙」「夜の帳(とばり)」などは 全体が ひとつの ことばに なって いる わけでは ありません。これらは きりはなして かきますこの はなしを つきつめると,意味の ちがいを かきかたの ちがいで 区別 する べきかと いう といに いきつきます。これは 分かち書きの ルールを きめる うえで おおきな 議論に なって います。じつは,分かち書きの ルールは 戦後に おおきく かわり,意味の ちがいを かきかたの ちがいで 区別 しない ように なりました。たとえば,「三人の母」は ふたつの 意味に 解釈 できます。お母さんが 3人 いる(three mothers「三人の」を 形容詞と みなす)ものと,ひとりの お母さんに こどもが 3人 いる(the mother of the three children「三人」を 名詞と みなす)ものです。これを ローマ字で かく とき,昔は 意味の ちがいで sanninno haha, sannin no haha と かきわけて いたのですが,戦後は sannin no haha で 統一 する ように かわりました。この かんがえを 徹底 するならば,「男の子」を きりはなして かく かんがえも なりたちます。otoko-no-ko と かく アイデアも あるでしょう。

きりはなして かく ことば
Kirihanasite kaku kotoba

ひとつの ことばは ひとつづきに かくのが 分かち書きの 基本です。しかし,ことばの くみあわせで できた 複合名詞や 固有名詞には いくらでも ながい ものが ありますから,つねに ひとつづきに かく わけには いきません。どこかで きりはなす ルールが 必要です。

やさしい きりはなしかた
Yasasii kirihanasikata

ひとつづきに なって いる 部分が 7拍 以上なら きりはなすと いう ルールが あります。これは 客観的で かき手に よる ばらつきが でず,おぼえやすい かんがえかたです。

undôka (運動家)
undôkai (運動会)
undôgutu (運動靴)
undô onti (運動音痴)
undô sinkei (運動神経)
undô enerugî (運動エネルギー)

しかし,この やりかたには すこし 欠点が あります。まず,拍の 数を かぞえるのが 面倒です。一瞬で 判断 できる やりかたで ないと 文が すらすら かけません。また,単純に ながさで 判断 する ため,「民主政治」「トマト・ジュース」は ひとつづきに かくのに「独裁政治」「オレンジ・ジュース」は きりはなすと いった 不つりあいが かならず おこります。これが 気に なる 人も いるでしょう。

この サイトの きりはなしかた
Kono saito no kirihanasikata

この サイトは ことばの 独立性で 判断 する 方法を おすすめ します。独立性とは ほかの ことばからの きりはなしやすさです。一般に,熟語・外来語・名前 などは 独立性が たかく,漢字 1文字の 漢語や 和語 などは 独立性が ひくいと いえます。独立性の たかい ことばの くみあわせで できた 複合語を きりはなして かく ように すれば,一瞬で 判断 できるでしょう。

ただし,これは おおよその 目安です。たとえば,和語の「組合」「取引」「為替」などは かたくるしい 熟語と 一緒に つかわれる ことが おおい せいか,熟語に にた 感覚が あり,独立性は たかいでしょう。「かるた」は もともと 外来語ですが 和語に ちかい 感覚が あるかも しれません。「缶」は 1文字の 漢語ですが 外来語「カン」だと かんがえれば 独立性の みたてが ちがって きます。「重箱」「手帳」などの 混種語も たくさん あります。

このように,独立性が たかいか ひくいかは かんたんには 分類 できません。かき手の 感覚で きめて ください。


下に 例を しめします。ふたつの ことばから 複合語が できる とき,独立性の くみあわせは 4とおり ありますから,ばあいわけ して しめします。

(1) 独立性の ひくい もの + 独立性の ひくい もの → ひとつづきに かく

aozora(青空)
koinobori(こいのぼり)
tidoriasi(千鳥足)
suberidai(滑り台)
kiritorisen(切取り線)
maeuriken(前売り券)
enmusubi(縁結び)
ongaesi(恩返し)
dandori(段取り)

(2) 独立性の ひくい もの + 独立性の たかい もの → ひとつづきに かく

soramoyô(空模様)
yukigesyô(雪化粧)
kusayakyû(草野球)
akawain(赤ワイン)
kamitêpu(紙テープ)
osibotan(押しボタン)
sakasa-Huzi(逆さ富士)
usiro-Benten(後ろ弁天)
kakubunretu(核分裂)
tentaisyô(点対称)
ginseihin(銀製品)
kinmedaru(金メダル)
yôion(陽イオン)
bôgurahu(棒グラフ)
kan-Taiheiyô(環太平洋)

(3) 独立性の たかい もの + 独立性の ひくい もの → ひとつづきに かく

hôsekibako(宝石箱)
tanzyôbi(誕生日)
yûbin'uke(郵便受け)
undôkai(運動会)
kaiketusaku(解決策)
syûseian(修正案)
garasumado(ガラス窓)
remonziru(レモン汁)
panko(パン粉)
gêmuki(ゲーム機)
bîruken(ビール券)
gasutô(ガス灯)
setomono(瀬戸物)
Toruko-isi(トルコ石)
Doitu-bako(ドイツ箱)
Rômazi(ローマ字)
Huransugo(フランス語)
Korera-kin(コレラ菌)

(4) 独立性の たかい もの + 独立性の たかい もの → きりはなして かく

sika isi(歯科医師)
kabusiki gaisya(株式会社)
zyunkai basu(巡回バス)
keisan misu(計算ミス)
Tônan Azia(東南アジア)
Tyûô Amerika(中央アメリカ)
memo yôsi(メモ用紙)
razio taisô(ラジオ体操)
tenisu kôto(テニス・コート)
tomato zyûsu(トマト・ジュース)
Rosia ryôri(ロシア料理)
Tibetto bukkyô(チベット仏教)
Ryûkyû garasu(琉球ガラス)
Wakayama râmen(和歌山ラーメン)

(2)と (3)には 名前を ふくむ 固有名詞(全体が 固有名詞に なって いる もの)を きりはなす 例外が あります。

Ao Nairu(青ナイル)
Haku Rosia(白ロシア)
Awa Odori(阿波踊り)
Nippon Maru(日本丸)

「トルコ石」「阿波おどり」は どちらも 名前+和語で おなじ 構造ですが,「阿波おどり」は 全体が 固有名詞です。固有名詞は,Yamada Hanako の ように,きりはなされた 部分の 頭文字が すべて 大文字に なるので,全体の つながりが わかります。そこで,つなぎ(-)を はぶいて みた目を すっきり させます。

Toruko-isi(トルコ石)
Awa Odori(阿波おどり)

(4)の「計算ミス」「メモ用紙」「ミス」「メモ」などの ように,よく つかう 外来語で 和語に ちかい 感覚に なって いる ものは くっつけても かまいません。かき手の 感覚で きめて ください。


じっさいの 複合名詞は これらの パターンの くみあわせです。

zyûyô bunkazai(重要文化財)
kenritu tosyokan(県立図書館)
utyû buturigaku(宇宙物理学)
tennen kinenbutu(天然記念物)
sôtaisei riron(相対性理論)
denkiteki tokusei(電気的特性)
syôgakukin seido(奨学金制度)
eikaiwa kyôsitu(英会話教室)
tyôonpa senzyôki
(超音波洗浄機)
syokubutusei nyûsankin
(植物性乳酸菌)
teikoresuterôru syokuhin
(低コレステロール食品)
osibotansiki singôki
(押しボタン式信号機)
arukôruiri kesyôsui
(アルコール入り化粧水)
kûsô kagaku syôsetu
(空想科学小説)
ziyû minken undô
(自由民権運動)
onsitu kôka gasu(温室効果ガス)
tennen bîru kôbo(天然ビール酵母)
sôgô kagaku gizyutu kaigi
(総合科学技術会議)
sekai minsyu syugi sisû
(世界民主主義指数)
tokubetu yôgo rôzin hômu
(特別養護老人ホーム)
zyûmin kihon daityô kâdo
(住民基本台帳カード)
Sangyô Kikai Kenkô Hoken Kumiai
(産業機械健康保険組合)
Kakuheikiyô Kakubunretusei Bussitu Seisan Kinsi Zyôyaku
(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)

ヘボン式で おこる 問題
Hebonsiki de okoru mondai

ヘボン式には おおきな 欠点が あります。一部の 複合語で もとの ことばの つづりが ねじまがって しまう ことです。つづりを くっつけるか きりはなすかで おなじ ことばの つづりが かわって 検索が やりにくく なったり,ABC順に ならべる 順序が くるったり して,実用に たえられません。

shikemmondai, shiken mondai
(試験問題)
rosembasu, rosen basu
(路線バス)
jushimmēru, jushin mēru
(受信メール)
chawan(茶碗)
chawammushi(茶碗蒸し)
kairan(回覧)
kairamban(回覧板)
setsudan(切断)
setsudammen(切断面)

つなぎ(-)を いれる かきかた
Tunagi(-) o ireru kakikata

「学術用語集 物理学編(増訂版)」の引用
「学術用語集 物理学編(増訂版)」 (文部省)

複合名詞の つづりを きりはなす ばあい,全体が ひとつの ことばで ある ことを はっきり しめす ため,きりはなされた つづりを つなぎ(-)で つなぐ ことも あります。

学校の「国語」では この かきかたを おしえるかも しれません。「学術用語集」も この かきかたです「学術用語集」の 一部は「オンライン学術用語集」で 公開 されて いましたが,なぜか ローマ字の データが 破壊 されて いて つかいものに なりませんでした。その「オンライン学術用語集」も 2016年3月末に「J-GLOBAL」と いう 変な 名前の データベースに くみこまれ,このとき ローマ字の データが 完全に 削除 されて しまいました。

ただし,これは すこし ふるい かきかたで,いまは この かきかたを しないのが ふつうです。

kenkô-sindan(健康診断)
syûgaku-ryokô(修学旅行)
nyûgaku-siken(入学試験)
zyôhô-syori(情報処理)

自分で つくった 複合語には かならず つなぎ(-)を いれます。全体で ひとつの ことばで ある ことが はっきり して いないと,よみ手が とまどうからです。ばあいに よっては 意味が ただしく つたわりません。

kontyû-syakai(昆虫社会)
utyû-mozi(宇宙文字)

「世界の人々」の引用
「世界の人々」(昔の 教科書)

ここでは「自転車旅行」つなぎ(-)が はいって います。つなぎ(-)が ないと「自転車と 旅行」の 意味に とられる おそれが あります。

四字熟語
Yozi-zyukugo

四字熟語は 全体で ひとつの ことばですが,ひとつづきに かくと つづりが ながく なりますから,ことばの くみたてに したがって きりはなすと いいでしょう。四字熟語の おおくは 2字+2字の くみたてに なって いるので,たやすく きりはなせます。きりはなされた 部分は 自立 しない ことが おおいので,つなぎ(-)で つなぎます。

たとえば,「弱肉強食」「弱肉」「強食」に きりはなせますが,「弱肉」「強食」と いう ことばは ないので つなぎ(-)で つなぎます。「一生懸命」「一生」「懸命」も それだけで つかえる ことばなので きりはなして いい ようにも おもえますが,やはり 全体が ひとつの ことばですから つなぎ(-)で つなぐ ほうが いいでしょう。

zyakuniku-kyôsyoku(弱肉強食)
gisin-anki(疑心暗鬼)
onko-tisin(温故知新)
hunkotu-saisin(粉骨砕身)
ziga-zisan(自画自賛)
gyokuseki-konkô(玉石混交)
taiki-bansei(大器晩成)
ryûtô-dabi(竜頭蛇尾)
nennen-saisai(年々歳々)
kiki-kaikai(奇々怪々)
simen-So-ka(四面楚歌)
Go-Etu-dôsyû(呉越同舟)

「周章狼狽」「頑迷固陋」は よく にた 意味の 熟語を ふたつ ならべて 強調 する いいまわしです。こう いう ものは きりはなしても いいでしょう。

まれに 2字+2字の くみたてに なって いない ものが あります。たとえば,「五里霧中」「五里霧」+「中」で,「一衣帯水」「一」+「衣帯」+「水」です。これらの かきかたは 個別に かんがえるしか ないでしょう。

syûsyô rôbai(周章狼狽)
gorimu-tyû, gorimutyû(五里霧中)
iti-itai-sui, itiitaisui(一衣帯水)

「漁夫之利」などは 全体で ひとつの ことばと かんがえるより 比喩表現と かんがえる ほうが わかりやすいので,ふつうの かきかたで かまいません。つなぎ(-)を いれる 手も あります。自立 しない 部分が ある ものは その ほうが いいでしょう。

gyohu no ri(漁夫之利)
Ansi no gyo(晏子之御)
kaigo-no-hana(解語之花)
kakaku-no-arasoi(蝸角之争)


ローマ字文では 四字熟語を できるだけ つかわない ように 心がけます。じっさいには,「弱肉強食」「一生懸命」を つかうなと いわれたら こまりますから,四字熟語を つかっても いいのですが,できるだけ ほかの いいまわしに して ください。その 理由は 耳で きいただけでは わかりにくいからです漢字 4文字の ことばでも,「十人十色」「青息吐息」「海千山千」の ように,和語が はいって いて 耳で きけば 意味が わかる ものは 問題 ありません。

おなじ ことばや にた 発音を かさねた ことば
Onazi kotoba ya nita hatuon o kasaneta kotoba

おなじ ことばを かさねて つくった ことばは ひとつづきに かきます。擬音語・擬態語 などで にた 発音の くりかえしに なって いる ことばも おなじです。くりかえしの 単位が 3拍 以上の ながい ものは つなぎ(-)を いれて よみやすく する ことも あります。

yamayama(山々)
hitobito(人々)
tokoro-dokoro(所々)
iroiro(いろいろ)
matimati(まちまち)
sorezore(それぞれ)
nakunaku(泣く泣く)
osoru-osoru(恐る恐る)
kawaru-gawaru(代わる代わる)
yukiyukite(行き行きて)
mitimitite(満ち満ちて)
nagare-nagarete(流れ流れて)
sugasugasii(清々しい)
takedakesii(猛々しい)
odoro-odorosii(おどろおどろしい)
kirakira no(きらきらの)
dokidoki suru(どきどきする)
utura-utura to(うつらうつらと)
bûbû(ブーブー)
mômô(モーモー)
pinpon(ピンポン)
karan-koron(カランコロン)

おなじ ことばが 連続 して いても ただの くりかえしなら きりはなします。

ara ara, dô simasyô
(あらあら,どうしましょう)
kore kore kore da yo
(これこれこれだよ)
takai takai yama no ue
(高い高い山の上)
Mosi mosi. Hai hai.
(もしもし。はいはい。)
Un un, wakatta.
(うんうん,分かった。)
Mukasi mukasi, aru tokoro ni...
(むかしむかし,ある所に……)
Sake o nomi nomi katariatta.
(酒を飲み飲み語りあった。)
muda, muda, muda, muda, muda
(無駄無駄無駄無駄無駄)

「遊び仲間」の引用
「遊び仲間」 (昔の 教科書)

「ぽんぽん」「ぴょんぴょん」は ひとつづきに かいて いますが,「飛ぶ飛ぶ」「回る回る」は きりはなして います。

対・組の ことば
Tui, kumi no kotoba

対に なる ことばや 組に なる ことばを ならべた いいかたが あります。内部に 構造が なく,要素が 対等に ならんで いる ものです。

これは,「親子」「手足」「凸凹(でこぼこ)」の ように,ひとつの ことばに なって いる ものは ひとつづきに かきますが,つながりが よわいと おもわれる ものは つなぎ(-)で つなぎます。

ani-imôto(あにいもうと)
nabe-kama(なべかま)
haori-hakama(羽織袴)
yoroi-kabuto(鎧兜)
ake-sime(開け閉め)
nori-ori(乗り降り)
yosi-asi(良し悪し)
iki-sini(生き死に)
nobori-kudari(上り下り)
siro-kuro o tukeru(白黒をつける)
hinoe-uma(丙午)

要素が 3個 以上に なっても おなじです。ひとつの ことばと いう 感覚が ある ものでも,要素を つなぎ(-)で つなぐ ほうが いいでしょう。

ten-ti-zin(天地人)
dan-sya-ri(断捨離)
tô-zai-nan-boku(東西南北)
syun-ka-syû-tô,
haru-natu-aki-huyu
(春夏秋冬)
zyô-ge-sa-yû(上下左右)
ki-syô-ten-ketu(起承転結)
ka-tyô-hû-getu(花鳥風月)
kan-kon-sô-sai(冠婚葬祭)

きりはなしかたが むつかしい ことば
Kirihanasikata ga mutukasii kotoba

漢字 4文字 または それを こえる ながい 複合名詞は できれば きりはなして かきます。このとき,ことばの 構造が 複雑で きりはなすのが むつかしい ことが あります。そんな ときに どう かんがえたら いいかを いくつかの 例で 説明 します。これは きまりで なく,こういう かんがえかたも あると いう ヒントだと おもって ください。よく 理解 できなかったら,全体を ひとつづきに かいても かまいません。

作曲者名
Sakkyokusya-mei

「作曲者名」の 構造は「作曲」+「者名」では ありません。「者名」と いう ことばが ない ことから それが わかります。ただしくは「作曲」+「者」+「名」です。この 構造が わかる ように きりはなします。しかし,「作曲者」までは ひとつづきに かけますから,「名」だけ きりはなします。そして,「名」は 漢字 1文字で 独立性が ひくいので,つなぎ(-)で つなぎます。

sakkyokusya-mei(作曲者名)
Rômazi-ron(ローマ字論)
gozyûon-zu(五十音図)
Doitugo-ban(ドイツ語版)
Barutan-sei-zin(バルタン星人)

生徒会長
Seitokai-tyô

「生徒会長」「生徒」+「会」+「長」ですが,「生徒会」は ひとつづきに かけるので,「生徒会」+「長」に なりそうです。しかし,「会長」と いう ことばが あるので,「生徒」+「会長」でも よさそうに おもえます。どちらが いいか まよって しまうかも しれません。

こういう ことばは きりはなす ところに「の」を いれて かんがえて みます。すると,「生徒会の 長」は 意味が とおるのに たいして「生徒の 会長」は おかしいと わかります。よって,「生徒会」+「長」に します。

「海水浴場」は,「海水」+「浴場」だと「海水の 浴場」に なって 意味が かわって しまいますから,「海水浴」+「場」に します。「幼稚園児」は,「幼稚」+「園児」だと「幼稚な 園児」みたいなので,「幼稚園」+「児」が いいでしょう。

seitokai-tyô(生徒会長)
yakyûbu-in(野球部員)
daigakuin-sei(大学院生)
kôkyôgaku-dan(交響楽団)
kaisuiyoku-zyô(海水浴場)
yôtien-zi(幼稚園児)

このような ことばは すこし いいかえると 意味が はっきり するだけで なく つなぎ(-)が いらなく なって みた目も すっきり します。「の」を はさむと さらに わかりやすく なります。

seitokai kaityô(生徒会会長)
yakyûbu buin(野球部部員)
daigakuin no insei
(大学院の 院生)
kôkyôgaku no gakudan
(交響楽の 楽団)

盲学校長
Môgakkô-tyô

「盲学校長」「盲」+「学校」+「長」ですが,「盲学校」は ひとつづきに かけますから,「盲学校」+「長」です。「校長」と いう ことばは ありますが,「盲学」+「校長」では ありません。これも いいかえた ほうが いい ことばです。

môgakkô-tyô(盲学校長)
môgakkô no kôtyô(盲学校の校長)

経済学者
Keizai gakusya

「経済学者」「経済」+「学」+「者」「経済」+「学者」の どちらでも 解釈 できますが, 「経済学の 者」は すこし 変ですから,「経済」+「学者」で いいでしょう。

「物理学者」「心理学者」は,「物理学」「心理学」を くっつけたく なるかも しれませんが,「物理」+「学者」「心理」+「学者」で いいでしょう。「英文学者」「仏文学者」も,「英文」「仏文」「英語の 文学」「フランス語の 文学」と かんがえて,「英文」+「学者」「仏文」+「学者」で いいでしょう。

keizai gakusya(経済学者)
buturi gakusya(物理学者)
kokubun gakusya(国文学者)
eibun gakusya(英文学者)
Kumamoto kenmin(熊本県民)
kekkon sikizyô(結婚式場)

県体育館
Ken-taiikukan

「県立図書館」「県立」+「図書館」ですが,「県体育館」は どう かけば いいでしょうか。これは おもいきって「県」を きりはなします。「県」は 自立 する ことばですが,漢字 1文字で すこし 独立性が ひくいので,つなぎ(-)で つなぐと いいでしょう。

ken-taiikukan(県体育館)
nen-heikinti(年平均値)
En-kansangaku(円換算額)

小中学校
Syô-, tyû-gakkô

「小中学校」「小学校と 中学校」を まとめて みじかく した ことばです。きりはなす ときは 構造が わかる ように します。

syô-, tyû-gakkô(小中学校)
zyô-, ge-suidô(上下水道)
zyô-, tyû-, ge-kan(上中下巻)
riku-, kai-, kû-gun(陸海空軍)

しかし,これは あまりにも 煩雑です。ひとつづきに かいた ほうが よみやすいかも しれません。もっと いいのは,「小中学校」を つかわない ことです。みじかく しようと かんがえないで,すなおに「小学校と 中学校」に すれば よみやすく なりますきりはなすと しても「小」+「中学校」「小中」+「学校」には なりません。「小中」+「学校」「焼酎の 学校」みたいです。

syôgakkô to tyûgakkô(小学校と 中学校)
zyôsuidô to gesuidô(上水道と 下水道)
zyôkan, tyûkan, gekan
(上巻・中巻・下巻)
rikugun, kaigun, kûgun
(陸軍・海軍・空軍)

市町村長
Sityôson-tyô

「市町村長」「市長と 町長と 村長」を まとめて みじかく した ことばですが,「市町村」+「長」とも かんがえられます。「市長」+「町長」+「村長」でも かまいませんが,「市町村」+「長」の ほうが よみやすいでしょう。

si-, tyô-, son-tyô(市町村長)
sityô, tyôtyô, sontyô(市町村長)
sityôson-tyô(市町村長)

生年月日
Sei-nengappi

「生年月日」「生」+「年月日」です。「年月日」まで ばらばらに すると かえって わかりにくいでしょう。もっと いい 手は「生年月日」を つかわない ことです。「うまれた日」で わかります。

sei-nengappi(生年月日)
Umareta hi: ____ n. __ gt. __ nt.
(うまれた日:____年__月__日)

女子大生
Zyosi-daisei

「女子大生」には ふたつの 解釈が あります。ふつうは「女子の 大学生」の 意味で「女子」+「大(学)生」ですが,「女子大の 学生」の 意味で「女子大」+「(学)生」の ことも あります。どちらの ばあいも つなぎ(-)で つなぎます。

zyosi-daisei
(女子大生;女子の 大学生)
zyosidai-sei
(女子大生;女子大の 学生)

科学技術
Kagaku, gizyutu

「科学技術」は「科学に 裏づけられた 技術」「最新の 科学を 応用 した ハイテク」くらいの 意味で つかわれる ことが あります。しかし,これは science and technology の 訳語で,本当の 意味は「科学と 技術」ですそのため,「科学・技術」と かかれて いる ことも あります。

この 意味を わかりやすく する ため,文章の 中では くぎり(,)を いれる よう おすすめ します。「と」を はさむと さらに わかりやすく なります。

kagaku, gizyutu no sinpo wa...
(科学技術の進歩は……)
zidô, seito o anzen ni...
(児童生徒を安全に……)

ながい つづりを 視覚的に きりはなす
Nagai tuzuri o sikakuteki ni kirihanasu

ここまでの 説明で しめした ように,ながい つづりは いろいろ 理屈を つけて きりはなせます。けれども,きりはなす 理由が みつからない ことも あるでしょう。そんな ときは,単純に ながさで 判断 して,ながい ものは きりはなして かまいません。6拍 または 7拍は ながいと みなすのが おおよその 目安です。ただし,このときは かならず つなぎ(-)を いれて ください。あくまで 視覚的に きりはなすだけです。

hana-nusubito(花盗人)
yukimati-zuki(雪待月)
beni-osiroi(紅白粉)
harutuge-dori(春告鳥)
maturi-bayasi(祭囃子)
hanare-kozima(離れ小島)
hitori-hitori(一人一人)
kawaru-gawaru(代わる代わる)

ただし,これを やりすぎると つなぎ(-)だらけに なって しまいますから,最小限に とどめて ください。複合語の うしろの ことばが 母音で はじまる ものは よみにくい 事実が しられて いますから,その ばあいに かぎって つなぎ(-)を いれるのも ひとつの 方法です。

分かち書きの 話題
WAKATIGAKI NO WADAI

分かち書きの かんちがい
Wakatigaki no kantigai

漢字仮名交じり文に 分かち書きは いらない?
Kanzi-kanamaziri-bun ni wakatigaki wa iranai?

分かち書きに かんする かんちがいは たくさん ありますが,もっとも おおいのは 漢字仮名交じり文に 分かち書きは 必要ないと いう ものです。しかし,はじめに しめした「先生きのこ」の 例からも わかる ように,これは まちがいです。

空白は 時間的な 空白?
Kûhaku wa zikanteki na kûhaku?

分かち書きの 空白を,発音 する ときの 時間的な 空白だと おもって いる 人が います。そうでは ありません。空白で すきまを いれて よむ 必要は ありません。

英語の thank you【サンキュー】で,まるで 空白が ない みたいです。ローマ字文も それと おなじです。つぎの 3個の 文は まったく おなじ 発音です。

文法の 知識が いる?
Bunpô no tisiki ga iru?

文法の 知識が ないと 分かち書きは 理解 できないから こどもには むりだと いう 人が います。これも まちがいです。文法の 知識 なんか いりません。

日本語で 生活 して いる 人ならば,ほとんど 体で おぼえて しまう ものです。アメリカの こどもは 英文を 分かち書きで かいて いますが,英語の 文法は しりません。ローマ字文でも おなじです。分かち書きの ルールは,かかれた ものを よみ,それを まね して かく うちに,自然に おぼえて いく ものです。

分かち書きは 未完成
Wakatigaki wa mikansei

分かち書きの ルールは 完成 して いません。ヨーロッパの 言語でも 分かち書きの ルールは 未完成です。たとえば,ドイツ語では 1998年に 正書法が あらためられた 際に 分かち書きの ルールが すこし かわりました。英語では 複合語を つなぐ ハイフンが だんだん すくなく なって います。日本語の 点字文も 何度か ルールの みなおしが おこなわれました。

100年前の ローマ字と いまの ローマ字は ずいぶん かきかたが ちがいます。これから 先も かわって いくでしょう。この サイトが ここで 提案 して いる かきかたも いまの かんがえに すぎません昔は ローマ字論者 田丸卓郎の 提唱 した かきかたが おこなわれて いましたが,戦後は「東大ローマ字会」に よる「東大式」が 主流に なりました。ここで 説明 して いる 分かち書きの ルールも「東大式」を もとに して います。