分かち書きの あらまし

分かち書きとは

分かち書きとは 英語の ように ことばの くぎりに 空白を いれる 書きかたです。空白の 部分で 改行 するのも おおきな 特徴です。

人魚姫
「人魚姫」(教学研究社)

世界の 言語は ほとんど すべて 分かち書きを しますが,日本語の 漢字かな交じり文は 分かち書きを しません。漢字と かな文字の さかいめが ことばの くぎりを しめす ヒントに なるからです。注意ぶかく 書かれた 漢字かな交じり文は,分かち書きを していなくても,それほど 読みにくくは ありません。

一方,かな文字文や ローマ字文は かならず 分かち書きを します。もし 分かち書きを していなかったら,ことばの くぎりが わからず,まったく 読めません。

日本語の 分かち書きには,おおきく わけると 文節式と 単語式が あります文節式とか 単語式とか いっても,厳密に 文節や 単語の 単位で くぎっている わけでは なく,大体 それに ちかい 単位で きりはなしている,という 意味です。。かな文字文は 文節式 または 単語式,ローマ字文は 単語式の 分かち書きを します。

李も桃も桃の内。 (べた書き)
スモモモ モモモ モモノ ウチ。 (文節式の分かち書き)
Sumomo mo momo mo momo no uti. (単語式の分かち書き)

分かち書きの 目的

分かち書きの 目的は 読みやすさです。読みやすさには 感覚的な ものと 論理的な ものが あります。

感覚的な 読みやすさ

分かち書きを すると,文字の ならびが 視覚的な カタマリに なります。ながい つづりは いくつかの カタマリが くっついた ように みえます。そして,その カタマリが ひとつの 図形として 把握 できる ように なります。

この 図形は,それぞれが 固有の 特徴を もっているため,たやすく 判別 できます。ローマ字書きなら,ラテン文字の 直線・曲線や 上下に とびだした 線などが 特徴を つくります。その おかげで,aka, ika, oka, oya, oba などを ひと目で みわける ことが できます。

これは 複雑な 形の 漢字を 一瞬で みわける ことが できる 原理と おなじです。英語の 話し手も catdog を はしから 1文字ずつ 読んでいるのでは なく,カタマリで 認識 しています表音文字は 分かち書きに なっていないと 識別 しにくく なります。英語の co-worker に ハイフンが はいっているのは,coworker だと cow という カタマリを 認識 して しまって 読みにくいからです。しかし,表音文字で 書く 外国語も 分かち書きに なっていれば ひと目で 単語を 識別 できます。よく 漢字は ひと目で 識別 できるから 便利なのだと いわれますが,それは 漢字の 特長でも 何でもなく,表音文字でも まったく おなじ ことです。。大文字 だけで 書かれた 英文が 読みにくいのは,カタマリが みなれない 形に かわって しまう ことと,カタマリが 上下に とびだした 線の 特徴を うしなって 無表情に なり,判別 しにくく なる ことが 原因です。


この カタマリが はっきり しないと 読みまちがいが おこりやすく なります。

この先生きのこるには

これは,おちついて かんがえれば ことばの くぎりが わかるので,なんとか 理解 できます。でも,とても 読みにくいでしょう。感覚的に(視覚的に)カタマリが 認識 できないからです。このような 文が おおいと,読み手は つかれて しまいます。

論理的な 読みやすさ

つぎに しめすのは 論理的に 読みにくい 例です。これは つかれる だけでは すみません。複数の 解釈が できて しまい,意味を 正しく つたえる ことが できません。

小田原田村井上原 (小田・原田・村井・上原小田原・田村・井上・原)
ここではきものを脱いでください (履物を/着物を)
二重にしてくびに掛けるような数珠 (手首に/首に)
ご逝去を悼みつつしんでお悔やみを…… (謹んで/悼みつつ死んで)
sokoniwakaiinugaimasu (飼い犬が/若い犬が)

カタマリを はっきり させるには ことばの くぎりに 空白や 記号を 挿入 すれば いい わけですが,くぎりにも 語の レベル,句・節・文の レベル,段落の レベル という ふうに いくつかの 段階が あり,その ちがいが わかる ように 書きわける 工夫が 必要です。そうしないと,意味が つたわらない 場合が あるからです。

下の 例は *印の 部分が 語の くぎりか 文の くぎりかで 意味が かわって しまいます。

明日は雨が降る*天気ではない

ローマ字文では,語の レベルは 空白の 挿入(分かち書き)で,句・節・文の レベルは 記号(句読点)の 挿入で,段落の レベルは 改行と 字下げで,それぞれの くぎりを 書きあらわす ことに なっています漢字かな交じり文でも,今の ような 句読点を つかっていなかった 時代には,段落や 文の くぎりに 丸印などを 挿入 していました。


分かち書きは,ただ 視覚的に 読みやすく する「便利な もの」では なく,意味を 正しく つたえる ために「必要な もの」である ことを 理解 して ください。漢字かな交じり文で「先生きのこ」の ような 問題が おこるのは,必要な ことを していないからです。これに ついては「漢字かな交じり文の 分かち書き」で あらためて ふれます。

分かち書きの 原則

つぎの 例文を ローマ字書きの 分かち書きに してみましょう:

きのうも私はその料理を食べました。

まず,わかりやすい ところで きりはなします。

きのうも 私は その料理を 食べました。

ここまでは たやすく きれるでしょう。でも,これ以上 どこまで こまかく きったら いいのでしょうか? これは かんがえて わかる ものでは なく,分かち書きの ルールを おぼえなければ なりません。けれども,いきなり ルールの 解説を しても 理解 しづらいでしょうから,まず ルールの 設計方針を 説明 します。これを しっていると,ルールを おぼえるのが 楽に なります。


分かち書きの ルールは「くっつけるか きりはなすか まよったら きる」方針に なっています。ただし,なんでもかんでも きりはなす,という 意味では なく,理屈を つけて きりはなします。原則は つぎの とおりです:

原則1は,もう 説明 しなくて いいでしょう。原則2は,「きのうも」は「きのう」だけでも 文節に なれるから「きのう」と「も」を きりはなす,という 意味です。原則3は,「私は」は「私だけは」の ように 別の ことばを わりこます ことが できるから「私」と「は」を きりはなす,という 意味です。原則4は,「その料理を」は「料理を」を いろいろな ことばに いれかえる ことが できるから「その」と「料理を」を きりはなす,という 意味です。

このように かんがえていくと,例文は つぎの ように きりはなせば いい ことが わかります:

きのう も 私 は その 料理 を 食べました。「食べました」は もっと こまかく きっても いいんじゃないか,と おもう 人も いるでしょう。「食べ ました」と する かんがえも ない わけでは ありません。しかし,普通は これ以上 きりません。

ローマ字書きに すると つぎの ように なります:

Kinô mo watasi wa sono ryôri o tabemasita.


原則は すべて「~ならば きりはなす」です。これは「~で なければ くっつける」という 意味を ふくんでいます。また,これらの 原則を ひとつでも みたせば きりはなすとか,すべてを みたす ときだけ きりはなすとか,そういう きまりでは ありません。おおよその 見当です。実際には ほかの 状況との かねあいや 読みやすさの 感覚で,きりはなしたり きりはなさなかったり します。こうして きりはなす ところを きめていった 結果,ほぼ 単語ごとに きりはなす ルールが できあがりました。


このように,分かち書きの ルールには 論理的では なく 感覚的な ところが あり,理屈で 説明 しきれない 場合も あります。しかも,感覚は 人それぞれですから,ルールの 中には 自分の 感覚に あっていないと 感じる ところが かならず あります。そのような 部分で,くっつけるのか きりはなすのか,まよって しまう ことが あるかも しれません。

しかし,自己流で 書いて しまうのを おそれる ことは ありません。実際,分かち書きには 個人差が あります。漢字かな交じり文で 読点(、)の うちかたが 人に よって ちがう ように,ローマ字文の 分かち書きも 書き手に よって ことなります。原則を 無視 した デタラメは いけませんが,ある程度の はばは ある ものです。分かち書きに なれてくると,こまかい ちがいは まったく 問題に ならない ことが わかってくるでしょう。

分かち書きの ルール(1)

文法による ルール

分かち書きの ルールは,ほとんど 文法で 説明 できます。文法は 理屈ですから 丸暗記 する 部分が すくなく,応用が ききます。この 章では そのような ルールを 説明 します。

中学生でも わかる ように,国文法(学校文法)を つかって 説明 しますが,分かち書きの ルールが 特定の 文法(学説)に よりかかって 定義 されている,という 意味では ありません。


大切な ところは つぎの とおりです。これだけで 9割は わかった ような ものです。

下の 節で 品詞などに わけて 説明 していきます。

動詞

動詞は,前の ことばと くっつく ことは ありませんが,うしろに 付属語が くっつく ことは あります。

kaku(書く)kakanai(書かない)kakimasu(書きます)
kaita(書いた)kakareru(書かれる)kakaseru(書かせる)
kakitai(書きたい)kake(書け)kakeba(書けば)

名詞+「する」は きりはなします。名詞+「できる」「なさる/なさい」「くださる/ください」なども この パターンです「する」が 独立 した 動詞の 場合は きりはなします(例:「それは 明日 する」「これは 1000円 した」「1週間 したら」)。。ここでは「お」+「動詞の 連用形」を 名詞と かんがえます(例:「お聞きなさい」の「お聞き」)。

sinpai suru(心配する)renraku suru(連絡する)
kôgeki suru(攻撃する)seisan suru(生産する)
koi suru(恋する)namida suru(涙する)
wazawai suru(災いする)nakanaori suru(仲直りする)
syûto suru(シュートする)kopî suru(コピーする)
kandô dekiru(感動できる)kansya itasu(感謝いたす)
okotae nasaru(お答えなさる)okiki nasai(お聞きなさい)
gohôkoku kudasaru(ご報告くださる)goyôi kudasai(ご用意ください)
gosyôkai itadaku(ご紹介いただく)

副詞+「する」は きりはなします。擬態語も 副詞です。

bikkuri suru(びっくりする)nikkori suru(にっこりする)
turuturu suru(つるつるする)pikapika suru(ぴかぴかする)

「みじかい 漢語+する/ず/ずる/じる」は ひとつづきに 書きます。みじかい 漢語とは 漢字 1文字の 漢語です漢字を みないと わかりにくい ことばが おおいので,「信じる」「感じる」などの ように わかりやすい ものの ほかは,できるだけ つかわない ように します。

「和語+する/ずる/じる」も ひとつづきに 書きます。

kansuru(関する)hansuru(反する)taisuru(対する)
kinzu(禁ず)meizu(命ず)benzu(弁ず)
anzuru(案ずる)syôzuru(生ずる)ronzuru(論ずる)
enziru(演じる)sinziru(信じる)kanziru(感じる)
kumisuru(与する)amanzuru(甘んずる)omonziru(重んじる)

ここで,みじかい 漢語や 和語が 名詞の 場合は,この パターンでは なく,上で のべた 名詞+「する」の パターンです。「~をする」と いえるか どうかが みわける ヒントに なります。「~をする」と いえたら,名詞+「する」です「~さない」「~します」「~する」という 風に 五段活用 するか どうか,前に 連体修飾語が つくか どうかも ヒントに なります。五段活用 しない もの,連体修飾語が つく ものは 名詞+「する」の パターンです。

toku suru(得する;得をする)son suru(損する;損をする)
ban suru(番する;番をする)raku suru(楽する;楽をする)

「~とする」は 「と」の 前後で きりはなします(この「~と」は 副詞です)。

niyari to suru(にやりとする)ho' to suru(ほっとする)

「~として」は 「と」の 前後で きりはなします。

watasi to site wa(私としては)
syu to site(主として)「主として」の〈シュ〉は 聞いた だけでは わかりにくい ことばです。例外的に,全体を ひとつづきに 書いて わかりやすく する かんがえも ありますが,もっと いいのは「主として」を つかわない ことです。「おもに」と いいかえる ことが できます。

「~という」は「と」の 前後で きりはなします。

... to iu(~という)

「~につき/ついて」「~にとり/とって」などは「に」の 前後で きりはなします。

sore ni tuite(それについて)dare ni totte(誰にとって)
nani ni yotte(何によって)koko ni oite(ここにおいて)
sore ni turete(それにつれて)kore ni sitagatte(これにしたがって)

ふるい いいまわしの「~にして」「~をして」「~ずして」などは「して」を きりはなします。

ima ni site(今にして)kare o site(彼をして)
rôsezu site(労せずして)sô da kara site(そうだからして)

複合動詞は ひとつづきに 書きますが,ひとつの ことばだという 意識の よわい ものは きりはなしても かまいません。うしろの 動詞が もとの 意味を うしなっている 場合は きりはなしません。

複合動詞では なく 連用中止法の ときは きりはなします。

kokorozasu(志す)kokoromiru(試みる)
kaerimiru(省みる)uketamawaru(承る)
môsikomu(申し込む)uketukeru(受け付ける)
odori tukareru(踊り疲れる)nageki kanasimu(嘆き悲しむ)
warai korogeru(笑い転げる)umi sodateru(産み育てる)
hataraki hazimeru(働き始める)damasi tuzukeru(騙し続ける)
nakidasu(泣きだす)tabekiru(食べきる)
sirabeageru(調べあげる)mamorinuku(守りぬく)
umare oi sosite sinu (生まれ老いそして死ぬ;連用中止法) この 場合は umare, oi と 書く ことを すすめます。

「なさる」「なさい」「な」が 動詞,助動詞に つく 場合は ひとつづきに 書きます。

tabenasaru(食べなさる)tabenasai(食べなさい)「お食べなさい」は「なさい」を きりはなします。これは「お食べ」を 名詞と みなしているからです。
tabena(食べな)[命令]この「な」は 終助詞ですが,「なさる」の 命令形「なさい」の 短縮形とも かんがえられます。

「過ぎる」が 動詞,形容詞,助動詞に つく 場合は ひとつづきに 書き,そのほかの 場合は きりはなします。

tabesugiru(食べすぎる)ôkisugiru(大きすぎる)damasaresugiru(騙されすぎる)zimi sugiru(地味すぎる)

「得る」が 動詞,助動詞に つく 場合は ひとつづきに 書きます。

siuru(し得る)nasareuru(なされ得る)arienai(あり得ない)

「かねる」が 動詞,助動詞に つく 場合は ひとつづきに 書きます。

sikaneru(しかねる)iikaneru(言いかねる)
iwarekanenai(言われかねない)

補助動詞「いる」「ある」「いく」「くる」「みる」「おく」「もらう」「くれる」「やる」「あげる」「しまう」「みせる」「いただく」などは きりはなしますこのため,「開けて見る」(開け,そして 見る)と「開けてみる」(ためしに 開ける)は 区別 できません。そこで,前者の 場合は akete, miru と 書く ことを すすめます。。「くださる/ください」「ごらん(なさい)」も この パターンです。

sitte iru(知っている)kakete aru(掛けてある)
kiete iku(消えていく)kawatte kuru(変わってくる)
yonde miru(読んでみる)totte oku(取っておく)
kaite morau(書いてもらう)kiite kureru(聞いてくれる)
katte yaru(買ってやる)matte ageru(待ってあげる)
sutete simau(捨ててしまう)yatte miseru(やってみせる)
utatte kudasaru(歌ってくださる)kite kudasai(来てください)
mite goran nasai(見てごらんなさい)waratte goran(笑ってごらん)

会話では「~ている」「~ていく」などが「~てる」「~てく」などの 形に なる ことが あります。これは「い」が はぶかれた 形です。抜け字の印(')で 省略を しめす ことも できますが,しなくて かまいません。「る」「く」などを きりはなさないで ひとつづきに 書く 流儀も あります。

また,「~ておく」「~てしまう」などが「~とく」「~ちまう」などの 形に なる ことも あります。このように 発音が かわって しまうと,全体を ひとつづきに 書く しか ありません。抜け字の印(')で 省略を しめす ことも できますが,しなくて かまいません「死んじまう」「飲んじまう」などは 抜け字の印(')で 省略を しめす ことが できません。これは 訓令式の 弱点で,日本式なら うまくいきます。

sitte ru, sitte 'ru(知ってる)yonde ta, yonde 'ta(呼んでた)
matte masu, matte 'masu(待ってます)yotte ku, yotte 'ku(寄ってく)
yametoke, yamet'oke(やめとけ)yogoretimau, yogoret'imau(汚れちまう)

内部に「て」を ふくんでいる 複合動詞は ひとつづきに 書きます。複合動詞では なく,ふたつの 動詞が 連続 している だけなら,きりはなします。

tottekaesu(取って返す)tottekawaru(取って代わる)
kattederu(買って出る)uttederu(打って出る)
mitetoru(見て取る)yottetatu(拠って立つ)
ittekikasu(言って聞かす)yattenokeru(やってのける)
mottekoi no(もってこいの)uttetuke no(うってつけの)
tottetuketa yô na (取って付けたような)
sono iken o kittesuteta (その意見を 切って捨てた)
ôkina gomi o kitte suteta (大きな ゴミを 切って 捨てた;動詞の 連続)

接頭語と かんがえられる「打ち」は ひとつづきに 書きます。

utitokeru(うち解ける)utiakeru(うち明ける)
utimakasu(うち負かす)utikiru(うち切る)

「~めく/めかす/ぶる/つく」は ひとつづきに 書きます。

harumeku(春めく)yurameku(ゆらめく)
honomekasu(ほのめかす)tokimekasu(ときめかす)
mottaiburu(もったいぶる)gôketuburu(豪傑ぶる)
zawatuku(ざわつく)betatuku(べたつく)

「~がる」「~まる/める」は ひとつづきに 書きます。

itagaru(痛がる)uresigaru(嬉しがる)
hiromaru(広まる)takamaru(高まる)
hiromeru(広める)takameru(高める)

「なくなる」は,「無い 状態に なる」意味の ときも,「消滅する」意味の ときも,そして きえる ものが 人でも 物でも,naku naru の 形に 統一 します「亡くなる」は ひとつの 動詞ですが,例外的に きりはなして 書きます。

「無い 状態に なる」場合は きりはなし,「消滅する」場合は ひとつづきに 書く 流儀も あります。

mô tabetaku naku natta (もう食べたくなくなった)
sore dokoro de wa naku natta (それどころではなくなった)
N san wa kyonen naku natta (Nさんは去年亡くなった)
sukkari kane ga naku natta (すっかり金が無くなった)

形容詞

形容詞は,前の ことばと くっつく ことは ありませんが,うしろに 付属語が つく ことは あります。

takai(高い)takakatta(高かった)takaku(高く)
takakereba(高ければ)takasô desu(高そうです)
takê(高え:タケー)taka'(高っ:タカッ)

複合形容詞は ひとつづきに 書きます。

habahiroi(幅広い)me-atarasii(目新しい)
hitokoisii(人恋しい)insyôbukai(印象深い)
kokorobosoi(心細い)kimotiwarui(気持ち悪い)
aoziroi(青白い)asaguroi(浅黒い)
amazuppai(甘酸っぱい)atukurusii(暑苦しい)
zurugasikoi(狡賢い)hosonagai(細長い)
utaguribukai(疑り深い)kogekusai(焦げ臭い)
musiatui(蒸し暑い)nebarizuyoi(粘り強い)
osoreôi(恐れ多い)kikigurusii(聞き苦しい)
ukeiregatai(受け入れ難い)onkisegamasii(恩着せがましい)
aburakkoi(油っこい)mirentarasii(未練たらしい)
wakarizurai(分かり辛い)niekiranai(煮えきらない)
tukainikui(使い難い)yomiyasui(読みやすい)

「ない」で おわる 複合形容詞には うっかり きりはなして しまいそうな ものが ありますから,気を つけて ください。しかし,ひとつの ことばと かんがえにくい ものは きりはなします。これは 書き手の 感覚で きめて かまいません。

tigainai(違いない)zôsanai(造作ない)
nasakenai(情けない)tayorinai(頼りない)
sinobinai(忍びない)kokoromotonai(心許ない)
hasitanai(はしたない)darasinai(だらしない)
tumaranai(つまらない)gikotinai(ぎこちない)
adokenai(あどけない)sarigenai(さりげない)
syôganai(しょうがない)「仕様が ない」は siyô ga nai で いいでしょう。tondemonai(とんでもない)
totetu mo nai(とてつもない)rati mo nai(らちもない)
roku de mo nai(ろくでもない)

補助形容詞(形式形容詞)「ほしい」「ない」「いい(よい)」は 前の ことばから きりはなします。動詞の 連用形+「てない」の「ない」は「いない」の 省略形とも 補助形容詞とも かんがえられますが,いずれに しても きりはなす ことに なります。独立 した 形容詞の「ない」は きりはなします。

kiite hosii(聞いてほしい)yonde hosii(読んでほしい)
sutete yoi(捨ててよい)naite ii(泣いていい)
kiite nai(聞いてない)yonde nai(読んでない)
kêki wa mada tabete nai (食べてない)
kêki wa mô tabete nai (食べて ない;形容詞)この 場合は tabete, nai と する ことを すすめます。

「~らしい/っぽい」「~しい」形の 形容詞は ひとつづきに 書きます。

kodomorasii(こどもらしい)usoppoi(ウソっぽい)
nozomasii(望ましい)omowasii(思わしい)

くりかえしに なっている 形容詞は ひとつづきに 書きます。

niganigasii(苦々しい)yowayowasii(弱々しい)
omoomosii(重々しい)sirazirasii(白々しい)

形容動詞

形容動詞は 語幹と 語尾を きりはなします。前の ことばと くっつく ことは ありませんが,うしろに 付属語が つく ことは あります。

sizuka da(静かだ)sizuka de(静かで)
sizuka na(静かな)sizuka ni(静かに)
sizuka datta(静かだった)sizuka darô(静かだろう)
konna, sonna, anna, donna (こんな・そんな・あんな・どんな)

学校文法は 形容動詞という 品詞を たてていますが,今は 形容動詞を かんがえない 立場の 言語学者が おおい ようです将来は 学校での おしえかたも かわるかも しれません。分かち書きの ルールは 文法(学説)から みちびかれた ものでは ありませんから,学校で おしえる 文法が かわったと しても,分かち書きの ルールを 説明 する 方法が かわる だけで,分かち書きの ルール そのものは かわりません。

「~がちだ」は「がち」を 前に つづけて 書きます。

mayoigati da(迷いがちだ)wasuregati na(忘れがちな)
sigati de(しがちで)saregati na(されがちな)

名詞,代名詞

名詞と 代名詞は,前や うしろの ことばに くっつきません複合語では くっつく ことが あります。

yama(山)kawa(川)Yamada(山田)Tôkyô(東京)
kore, sore, are, dore (これ・それ・あれ・どれ)
koko, soko, asoko, doko (ここ・そこ・あそこ・どこ)
kotti, sotti, atti, dotti (こっち・そっち・あっち・どっち)
watasi(私)anata(あなた)kare(彼)kanozyo(彼女)

もとの 意味が うすれた 形式名詞も 名詞ですから,書きかたは おなじです。

atari(あたり)kagiri(かぎり)koto(こと)koro(ころ)
sei(せい)tame(ため)tôri(とおり)toki(とき)
tokoro(ところ)hazu(はず)hoka(ほか)hodo(ほど)
mune(むね)mono(もの)yue(ゆえ)wake(わけ)
ten(点)sai(際)(風)(方)

みじかい 複合名詞は ひとつづきに 書きます。ながい ものは きりはなす ことが あります。くわしい ルールは あとで 説明 します。

aozora(青空)akikaze(秋風)omoide(思い出)
amehuri(雨降り)kuyasinaki(悔し泣き)tatibanasi(立ち話)
kazaguruma(風車)akasingô(赤信号)sirowain(白ワイン)
kôtû ziko(交通事故)piano kyôsitu(ピアノ教室)
syakô dansu(社交ダンス)kôhî kappu(コーヒー・カップ)

つづりが ながい 複合語は 読みにくいので,ながく なったら きりはなします。ながさは 文字数では なく,「拍」で かぞえます。目安として,5拍 または 6拍までは ひとつづきに 書き,それより ながい ものは きりはなします。

kôtûziko(交通事故)piano kyôsitu(ピアノ教室)
syakôdansu(社交ダンス)kôhî kappu(コーヒー・カップ)
tomatozyûsu(トマト・ジュース)orenzi zyûsu(オレンジ・ジュース)

「拍」は 手拍子に あわせて ゆっくり 発音 する ときの 手を たたく 数と かんがえれば わかりやすいでしょう。拗音(キャ),撥音(ン),促音(ッ)は 1拍,長音(ピー)は 2拍と かぞえますたとえば,「ゴジラ」「ギャオス」「ラドン」「ガッパ」「ノーバ」は すべて 3拍です。

副詞

副詞は,前や うしろの ことばに くっつきません。

kanarazu(必ず)mattaku(まったく)mosi(もし)
kessite(決して)zenzen(全然)sugu(すぐ)
tabun(たぶん)anagati(あながち)kanari(かなり)
tokidoki(ときどき)totemo(とても)masaka(まさか)
(もう)tekkiri(てっきり)nakanaka(なかなか)
kô, sô, â, dô (こう・そう・ああ・どう)

「~に」は「に」を きりはなします。ただし,かならず「に」が つく ものは,全体で ひとつの ことばと かんがえて,ひとつづきに 書きます。

tune ni(常に)sugu ni(直ぐに)tagai ni(互いに)
ikki ni(一気に)itigai ni(一概に)sasuga ni(さすがに)
zitu ni(実に)sarani(さらに)kotoni(ことに)

「さらに」「ことに」を きりはなさない 理由は,現代語では「さら(更)」「こと(殊)」には かならず「に」が つくからです。「実に」の「実」も おなじ ように おもえますが,「実は」「実のところ」「実を言うと」など,「実」の うしろには いろいろな ことばが つくので,これは きりはなします。

擬音語/擬態語+「と」は「と」を きりはなします。

a' to(あっと)so' to(そっと)sa' to(さっと)
ha' to(はっと)hu' to(ふっと)ho' to(ほっと)
nyânyâ to(ニャーニャーと)mômô to(モーモーと)
pîpî to(ピーピーと)zâzâ to(ザーザーと)
kurukuru to(くるくると)yoroyoro to(よろよろと)
ussura to(うっすらと)kippari to(きっぱりと)
hakkiri to(はっきりと)hukkura to(ふっくらと)

ただし,全体で ひとつの ことばに なっている ものは ひとつづきに 書きます。

unto(うんと)kitto(きっと)zutto(ずっと)
tyotto(ちょっと)motto(もっと)yatto(やっと)

複合副詞「~なく」は ひとつづきに 書きます。ながい ものは,読みやすく する ために,ツナギ(-)を いれると いいいでしょう。

hodonaku(程なく)kumanaku(隈なく)nannaku(難なく)
morenaku(もれなく)yamunaku(やむなく)koyonaku(こよなく)
manbennaku(まんべんなく)kokorooki-naku(心置きなく)
amasutokoro-naku(余すところなく)

「~と/に/も」+「なく」の 場合は「と/に/も」の 前と うしろで きりはなします。

nan to naku(なんとなく)doko to naku(どことなく)
sore to naku(それとなく)itu ni naku(いつになく)
ma mo naku(間もなく)te mo naku(手もなく)
ikubaku mo naku(いくばくもなく)nanikure to naku(なにくれとなく)

「こう/そう/ああ/どう」は 前も うしろも きりはなして 独立 させますが,うしろの ことばと むすびついて 特別な 意味を もつ ように なった ものは 特別あつかい して,ひとつづきに 書く 流儀も あります。「まるで」「てんで」なども 全体で 特別な 意味を もつと かんがえられます「まるで」「てんで」は「丸で囲む」「点で表す」の ときと「まるで夢のよう」「てんでダメだ」の ときで 意味が ちがいます。漢字かな交じり文でも 表記を 区別 するのが 普通です。

sôsite (そうして;=そして,それから)
dôsite (どうして;=なぜ,それどころか)
marude (まるで;=あたかも)
tende (てんで;=はじめから)

この サイトでは,基本的に きりはなす ことに します。

sô site (そうして)dô site (どうして)
maru de (まるで)ten de (てんで)

連体詞

連体詞は 前や うしろの ことばに くっつきません。

waga (我が)「我が」の 語源は 名詞「我」+格助詞「が」ですが,現代語では「我」に かならず「が」が つくので,全体を ひとつづきに 書きます。iwayuru(いわゆる)
taisita(大した)honno(ほんの)okasina(おかしな)
kono, sono, ano, dono (この・その・あの・どの)

「我が」が うしろの ことばと むすびついて ひとつの ことばに なっている ものは ひとつづきに 書きます。

wagahai(我輩)wagami(我が身)wagaya(我が家)
wagamama(わがまま)wagamonogao(我が物顔)

「この/その/あの/どの」が うしろの ことばと むすびついて 特別な 意味を もつ ように なった ものは,特別あつかい して 全体を ひとつづきに 書く 流儀も あります。この サイトでは,基本的に きりはなす ことに しますが,きりはなされた 部分が 単独では つかわれにくい 形に なる もの(例:その他,この期)や,全体で ひとつの 名詞に なっていると かんがえられる もの(例:この世,あの世)は 全体を ひとつづきに 書く ことに します。これは 書き手の 感覚で きめて かまいません。

kono aida(この間)kono sai(この際)kono hodo(この程)
sono ue(その上)sono uti(その内)sono kuse(そのくせ)
sono ba(その場)sono bun(その分)sono mama(そのまま)
sono mukasi(その昔)dono miti(どの道)dono kurai(どのくらい)
konogoro(この頃)sonota(その他)sonogo(その後)
konogo(この期)konoyo(この世)anoyo(あの世)

接続詞

接続詞は ことばの なりたちを かんがえて きりはなす ことが あります。前や うしろの ことばに くっつきません。

sosite(そして)mata(また)oyobi(および)
sikasi(しかし)keredo(けれど)saredo(されど)
sitagatte(したがって)tumari(つまり)sate(さて)
sikamo(しかも)nao(なお)tadasi(ただし)
tatoeba(たとえば)sunawati(すなわち)katu(かつ)
da ga(だが)da kara(だから)desu kara(ですから)
sore de(それで)yue ni(ゆえに)sore kara(それから)
tokoro ga(ところが)tokoro de(ところで)suru to(すると)
sono ue(その上)omake ni(おまけに)naze naraba(なぜならば)
mata wa(または)aruiwa(あるいは)mosikuwa(もしくは)

「だから」を きりはなす 理由は,助動詞などの「~だ」+接続助詞「から」の「~だから」と おなじ 書きかたに する ためです分かち書きの 目的は 語源を つきつめる ことでは ありませんが,語源に さかのぼる ことで 書きかたを やさしく する 理屈が みつかる ことも あります。

「あるいは」「もしくは」を きりはなさない 理由は,「あるい」「もしく」には かならず「は」が つくからです。「または」は「また」だけでも つかえますから,これは きりはなします。

感動詞

感動詞は ことばの なりたちを かんがえて きりはなす ことが あります。前や うしろの ことばに くっつきません。

â(ああ)ê(ええ)(ねえ)
(まあ)un(うん)(へえ)
hai(はい)îe(いいえ)oya(おや)
ei'(えいっ)yoisyo(よいしょ)

あいさつの ことばを 感動詞と みなす ことが あります。みじかい ものは 全体で ひとつの ことばだと かんがえて ひとつづきに 書いても かまいません。ながい もの,単なる くりかえし,終助詞が ついている ものは きりはなした ほうが いいでしょう。

ohayô(おはよう)oyasumi(おやすみ)
konnitiwa(こんにちは)konbanwa(こんばんは)
tadaima(ただいま)irassyaimase(いらっしゃいませ)
sayônara(さようなら)gokigenyô(ごきげんよう)
yôkoso(ようこそ)arigatô(ありがとう)
itadakimasu(いただきます)gotisôsama(ごちそうさま)
zyâ ne(じゃーね)mata na(またな)
mosi mosi(もしもし)hai hai(はいはい)
dô mo dô mo(どうもどうも)bai bai(バイバイ)
itte kimasu(行ってきます)itte rassyai(行ってらっしゃい)
gomen kudasai(ごめんください)
ohayô gozaimasu(おはようございます)
otukaresama desu(おつかれさまです)
siturei itasimasu(失礼いたします)
môsiwake arimasen(申し訳ありません)
dô itasimasite(どういたしまして)

助動詞

助動詞は 前の ことばに くっつける ものが あります。「~だ/です」形の 助動詞は「だ/です」を きりはなします。助動詞の うしろに 付属語が つく ことが あります。まとめると 下の 表の ように なります。+印 は 前の ことばに つづける もの,/印 は きりはなす ものです。

+れる/られる [尊敬, 可能, 受身, 自発]kakareru / taberareru
せる/させる [使役]kakaseru / tabesaseru
ない/ぬ(ん)/ず [打消]kakanai / kakanu
う/よう [意思, 推量]kakô / tabeyô
た(だ) [過去, 完了]kaita / yonda
そうだ/そうです [様態]kakisô da
たい/たがる [希望]kakitai / kakitagaru
ます [丁寧]kakimasu
やがる [軽蔑]kakiyagaru
/らしい [推定]kaku rasii
まい [打消の 推量・意思]kaku mai
そうだ/そうです [伝聞]kaku sô da
べきだ/べきです [当然]kaku beki da
ようだ/ようです [比況]kaku yô da
みたいだ/みたいです [比況]kaku mitai da
だ/です [断定]uso da / uso desu

終止形や 名詞などに つづける 助動詞を きりはなす,と おぼえて ください。「まい」は 常に きりはなす ことに しました「まい」は 語形変化の ない 助動詞で,助詞の ように みえますから,これでも 不自然では ないでしょう。

「そうだ/そうです」は 様態か 伝聞かで 書きかたが ちがいます。

arisô da(ありそうだ;様態)aru sô da(あるそうだ;伝聞)
suzusisô da(涼しそうだ;様態)suzusii sô da(涼しいそうだ;伝聞)

様態の「そうだ/そうです」と「ようだ/ようです」は「だ/です」が はぶかれる ことも あります。

Mâ, oisisô! (まあ,おいしそう!)
Yume o mite iru yô! (夢を見ているよう!)

「らしい」は 接尾語の 場合も ありますから 気を つけて ください。接尾語は くっつけます。

Kare wa kodomorasii. (彼は こどもらしい。;接尾語)
Kare no kodomo rasii. (彼の こども らしい。;助動詞)

助詞

助詞は 前の ことばに くっつける ものが あります。まとめると 下の 表の ように なります。+印 は 前の ことばに くっつける もの,/印 は きりはなす ものです。うしろの ことばに くっつく ことは ありません。

+接続助詞kakeba
て(で)kaite; yonde
たり(だり)kaitari; yondari
がてらyomigatera
ながらyominagara
つつyomitutu
つ(ず)kunzu hoguretu
matedo kurasedo
終助詞な [命令]tabena
/格助詞kore ga
kore no
kore o
kore ni
kore e
kore to
からkore kara
よりkore yori
kore de
並立助詞are to kore to
are ya kore ya
are ka kore ka
副助詞ばかりkore bakari
だけkore dake
ほどkore hodo
くらいkore kurai
などkore nado
係助詞kore wa
kore mo
こそkore koso
しかkore sika
さえkore sae
接続助詞sô suru ga
sô suru to
sô suru ya ina ya
なりsô suru nari
sô suru si
からsô suru kara
ならsô suru nara
けれどsô suru keredo
がてらkenbutu gatera
ながらware nagara; tîsai nagara
kangaete miru ni
終助詞kore sa
kore yo
kore ne
Kore ka?
Nan da, kore ka.
な [感嘆] [禁止]kore da na
taberu na
kore da wa
ame mo huru wa, kaze mo huku wa
ともkore da tomo
ものningen da mono
ことrippa desu koto

「がてら」「ながら」は 動詞などの 連用形に つく ときは ひとつづきに 書き,そのほかは きりはなして 書きます。常に きりはなす 流儀も あります。

「な」は[命令]なら ひとつづきに 書き,[感嘆][禁止]なら きりはなして 書きます。[禁止]の ときに ひとつづきに 書く 流儀も あります。

arukinagara, aruki nagara(歩きながら)
ikina(行きな[命令])
iku na, ikuna(行くな[禁止])


助動詞や 助詞などの くみあわせが 全体で ひとつの ことばの ように なっている ものが あります。たとえば,「のに」は「の」と「に」の くみあわせです。このような ことばは 分解 して かんがえ,きりはなします。

no ni(のに)/ da kedo(だけど)

特定の くみあわせに かぎって ひとつづきに 書く 流儀も あります。よく おこなわれるのは つぎの 6種類です。

niwa(には)/ nimo(にも)
dewa(では)/ demo(でも)
towa(とは)/ tomo(とも)

には
「大クラウスと小クラウス」(教学研究社)

くみあわせを もっと ふやす かんがえも あります。「に」「で」は 助動詞や 形容動詞の「~だ」の 活用も ふくめます。

niwa(には)/ nimo(にも)/ nino(にの)
dewa(では)/ demo(でも)/ deno(での)
towa(とは)/ tomo(とも)/ tono(との)
ewa(へは)/ emo(へも)/ eno(への)
owa(をは)/ omo(をも)/ ono(をの)

接頭語,接尾語

接頭語は くっつけるのが 基本です。

otera(お寺)kabosoi(か細い)kodakai(こ高い)
subayai(す早い)zubutoi(ず太い)tayasui(た易い)
dokonzyô(ど根性)totikuruu(とち狂う)hiyowa(ひ弱)
buttataku(ぶっ叩く)horoyoi(ほろ酔い)masyômen(ま正面)
hikôsiki(非公式)hansayô(反作用)mukansin(無関心)
hukanzen(不完全)kyûsyôgatu(旧正月)hukusyatyô(副社長)
zensekai(全世界)mikaiketu(未解決)saikentô(再検討)
daihitto(大ヒット)tyôonsoku(超音速)hongimari(本決まり)

固有名詞に つく 接頭語は ツナギ(-)で つなぎます。つづけて 書くと 固有名詞の つづりが かわって しまい,わかりにくく なるからです。

ko-Edo(小江戸)syô-Kyôto(小京都)
datu-Azia(脱アジア)han-Tokugawa(反徳川)

外来語の 接頭語も おなじ ように かんがえます。

minibonsai(ミニ盆栽)megamori(メガ盛り)
sûpâsentô(スーパー銭湯)anti-Kyozin(アンチ巨人)

SI接頭語は ツナギ(-)を いれても かまいません。ひとつづきに 書くと,つづりが ながく なって 読みにくいからです。

3.5 miri-mêtoru (3.5ミリメートル)
980 hekuto-pasukaru (980ヘクトパスカル)
100 giga-baito (100ギガバイト)


接尾語も くっつけるのが 基本です漢字の 接尾語は,接尾語なのか 漢字 1文字の ことばなのか 判別 しにくい ものが たくさん あります。ここでは ふかく かんがえず,例に あげた ものを 接尾語と みなしています。

namidagumu(涙ぐむ)sitasige(親しげ)narekko(慣れっこ)
utukusisa(美しさ)harurasii(春らしい)kemutai(煙たい)
setunai(切ない)asahaka(浅はか)arappoi(荒っぽい)
otonabiru(大人びる)hukami(深み)bôya(坊や)
tômeisei(透明性)kanryakuka(簡略化)gutaiteki(具体的)
zikoryû(自己流)zidôsiki(自動式)hukuzatukei(複雑系)
syosinsya(初心者)syôsetuka(小説家)syakaigaku(社会学)
garasusei(ガラス製)keisanki(計算機)gaikokusan(外国産)

固有名詞に つく 接尾語は ツナギ(-)で つなぎます。つづけて 書くと,ことばの きれめが わからなく なる おそれが あるからです。しかし おおくの 場合,つづけて 書いても 問題 ありません。固有名詞が あまり 有名で ない ときや,臨時に つくった ことばの ときは ツナギ(-)を いれた ほうが いいでしょう。

地名の「県」「市」などに ついては「地名」でも 説明 しています。

Nipponteki(日本的)Hebonsiki(ヘボン式)
Hirosima-hû(広島風)Tamori-ryû(タモリ流)
Tottori-ken(鳥取県)Sapporo-si(札幌市)

この サイトでは,複数を 意味 する 接尾語「たち」「ども」「がた」「ら」を きりはなしても いい ことに します。ただし,完全に ことばの 一部に なっている ものは ひとつづきに 書きます。

watasitati, watasi tati(私たち)
senseigata, sensei gata(先生がた)
yatura, yatu ra(奴ら)
Isida, Ueda ra(石田,上田ら)
Yamada san ya Kubo san tati ga... (山田さんや久保さんたちが……)
tomodati(友達)kodomo(こども)


接頭語と 接尾語が くみあわさって ついている 場合も あります。

okyakusama(お客さま)gokurôsan(ご苦労さん)
higenzituteki(非現実的)saiyûsyûsyô(最優秀賞)
mukimeisiki(無記名式)han-Tokugawa-ha(反徳川派)
hatu doramaka(初ドラマ化)meikonbi ryû(名コンビ流)


接頭語と 接尾語は くっつけるのが 基本ですが,全体が ひとつの ことばに なっていない 場合は きりはなします。

kaku kômoku(各項目)hon kaigi(本会議) 「この 会議」の 意味です。「衆議院本会議」の「本会議」なら ひとつづきに 書きます。
gen sityô(現市長)maru itiniti(丸一日)

接頭語や 接尾語が ながい 複合語の 全体に かかる 場合も きりはなす ほうが いいでしょう。

dai doboku kôzi (大土木工事)
moto sôri daizin (元・総理大臣)
sin kôsoku tetudô (新・高速鉄道)
tyôkôsoku tetudô (超高速鉄道;「超高速」+「鉄道」)
kôsitu garasu sei (硬質ガラス製)
Huransu ryôri hû (フランス料理風)
ziko manzoku teki (自己満足的)
ziko seitôka (自己正当化;「自己」+「正当化」)

敬称など

敬称の「さま」「さん」「くん」など,人名の あとに つづける ことばは 接尾語と かんがえられますが,ツナギ(-)を いれず,きりはなして 書きます。また,その 先頭を 大文字に します。

ニックネームの「~ちゃん」「~くん」「~兄(にい)」「~爺(じい)」などは,ひとつづきに 書きます。

「氏」は「シ」では わかりにくいので「ウジ」と 読みかえても かまいません。

「博士」には 略語 Hk. が あります。

Inoue Dono (井上殿)Yamazaki Sama (山崎様)
Sazae San (サザエさん)Nakazima Kun (中島君)
Satiko Tyan (幸子ちゃん)Yamamoto Uzi (山本氏)
Sattyan (さっちゃん;ニックネーム)Sigezî (シゲ爺;ニックネーム)
Tâsan (ターさん;ニックネーム)Mâkun (まあくん;ニックネーム)
Asyura Dansyaku (アシュラ男爵)
Arisugawa-no-Miya Denka (有栖川宮殿下)
Miyuki Zyô (みゆき嬢)Yosida Ô (吉田翁)
Kinpati Sensei (金八先生)Otyanomizu Hk. (お茶の水博士)

「さん」や「ちゃん」でも ことばの 一部に なっている ものは ひとつづきに 書きます。

okâsan(お母さん)ottyan(おっちゃん)
ohanayasan(お花屋さん)zôsan(象さん)
obôsan(お坊さん)kamisama(神様)
gozensama(午前様)katyôsan(課長さん)


人名の あとに 職業や 肩書きなどを つづける 場合は,先頭を 大文字に しても しなくても かまいません。

Obama Daitôryô (オバマ大統領)Sakamoto kyôzyu (坂本教授)
Zaizen isi (財前医師)Takasima ana (高島アナ)
Nisida kyokutyô (西田局長)Aoki puro (青木プロ)
Sima katyô (島課長)Isii eigyôbu butyô (石井営業部部長) 組織名に「長」を つけて 組織の トップを よぶ ことが ありますが,これは わかりにくいので,組織名と 役職名を わけて 書きます。たとえば,「営業部長」では なく「営業部部長」に します。
Haruko obasan (春子おばさん)Yosaku zîsan (与作じいさん)


名前の うしろに「公」「伯」などを つけて 爵位を いう ことが ありますが,これは わかりにくいので,「公爵」「伯爵」などに します。また,「公爵」と「侯爵」を 区別 する ため,「公爵」は「キンシャク」と 読みかえます。

Konoe Humimaro Kinsyaku (近衛文麿公爵)

女性を「お~さん」と よんだり,丁稚を「お~どん」と よんだり する ことが あります。これは 固有名詞に 接頭語が ついた ものですから ツナギ(-)で つなぎます。くっつけると,つづりが おおきく かわって しまい,別の 名前に みえて しまいます。また,接頭語を ふくめて 全体が 固有名詞ですから「お」も 大文字に します。

O-Ume San (お梅さん)O-Kiku San (お菊さん)


敬称では ありませんが,人名の うしろに「訳」「著」などを つける 書きかたが あります。これは きりはなしますこれらは 別の ことばで いいかえる ことを すすめます。たとえば,「著」は「あらわす」に,「作」は「つくる」に,「絵」は「えがく」に,いいかえる ことが できます。

Ueda Bin yaku (上田敏 訳)
Hukunaga Takehiko tyo (福永武彦 著)


敬称の 先頭は 大文字で 書く ことに なっていますが,はじめて みる 人名に 敬称が つづいていると,それが 名前の 一部なのか 敬称なのか はっきり しない ことが あります。特に,外国人の 名前では そうです。

そこで,この サイトでは 敬称の 先頭を 小文字で 書いても いい ことに します「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などで しられる 脚本家 川崎高(実相寺昭雄の 別名)は,本当は「川崎高氏(たかうじ)」でしたが,「氏」を 敬称と 勘ちがい されて「川崎高」に なったのだ そうです。こういう まちがいを さける 工夫が 必要です。

Agunesu Tyan (アグネス・チャン)Agunesu tyan (アグネスちゃん)
Tyen Kun (チェン・クン)Tyen kun (チェン君)

分かち書きの ルール(2)

意味と 感覚による ルール

分かち書きの ルールには ことばの 意味や 書き手の 感覚に もとづいた きまりが あります。この 章では そのような ルールを 説明 します。これは 文法などの 理屈で 説明 しきれない 部分です。丸暗記 しなければ ならない ところも あります。

ひとつづきに 書く ことば

文法による ルールでは きりはなす はずなのに ひとつづきに 書く ことばが あります。これらの ほとんどは 内部に 助詞「の」を ふくむ 複合名詞です。その 特徴は,全体で ひとつの ことばだという 感覚が あり,もとの ことばから みちびかれない 特別な 意味を もっている ことです。

たとえば,「茶の間」は 全体で ひとつの ことばだという 感覚が あり,「茶」と「間」から みちびかれない 意味を もっています。「男の子」は「その男の息子(または娘)」の 意味では なく「少年」の 意味なら ひとつの ことばだという 感覚が あるでしょうこれら 2種類の「男の子」は 発音も すこし ちがいます。意味の ちがいを 意識 している 証拠です。

otokonoko(男の子)kinoko(きのこ)takenoko(たけのこ)
itanoma(板の間)tokonoma(床の間)tyanoma(茶の間)
kumonosu(クモの巣)hatinosu(ハチの巣)konoha(木の葉)
tenohira(手の平)tenouti(手の内)otenomono(お手の物)
uwanosora(上の空)magonote(孫の手)manoatari(目のあたり)
hinoko(火の粉)kaminoke(髪の毛)enogu(絵の具)
yononaka(世の中)Amanogawa(天の川)ainote(あいの手)
ninoku(二の句)ninoasi(二の足)ninoude(二の腕)
kinodoku(気の毒)arinomama(ありのまま)yamanote(山の手)
minoue(身の上)minoke(身の毛)minohodo(身の程)
konoyo(この世)anoyo(あの世)kanozyo(彼女)
mitame(見た目)nitamono(似た者)hitodenasi(人でなし)

このほかに,発音が かわって もとの ことばの きれめが なく なったり あいまいに なったり している もの(例:僕んち<僕の家,こないだ<この間),や ふるい いいまわしの ことば(例:されど,さほど)なども ひとつづきに 書きます。

bokunti(僕んち)konaida(こないだ)
saredo(されど)sahodo(さほど)
taenaru(妙なる)ôinaru(大いなる)
bakutaru(漠たる)dôdôtaru(堂々たる)
iwazumogana(言わずもがな)

ただし,やりすぎは いけません。「手の平」は ひとつの ことばと みなせますが,「足の裏」は ひとつの ことばでは ないでしょう。文学的な レトリックや 定型の 比喩表現などは もとの ことばから みちびかれない 特別な 意味を もっていますが,全体が ひとつの ことばに なっている わけでは ありません。たとえば,「夜の帳(とばり)」「腹の虫」「関の山」「虎の巻」「火の車」「玉の輿」「雀の涙」などです。これらは きりはなして 書きます。

赤ずきん
「赤ずきん」

この 話を つきつめると,意味の ちがいを 書きかたの ちがいで 区別 する べきか,という 問題に いきつきます。これは 分かち書きの ルールを きめる 上での おおきな テーマに なっています。意味の ちがいを 書きかたの ちがいで 区別 する べきでは ない,という 立場では「男の子」を きりはなして 書く かんがえも なりたちます。otoko-no-ko と 書く かんがえも あるでしょう。

きりはなして 書く ことば

文法による ルールでは くっつける はずなのに きりはなして 書く ことばが あります。これらの ほとんどは 複合名詞です。複合名詞は いくらでも ながい ものが ありますから,ひとつの ことばだからと いっても,常に ひとつづきに 書く わけには いきません。どこかで きりはなす ルールが 必要です。

やさしい きりはなしかた

ひとつづきに なっている 部分が 7拍 以上なら きりはなす,という ルールが あります。これは 客観的で 書き手による ばらつきが でず,おぼえやすい かんがえかたです。実用上は これで おおきな 問題が おこる ことは ないでしょう。

undôka (運動家)undôkai (運動会)
undôgutu (運動靴)undô onti (運動音痴)
undô sinkei (運動神経)undô enerugî (運動エネルギー)

しかし,この やりかたには すこし 欠点が あります。まず,拍の 数を かぞえるのが 面倒です。もっと 感覚的に 判断 できなければ,文章を すらすら 書く ことが できません。また,単純に ながさで 判断 する ため,「民主政治」「トマト・ジュース」は ひとつづきに 書くのに「独裁政治」「オレンジ・ジュース」は きりはなす,といった 不つりあいが かならず おこります。これが 気に なる 人も いるでしょう。

この サイトの きりはなしかた

この サイトは ことばの 種類で 判断 する やりかたを すすめます。ことばの 独立性で 判断 する 方法です。独立性とは,ほかの ことばからの きりはなしやすさで,独立性の たかい ことばの くみあわせで できている 複合名詞を きりはなします。

一般に,熟語,外来語,名前などは 独立性が たかく,和語,漢字 1文字の 漢語などは 独立性が ひくいと いえます。ただし,この 区分は おおよその 目安です。たとえば,和語の「組合」「取引」「為替」などは かたくるしい 熟語と 一緒に つかわれる ことが おおい せいか,熟語に にた 感覚が あり,独立性は たかいでしょう。「かるた」は もともと 外来語ですが 今では 和語に ちかい 感覚が あるかも しれません。「缶」は 外来語と みるか 1文字の 漢語と みるかで 独立性の みたてが ちがってきます。「重箱」「手帳」などの 混種語も たくさん あります。

このように,独立性が たかいか ひくいかは 簡単には 分類 できません。書き手の 感覚で きめて ください。


下に 例を しめします。ふたつの ことばから 複合名詞が できる とき,独立性の くみあわせは 4とおり ありますから,4個に 場合わけ してあります。

(1) 独立性の ひくい もの + 独立性の ひくい もの → ひとつづきに 書く

aozora(青空)koinobori(こいのぼり)tidoriasi(千鳥足)
suberidai(滑り台)kiritorisen(切取り線)maeuriken(前売り券)
enmusubi(縁結び)ongaesi(恩返し)dandori(段取り)

(2) 独立性の ひくい もの + 独立性の たかい もの → ひとつづきに 書く

soramoyô(空模様)yukigesyô(雪化粧)kusayakyû(草野球)
akawain(赤ワイン)kamitêpu(紙テープ)osibotan(押しボタン)
sakasa-Huzi(逆さ富士)usiro-Benten(後ろ弁天)
kakubunretu(核分裂)tentaisyô(点対称)ginseihin(銀製品)
kinmedaru(金メダル)yôion(陽イオン)bôgurahu(棒グラフ)
kan-Taiheiyô(環太平洋)

(3) 独立性の たかい もの + 独立性の ひくい もの → ひとつづきに 書く

hôsekibako(宝石箱)tanzyôbi(誕生日)yûbin'uke(郵便受け)
undôkai(運動会)kaiketusaku(解決策)syûseian(修正案)
garasumado(ガラス窓)remonziru(レモン汁)panko(パン粉)
gêmuki(ゲーム機)bîruken(ビール券)gasutô(ガス灯)
setomono(瀬戸物)Toruko-isi(トルコ石)Doitu-bako(ドイツ箱)
Rômazi(ローマ字)Huransugo(フランス語)Korera-kin(コレラ菌)

(4) 独立性の たかい もの + 独立性の たかい もの → きりはなして 書く

sika isi(歯科医師)kabusiki gaisya(株式会社)
zyunkai basu(巡回バス)keisan misu(計算ミス)
Tônan Azia(東南アジア)Tyûô Amerika(中央アメリカ)
memo yôsi(メモ用紙)razio taisô(ラジオ体操)
tenisu kôto(テニス・コート)tomato zyûsu(トマト・ジュース)
Rosia ryôri(ロシア料理)Tibetto bukkyô(チベット仏教)
Ryûkyû garasu(琉球ガラス)Wakayama râmen(和歌山ラーメン)

(2) と (3) の パターンには,名前を ふくむ 固有名詞(全体が 固有名詞に なっている もの)を きりはなす 例外が あります。

Ao Nairu(青ナイル)Haku Rosia(白ロシア)
Awa Odori(阿波踊り)Nippon Maru(日本丸)

「トルコ石」と「阿波おどり」は どちらも 名前+和語で おなじ 構造ですが,普通名詞か 固有名詞かが ちがいます。固有名詞は きりはなされた つづりの 頭文字が すべて 大文字なので,それだけで つづりの つながりが わかります。そこで,ツナギ(-)を はぶいて みた目を すっきり させます。

Toruko-isi(トルコ石)
Awa Odori(阿波おどり)


実際の 複合名詞は これらの パターンの くみあわせです。

zyûyô bunkazai (重要文化財)kenritu tosyokan (県立図書館)
utyû buturigaku (宇宙物理学)tennen kinenbutu (天然記念物)
sôtaisei riron (相対性理論)denkiteki tokusei (電気的特性)
syôgakukin seido (奨学金制度)eikaiwa kyôsitu (英会話教室)
tyôonpa senzyôki (超音波洗浄機)
syokubutusei nyûsankin (植物性乳酸菌)
teikoresuterôru syokuhin (低コレステロール食品)
osibotansiki singôki (押しボタン式信号機)
arukôruiri kesyôsui (アルコール入り化粧水)
kûsô kagaku syôsetu (空想科学小説)
ziyû minken undô (自由民権運動)
onsitu kôka gasu (温室効果ガス)
tennen bîru kôbo (天然ビール酵母)
sôgô kagaku gizyutu kaigi (総合科学技術会議)
sekai minsyu syugi sisû (世界民主主義指数)
tokubetu yôgo rôzin hômu (特別養護老人ホーム)
zyûmin kihon daityô kâdo (住民基本台帳カード)
Sangyô Kikai Kenkô Hoken Kumiai (産業機械健康保険組合)
Zyôhô Syori Gizyutusya Siken Sentâ (情報処理技術者試験センター)
Nihon Seisyoku Hozyo Iryô Hyôzyunka Kikan (日本生殖補助医療標準化機関)
Kakuheikiyô Kakubunretusei Bussitu Seisan Kinsi Zyôyaku (核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)

ツナギ(-)を いれる 書きかた

学術用語集
「学術用語集 物理学編(増訂版)」

複合名詞の つづりを きりはなす 場合,全体で ひとつの ことばで ある ことを しめす ため,きりはなされた つづりを ツナギ(-)で つなぐ 書きかたも あります。

小学校の「国語」では この 書きかたを おしえるかも しれません。旧文部省から でている「学術用語集」も この 書きかたです「学術用語集」の 一部は「オンライン学術用語集」で 公開 されていましたが,ローマ字表記の データは 破壊 されていて つかいものに なりませんでした。2016年3月末,「オンライン学術用語集」は「J-GLOBAL」に くみこまれましたが,ローマ字表記の データは 削除 されて しまいました。

ただし,これは すこし ふるい 書きかたで,今は この 書きかたを しないのが 普通です。

kenkô-sindan (健康診断)syûgaku-ryokô (修学旅行)
nyûgaku-siken (入学試験)zyôhô-syori (情報処理)


自分で 臨時に つくった 複合名詞は かならず ツナギ(-)で つなぐ ように します。全体で ひとつの ことばで ある ことが あきらかに なっていないと,読み手が とまどうからです。

kontyû-syakai (昆虫社会)utyû-mozi (宇宙文字)

四字熟語

四字熟語は 全体で ひとつの ことばですが,ひとつづきに 書くと,つづりが ながく なります。そこで,構造に したがって きりはなします。四字熟語の おおくは 2字+2字の 構造を もっているので,たやすく きりはなせます。きりはなされた 部分は 単独では 自立 しませんから,ツナギ(-)を いれます。

たとえば,「弱肉強食」は「弱肉」と「強食」に きりわけますが,「弱肉」や「強食」という ことばは ありませんから ツナギ(-)で つなぎます。

zyakuniku-kyôsyoku(弱肉強食)/ gisin-anki(疑心暗鬼)
onko-tisin(温故知新)/ hunkotu-saisin(粉骨砕身)
ziga-zisan(自画自賛)/ gyokuseki-konkô(玉石混交)
taiki-bansei(大器晩成)/ ryûtô-dabi(竜頭蛇尾)
nennen-saisai(年々歳々)/ kiki-kaikai(奇々怪々)
simen-So-ka(四面楚歌)/ Go-Etu-dôsyû(呉越同舟)

「漁夫之利」などは 音声だけで 意味が わかりますから,普通に 書けます。前半の 部分が 自立 しない ものや わかりにくい ものは ツナギ(-)を いれると いいでしょう。

gyohu no ri(漁夫之利)/ Ansi no gyo(晏子之御)
kaigo-no-hana(解語之花)/ kakaku-no-arasoi(蝸角之争)kakaku no arasoi だと,お店が 安売りの 競争を している みたいです。


なお,四字熟語は できるだけ つかわない ように 心がけます。聞いた だけでは わかりにくい ものが おおいからです。漢字 4文字の ことばでも,「十人十色」「青息吐息」「海千山千」の ように,和語が はいっていて,聞いた だけで 意味が わかりやすい ものは つかって いいでしょう。

しかし,「一生懸命」や「弱肉強食」を つかうなと いわれたら こまって しまうのも 現実です。ですから 実際には つかって いいのですが,ほかの いいまわしが おもいつかない とき だけに して ください。日常の 会話や 情報を つたえる 文章に 威厳や 芸術性は いりません。わかりやすさが 大切です。

おなじ ことばや にた 発音を かさねた ことば

おなじ ことばを かさねて つくった ことばは ひとつづきに 書きます。擬音語や 擬態語などで にた 発音の くりかえしに なっている ことばも おなじです。くりかえしの 単位が 3拍 以上の ながい ものは ツナギ(-)を いれて 読みやすく する ことも あります。

yamayama(山々)hitobito(人々)tokoro-dokoro(所々)
iroiro(いろいろ)matimati(まちまち)sorezore(それぞれ)
nakunaku(泣く泣く)osoru-osoru(恐る恐る)
kawaru-gawaru(代わる代わる)yukiyukite(行き行きて)
mitimitite(満ち満ちて)nagare-nagarete(流れ流れて)
sugasugasii(清々しい)takedakesii(猛々しい)
odoro-odorosii(おどろおどろしい)kirakira no(きらきらの)
dokidoki suru(どきどきする)utura-utura to(うつらうつらと)
bûbû(ブーブー)mômô(モーモー)
pinpon(ピンポン)karan-koron(カランコロン)

おなじ ことばが 連続 していても ただの くりかえしなら きりはなします。

ara ara, dô simasyô (あらあら,どうしましょう)
kore kore kore da yo (これこれこれだよ)
takai takai yama no ue (高い高い山の上)
Mosi mosi. Hai hai. (もしもし。はいはい。)
Un un, wakatta. (うんうん,分かった。)
Mukasi mukasi, aru tokoro ni... (むかしむかし,ある所に……)
Sake o nomi nomi katariatta. (酒を飲み飲み語りあった。)

対の ことば,組の ことば

対に なる ことばや 組に なる ことばを ならべた いいかたが あります。内部に 構造が なく,要素が 対等に ならんでいる ものです。

これは,「親子」「手足」「目鼻」「凸凹(でこぼこ)」の ように,ひとつの ことばに なっている ものは ひとつづきに 書きますが,つながりが よわいと おもわれる ものは ツナギ(-)で つなぎます。

ani-imôto(あにいもうと)/ nabe-kama(なべかま)
haori-hakama(羽織袴)/ yoroi-kabuto(鎧兜)
ake-sime(開け閉め)/ nori-ori(乗り降り)
yosi-asi(良し悪し)/ iki-sini(生き死に)
nobori-kudari(上り下り)/ siro-kuro o tukeru(白黒をつける)
hinoe-uma(丙午)

要素が 3個 以上に なっても おなじです。これは,ひとつの ことばに なっている ものでも,ひとつづきに 書くと つづりが ながすぎて 読みにくいので,要素を ツナギ(-)で つなぐ 書きかたに します。

ten-ti-zin(天地人)/ dan-sya-ri(断捨離)
tô-zai-nan-boku(東西南北)
syun-ka-syû-tô, haru-natu-aki-huyu (春夏秋冬)
zyô-ge-sa-yû(上下左右)/ ki-syô-ten-ketu(起承転結)
ka-tyô-hû-getu(花鳥風月)/ kan-kon-sô-sai(冠婚葬祭)

きりはなしかたが むつかしい ことば

漢字 4文字を こえる 複合名詞は ひとつづきに 書くと つづりが ながく なって 読みにくいので,できれば きりはなして 書きます。このとき,二字熟語を ふたつ くみあわせた だけの 構造なら たやすく きりはなせますが,複雑な 構造を もつ 複合名詞は きりはなすのが むつかしい ことも あります。そんな ときに どう かんがえたら いいかを いくつかの 例で 説明 します。

これは きまりでは なく,こういう かんがえかたも ある,という 程度の ヒントだと おもって ください。よく 理解 できなかったら,全体を ひとつづきに 書いても かまいません。

作曲者名

「作曲者名」の 構造は「作曲」+「者名」では ありません。「者名」という ことばが ない ことからも,それは わかるでしょう。正しくは「作曲」+「者」+「名」です。この 構造が わかる ように きりはなします。しかし,「作曲者」までは ひとつづきに 書けますから,「名」だけ きりはなします。そして,「名」は 漢字 1文字で 独立性が ひくいので,ツナギ(-)で つなぎます。

sakkyokusya-mei (作曲者名)
Rômazi-ron (ローマ字論)
gozyûon-zu (五十音図)
Doitugo-ban (ドイツ語版)
Barutan-sei-zin (バルタン星人)

生徒会長

「生徒会長」は「生徒」+「会」+「長」ですが,「生徒会」は ひとつづきに かけるので,「生徒会」+「長」に なりそうです。しかし,「会長」という ことばが あるので,「生徒」+「会長」でも よさそうに おもえます。どちらが いいか まよって しまうかも しれません。

こういう ときは きりはなす ところに「の」を いれて かんがえます。すると,「生徒会の 長」は 意味が とおりますが,「生徒の 会長」は おかしいと わかります。したがって,「生徒会」+「長」が いいでしょう。

「海水浴場」は「海水」+「浴場」と かんがえると「海水の 浴場」に なって 意味が かわって しまいます。「幼稚園児」は「幼稚」+「園児」と かんがえると「幼稚な 園児」に みえて しまいます。どちらも このましく ありません。

seitokai-tyô, seito kaityô (生徒会長)
yakyûbu-in, yakyû buin (野球部員)
daigakuin-sei, daigaku insei (大学院生)
kôkyôgaku-dan, kôkyô gakudan (交響楽団)
kaisuiyoku-zyô (海水浴場)
yôtien-zi (幼稚園児)

こういう 場合,すこし いいかえる 手が あります。意味が はっきり する だけで なく,ツナギ(-)が いらなく なって すっきり します。「の」を はさむと,さらに わかりやすく なるでしょう。

seitokai kaityô (生徒会会長)
yakyûbu buin (野球部部員)
daigakuin insei (大学院院生)
kôkyôgaku gakudan (交響楽楽団)
yôtien enzi (幼稚園園児)

盲学校長

「盲学校長」は「盲」+「学校」+「長」ですが,「盲学校」は ひとつづきに かけますから,「盲学校」+「長」です。「校長」という ことばは ありますが,「盲学」+「校長」では ありません。

これも わかりやすく いいかえた ほうが いい ことばです。

môgakkô-tyô (盲学校長)
môgakkô kôtyô (盲学校校長)
môgakkô no kôtyô (盲学校の校長)

経済学者

「経済学者」は「経済」+「学」+「者」と「経済」+「学者」の どちらでも 解釈 できます。「経済の 学者」でも 自然ですから, 「経済」+「学者」で いいでしょう。「物理学者」「心理学者」「生理学者」などは「○○」+「学」+「者」の 感覚が つよいかも しれませんが,これらも「○○」+「学者」で いいでしょう。

「英文学者」は「英文」+「学者」だと すこし おかしい 感じが するかも しれません。しかし,「仏文」を「フランス文学」と みなす ように,「英文」を「イギリス文学」と 解釈 する ことも できますから,これも「英文」+「学者」で いいでしょう。

keizai gakusya (経済学者)
buturi gakusya (物理学者)
kokubun gakusya (国文学者)
eibun gakusya (英文学者)
Kumamoto kenmin (熊本県民)
kekkon sikizyô (結婚式場)

県体育館

「県立図書館」は「県立」+「図書館」ですが,「県体育館」は どう 書けば いいでしょうか。これは おもいきって「県」を きりはなします。ひとつづきに 書くより 理解 しやすいからです。「県」は 漢字 1文字で 独立性が ひくいので,ツナギ(-)を いれた ほうが いいでしょう。

ken-taiikukan (県体育館)
nen-heikinti (年平均値)
En-kansangaku (円換算額)

小中学校

「小中学校」は「小学校と 中学校」を まとめて みじかく した ことばです。きりはなす 場合は 構造が わかる ように します。

syô-, tyû-gakkô (小中学校)
zyô-, ge-suidô (上下水道)
zyô-, tyû-, ge-kan (上中下巻)
riku-, kai-, kû-gun (陸海空軍)

これは あまりにも 煩雑で,ひとつづきに 書いた ほうが かえって わかりやすいかも しれません。もっと いいのは,この ことばを つかわない ことです記号だらけで みた目にも うつくしく ありません。かといって「小中」+「学校」に すると「焼酎の 学校」みたいに なって しまいます。。すなおに「小学校と 中学校」に しておけば, 小学生や 中学生にも やさしいでしょう。

市町村長

「市町村長」は「市長と 町長と 村長」を まとめて みじかく した ことばですが,「市町村」+「長」とも かんがえられます。「長」だけ きりはなす 書きかたが 読みやすいでしょう。

sityôson-tyô; si-, tyô-, son-tyô (市町村長)
todôhuken-tyô; to-, dô-, hu-, ken-tyô (都道府県庁)

生年月日

「生年月日」は「生」+「年月日」ですから,「生」を きりはなします。「年月日」も「年」+「月」+「日」の 構造に したがって きりはなす ことは できますが,そこまで すると かえって わかりにくく なります。

もっと いい 手は,この ことばを つかわない ことです。「うまれた日」で わかります。

sei-nengappi (生年月日)
Umareta hi: ____ n. __ gt. __ nt. (うまれた日:____年__月__日)

女子大生

「女子大生」には ふたつの 解釈が あり,どちらが 正しいとも きまって いません。「女子大」+「生」(女子大の 学生)の 意味なら,「生」を きりはなします。「生」は 独立性が ひくいので ツナギ(-)で つなぎます。「女子」+「大生」(女子の 大学生)の 意味なら,「大生」を きりはなします。「大生」という ことばは ないので,ツナギ(-)で つなぎます。

zyosidai-sei (女子大生;女子大の 学生)
zyosi-daisei (女子大生;女子の 大学生)

科学技術

「科学技術」は「科学に 裏づけられた 技術」「最新の 科学を 応用 した ハイテク」くらいの 意味で つかわれている ことも ありますが,これは science and technology の 訳語で,本当の 意味は「科学と 技術」ですきちんと「科学・技術」と 表記 されている ことも あります。

すこしでも わかりやすく するため,文章の 中では クギリ(,)を いれる ことを すすめます。「と」を いれると さらに わかりやすく なります。

kagaku, gizyutu no sinpo wa... (科学技術の進歩は……)
zidô, seito o anzen ni... (児童生徒を安全に……)

ながい つづりを 視覚的に きりはなす

ここまでの 説明で しめした ように,ながい つづりは いろいろ 理屈を つけて きりはなす ことが できます。けれども,ながい つづりを きりはなす 理由が みつからない ことも あるでしょう。そんな ときは どう したら いいでしょうか。単純に ながさで 判断 して,ながい ものは きりはなして かまいません。6拍 または 7拍は ながい,と みなすのが おおよその 目安です。

このとき,かならず ツナギ(-)を いれて ください。ながい ことの ほかには きりはなす 理由が ないのですから,あくまで 視覚的に きりはなすだけです。完全に きりはなして しまうのでは なく,ツナギ(-)で つながった 状態に します。

hana-nusubito(花盗人)/ yukimati-zuki(雪待月)
beni-osiroi(紅白粉)/ harutuge-dori(春告鳥)
maturi-bayasi(祭囃子)/ hanare-kozima(離れ小島)
hitori-hitori(一人一人)/ kawaru-gawaru(代わる代わる)

ただし,これを やりすぎると ツナギ(-)だらけに なって しまいますから,最小限に とどめて ください。複合語の うしろの ことばが 母音で はじまる ものは 読みにくい 事実が しられていますから,その 場合に かぎって ツナギ(-)を いれる,というのも ひとつの 方法です。


つづきは 作成中です。

分かち書きの 話題

分かち書きの 勘ちがい

分かち書きに まつわる,よく ある まちがいを 正します。

漢字かな交じり文に 分かち書きは いらない?

もっとも よく ある まちがいは これでしょう。漢字かな交じり文には 分かち書きの 必要なんか ないと おもっている 人が おおい ようです。しかし,「先生きのこ」の 例で しめした ように,これは まちがいです。

小説や 新聞などの 文章は プロが 書いたり 手を くわえたり していますから それなりに 読みやすいのですが,一般の 人が 書いた ブログなどの 文章には きわめて 読みにくい ものが あります。文章が ヘタクソで 何を いっているのか わからないという 意味では なく,字面 そのものが 視覚的に 読みにくいという 話です。漢字の ことばが 連続 していたり,ひらがなの ことばが 連続 していたり するために,ことばの きれめが わかりにくい 文章を みた ことが あるでしょう。

プロは それを たくみに さける 技術を もっていて,読みやすい 文章を 書く ことが できる わけです。しかし,プロ級の テクニックが ないと 読みやすい 文章が 書けない 現状は,何かが おかしいと かんがえなければ いけません。外国語で 生活 している 人は 誰も こんな 苦労を していないのですから。

漢字かな交じり文にも 分かち書きは 必要です。けれど,今の 国語政策を みるかぎり,学校教育の ような,上からの 改革は まったく 期待 できません。だれかが お手本を しめして,それが すこしずつ ひろまっていく ことでしか 現実は かわりません。この サイトの 書きかたは その こころみの ひとつです文節式の 分かち書きを とりいれ,読点を すこし おおめに つかっています。改行の 位置は 制御 していません。

空白は 時間的な 空白?

分かち書きの 空白を,発音 する ときの 時間的な 空白だと おもっている 人が います。そうでは ありません。空白で すきまを いれて 読む 必要は ありません。

英語の thank you は〈サンキュー〉で,まるで 空白が ない みたいです。ローマ字文でも おなじです。つぎの 3個の 文の 発音は まったく おなじです:

文法の 知識が いる?

文法の 知識が ないと 分かち書きは 理解 できないから こどもには 無理だ,という 人が います。これも まちがいです。文法の 知識なんか いりません。

日本語で 生活 している 人ならば,ほとんど 体で おぼえて しまう ものです。アメリカの こどもは 英文を 分かち書きで 書いていますが,英語の 文法は しりません。ローマ字文でも おなじです。分かち書きの ルールは,書かれた ものを 読み,それを まね して 書く うちに,自然に おぼえていく ものです。

漢字かな交じり文の 分かち書き

分かち書きを しない 言語

漢字かな交じり文の 日本語は 分かち書きを しませんが,世界の 言語の 中で 分かち書きを しない 表記は きわめて めずらしく,中国語,日本語,タイ語など,ごく わずかしか ありません。

これらの 言語の 中で 中国語は 特別です。中国語が 分かち書きを しないのは,基本的に 1文字が 1単語だからです。べた書きでも 漢字と 漢字の さかいめは あきらかですから,中国語は 単語を きりはなして 書いているのと おなじですより 正確には,1文字が 1形態素と いった ほうが いいでしょう。中国語は 形態素ごとに きりはなして 書いています。しかし,もともと 漢字は 1文字が 1単語で,「論語」くらい ふるい 中国語では そう なっていました。しかし,ことばの 数は どんどん ふえていきますから,それに あわせて つぎつぎに あたらしい 漢字を つくる ことは できなく なり,熟語を つくって 対応 する ように なりました。こまかい 話を すれば,形態素ですら ない 漢字も あります。1文字では 意味を あらわせず,2文字の ペアで ようやく 意味を もつ 漢字です。たとえば,「檸檬(れもん)」「葡萄(ぶどう)」「瑠璃(るり)」「袈裟(けさ)」などです。これらの おおくは 外来語で,共通の パーツ(部首)を もっているのが 特徴です。

中国語 以外の 言語には 共通点が あります。それは,ことばと 文字が マッチ していない ため,表記システムが 複雑化 して,その 発達が おくれている ことです。たとえば,タイ語は タイ語を 書きあらわすのに 適していない インド系の 文字を 無理 して つかっています。日本語も 日本語を 書きあらわすのに 適していない 漢字を 無理 して つかっています。

このような 状況では,たとえ 表記法を あらためる かんがえが でてきても,現行システムとの ギャップが おおきすぎて,物理的にも 心理的にも それを うけいれにくく なります。そのため,なかなか 改革が すすみません。

分かち書きを とりいれる

手書きの 手紙や 電子メールの 文面では,ことばの きれめで 改行 するのが 普通です。映画の 字幕,漫画の ふきだし,広告や 宣伝の ポスターに 書いてある キャッチ フレーズなども そう する ことが おおいでしょう。それが 実用の 面で 便利で あり,感覚的にも 自然だからです。

意識の たかい 人は ブログの 文章でも ところどころ ことばの きれめに 空白を いれて 書いています。空白で 単語を くぎる かんがえは,英語の 分かち書きを しっている 現代の 日本人に とってみれば,ごく 自然な 発想でしょう。

けれども その 一方で,分かち書きを しているのは 幼児むけの 絵本などしか ないため,分かち書きは 幼稚な 書きかただと かんがえられているのも 事実です。この 意識の 根っこを さぐっていくと,原稿用紙の マス目を 文字で うめていく ような 書きかたが 日本語の 正しい 書きかただ,という 固定観念に いきつきます。

こんな かんがえは そろそろ すてなければ なりません。現代の 日本人が 書く 文章を かんがえてみて ください。漢字と かな文字 だけでは 書かれていません。アラビア数字で 書かれる 数値,原つづりの 外国語,商品の 型番,電話番号,メール アドレス,ときには 数式や 化学式などが まざりあっています。そんな 文章を 原稿用紙に 書く こと 自体が はなはだしい 時代錯誤です。そもそも 原稿用紙は 字数を 正確に しりたい 出版社の 都合で 作家が つかわされた もので,一般人には 関係 ありません。学校で 原稿用紙を つかうのも いいかげんに やめる べきでしょう。作文は 横書きの レポート用紙に 書かせた ほうが ずっと 教育的だと おもわれます。

役人などは 規則に しばられる ところも あるでしょうが,一般人は 便利で 自然な 書きかたを すれば いいでしょう。そう すれば,日本語の 表記システムは すこしずつ つかいやすく なっていく はずです。そして,日本語 そのものも 発展 していくでしょう。

分かち書きは 未完成

分かち書きの ルールは 完成 していません。ヨーロッパの 言語でも 分かち書きの ルールは 未完成です。たとえば,ドイツ語では 1998年に 正書法が 改定 された 際に 分かち書きの ルールが かわりました。英語では 複合語を つなぐ ハイフンが どんどん へってきています。日本語でも 点字文の 分かち書きは ルールが あらためられています。

ローマ字も 100年前と 今とでは ずいぶん 書きかたが ちがいます昔は ローマ字論者 田丸卓郎の 提唱 した 書きかたが おこなわれていました。戦後は「東大ローマ字会」に よる「東大式」が 主流に なりました。この サイトで 説明 している 分かち書きの ルールは「東大式」を もとに しています。。これから 先も かわっていくでしょう。この サイトが ここで 提案 している 書きかたも 今の かんがえに すぎません。